2007年11月30日金曜日
今週は・・・・
今週はがんばって、お仕事の後に週3回もスポーツクラブで汗を流しました。
10月頃から忙しくて、なかなか行けなかったのけれど、今週はがんばりましたよ。
人間の身体って、ちょっとサボると、すぐにだらけてしまうのね。
筋肉が衰えたな~って、実感していました。
若い頃は体重はあっても、そんなに太って見えなかったと思うのよ。つまり筋肉があったのでしょうね。
それなのに、最近は、娘から「お母さんの身体はぽにょぽにょ!」とか言われる始末。
あー、情けない。
そうだわ、来年の3月には高校1年生のときのクラス会があるんだった。それこそ卒業して、何十年もあったことのない人に会うかもしれないのよ。
そんなときに、ぽにょぽにょでは困りますわ。
むちむちの娘と競争はできないけど、せめてもう少し引き締めたいわ。
そういえば、知らないうちにもう12月。
世間ではクリスマスツリーがあちこちに飾られています。
写真はご近所のおうちの庭にあるサンタのイルミネーション。楽しませてもらっています。
2007年11月28日水曜日
少女パレアナ
そういえばね、小学校の3年生か4年生の頃、図書の時間というのがあったの。生徒たちはみんな図書室に行って、そこで自分の好きな本を読んで良い時間だったの。どんな本を選んでも良いし、感想文を書く必要もなかったし、とても楽しい時間だったわ。
図書室では、「書見台」という斜めになっている本立てに本を乗せて読むのだけど、そうすると背筋が伸びたようで気持ちが良かったの。
その頃、小学校の図書室にはたしか、「世界少女全集」とかいうのが揃っていて、「若草物語」とか「赤毛のアン」とか「秘密の花園」とかいうような女の子が主人公のストーリーの本がたくさんあって、私はそれが大好きだったの。
その全集はかなり分厚かったけれど、子供向きにリライトしてあって、おまけにイラストもついていたのよ。イラストというより、むしろ「挿し絵」という雰囲気のきれいな絵が描いてあって、とても読みやすかったな。
たいていアメリカやイギリスの本で、村岡花子さんの訳が多かったと思うわ。でも「悲しみの王妃マリーアントワネット」というよな本もその全集で読んだのよ。「パンがなければ、お菓子を食べればいいでしょう」という有名なセリフも、この世界少女全集で読んだと言うわけ。
そういう女の子向きの本のなかで、私が特に好きだったのは、「少女パレアナ」という本。
ストーリーはあまりきちんと覚えていないのだけど、孤児院で育ったパレアナが、おばさんのところに引き取られるのだけど、その子はいつでもどこでも、「幸せ探し」をするのが上手なの。そして、どんな困難な状況にいても、何でも良いふうに受け取って、そういう状況に感謝して生活しているの。多分キリスト教が下地になっている本だと思うのだけど、私の子供の頃の愛読書でした。
この本は何年かたって、テレビで「ポリアンナ」とかいうアニメになったらしいけど、その頃はもう大人になっていたので、見る機会はありませんでしたけどね。
そんなふうに、10歳くらいまではパレアナが大好きだったのだけど、5年生の頃になると、「シャーロックホームズ」とか「怪盗ルパン」とか「明智小五郎」とかの探偵小説に転向してしまい、パレアナのことは忘れてしまいました。
でも今でも、ふと気がつくと、パレアナに教わったように、「毎日の生活の中で、どんな小さなことでも、何か楽しいことを見つけましょう」という気分になっていて、そういう気持ちは持ち続けているのです。
夜、眠りに入る前に、「あー、今日はとてもいいことがあったわ」と振り返ることができたら、それだけで幸せですもの。
今日だってね、職場で天井の電球が切れてしまったのだけど、190センチもある背高のっぽの学生がすぐに新しい蛍光灯と取り替えてくれたり、180センチの学生とは、猫談義に花が咲いたし、そんなことでも嬉しくなるのです。
少女だったパレアナも何十年かしたら、おばさんになってしまったかもしれないけど、でもあの頃、読書に親しむ経験ができたのはラッキーだったわ。
読書を通して、自分の知らない新しい世界を見る、というのはとても嬉しい。そういう気持ちは、ずっと忘れたくないのです。
錯視と爆笑問題
職場の先生から面白いテレビが放送されるとお聞きしたので、昨夜、見ていました。
爆笑問題の二人が錯視で有名な北岡明佳先生を訪問するという番組。
詳細はNHKの11月27日放送分 → こちら
私の職場ではちょうど先週、文化祭があり、研究室でもたくさんの錯視をPCで見学者に見せていたの。
もちろん北岡先生の有名なぐるぐる回る蛇の絵もありましたよ。
そんな行事があったので、爆笑問題が錯視をどのように料理するのかに興味がありました。
爆笑問題(というか大田光さんのほう)も、初めは一般人のように「おー、すごい」という反応がありました。
そりゃ、当然だわ。あんなにたくさんの錯視を見たら、誰だって感激するのは当たり前。
でもだんだん時間が経過してくると、爆笑問題の大田さんは、ただ錯視のことだけではなく、自分の意識の問題として捉えてくるのよね。
「我思う、ゆえに我あり」ではなくて、「我思う、ゆえに我見える」というような哲学的問題として考えていくのよ。
ところが北岡先生は爆笑問題のそういう問いには答えずに、というか、そんなことは考えたこともなかった、というようで、先生ご自身が単に興味があるので、そしてただ好きなので錯視の研究をしている、というの。
哲学とはまるで相容れないような感じを受けたわ。
お二人の発想の原点がまるで違うのよね。
だいたい、研究者という人種はそういう人達なのかもしれないな。
私の所属している職場でも、ある研究者は
「壁にある電気のスイッチを押す時、どうして、腕がさっと伸びるのか?」なんてことを
真剣に研究テーマとするわけよ。
そういうことって、普通は考えないよね。いちいちスイッチを押すときにそんなことを考えていたら、時間がかかって仕方ない。
