2024年4月30日火曜日

「大放出! 着物100着以上 おゆずり会」

「きものDE交流~着物で街を埋め尽くせ~」という団体が主催する着物おゆずり会に行ってみました。

こちらの会が保有しているたくさんの着物を、無料でお譲りしますというのです。

会場はうちのすぐ近くでしたので、自転車で行ってみました。

これまでたくさんの着物を保管されていたそうで、それだけでも大変でしたね。

そのお気持ちが分かるので、せめて保管を少なくさせていただけたらと思いました。

ご近所の着物友達もこの会のメンバーなので、安心して参加することができました。

たくさんの着物の中から、小さいサイズでなるべく地味なものを選びました。

青い縮み風の単衣、焦げ茶色の袷、そしてグリーンの絽の着物です。


おまけにコーディネート用として、ベージュの半幅帯と、緑×赤の美容襟もいただいてきました。

ちょっと大きめの着物を着るときのコツも教えていただきました。やはり着付師さんに着付けしていただくと、着姿もすっきりとしますね。


姿見や、ゴザもたくさん用意されていて、気持ちよく着替えをすることができました。
洋服の上に着ているので、ちょっとおデブですが。

「きものファンファン」のおゆずり会の時は、私は主催者なので、なかなか自由に着物を選ぶゆとりもないのですが、今回はゲストなので、楽しんで試着することができました。

こんなシーンを写されていました。

今回は30歳代くらいの若い方がたくさんいらっしゃり、派手目の着物を選んでいらっしゃいましたが、みなさん、とてもよくお似合いでした。

このような機会を利用して、着物を着たことがない人も、楽しんでいただけると良いですね。

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「一日一句」

着るもので 気分転換 初夏の午後


2024年4月29日月曜日

今日のひと橋 「聖橋」

「今日のひと橋」は、聖橋です。

大学の授業にちょっと関連するので、御茶ノ水駅にある聖橋へまた行ってみました。

こちらの写真は、御茶ノ水駅のプラットフォームから写した聖橋です。

この橋は関東大震災の復興橋ということで、完成は1927年(昭和2年)です。

鉄筋コンクリートのアーチ橋という構造です。

土木学会の土木遺産にもなっています。

そして地下鉄丸ノ内線が地上に出て、総武線や中央線とクロスするという珍しい光景が見られるところです。


橋は神田川と外堀通りまでつながり、約90メートルという長さは、神田川に架かる橋の中では一番長いそうです。


「聖橋」という名前は、湯島聖堂とニコライ堂という二つの聖地からちなんだもので、一般公募で選ばれたのだとか。

橋の下にある支えのようなフェンスも、なんだかレトロで可愛らしいですね。


そういえば今から半世紀以上前、この橋を渡ったところにあるバス停から、職場に向かったものです。

懐かしい聖橋でした。

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「一日一句」
若き頃 思い出したよ 聖橋


2024年4月28日日曜日

田中優子さん講演会「江戸から見ると」

出版NPO「本を楽しもう会」という団体が主催する講演会に行ってきました。

講師は法政大学前総長の田中優子さんです。

三鷹市役所に隣接するホールで開催されましたが、会場が超満員になるほどの盛会でした。

お話は田中さんの専門である江戸時代について。江戸はリサイクル社会であるとともに、270年に渡り戦争のない社会でした。それに反して、明治以降は日本は数多くの戦争に関わり、人権が無視された社会になっている。「平和を求め、新しい戦前にさせない」という立場で政府に対して運動を起こしているという話でした。

シルバーのショートヘアーに、お母様から譲られたという白の江戸小紋をきりりと着こなし、きっぱりとした口調で話されていました。

講演後は質問タイムがありましたが、どんな質問に対しても、きりりとした態度で受け答えをされていました。

私は彼女の着物観について、同感しました。着物を着るようになったきっかけは、受賞講演の時に着るものがなくて、スーツにハイヒールでは疲れてしまうなので、お母様の着物を着て出席したところ、精神的にも落ち着き、とてもうまくいったというのが着物との関わりだったそうです。

その後、アジア各地で、布の研究をされています。

また「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」にも参加されていて、その会の目印でもある黄色いスカーフを半襟として使っていたのが印象的でした。

