2011年7月31日日曜日

パンダ・カフェ

うちの娘は大のパンダ・ファン。
娘の家に一歩足を踏み入れると、玄関マットからティッシュ・ケースから、パンダばかりで揃えてあるのです。

そんな娘から「阿佐ヶ谷にパンダ・カフェというのがあるので、一緒に行ってみる?」と尋ねられました。

私はパンダはそれほど特別興味はありませんけれど、中央線育ちなので阿佐ヶ谷という場所に魅かれて、一緒に行ってみることにしました。

パンダ・カフェの場所は杉並区役所と阿佐ヶ谷駅の中間あたりかしら。

通りを探しながら歩いていると、ありました、ありました!


可愛いパンダが下がっています。


細い階段を2階に上ると、そこがパンダ・カフェです。

ドアを開けると、「わぁ!」 と声が出てしまうほど、何から何までパンダづくしです。


お人形はもちろんパンダです。


こんなミニチュア・パンダも。


どれもこれもみなパンダ。


食べ物にもパンダがついてきます。

しょうが焼定食には海苔のパンダ。


キーマカレーにはチーズでパンダ。


飲みものもパンダ模様。シュガー・スティックまでパンダ。


なんとトイレット・ペーパーまでパンダ模様でした。もったいなくてあまり使えなかったわ。

ここではパンダ・グッズのお土産もたくさん売っているので、娘はパンダの花瓶とかステッカーとかあれこれ買っていましたよ。


あまりにパンダばかりなので、娘には
「そんなにパンダが好きなら、子どもの名前はパン太にしたらどう?」と提案したほどです。

カフェの出口ではパンダたちがお見送りをしてくれました。


阿佐ヶ谷は8月上旬に開かれる七夕祭りの準備をしているところでした。

私が子どもの頃は、阿佐ヶ谷の七夕には荻窪から都電でお出かけをしていました。
往復料金が15円だったかな?
そしていつの間にか都電は廃止になり、丸ノ内線ができたのです。

阿佐ヶ谷はそんな思いで深い町でした。

2011年7月30日土曜日

8ヶ月

妊娠8ヶ月になり、お腹もかなり大きくなった娘がやってきました。

私が使っていた母子手帳を娘に渡してあるのですが、それによると、私が8ヶ月の頃のお腹のサイズとちょうど同じだとか。


そして近くの母のいるホームまでいっしょに出かけました。

母は何回も「えーと、この子が私の孫で、お腹の中にいるのが私のひ孫なんだね」と聞きなおしていました。

娘は「そう、ひ孫ができるんですよ。生まれたら連れてきますね」と答えていましたが、母はそれまで覚えているかしら。


母は、生まれてくる子どもの性別がもう分かっていると話したら、驚いていました。

娘は、大きくなったお腹をおばあちゃんに撫でてもらいました。

安産で生まれますように。

2011年7月29日金曜日

里見八犬伝

「里見八犬伝」といえば滝沢馬琴の有名な大河小説ですけれど、今回、私が読んだのは植松三十里さんがテレビの正月番組のノベライズ版だそうです。


そのテレビ番組というのは、タッキーこと滝沢秀明君が主人公になったんですって。他には佐藤隆太、小澤征悦、押尾学、が八犬士になっていたそうです。

1983年には東映で映画化されていて、薬師丸ひろ子、真田広之、千葉真一、志穂美悦子などが出演していたみたいですよ。かなり時代を感じさせるキャストですね。

言わずと知れた「犬」に関係のある8人が登場する物語ですが、登場人物が多いのでテレビや映画になりやすいのでしょうね。
その8人が8つの珠(信、義、忠、孝、悌、仁、智、礼)を追い求めてあちこち出かけて、悪人と戦いをするというストーリーです。

さすがに三十里さん、スピード感あふれる時代エンターテイメントに仕上げていました。

本家の滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」は、なんと完成までに28年もかけた大作だそうです。後年は失明してしまったため、口述筆記で書いたそうです。