でもそういう腕の動きやそれを支配する脳の仕組みを面白がって、研究テーマとしちゃう研究者って、頭の中がどうなっているのか、そちらのほうをむしろ知りたいくらいだわ。
でもね、錯視にしろ腕の伸ばし方の研究にしろ、それって世の中が平和だからできる研究なのよね。
戦争になったりしたら、そういう研究にお金はかけられないでしょう。
どうしたら効率的に相手を攻撃できるミサイルを作るとか、そんな研究しかできなくなるかもしれない。
だから、研究者にとっては(もちろん一般人にとっても)平和の問題というのが、一番大切なのではないかしら。
この番組の最後で、北岡先生が(言葉は正確ではないけど)、「錯視というのは結局は心の問題」だとおっしゃったの。
この「心」というのがこれまた難解なもので、科学者の間では「心」=「脳」=「物質」という公式が前提としてあると思うのだけど、でも一般人はそうは考えない。
「心」は「心」であって、「脳みそ」とは別として捉えることが多いよね。
つまり北岡先生の言う「心」と爆笑問題が考える「心」とは違うものだと思うの。
この場合の「心」は、研究者の専門用語のほうの「心」だと思うのだけど、NHKもそこまでは追求していなかった。
それを追求していたら、30分番組では足りないものね。
うーん、爆笑問題の番組を見たら、もう少し錯視のことが分かるのかと思ったけど、それは全くの思い込みだったわ。
そんなに簡単に解決できたなら、研究者の立場が危うくなってしまいますものね。
2007年11月27日火曜日
続:3丁目の夕日
昭和34年頃の物語「続・3丁目の夕日」を見てきました。
最初のシーンが笑わせるの。ゴジラが東京タワーをぶっ倒して、わー大変だぁと思わせるんだけど、それは映画の主人公である小説家・茶川の小説の一部という設定で、「寅さん」の最初のシーンみたい。
本編に出てきた人がだいたいそろって登場している。鈴木モーターズ一家、東北から出てきた住み込み従業員、向かいの駄菓子屋の茶川さんと踊り子になった彼女と不思議な少年、それに近所の人たち。
今回、初めて登場したのは住み込みの女の子の幼馴染の男の子、それに鈴木モーターズに引き取られるお金持ちの家で育ったという女の子。
そういう何人もの人たちがわさわさしながらも、けなげに生きているというストーリー。
すごいのがCG撮影。新幹線こだま号から、都電、下町の風景まで、全部当時の面影そのままに登場しているの。本物そっくりで、すごいものです。
それになんといっても中心は昭和の子供たち。今の子供みたいにこぎれいではなくって、洟垂れ小僧という感じ。でもああいう子、いたなぁ。汚いランニングシャツ姿とか、手編みセーター姿。小学校の給食のシーンも出ていたけど、アルマイトの食器は懐かしかったな。
でも、今回の続編より、やはり本編のほうが面白かったし、泣けたわ。
今回は茶川さんと小雪のラブストーリー、住み込み少女のラブストーリー、鈴木モーターズの男の子の初恋、と3組の恋物語が重なって進んでいくのだけど、それほど泣かせるところはなかったかな。
それに今日の映画は2時間40分もあったのよ。
でも茶川さんを演じた吉岡秀隆にしろ、小雪、薬師丸ひろ子、堤真一、東北弁の堀北真希、それに子役たち、みーんなすごい芸達者。三浦友一もいい味を出していたわ。
おまけにわんこが登場するのだけど、これが凄く可愛い。
予告編の「マリとその子どもたち」という映画も犬のストーリーなんだけど、動物モノって、ホントにかわいらしくて、泣かせるわね。
いまさら昭和34年に戻りたいとは思わないけど、東京タワーにはもう一度、登ってみたくなったわ。
2007年11月26日月曜日
ヨガあれこれ
若いとき(今も若いつもりだけど)から何らかの形でずっとヨガを続けています。
初めて体験したのは、多分、20代のことだったでしょう。
男の先生について習いました。呼吸法やらいろんなポーズを教えていただき、半年くらいで数キロ痩せた記憶があります。若かったから基礎代謝もあり、すぐに痩せたんでしょうね。
その後、ダンスヨガとか、アロマヨガとか、ホットヨガとか、本来のインドのヨーガとは違うかもしれないのですけど、いろんな形のヨガをしてきました。
この前まで好きだったのが、アロマヨガ。アロマテラピーの良い香りをかぎながら、ヨガをするので、とてもリラックスできるのです。でも、仕事の曜日と合わないので、なかなかできません。
今日は、"Yoga with Material" というのをしてきました。つまり補助の道具を使ってヨガをやりやすくするレッスンです。
道具は一つは紐。バンドのような帯のようなもので、これを使うと、足をまっすぐに上げたりするときもラクラクです。
もう一つの道具は、発泡スチロールでできた枕のようなもの。これを使うと、たとえば地面まで手が届かなくても、この枕があると、そこまで届けばいいので、これも楽チンな道具です。
このヨガの先生は、たぶん30代くらいの女性と思うのですが、インドやアメリカにもよく修行に出かけて、その話もしてくれます。
そして、その人に応じた形や、その日によって違う形でもよいので、とにかく、「他人と競争しないで」ということをよくおっしゃるので、私はそれがとてもほっとするのです。
そういえばね、学生時代(小学校から大学まで)体育の時間は、あまり好きではありませんでした。だって、運動神経のすごくいい子っているじゃないですか。私は特に鉄棒や跳び箱、球技が苦手だったので、どうしても、成績はよくなりませんでした。楽しめなかった記憶があるのです。
でも、今は身体を動かして、自分が楽しめばいいので、運動は好きになりました。誰と比較するわけでもなく、自分がリラックスできて、汗をかければいいんですもの。
ゆる~いヨガも、ハードなエアロビも、ちょっと難しいダンスもどれも大好き。
学生時代みたいに成績がつかないのが、一番いいですね。
2007年11月25日日曜日
恋の行方は?