この会を主催した「本をたのしもう会」はすでに23回もの講演会を行っていて、多彩なゲストが出演されています。

ちょっと残念だったのが、参加者のほとんどが高齢者であったことです。もっと若い人にも呼びかけをして、参加してもらえたら良かったと思いました。

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この日の装い。

青に黒い波模様のポリ着物。久しぶりに白半襟にしました。


帯は辻が花風の染め帯です。

帯締めは自作です。

ちなみに会場には私以外に5名ほど、着物で参加した方がいました。

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「一日一句」

令和でも 一番大切 平和な世

2024年4月24日水曜日

地理の授業

現在、大学で受講している授業は、主に江戸や東京の歴史や地理についてです。

何十万年前の関東地方の地質の話(難しくてよく分からない)、太田道灌の時代の話、徳川家康の江戸大改革の話などがメインです。

その中で面白いと思うのは、学部の学生と一緒に受けている東京の人文地理についての授業です。

先生の専門は、解析地理とかいう分野で、いろいろなデータを分析しながら研究されています。

特に戦後の東京の動向について調べているので、私たちベビーブーマー世代が子供の頃の話もよくあります。

前回は、「団地」についての分析でした。

団地と言えば、私が小学校高学年になってクラス替えがあったとき、新しくできた荻窪団地に住んでいる男の子がいて、人気の的でした。

当時、鉄筋コンクリートの4階建ての2DKの間取りに住んでいる、ということだけで彼は羨望のまなざしで見られていました。

現在、その団地はしゃれた名前の建物に作り直されていますが、半世紀以上も昔の団地を思い出して懐かしくなりました。

また昭和35年には、新婚だった皇太子夫妻(現在の上皇夫妻)がひばりヶ丘団地のおうちを見学に行ったそうです。アメリカ旅行に行く前に、近代的な建物で暮らす一般庶民の生活を見ておきたかったとか。現在は、上皇夫妻が手を振ったベランダが、団地の敷地内にモニュメントとして残されています。

また団地には活動的な人が住むことも多く、共産党の不破哲三もひばりヶ丘団地に住んでいたそうですし、兄の上田耕一郎も別の団地に住んでいたそうです。

当時の団地は、ある程度の高収入がないと駄目だったそうですが、それでも抽選倍率が非常に高く、誰でもが簡単に住むことはできませんでした。

現在では住む人間も高齢化して、建替えについて問題もありますね。

地理の授業ですが、なかなか面白い話を聞くことができます。

ただし毎回、レポート提出があるので、ヒヤヒヤしながらパソコンに向かっています。

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「一日一句」

戦後には みなのあこがれ 団地っ子


2024年4月20日土曜日

コンクリートの作り方

大学の授業が正式にスタートして、1週間経ちました。

すごく興味深い授業もあれば、退屈な授業もあります。自分で選んだので仕方ありませんが。

そんないくつかの授業の中で、「あー、これは選んで失敗だったな」と思ったのが、インフラについての授業です。

これは橋やトンネルなどの解説だというので、橋好きの私としてはどんな話が聞けるのかワクワクしていたのですが、主に橋の構造についての解説のようでした。

初回はコンクリートの作り方、ということで先生が目の前で紙コップの中にセメントを入れて、そこに水を加え、ぐるぐる回していくと、コンクリートになるという手品のようなことを見せていただきました。またその中にいれる鉄骨も見せていただきました。

そういうことは初めてでしたので、面白いといえば面白いのですが、理論的なことはちんぷんかんぷん。物質の強度や熱膨張係数などを、物理的、科学的に数式を使って説明されるのですが、なかなかピンと来ませんでした。

受講生はかなり少なくて、みなさん、建設業などに携わってきたようなおじさまばかり。女性は私ともう一人しかいませんでした。

私は橋に興味があるといっても、橋の名前や、その文字のフォント、あるいは歴史的由来などには興味がありますが、橋の素材や難しい数式には戸惑うばかりです。

えーん。

私が好きなのは、こういう古い橋なのですけどね。

という体験をしていますが、新しいことに触れるのは老化防止には一番かもしれません。

そのうち、橋の構造についても詳しくなれるかも。

ちなみに日本で一番最古の鉄筋コンクリートの橋は、明治4年(1871年)、京都の琵琶湖疎水にできた橋だそうです。そのあたりの様子は、私も実際に歩いているので、なるほど、と思いました。

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「一日一句」

立ち尽くす 春の授業の 戻り橋

 


2024年4月18日木曜日

ウナギで入学祝い?