江戸時代の人たちも読んでいた小説を、21世紀の私たちも読めるというのが面白いわね。

2011年7月28日木曜日

風呂敷

模様は気に入ったのに、手触りがいまいちで、着るのを断念した単衣の着物。

仕方なく全部ほどいてしまいました。
そして洗ってアイロンをかけて、一部は巾着袋にしましたけれど、まだまだたくさん生地が余っていました。

私は裁縫はあまり得意ではないし、ミシンもないので、どうしようかと考えていました。

だいたい着物をリサイクルしたものって、ダサいというか、おばはん臭くなりますよね。
(もう十分におばはんなんで、いいんですけれど)

それで、一番簡単な方法、つまりただまっすぐに縫い合わせるだけという風呂敷にしてみました。


細長い生地を4枚くらいつなぎ合わせたかしら。

いい加減な私が作ったので、正方形にはなりませんでしたけれど、でもまぁいいか。
サイズはかなり大きいので、着物や帯も包めます。

風呂敷って使わない時は、畳んでおけばいいし、日本人の知恵ですよね。


いかにも手作りという感じでしょ。

でもよく考えてみたら、何も着物をほどいたり、縫い合わせたりしなくても、ただ下の方だけ切っただけでも良かったのかも・・・・。

実はもう一枚、焦って買ったので、着るにはちょっと・・・という着物があるんですよ。
でもそれは袷なので、ほどくだけでも面倒臭そうだわ。
何かいい方法はないかしら?

2011年7月27日水曜日

ミント色着物と黒カモメ帯

昨日、たくさんいただいた着物と帯

さっそく着てみました。

可愛い小花模様の単衣の着物です。
ミント色が涼しそうでしょ。


こういう色の着物を着た時には、白い帯を締めるのるのが王道かもしれませんけれど、ちょっと冒険して黒い帯を合わせてみました。

去年、世田谷ボロ市で買った黒のスケスケ帯です。買ったのに使う時がなかったので、初めて締めました。

後ろのお太鼓のところには、波模様に黒いカモメが飛んでいるのですよ。

暑かったので帯板(帯の中に入れて、ぴんとさせる道具)を使わなかったので、ちょっと帯がふにゃけていますけど、ご勘弁を。

娘から誕生日祝いにもらった帯揚げと帯締めをしましたが、写真で見ると、すごくケバイわ。

うたどんさん、こんなふうな組み合わせで着て良いのかしら?

2011年7月26日火曜日

いただきもの

今日はとてもすてきなものをたくさんいただいてしまいました。

そう、着物と帯です。

私が最近、着物を着るようになって、ブログにも写真を載せたせいか、知人の知人という方が、ご自分の使わなくなった帯2本を私に下さるというのです。

嬉しいお話なので、さっそく知人のところに受け取りに行ったところ、なんと追加の品があり、帯も着物もこんなにたくさんいただいてしまいました!


どれもこれも素敵なものばかりで、感激です。

おまけにサイズもぴったりでした。

夏着物や夏帯もあったので、さっそく着てみたいと思います。

Uさん、どうもありがとうございました。

2011年7月25日月曜日

タイヤの交換

私の自転車はもう何年も乗っているママチャリなんだけれど、後ろのタイヤの空気が少なくなって走りにくくなってしまいました。

タイヤを触ってみると、ぐにょっとして、なんだか自分の二の腕みたい。
おまけにタイヤにはたくさんの筋が入っていて割れ目ができているのよ。

このまま走っているときにパンクしたら困るので、近所の自転車屋さんまでのろのろと走って行きました。


自転車屋さんのお兄さんに「どうでしょう?」と相談したら、
「うーむ、もう替え時かもしれませんね」とのこと。

それで自転車を預けてそのあたりでお買い物をして、またお店に戻ってきたら、新しいタイヤと交換してありました。

タイヤの代金は5000円でちょっとおつりがきました。


乗ってみると、スイスイ走れるの。
やはり気持ちがいいですね。

さとさんの自転車などとは比べものにはならないけれど、やはり時々は整備してあげないとね。

2011年7月24日日曜日

レースの着物

先月、地元の骨董市で買った赤いレースの着物を着てみました。

こんなふうにスケスケなのです。


ちょっと襦袢の袖が長いようなので、あとで安全ピンで止めました。


帯は白の絽つづれ。何回締めてもふにゃふにゃで締めにくいわ。作り帯にしてしまおうかしら。

着物の背中がちょっとしわになっていますね。
後ろ姿は自分ではよく見えないので、カメラで写しておくとお出かけ前の点検になります。


仲居さんのようですね。
普通の足袋では暑いので、足元までレースにしてみました。


下北沢の「着物フリマ」というところに出かけたのですが、売られているのは若い子向きの浴衣が多くて、私の欲しい単衣はあまりいいのがありませんでした。
近くのたんすやさんにも行ってみましたが、やはり浴衣ばかり。
今のシーズンは仕方ありませんね。