先日、飯塚市にある伊藤伝右衛門邸を見学したとき、ここがかの「白蓮れんれん」の主人公である柳原白蓮さんの嫁入り先の家であると知ったのだ。そして数年前に読んだ「白蓮れんれん」を再び、読み返すことにしたのでした。
この小説は大正時代の実話に基づいているのだけど、それにしても林真理子の文章のうまいこと。有吉佐和子や宮尾登美子の書く長編大河時代小説と遜色がないくらい見事。林真理子の現代モノはあまり好きではないのだけど、昔のことを書いた本は本当に面白いの。
「白蓮れんれん」のストーリーは炭鉱王と言われた大金持ちの年上の夫と結婚した華族出身の美貌のヒロインが、7歳年下の学生と恋に落ち、姦通罪があった当時、東京、北九州といういわば遠距離恋愛にもめげずに燃える恋をして、そして夫から逃走して、ついにはこの学生との間に子供が生まれて、最終的にはこの恋は成就した、というストーリー。
そういえばね、この本を読んでいたこともあってか、先日、高尾山に行ったときに境内には各種のおみくじがあったのだけど、どういうわけか、「恋みくじ」というのを選んでしまったの。他には家内安全おみじくじとか、金運みくじとかいろんな種類のおみくじがあったのだけどね。
結果はね、なーんと、「大吉」だったのよ。『朝日が昇るような大運勢で、この愛はきっと結ばれる』と書いてあったわ。
おみくじによると、その相手はおひつじ座の人がいいんですって。おひつじ座って何月生まれなのかしら。身近にはいないみたい。血液型はA型がよくて、B型は避けろですって。おまけに干支は酉年がいちばんよくて、午か戌もいいんですって。ふー、そういう人は何歳なのかしら。
でもおかしいのは、「学問の集中力に欠ける。この点を注意すれば、恋は叶う」ですって。確かに私は集中力に欠けているかもしれないな。
私もね、かつては白蓮さんのように逃避行もしたこともあるのだけど、それが幸せだったかどうかは分からないな。だって比較しようがないんですもの。それまでの生活を続けていたらどうだっただろう、なんて考えたこともないな。でもどうだったのかしらね~。
うーん、今日はあまりリアルなことを書きすぎると、いろいろと想像する人もいるかもしれないので、適当にぼかしておくことにしましょう。
ということで、白蓮さんの物語はおしまい。
今度は、北九州行きのもう一つの宿題である清張さんの「或る小倉日記伝」を30年ぶりくらいに、また読んでみることにします。
写真は知人宅のお庭に咲いていた「ハートフラワー」。ハートの形が可愛いでしょ。
どこまでも今日は恋のテーマで迫ってみました。
2007年11月24日土曜日
タイ料理教室も第3回目
今日はまたタイ人のおうちでタイ料理教室。
毎回、いろんなメンバーが集まるのだけど、今日は東大大学院の女の子とか、トルコに魅されているOLさんとか、タイ語を習っている主婦とか、変わった組み合わせでした。でもみんな共通しているのは、辛くておいしいタイ料理が大スキってこと。だから初対面でも、すぐに話が弾みます。
今日のメニューはハーブいっぱいのローストチキン、ちょっと珍しいひき肉の料理、それに青パパイヤのサラダ、主食はタイのもち米でした。
とにかくいろんな香辛料を使うの。
にんにく、唐辛子はもちろんのこと、カーいう生姜のような形をしたもの、タマリンドというマメ科の香辛料、バイマクルート(こぶみかん)、パクチー、レモングラス・・・。それに調味料はナンプラー、レモン汁、オイスターソース、パームシュガー、などをたっぷり。
今日初めて目にしたのは、お米を生のままお鍋にいれて、うっすらと焦げ目がつくまで炒めて、それをクロックと言うすり鉢のようなものの中でつぶしたもの。カオクアーという名前だそうです。歯ざわりがとてもいいの。それをサラダに入れたりしていただきます。なんとも言えず、おいしかったわ。
珍しい飲み物もありました。タマリンドという豆ジュース。色は茶色で、日本の金時豆のような色かな。桃のようなやさしい味でした。
右の写真はタマリンドジュースの缶。
そしてその隣の筒には、タイのもち米を蒸したものが入っています。
日本のもち米のように、蒸していただくのです。
タイ料理でおなか一杯になった後は、職場の文化祭。昨日から3日間開催。お天気がいいので、けっこうたくさんの方が見えていました。
なんといっても目に付くのが模擬店の多いこと。
焼き鳥、やきそば、おでん、たこ焼き、お汁粉、ホットドッグ、餃子、フランクフルト・・・・な~んでもありますよ。
お笑い芸人を呼んだり、女装をしたり、遊び心がいっぱいです。
私の所属している研究室では、いろんな錯視のデモをしていました。がんばる学生にちょっと差し入れ。
研究室では、面白いデモンストレーションをするために、大きなスクリーンが用意されているのだけど、あー、そこに写ったわが身の恥ずかしいこと。こんなに、おデブだったとは。あまり見たくありませんわ。
ということで、もう少し身体を引き締めないとみっともないので、その後は久しぶりにスポーツクラブへ。
レッスンを2つ受けたのだけど、そうしたらおなかがすいてしまって、今度は夕食をたっぷりいただいてしまいました。
どうしてもダイエットはできないな。
2007年11月23日金曜日
高尾山に登ってきました
今日は世間は3連休の初日。秋晴れのよいお天気でしたね。ということで高尾山に行ってきました。
杉並区育ちの私にとって、高尾山は子どもの頃から親しんできた身近な山です。