うちの近くの駅前に、うなぎ屋さんが開店したというので、行ってみました。

大きな幟と、開店祝いの蘭の花がお出迎え。

ちょうどこの日は、私は大学の授業がなくて、夫も仕事が休みだったので、二人で昼食を取ることにしました。

店内はそれほど広くはなくて、15席くらいでしょうか。

メニューはうなぎの松竹梅の3種のみです。

私はうなぎが一枚の梅、夫はうなぎが3枚の松+ご飯大盛りを注文しました。


上の写真は梅、下は松です。


焦げ目がついて、おいしそう。

うなぎの身が厚くて、柔らかくておいしかったですよ。おまけにリーズナブルなお値段でした。

ただし店内の冷房が効きすぎて、寒くて困りました。

また支払いは現金のみですので、カード類は使えません。

これは私の入学祝いとしましょう。

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「一日一句」

卯月には うなぎを食べて ハッピーに


2024年4月17日水曜日

「源氏物語を楽しむ会 69回」2024年4月

「源氏物語」は、今回から新しい巻に入りました。

「蛍」の巻です。

年度も新しくなり、またテキストも新しくなっての読書会でした。

とはいえ、相変わらず最初はおしゃべりで始まります。とくに現在は大河ドラマ「光る君へ」が放送中なので、あれこれとツッコミをいれてのおしゃべりが多くなりますね。

さて、今回の登場人物ですが、ヒロインは、光源氏の元の彼女が生んだ娘である美しい玉鬘です。

そして男性は、光源氏の義理の弟である兵部卿宮です。

彼は性格もよく恋文の中身もよく、そして当然、血筋も正しいので、合格点をあげられる男性です。

光源氏は玉鬘に「きちんとお返事を差し上げなさい」などどサジェスチョンしたりします。

その彼がある晩、玉鬘のもとにやってきます。

するとそこに隠れていた光源氏は、手にしていた布を投げたのです。そこから蛍が飛び出し、玉鬘のシルエットが美しく映し出されたのでした。

これを見て、兵部卿宮はどんなに喜んだことでしょう。

このことから、彼は蛍兵部卿宮と呼ばれるようになりました。

当時は夜は真っ暗だったことでしょう。蛍の効果もバッチリでしたね。

ちなみに、これは光源氏だけのアイディアではなく、伊勢物語の中でもホタルを使った演出はあったようです。

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この日、Uさんは黒に三枡柄の大島紬、茶色い丸模様の帯でした。モダンですね。


いつもの場所で、Kさんに写していただきました。

私は黒に白の格子柄の袷です。

半襟と帯はピンクにしました。

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「一日一句」

蛍の夜 高まる恋の ときめきよ


2024年4月15日月曜日

駒沢給水塔見学

世田谷区に古くてかっこいい巨大な給水塔があることを知り、ずっと行きたいと思っていましたが、なかなかチャンスがありませんでした。

よく晴れた昨日、ようやくその夢が実現しました。

それは「駒沢給水塔」です。(写真は世田谷区のHPより拝借しました)

実に100年前に作られたそうです。

張り切って出かけました。

田園都市線の桜新町駅で降りました。

ちょうど地元の桜祭りが開催されていました。沿道にはピンクの八重桜が満開でした。


まずはサザエさん一家にご挨拶。逆光になってしまいましたね。

「桜祭り」に出店していた「駒沢給水塔風景資産保存会」の方にお話を伺いました。

道順をお聞きして、駅から10分ほど歩き、落ち着いた住宅街に来ました。

看板が出ていました。


すると目の前にヨーロッパの古城のような堂々とした建物が目に入ってきました。


塔は二つあり、その間を橋でつないでいます。


電線が邪魔で、なかなかうまく写せません。


塔には王冠のような飾りがついていました。

これが「双子の給水塔」でした。

この塔は高さ30メートル、直径15メートルあるそうです。

こちらは、給水塔の装飾電球についての説明です。

当時はこの電球が点灯すると、渋谷の道玄坂上からも見えたそうです。

建物の周りをぐるりと回りました。フェンスがずっと続いていました。


フェンスの中の庭にも桜がきれいに咲いていました。


橋も美しい。

資料によると、この給水塔を作ろうと着手したのは、大正10年、1921年のことだそうです。

東京の人口急増に伴い、渋谷町に生活用水を確保するため、「近代水道の父」と呼ばれた中島鋭治博士が計画を立てました。多摩川を水源として、砧村に浄水場を設け、送水ポンプの動力で、駒沢給水所まで水を押し上げて、渋谷に水を送るというプランでした。