でも私自身は、浴衣というのははあくまでもご近所の夕涼みとか盆踊りのイメージが強いので、外出には暑くても襦袢を着て、半襟を出すほうが好きですね。

今日は天気予報よりもそれほどは暑くなかったので外歩きも楽でしたけれど、帰宅して脱いだ後は、麻の襦袢は汗でぐっしょりとしていました。

2011年7月23日土曜日

宇江佐真理さん

植松三十里さんの歴史小説にとりこになったのは、ついこの前▼のこと。

図書館に置いてある植松さんの本はほとんど読みつくしてしまいました。
あ、そういえば今は「里見八犬伝」を読み始めたところです。

図書館は著者名が五十音順に配置されているのですが、「う」のところを眺めていると、隣に宇江佐(うえさ)真理という人の本が並んでいるのでした。それで植松さんの流れで、今度は宇江佐さんの本を手に取ってみることにしました。

この方の書く小説は歴史小説というよりも時代小説とでもいうジャンルでしょうか。
江戸の下町に住みついた市井の人たちのお話が多いですね。
歴史背景などが分からなくても、植松さんよりも気楽に読めます。


一番驚いたのは、この宇江佐さんという方、生まれも育ちも函館で、東京には一度も住んだこともないのに、江戸の町並みや橋の名前などをよーく知っているということでした。ある賞の受賞記念のときに上京して、その時に隅田川を初めて見た、というのですからびっくりです。

でも宇江佐さんの小説に登場する人たちは、粋でいなせで、おちゃっぴいで、情にもろいという江戸っ子ばかりです。どうしてこんなに江戸っ子のことが良く分かるのでしょうね。

今読んでいるのは、髪結いの伊三次という人が主人公のお話。
この人、髪結いの傍ら、同心の手下をしているので、いろんな捕り物に巻き込まれていくのです。
若くてかっこいい伊三次、彼の恋人の深川芸者のお文さん、ご町内の人たちなど、登場人物がしゃきしゃきとした江戸言葉で話しているところは、読んでいても気分が乗ってきますね。

ちなみに宇江佐というのはペンネームで、「お天気」のウエザーから由来しているのだとか。
主婦を長く続けていて、40歳から時代小説にデビューしたようですが、すでに何回も直木賞候補になっているのだとか。

宇江佐さんの本を読んで江戸時代に浸ってみるのも楽しいですよ。

こちら▼のインタビュー記事はうまくまとまっています。

2011年7月22日金曜日

うなとろ丼

昨日の7月21日は土用の丑の日だったので、ウナギを食べた人も多かったことでしょう。

でも昨日の東京は24度くらいとかなり涼しく、どうもウナギという気分にはなれませんでした。

そして今日、生協の食堂に行ってみたところ、「うなとろ丼」というのが目につきました。昨日のメニューにもあったのだろうけれど、気づかなかったわ。

それで一日遅れでしたけれど、うなぎの入ったうなとろ丼を頼んでみました。
Sサイズにしました。
カレーや丼物にはSサイズがあるんですよ。ご飯だけが少なくて具は一人前あるのです。
学生向けなのでMサイズだとご飯が多すぎるのです。


丼の左側にはウナギの刻んだもの。右側はとろろに青海苔を乗せたもの。
真ん中におろしショウガが乗せてあります。
ウナギのたれがたっぷりとしみ込んでいました。

462円の丼と、31円のもやしとわかめの味噌汁で、合計493円のランチでした。

生協も季節に合わせていろんなメニューを考えていますね。

2011年7月21日木曜日

「てのひらのメモ」

夏樹静子さんの小説は若いころからほとんど読んでいますね。

もともとあの方はNHKの「私だけが知っている」という昭和のテレビ初期時代のドラマの脚本を書いて、その後、お子さんを育てながら推理小説を書いていた方なのです。

夏樹さんの小説は推理小説というジャンルを超えて、社会問題を切り口にして、女性の生き方まで探るという側面もあり、とても興味のある作家です。

この「てのひらのメモ」はその夏樹さんの最近の小説で、一言で言うと、裁判員裁判のお話です。


裁判員になるという確率はかなり低いと思うのですが、この小説の主人公の専業主婦は、その裁判員の補欠になってしまった人です。初めのうちは補欠だったので割と気楽に構えていたのですが、あるとき、裁判員の一人がどうしても参加できずに、急に正式な裁判員になってしまいました。