小学校の遠足から始まって、中学になってからは友人と一緒に行ったり、クラス会で出かけたり、子供が生まれてからはその手を引いて登ったりと、それは何回も何回も登っている山です。山というと大げさですが、都内にある600メートルの小山。それでも高尾山で行方不明になって亡くなる人もいるそうですから、低いと言ってバカにしてはいけません。
朝はゆっくりとしていたため、高尾山口の駅に着いたのがちょうど12時ごろ。まあ、すごい人混み。新宿や原宿だってこんなに混んではいないでしょう。老いも若きもみーんな、高尾山を目指してきたのでしょう。駅のトイレは長蛇の列。
少し歩いたところにあるケーブルカー乗り場にもすごい行列ができていて、50分待ち、とかいう表示が出ていました。
もちろん私は歩き。頂上まで登るのにはいろいろなルートがあるのですけど、今回は稲荷山コースというのにしました。歩いても歩いても前後左右、人ばかり。でもみんなとても楽しそう。ゴロゴロの石を踏みしめ、木の根っこを乗り越えて、1時間30分ほどしたら、頂上が見えてきました。でも、頂上にはみーんなお弁当を広げていて、座る余地もありません。ひとり50センチ平方くらいの場所を見つけるのがやっと。こんなに混んでいる頂上なんて、私の記憶にありません。
私は家でおにぎりを作ってきて、コンビニでお茶などを買ってきただけなのですが、見渡すとすごいこだわりの人がいるのです。
なんとボジョレーヌーボーと思われる赤ワインをグラスに注いで乾杯しているカップルがいました。
そうかと思えば直径50センチくらいの大きな鍋に大根とモツの煮込みを作って、お玉ですくっている人もいました。
高尾山の頂上で楽しい思い出を作りたいのでしょう。すごい根性ですね。
高尾山には家族連れやカップルがたくさんいましたけど、すごく国際的でした。韓国語や中国語、スペイン語などが飛び交っていました。外国の人も頂上でお弁当を食べて、きっと楽しい思い出になるでしょう。
それにしても紅葉がきれいでしたよ。真っ赤な紅葉、黄色い銀杏。
みんな声を上げて楽しそうに見ていたわ。空が青く澄んでいたので、本当にきれいな風景でした。東京の都心から1時間もしないところで、こんなきれいな景色が見られるなんて、幸せね。
帰りは薬王院に寄っていくコース。ケーブルカーやリフトにはやはりすごい行列ができていましたけど、待っているよりも歩いていたほうが早い。
それでも1時間くらい歩いたかしら。
ふもとに着いたのは3時くらいでしたけど、その時間からでも登る人がわんさといました。
高尾山はすごい人気なのね。
そういえばね、まだ小学校の時、高尾クンという子がいたの。4年生の頃、どこからか転校してきた子だったはず。よく隣同士の席に座っていました。名前のことで、いつもみんなに冷やかされていたわね。
それがなんと、ある時テレビを見ていたら、ワイドショーのような番組のレポーターになって出演していて、あんなに驚いたことはなかったわ。何十年ぶりなのかしら。
高尾クンは可愛い坊やだったのに、ひげを生やしたおじさんになっていて、別人かとも思ったのだけど、名前も同じだし、その声に聞き覚えがあったの。
何回かテレビで拝見したけれど、最近はどうしているのかしら。
高尾山から小学校のことを思い出してしまうなんて、私も老化しているのかな。
こんな夢を見てしまいました
普段は、夢などほとんど見ない毎日。眠ったな~と思って、気がつくともう朝、というのが私の睡眠パターン。たま~に寝付けないこともあるけれど、それでも最近は夜中に夢を見る暇などありませんでした。
ところがね、昨日、というか今朝、妙な夢を見てしまったの。
私のいる場所は相撲をしている大きな会場。そこで私は芝生に座って(神宮球場ではあるまいし)正面の大画面を見ているのだけど、画面に映っているのは相撲ではなくて、なんだか薬の広告のTV。私はそこで海苔のついた大きなトーストを食べているの。そうしたら、右側のピアスを失くしたことに気がついて、はいつくばって探すのに見つからない。仕方がないので、みやげ物売り場で別のピアスを買おうとするのだけど、そこにあるのはパッチンタイプのイヤリングだけで、ピアスはないの。おろおろする私・・・・。
はちゃめちゃな夢で、見ているときはすごく興奮していたみたい。
ところが起きてからじっくりと思い出してみたら、何ということはない、昼間の私の残像がそこに居たのね。
たとえば相撲の件は、ある人が「最近、相撲見物に来る人が少なくなって、国技館などはガラ空きらしくて、NHKはそういう空席を写さないらしいよ」という話を耳にしていたから。
大画面があったのは、今日からの文化祭のために、研究室で大きなスクリーンを立てて準備をしていたから。
海苔が出てくるのは、韓国に行った人から韓国海苔の缶詰をいただいたから。
薬の広告というのは、前日の漢方薬のインタビューそのものじゃないの。
ピアスはこのまえ、ファーストピアスを入れて、そして12月中まではずっと付けているように、医者から言われていたから。
こんな風に解説してみると、なーんのことはない。自分の生活がそのまま投影されているのよね。
昔はもっとスケールの大きな夢を見たような気がするのだけど、なんだか生活そのもので、ちょっぴりつまらないな。
夢判断というのがあるようだけれど、こんな夢なら分析をしてもらうほどのことはないですね。私の夢はあまりに現実的で、「ゆめ」がないわ。
もう少し楽しい夢を見たいのなら、実生活のほうを楽しくしないといけないのかな?