工事の間には関東大震災が起こりましたが、建築計画には支障がなく工事は続けられ、1924年に完成しました。

王冠のようなデザインと、それをつなぐ橋はとても美しい姿です。

現在も、中では少し作業をしているということでした。

この塔はとても敷地が広く、ぐるりと一周するのにはずいぶん時間がかかりましたが、ようやく正門前に到着することができました。



桜も美しい。


この建物は、土木学会から土木遺産の認定を受けていました。


大地震などのときには、ここで水が配られるそうです。

給水塔から戻ると、「桜祭り」は真っ最中で、すごく大勢の人が集まっていました。

模擬店やサッカーコーナー、あれこれあり、賑わっていました。歩けないほど混雑していました。

ちょうど八重桜が満開で、みなさん、楽しんでいました。

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この日の装い。

暑くなるという予報でしたが、午前中はそれほど気温も上がらず、ちょうどよい気温でした。

薄手の袷にしました。

赤い帯はたしか千円でした。

外を歩くときは、日傘が必須な季節になりましたね。

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「一日一句」

桜咲き 王冠輝く 給水塔


2024年4月13日土曜日

日本橋堀留公園→浜町の初かき氷

「ほりどめマルシェ」というイベントに行ってみました。

というのは、会場の堀留児童公園はかつて東堀留川が流れていたところで、橋の跡もあるというので、興味が湧いたのでした。


テントの下に、いろいろなお店が出ていました。


浴衣で有名な「三勝」では、染めの型紙も展示されていました。
また外国人向けに、浴衣に紐を付けてベルトのようにして使えるものもありました。

こちらはお土産にいただいてきた手ぬぐいです。

組紐のお店も出店していたので、寄ってみました。


さすがにきっちりと作られていて職人さんの技が感じられました。


お土産に手首に巻くストラップを購入しました。


洋服にも着物にも合うと思います。

このあたりには古くからあるお店の博物館もいろいろあるようでした。

公園の桜はまだきれいに咲いていました。

その後、橋を探しました。「萬橋」という橋があるはずでした。

Googleマップを頼りに同じ場所をぐるぐると歩き回りましたが、橋の跡は見つかりませんでした。

その場所には、今はこんなふうに保育園や老人施設が入っていました。


住所はあっているのに、見つからない悔しさ。

その代わり、壁面に昔の橋の風景が描かれているところを見つけました。

こんな橋だったのですね。これで我慢しましょう。

中央区の資料によれば、このあたりには東堀留川と西堀留川が流れていました。舟運の中心的役割を果たしていましたが、関東大震災の後と、戦後にかけて埋め立てられてしまいました。

また東堀留川は、もともと石神井川の河口部だったそうです。

ここには思案橋、親父橋、萬橋という3つの橋があったそうです。江戸や戦前の東京は、堀と川の町だったのでした。

そして現在は堀留児童公園になっています。

周囲をぶらぶらと歩きましたが、日本橋といってもどこも現代的なビルになっていました。

スカイツリーもよく見えました。

そして、明治座が近いことを思い出して、歩いて行きました。

こちらは劇場の横にある神社です。


劇場の前にちょっと変わった和風喫茶があるのです。中に入ってみると、インテリアも変わっていました。昔のものもたくさんありました。
私が座ったテーブルには、富沢梅男さんが来店したときの写真が飾ってありました。

メニューにかき氷があったので、今年初のかき氷を注文しました。

かき氷はどんぶりのような大きさに入っていて、さすがの私も少し残してしまいました。

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この日の装い。

25度くらいの気温になるという予報でしたが、軽い袷にしました。大島もどきです。


帯は、Berry工房さんの白のレース帯。


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「一日一句」

日本橋 桜の後は かき氷