その裁判というのは、あるキャリアウーマンが6歳の男の子を死なせてしまったという事件を裁くものでした。
彼女は夫が急死してからは女手一つで男の子を育てていましたが、その男の子には喘息の持病があり、時々発作を起こしていました。ところがある日、彼女の仕事が一番大変な時にその男の子が喘息を起こし、でも彼女はもうじき収まるだろうと言う判断を下し、仕事に打ち込み、そして付き合っていた男と再婚の相談をして遅くなり、子どもを放置してしまったために、自宅に戻った時にはその男の子は死んでしまったという事件を裁くものでした。

裁判員たちはその証人の証言をもとに、そのキャリアウーマンの心情を探るようになるのですが、子どもの病気ということに対して、「もうすぐ治るだろうからちょっとの間は大丈夫」と思うのか、「どうしても母親がそばにしてあげたい」と思うのか、そのあたりは本人もあっちこっちに揺れ動いていたと思うのです。

この事件を誰が正当に裁けるのでしょうか。

この話を読んでいるうちに、裁判員裁判のやり方や難しさがよく伝わってきます。

法廷の物語というのは、難しい用語が多く、時にはつまらなく感じることもあるのですが、でもそこは推理小説第一人者の夏樹さん、どんでん返しを用意しています。

この本はかなり分厚い本ですが、ほぼ1日で一気に読んでしまいました。

誰にでも廻ってくるかもしれない裁判員裁判のことが良く分かり、そして読み手の読み手の判断をつきつけられます。

これは映画やテレビドラマにぴったりじゃないかと思っていたら、なんとあの田中好子さんが主人公役で昨年NHKで放映されたそうです。こちら▼

裁判所だけの話だけではなく、主人公のはかない恋心や、義母や子どもたちに対する気持ちなどがうまく描かれていましたが、スーちゃんにはぴったりの役柄だっただろうと思いました。

かなりお奨めの本だと思います。

2011年7月20日水曜日

帯も洗ってしまった

先日、1000円で買った着物を洗ってみたところ、縮みもせずなんともなかったので、今日は台風だというのに、今度は帯も洗ってしまいました。

その帯は神社の骨董市で買った帯で、1000円か2000円のものです。
さすがに裏はついていません。麻が交じったような感じの夏帯で、全体的にくすんでいる感じでした。

結果からいうと、何ともありませんでした。


(写真はモアレがかっていますけれど)

問題のアイロンかけも直線なので着物よりもずっと楽でした。

ただし、重大問題がありました。

それは臭い!

洗っているときは分からなかったんですけれど、干して部屋に取りこんだら、臭い臭い。
中古品の臭いというか、カビっぽい臭いというか、頭が痛くなるくらい臭くて、目もチカチカしてきたわ。
これは想定外でしたね。

さすがの洗濯おばさんも臭いには対処できなかったわ。

2011年7月19日火曜日

健康診断

今日は超大型の台風が来るというので、長靴にレインコート、大型の傘を持って出かけましたが、雨にはほとんど濡れずに損をしたわ。

どこへ出かけたかというと、健康診断のために地元の病院まで出かけました。

尿検査、血液検査、身長・体重、胸部レントゲン、心電図、それに医者の問診だったかしら。
そうそう、メタボ健診でおなかの周りを測られましたけれど、あまり気分のいいものではないわね。


その後、同じ病院なのでついでに内科に行って、いつものお医者さんの診察は半分は雑談。

「今、調子はどう?」と聞かれたので
「冷房がきついので寒いのです」と答えたら
「それはクーラーのせいというよりも、部屋の内外の温度差によるものだ」とのこと。
温度の変化についていけないという雰囲気で、それって年のせいなのかしら。