2007年11月21日水曜日
これぞ役得
今日はまたラジオ番組の収録。
午前中は漢方薬局の薬剤師さん、午後はチター愛好家というスケジュール。
薬剤師さんのインタビューは、初めは、普通の西洋医薬と漢方の薬とはどのように違うかとか、どんな特徴があるのかとか、一般的な話からスタートした。
具体的なお話もしていただいた。たとえばよく聞く「葛根湯」というのは、ひとつの種類の薬ではなくて、生姜、ニッキ、麻黄・・・・など6種類をあわせて作った薬なんですって。知らなかったわ。実物も持ってきて下さったの。布の袋に数種類の漢方が細かく砕かれて入っていて、いい香り。
そのうちに話がだんだん佳境に入ると、そこは好奇心旺盛なおばさんのこと、実にいろんなことを根堀り葉堀りお聞きしたのだ。
たとえばダイエットにはどんな漢方がいいのかとか、皮膚の美白にはどんな漢方がいいのかとか、個人的な相談まで、あれこれ聞きまくった。これぞ役得。このあたりは放送には流れないが、裏話として、とても役に立つお話を聞くことができた。
この方は娘さんの結婚式の写真撮影のために、6ヶ月かけて6キロのダイエットに成功したそうで、漢方以外にもリンパマッサージや食事療法のコツをいろいろと教えていただき、とても参考になった。
それに「きれいになりたい」という気持ちが大切なんですって。そうそう、おばさんになっても、いつまでもきれいでいたいですよね。
私自身には身体のある数値がよくなくて、毎月、薬を処方されているのだけど、そのことを話したら、「そういう人には黒酢とトマトジュースをMIXして飲めば、正常値になる」と言われて、収録後にはさっそく黒酢とトマトジュースを購入したのよ。
また美白のために、ははと麦とどくだみが良いそうです。はと麦は肌に良い成分があり、どくだみは解毒作用がいいんですって。この漢方薬局の近所に住む75歳のおばあさんも愛飲中だとか。はと麦とどくだみも近日中に購入して実行する予定です。
こういう話って、たとえば週刊誌やテレビでも取り上げられている話題だけど、やはり身近な方から、直接、生でお話が聞けると、すごくリアリティがあって、その気になるのです。
午後のチター愛好家には、スタジオにチターを持参して、その場で演奏していただいた。
これに関しては、10月28日のこちらのブログをご覧ください。
目の前で奏でられるチターの音色はそれはそれは優雅で素敵でしたよ。うっとりして、世俗を忘れました。
こういう楽しみがあるから、ラジオのインタビューは止められないのです。
この2つの収録は12月にオンエアーされ、HPでも聞けますので、是非、お聞きくださいね。
2007年11月20日火曜日
そう そう そう
爽爽荘というところがあるのです。
読み方は「そうそうそう」。
え? と思うでしょ。
ここは市内にある老人ホーム。
誰が考えたのか知りませんけど、なんだか愉快なネーミングですよね。
ここはディサービスと短期ステイをしている施設で、来月、母がお世話になることになりました。
いつもディに通っている施設とは違うので、初めは2泊3日のお泊りです。
やはりね、ずーっと一緒にいると、いろいろと大変なのですよ。
他人から見れば、「実のお母さんならいいじゃない」と言われますが、いえいえ。
ずーっと同居しているのは、精神衛生上、お互いに良くないと思うので、ケアマネージャーさんに相談したら、ショートステイの利用を提案していただきました。
もし気に入ってもらえたなら、毎月でも利用できるそうです。
いつも外出先からいい気分で家に戻ってきたとたん、暗~い気持ちにならないですむ、と思うと、それだけでうきうきしてきます。
ということで、そうそうそうに下見に行ってきました。
母もまあ、気に入ったようで、ほっと一安心。
自分がどこにいるのか、分からなくなってしまうほどではないのですけど、そうなる日も近いのかしら。
今度行くところは、「そう そう そう」と繰り返して言っています。
写真はうちのペットたち。
左からコニー、バナナ、ステファニー。
くまの三馬鹿トリオです。
ディズニーランドで買ったポップコーンのバケツが可愛いでしょ。
2007年11月19日月曜日
暑いの? 寒いの? どっちなの?