でも絶対に電車の温度は低すぎるわ。
照明をあんなにカットするなら、冷房ももっとカットしてもらいたいと思っています。

今朝は朝食抜きだったので、すごくお腹がすいてしまいました。
よく「朝ご飯は食べない」という人がいますけれど、私には絶対無理だわ。

健康診断はまだ胃の検査が残っているのだけれど、あれもあまり受けたくないな。

2011年7月18日月曜日

着物洗っちゃいました

昨日、神楽坂で買ってきた1000円の白っぽい絹の着物。こちら▼

ビニール袋に密閉されていたので、中身を確かめることができませんでした。
うちに帰って開けてみたところ、手触りもよいし、サイズもいいので、着てみようと思いましたが、やはり、汚れがありました。

それで失敗してもいいやと思い、この洗剤で洗ってみました。

普通、絹の着物は自宅では洗わないことが原則で、専門の洗濯屋さんに出すことになっているのですが、それだと1枚数千円にもなるのです。いくらなんでも1000円で買った着物にはそこまでは手をかけられませんよね。でもこれは単衣(裏地がない)ので、なんとかなると思って洗ってみたのです。

するとうっすらと黄色く変色していた襟や、裾の汚れもかなりきれいになり、着ても大丈夫なくらいになりました。

洗剤の説明書には「着物は不可」と書いてあったのですが、なんともなかったわ。

ただし、アイロンかけが結構大変でしたね。


着物にはちょっと穴があいていて、そこをきちんと繕ってある跡がありました。
きっと大切に着ていた人なのでしょうね。

アイロンかけの後、着付けの練習をしてみましたけれど、あまりに暑くて写真を取るのを忘れてしまいました。

ということで、今日の写真は無料素材からお借りしたものです。

2011年7月17日日曜日

あかぎマルシェでお買い物

赤城神社というのが神楽坂にあるのです。

そこの神社の境内でほぼ毎月、市場が開かれているそうです。 こちら▼


今回はそこに「着物マルシェ」というのも登場するというので、暑い中、神楽坂まで遠征してきました。
でもさすがに今日は洋服で出かけました。


神社の境内に小さなお店があり、和風小物とかアクセサリーなどのお店がありました。
でもあまりに暑いので、炎天下でのお店はちょっと可哀相だわ。

神社の中にはこじゃれたカフェもあり、さすが神楽坂ですね。

その隣の会場で着物マルシェがありました。ここは涼しかったので助かったわ。

着物は着るための売り物というよりも、リサイクル用の端切れという感じで売られていて、透けたビニール袋に入っていて、中を開いてはいけないそうで、またサイズも全然書いてありませんでした。
つまり大きさはまるで分からないのです。

それで仕方なくあてずっぽうで「えいやっ」と、白っぽい紬の単衣買ってきました。
1000円だったので、もしサイズが合わなかったり、あまりに汚れていたら、テーブルセンターにでもしようと思ったのです。

白い生地に、小さな扇面や丸が散らしてあり、その中に植物が描かれていました。


やはり裾や襟のところが汚れていたので、だめもとで洗ってみました。

そうしたらシミなどはきれいに取れたので、このまま着てみようと思います。
後はアイロンかけですが、うまく行くかしら?

それにしても神楽坂は暑かったわ。


7月22日にはほおづき市や阿波踊りなど大々的な神楽坂祭りがあるそうなので、お暇な人は行ってみてはいかがでしょう。

2011年7月16日土曜日

プラセンタ効果?

今年の誕生日に娘からプレゼントされた、プラセンタのジュース。こちら▼

小さいカップに注いで、ここ2週間ほど、毎朝15ミリリットルずつ飲んでいます。
マンゴ味でとろりとしていて甘くておいしいの。

さとさんによると「プラセンタはシミ・しわ・たるみによく効く」とのことです。

私は年の割にはしわはない(と思っている)のですけれど、若いころのアフリカ生活のつけがたまってほっぺにしみがあり、年々、どんどん広がっていくのです。最近では写真に写してもくっきりとしていて、なんとかならんのかと思って皮膚科の女医さんに尋ねましたが、こういうのは治らないんですって。
それですっかり諦めていたんですけれど、最近、気のせいか、ほんの1パーセントくらい(?)しみが薄くなったような感じがするのよ。

いえ、他人様から見ればまるで以前と変わりはないのですけれどね。

これってプラセンタを飲んでいる効果なのかしら?