東京では昨日は木枯らし1号が吹いたそうで、今朝は寒かったわね。
でもどうして、冬になる時は「木枯らし1号」なのに、春になる時は「春一番」なのかしらね?
ということで、外は寒くなったようだけど、私の部屋は東向きのせいか、あるいはペアガラスのせいか、すごく暖かい。というより、太陽が出てくると、暑くて仕方がないくらい。暖房など一冬のあいだでも、めったに使わずに過ごしています。
それでも一応、天気予報を聞いて、コートを羽織って自転車で仕事場にでかけます。
自転車に乗っていると、耳がすごく寒い。これからは毛糸の帽子が必要ね。
自転車に数分乗って、「ふー、寒い」と言って仕事場に着くと、そこは南国のようにムンムンしている。なーんと室内は30度に設定されているのよ。誰だ、こんなことをしたのは!
暖房を消してはみたものの、部屋にはたくさんのコンピュータがあるせいか、暑くてたまりません。おまけに昼過ぎには若い男の子が集まるので、その熱気でまた暑いこと。
この仕事場は、夏は冷房で寒すぎるので夏向きの服は着られないし、冬になると暑すぎて冬向きの服は着られない、という妙なところです。
ほーんとに、1年中、同じような服で過ごしています。
たまにはタートルネックのセーターとか、太い毛糸でざっくりと編んだセーターなども着てみたいのだけど、そんな服を着てきたら、暑くてたまりませんよ。脱ぐに脱げないのだから。
私のスタイルと言えば、いつもグレーや黒のシャツブラウスに、やはりグレーか黒かベージュのミニスカートかパンツ。たまにワイン色系のブラウスを着ることはあっても、だいたい同じスタイル。外に出るときの上着の厚さが変わるだけで、中のほうは1年中、代わり映えがしませんね。
それでも買い物に行くと、たまにはきれいな色の服やプリント柄の服を買うこともあるのだけど、着るチャンスがなくて、たんすの肥しと化している。たんすの引き出しはほぼ真っ黒状態です。でも、いつもと違う色の服を着ていると、なんだか一日中、気になって仕方がないのです。
だから私がこだわるのは、服の素材。色は同じ黒い服でも、着ていて気持ちの良い素材と、なんだかちくちくしたり、ごわごわしたりするのはだめ。でもそういう肌触りって、お店で触っただけでは分からないのよね。私って皮膚感覚で生きているみたい。触覚人間か?
うちの娘を見ていると、職場に行くとは思えないようなワンピースを着たり、妙なカウボーイハットをかぶっていたり、はやりのバルーンスカートだったりと、それは自由なスタイルをしています。うーん、自由に振舞えるのは若さの証拠なのかしらね。
2007年11月18日日曜日
懐かしいアシジ
今日はね、久しぶりにテレビを見たの。
テレビはめったに見ないのだけど、今日はBSでアシジの特集をしていたので、じっくりと見ました。
アシジといえば、聖フランチェスコ。小鳥とお話ができる、という修道士さん。
聖フランチェスコはお金持ちの家に生まれたんだけど、ある時イエスの声を聞いて、財産を投げ打って教会を再建して、それからは従順、清貧、純潔 という教えを固く守って修道生活をした方です。
このような聖フランチェスコの思想は、大地の自然に恵まれたアシジだからこそ、生まれたような気がします。
そうね、アシジに行ったのは、今から何年前のことかしら。私が生まれて初めての海外旅行がイタリアだったのだけど、その時に行ったの。
もう大昔のことなのであまりよく覚えていなかったのだけど、テレビを見て、あ~と思い出しました。
そうね、教会が上の教会、下の教会とふたつに分かれているの。
山の中腹に或る坂道に建っていて、有名な小鳥に説教をする聖フランチェスコの絵や彼のお墓もあったのよね。そしてあの坂道で写真を撮ったんだわ。
そして一番よく覚えているのが、教会の近くの女子修道院でいただいたワインの味。
シスターたちの手作りの赤ワインだったけど、とてもおいしかったわ。
アシジの街の風景もテレビに写っていました。
昔と変わらない風景に、なんだか安心しました。
ああ、もう一度、行けるかしら。
テレビはめったに見ないのだけど、今日はBSでアシジの特集をしていたので、じっくりと見ました。
アシジといえば、聖フランチェスコ。小鳥とお話ができる、という修道士さん。
聖フランチェスコはお金持ちの家に生まれたんだけど、ある時イエスの声を聞いて、財産を投げ打って教会を再建して、それからは従順、清貧、純潔 という教えを固く守って修道生活をした方です。
このような聖フランチェスコの思想は、大地の自然に恵まれたアシジだからこそ、生まれたような気がします。
そうね、アシジに行ったのは、今から何年前のことかしら。私が生まれて初めての海外旅行がイタリアだったのだけど、その時に行ったの。
もう大昔のことなのであまりよく覚えていなかったのだけど、テレビを見て、あ~と思い出しました。
そうね、教会が上の教会、下の教会とふたつに分かれているの。
山の中腹に或る坂道に建っていて、有名な小鳥に説教をする聖フランチェスコの絵や彼のお墓もあったのよね。そしてあの坂道で写真を撮ったんだわ。
そして一番よく覚えているのが、教会の近くの女子修道院でいただいたワインの味。
シスターたちの手作りの赤ワインだったけど、とてもおいしかったわ。
アシジの街の風景もテレビに写っていました。
昔と変わらない風景に、なんだか安心しました。
ああ、もう一度、行けるかしら。
2007年11月17日土曜日
伊藤伝右衛門さんって知っていた?