まだ2週間くらいしか経っていないんですけれど、もし効果があるのなら、もう少し続けてみたいな。
でもかなり高そうな代物なので、自分で買うのは惜しいのですが。

写真は近所の歯医者さんに咲いていた百合の花。


こんなに真っ白に美しくならなくていいから、せめてしみだけは消えてほしいわ。

2011年7月15日金曜日

「手毬」

瀬戸内寂聴さんの「手毬」を読みました。


「夢にも見るほど憧れて慕う良寛さまに差し上げようと、今日も日がな一日七彩の絹糸で手毬をかがる若き貞心尼。
17才の秋に医者に嫁いで5年、夫の急死で離縁され24才で出家した長岡藩士の娘、貞心が、70才の良寛にめぐり逢ったのは30才の時だった。
行商のいなせな佐吉に恋慕をぶつけたくなる貞心のもうひとつの心の安らぎと、師弟の契りを結んだ最晩年の良寛との魂の交歓を描く。 」

と本の裏表紙書いてあるのだけど、私にはそれほど気楽に読める本ではありませんでした。

というのも第一に私は良寛という人のことをほとんど知らないまま読んでしまったこと、また良寛と貞心の間の往復書簡や相聞歌はあまりに内容が高度で難しく、ただストーリーを追うだけに終わってしまいました。

良寛という人は生まれはいいところのお坊ちゃんで、若いころはかなりナンパもしたそうですけれど、年をとってからはそれはそれは子供にも優しいいいお坊さんだったようです。

その良寛に憧れた尼さんとの淡い淡いお話なのですけれど、実際問題として、30才の女性が70才の人徳の高い男性に憧れるのは分かりますけれど、70才の男性が30才の尼さんに対してここまで心を開いて接してくれたのはどういうわけだったのでしょうね。やはり良寛にも恋心が芽生えたのか、と下司の勘繰りをしてしまうのです。

自分自身のことを思い出してみると、30才のころは70才の男性などまるで眼中にはありませんでしたね。対象にする男性はせいぜい42才くらいまでだったかしら。

良寛はこのころは今でいう大腸がんを患っていて、下痢などがかなりひどかったそうですけれど、そういう人を心底からお世話し尽くすというのは並大抵のことではできませんね。
貞心さんがもう死にそうになっている良寛の冷えた体を温めてあげようと、そっと布団に入って背中から抱きしめてあげるところはよかったですね。

本のタイトルにもある手毬には、ぜんまいの綿を入れるとよくはずむそうですけれど、知りませんでした。本当に手作りの毬なんですね。

この本は雪深い越後のお話ですが、貞心さんは良寛が亡くなってしまった後、どんなふうにして生きたのか、それもちょっと気になりました。

もう一度ゆっくりと読んでみたいと思います。

2011年7月14日木曜日

元気なヤツ

うちのベランダガーデンにあるお花は、自慢ではありませんけれどほとんど手間をかけていません。
暑いときは水を朝晩やるくらいです。
それでもとても元気な子がいるのです。

このペチュニア。


何もしないのに派手な色のお花をどんどん咲かせています。

それであるとき、こんなにきれいな花なら玄関に飾りましょうと思って、鉢を北側の玄関に置き変えました。

そうしたら2日もしないうちにどんどん枯れてしまって、1輪ばかりになって、他は全部枯れてしまいました。
それで慌ててまた元のベランダに戻したとたん、またどんどん咲き始めました。
やはりこの場所はお日様が良く当たるので、ここが好きなのでしょうね。

*********

話は別ですけれど、私はふだんは充電式の掃除機(モップのような形をしている)を使っています。
とても軽いし、毎日の掃除ならそれほど丁寧にしなくてもいいので、愛用していたのです。

ところが先日、いくら充電しても、全然動いてくれなくなりました。
仕方なく、新宿の電気屋さんに行って、新しい充電器(5000円程度)を予約してきました。

そしたら、この子、急に元気を取り戻して、さっさとお掃除をするようになったのです。
もう捨てられるのかと思って、それが刺激になって動きだしたような感じです。

元気なヤツはいいけれど、なんだかだまされていたみたいだわ。

2011年7月13日水曜日

小物作り

今日は暑くて昼間は外出したくなかったので、古い着物の生地で小物作りをしていました。

去年買ったこの単衣の着物の生地を使いました。


小さな矢羽根模様が可愛いのですけれど、なんだか着ているとチクチクして、結局着る機会があまりありませんでした。
それでほどけるところはほどいて、洗剤で洗って、何かにしようと押し入れにしまいっぱなしでした。