私って、つくづくモノを知らない人間なんだぁと悲しくなることがあります。つまり文化・教養に疎いのですね。
今回、北九州にお邪魔したとき、飯塚市というところにも寄る用事がありました。そこが炭鉱の町ということは知っていたのですけど、まさかその炭鉱町があの柳原百蓮さんと関係があったというのは、全然気がつきませんでした。
飯塚市で仕事をしている方に、伊藤伝右衛門邸を案内していただきました。
でもそこに行くまで、そのお屋敷が林真理子の小説「百蓮れんれん」のあの百蓮さんとはまるで思いもしませんでした。百蓮さんが、炭鉱王と言われた伊藤伝右衛門さんの奥さんだったとは。
私の頭の中では、全然、つながりがなかったの。
でも、この古いお屋敷に「百蓮」の文字を見つけて、ああ、そうだったのか、と気づきました。
ということで、せっかく面白く読んだ小説と、実際の町が気がつかなかったとは、私の一番の趣味である読書とはいったい、なんだったのかしら?
もう一度、「百蓮れんれん」を読み直してみましょう。
この小説は、すごい美貌の奥様で、炭鉱王を捨てて、年下の学生と駆け落ちしてしまい、歌人となるというストーリーでしたけど、そのおうちを見た後で読み返すと、また違った感想が生まれるかもしれないな。
それにしても素敵な豪邸でした。
伊藤伝右衛門邸のサイトはこちらの写真がきれいです。大正時代のレトロな雰囲気がいっぱい。
http://www.yado.co.jp/tiiki/tikuhou/ito_denemon/index.htm
ここは今は飯塚市の管理下にあるので、お役所時間に合わせて、駐車場も5時ぴったりに閉鎖されてしまうのには、閉口しました。
小倉散策
今回の北九州行きは、本来の目的地は若松というところ。でもそこは陸の孤島で、宿泊地もない、というので宿泊は女性一人でも安全なところ、ということで小倉のホテルにしました。
ホテルはJR小倉駅の真上。改札口を出て、1分もしないところが入り口なので、すごく便利。ショッピングセンターもあるし、お土産屋さんもあるし、安全で快適なホテルでした。写真は駅とホテル。
これまで九州は長崎県をはじめ、熊本、別府、宮崎、鹿児島などだいたいお邪魔してきたのだけど、北九州は初めて。それに仕事で行くので、あまり観光の下調べもしないで行ったの。
ところが小倉って、すごく文化の香りの高いところだったのです。
そういえば、松本清張、森鴎外、柳原白蓮さんとか、北九州出身の文学者も多かったのです。
まだ若かった頃、「或る小倉日記伝」を読んで感激したのに、すっかり忘れていて清張さん、ごめんなさ~い。
あの武蔵と小次郎の決闘があった巌流島もこの近くなのでした。
ということで、仕事が一段落した翌日、早朝から小倉の街を歩いてみたのでした。
小倉の町には紫川という川が流れていて、そこを渡るとお城がそびえている。
これは「南蛮様式」と言われる小倉城。1602年に建てられたそうですが、度重なる火災で燃えてしまい、今のは昭和34年に再建されたものだそうです。「天守閣」という言葉がぴったりの感じ。
隣の八坂神社の紅葉がきれいでした。こういうところは七五三も雰囲気があっただろうなと思いましたよ。
お庭では菊花展をしていました。
でも清張記念館は開始時間が合わなくて、パス。
うーん、残念。
そういえばね、35年くらい前、清張の小説はほとんど読んでいて、我ながら、そのころは暗い青春だった? なんだか、世の中がゆがんで見えるのよね。
時間がないので、泣く泣く清張記念館を後にして、今度は小倉城庭園。あの小笠原流の礼法はここから生まれたんですって。ここから眺めるお城も可愛い。秋の風情がぴったりでしたよ。
私は地方には住んだことがないのだけど、地方の小都市って、いいなあといつも思うの。
人の気配のしない超田舎はだめなんだけど、小都市は好き。
東京みたいにごみごみしていないし、その地方独特の文化があるし、住みやすそうだなと感じる。実際に住んだら不便なこともあるかもしれないけれどね。
いつかまた行くチャンスがあったら、ゆっくりと歩いてみたいな。
さて、小倉駅に戻り、みやげ物をちょっと買って、お昼はおしゃれなカレー専門店へ。
ナンがなんと、50センチくらいの長さがあって、トレイからはみ出している。
「食べきれないわ」と思ったのに、ぺろりと食べてしまいました。
恐ろしい食欲なのでした。
スターフライヤー初体験
北九州まで往復するのでスターフライヤーに初めて乗ったの。
この航空会社は事故が多いとか、乗り遅れたら後がと大変、とか周りからはあれこれ脅かされていたけれど順調に搭乗できた。
機体は真っ黒。機内のインテリアも黒一色でなんとなくオヤジ好み。
野球のソフトバンクの黒いユニフォームを思い起こす。
本拠地は同じ九州だから関係あるのかしら?