「着物リメイク」とかいう雑誌を見ると、着物をブラウスにしたりスカートにしたりといろいろ工夫ができるようですけれど、私はそれほど裁縫が得意ではないし、それにいかにも着物という柄なので、洋服にするには無理があります。

というので、一番簡単な袋にしました。
履き換え用の足袋などを入れるのにいいでしょう?


この布、端っこがすぐにほつれてきて、すごく扱いにくいのです。
面倒でも袋縫い(でしたっけ? 初めに外表にして縫って、もう一度中表に縫う方法)にしました。

ひも通しのところも別布を縫い合わせたりして、ちょっとは手作りっぽいかしら。

とはいえ、まだまだたーくさん、布地が余っているので、どうしましょう?

2011年7月11日月曜日

「花のきもの」

宮尾登美子さんの「花のきもの」を読みました。


以前読んだ「きものがたり」が画像による着物紹介本だとすると、こちらは文字による着物紹介本です。

どちらも宮尾さんの持っている着物や、あるいはかつて持っていた着物に対する思い出がたくさん綴られているのですが、こちらの「花のきもの」はタイトル通り、花柄の着物だけ(中には矢羽根とか縞とか絣もありますけれど)をよりすぐったものです。

着物の柄をちゃんと覚えているだけでもすごい記憶力なのに、それにまつわるいろいろな戦前からの話がびっしりと書かれていて、驚くばかりです。

それもご自分が着ていた着物だけでなく、お母さんが着ていた着物、仕込みの娘たち(宮尾さんの実家は芸妓紹介業だったのでいつも女の子が住んでいた)の着物、女中さんなどの着物、男衆たちの着物のことが綿密に描かれていて、ほんとにまぁ良く覚えているものだと感心しました。

私など母の着物姿は覚えてはいますが、あれは臙脂色の着物だったとか、銘仙の着物だったとか、卒業式には薄紫の着物を着ていた、ということくらいしか覚えていなくて、どんな模様だったなどまるで思い出せませんもの。

そんな記憶のよい宮尾さんですが、嫁入りのときに持参したたくさんの着物は、満州での新婚生活のときに全部、剥奪されてしまい、麻袋一枚で帰国しました。
その後、嫁入り先のお母さんから受け取った着物から少しずつ増えて行き、今では「きものがたり」にもあるように何百枚と言う着物保管数になっています。

この本では着物の紹介は次のように分類されています。



くす玉

南天
矢羽根
薔薇
椿

紫陽花
朝顔


以上12章から構成されていますが、それぞれの思いが素晴らしい。

一番よかったのは、紫陽花の章です。

彼女のお母さんは紫陽花の柄の着物が大嫌いだったのですが、それは宮尾さんのお兄さんが若くして結核で亡くなってしまいましたが、そのお兄さんの寝室の庭には紫陽花が咲いていたそうで、それでお母さんはお兄さんのことを思い出すのが辛いので紫陽花の花は嫌いだったそうです。
ところが二番目のお兄さんのお嫁さんになった人はそのことを知らずに、ある夏の日、紫陽花の柄の浴衣を着て遊びにきたのですが、それを見てお母さんは猛烈に怒り、「そんな着物なんて脱いでしまえ」と叫んだそうです。
そんなこともあって宮尾さん自身も紫陽花の柄の着物は着たくなかったようですが、あるとき、もうお兄さんも亡くなって数十年経ち、お母さんの呪縛も解けたので、紫陽花柄の素敵な訪問着を作ったそうです。
その話が一番良かったですね。

私にとって花柄の着物といえば、子どもの頃に着た藍色の朝顔の浴衣でしょうか。
私は子供のくせに赤やピンクの浴衣は大嫌いで、おばあちゃんに頼んで白と藍の浴衣を作ってもらった記憶があります。

今、自分で買っている着物は紬のようなものが多く、あまり花柄はありませんね。

こちらは前に写したものですけれど、白い牡丹の模様です。


女医さんから頂いた着物ですけれど、この柄は気に入っています。

それと宮尾さんや幸田文さんなどの本を読むといつも思うことなのですが、昔の女性はどんな身分の人であれ、自分で着物を縫えたことに驚きますね。それにいつも繕いものをしたり、ちょっと丈を長くしたりすることを誰でもできたということです。

私も着物を着るようになって、以前よりは針と糸を持つ機会が増えましたけれど、着物を縫うことまではできません。

今の若い女の子ならたいて誰でもパソコンの操作ができるように、当時の女性は誰でも縫物ができたのでしょうか。

忘れ物

仕事帰りの電車でウトウトしていて、降りる駅に着いたのでぱっと立ち上がり電車を降りたのはいいけれど、日傘を電車の中に置き忘れてしまいました。

それで駅の「忘れ物係」という所に飛び込みました。

駅員さんは何両目の車両に乗っていたのかとか、座った場所は進行方向に向かってどちら側だったとかいろいろ聞いてきます。そして傘の特徴とかも聞かれ、「今調べているので、10分くらいしたらまた来てください」と言うので、時間をつぶして、またそこに行きました。

そうしたら嬉しいことに日傘は見つかったそうなんですけれど、なんと渋谷まで受け取りに行かなくちゃならないんですって。

えー、電車賃をかけて取りにいくのか、と思ったら、ちゃんと専用のチケットみたいなのを渡されて、「これがあれば渋谷までただで行けます」と言うのよ。

駅員さんはご丁寧に「8号目の車両に乗ると、階段があるのでそこを登ってください」と教えてくれました。
こういう人はちゃんと何号目に乗ると、何があると覚えているのね。

渋谷では私のことが連絡が行っていたようで
「としちゃんですね、はい、傘はこれでいいですね」と私の日傘をさし出してくれました。

身分証明書を出して確認して、日傘を受け取りました。

それでせっかく渋谷まで行ったので、井の頭線に乗って帰ってきました。

あー、良かったわ。


写真は週末にやっと咲いたゴーヤのお花。


こんなに小さくちゃ、実は成らないかもしれませんけどね。

2011年7月10日日曜日

盛夏の着物@橋展

東京でも梅雨明け宣言がありました。
「梅雨明け3日」というとおり、梅雨が明けての3日間はとても暑いのです。
それでも暑さにめげず、夏着物を着て日本橋まで行ってきました。

出かけた先は、三井記念美術館。三越の隣にあります。


日本橋100周年を記念した「橋ものがたり」を見に行きました。


美術館は内装もとても豪華でした。お金持ちのおうちにお邪魔したような感じでした。

橋と言えば「伊勢物語」の八橋や「源氏物語」の宇治橋など文学にも登場しますし、それに江戸時代の浮世絵にもたくさん描かれています。

この世とあの世をつなぐ橋や、日本各地の橋の絵が展示してありました。
京都の三条大橋、五条大橋、江戸の日本橋、岩国の錦帯橋など橋は絵になりやすいのでしょうね。

天の橋立、雪舟の水墨画、北斎や広重の浮世絵、お茶のお道具など盛りだくさん展示されていました。

ところで、この展覧会、着物を着て行くとすごくお得なことがあるのです。


まずは入場料が400円引きでした。

カフェではアイスクリームの無料サービスがありました。


そしてお買い物をすると扇子などが当たるくじ引きがありました。
私は残念ながらくじ運が悪くて、絵葉書しか当たりませんでしたけれど。


江戸時代の越後屋の様子が描かれています。正面には富士山が見えていますね。

着物だとこんなに優遇されました。さすがに三井家は太っ腹ですね。

今日の着物は名古屋の大須骨董市で買った濃紺の紗の着物です。


写真だとよく分からないかもしれませんけれど、こんなふうにスケスケなのです。


帯は去年買った絽つづれという帯。これはとても薄い生地なので、涼しいのですけれど、ふにゃふにゃで締めにくいの。

帯締めは大須の呉服屋さんで1000円で買ったもの。これは使いやすいのでもう1本買えばよかったわ。


涼しそうに見えるかもしれませんけれど、電車を待っているときなどすごく暑くてたまりませんでした。

帰宅したらすぐに脱いでしまい、ラフな姿でラテン・ビートを踊りに出かけたのでした。