皮張りの黒いシートは重量感があっていいけれど、私的には、もうちょっと可愛いデザインでもいいな。
シートの幅も他の会社のものより広いそうだけど、特に気づかなかった。
目の前にある液晶TVは見やすくて指で押す方式なので操作しやすかった。
スターフライヤーのお姉さんは、とにかく、ユニフォームがかっこいい。
ピシッとした黒の細身のパンツスーツ。パンツだからきびきびしているのよ。
重労働なんだから、スカートと言うのがおかしいよね。
高いところの荷物を取り出したり、重いカートをひっぱるんだから、パンツがいいわ。
他の会社のスチュワーデス(フライトアテンダントというのかな?)多分、髪を染めるのは禁止されていると思うけれど、ここのお姉さんは髪を染めるのは好き好きみたい。化粧もとても自然で、ベージュのリップもOKらしい。
こういうお化粧をしている人はJALでは見かけないね。
それと胸に着けたSFという文字のバッチが可愛いの。私も欲しいわ。
女性のお客さんは、こういうところを見ているのよね。
スターフライヤーでは飲み物サービスもない、と聞いていたけど、ちゃんと飲み物もでましたよ。
ブラックコーヒーを頼んだら、チョコレートまで出てきたくらい。
おまけにトイレもそれほど狭くはないし、扉も開けやすかった。
もうひとつおまけと言えば、北九州空港ではスターフライヤーの搭乗券を見せれば、価格が5%引き。つまり消費税分はお得。
と、スターフライヤーそのものには特別不満もなかったのだけど、そういえばね、こんなことがあったのよ。
それは国土交通省航空局のアンケートという代物。
年に1回くらいの調査があるのかしらないけど、私は初めての経験でした。
どの空港から搭乗して、目的地はどこか、とか空港までの交通手段を答えよ、とか見送り人の数を答えよ、とかかなり回答する欄があった。
最後には年齢、職業、年収、住所(町まで)を書かされるのよ。
もちろん、そんな個人情報は記入しなかったけど、いったい、こんなアンケートを書いて、どういう改善があるというのかしら。
一番直してほしいのは、空港まで行く人のことをまるで考えていない設備のこと。
新宿、品川を利用して羽田まで行ったけど、その間、エレベータやエスカレータは皆無でした。
軽くはない荷物を持って、階段をえっちらおっちら歩くのがどれだけ大変か、そのあたりを変えてくれないと、いくら空港の整備だけをしても、問題は残るに違いないでしょう。
私のようにそれほど飛行機を利用しない人間でもそう思うのだから、初めて羽田に来た外国の人とか、あるいは毎週、全国を出張している人は、うんざりしているのではないかしら。
と、こんなアンケート体験をしたのでした。
2007年11月13日火曜日
洗濯できて、嬉しい!
今日の仕事は、ほんの短時間だけでよかった。
ということで、朝はゆっくりと洗濯をして、明るい太陽の下、ベランダに洗濯物をたくさん干して、乾く間に買い物に行き、帰宅後に洗濯物を取り込んで、そして仕事に行く、という手順だったの。
うーん、こういうのって、すごく幸せ。
お天道様の下で洗濯物が干せて、それが乾くまで好きな時間が過ごせるなんて、天国だわ。
普段の洗濯は浴室乾燥機のお世話になりっぱなし。
ガス乾燥だから、すぐに乾くのはいいのだけど、やはり太陽の下に干す、というのは最高の贅沢。
外に干すと、取り込んだときに太陽の匂いがするの。
タオルはふかふかになって、テレビCMのように、頬に摺り寄せてしまいたいほど。
毎日、洗濯物が外に干せるなら、その喜びはあまり感じないかもしれないけど、たまにだと、とっても幸せ感に浸れるのです。
さぁ、さぁ、これからは取り込んだ洗濯物のアイロンタイムですよ~。
2007年11月12日月曜日
朝の楽しみ
うちでは毎朝、5時に目覚ましが鳴る。
今の季節、5時はまだ真っ暗。もっと寝ていたいのだが、そろそろと起き上がって、朝食の用意をしたり、新聞を取ってきたりと、少しずつ身体を動かしていく。
そんな毎朝だけど、近頃の楽しみは、リビングから見える真っ白な富士山。
それに台所から見える真っ赤な朝日。
この二つがあれば、多少の嫌なことは忘れてしまう。
もちろん、雨の日や曇りの日はだめ。
でも晴れた日の朝の風景は、もう誰にも邪魔されたくない。
こんなすがすがしい景色を拝めるだけで、私は幸せ。
6時30分過ぎくらいになると、ようやく廻りも明るくなってくる。
富士山もとてもきれいだ。
朝日はだんだん上がってくる。
さぁ、今日はどんな一日なのかしら、と私も明るくなるのだ。
注>今回の写真は私が撮影したものではありません。SAMPLEさんという方の写真をお借りしました。
2007年11月11日日曜日
東京土産は何がいい?
そういえばね、この前、愛媛出身の人に、そこの地方だけでしか販売をしていないという、昔ながらの銘菓をいただいたの。
昭和初期創業という古いお店の和菓子で、四国名物というたぬきの絵の描いてあって、すごくおいしかった。
というので、東京には東京だけでしか売っていないものがあるのかしら、と思いました。
じつは今度、九州に行くのだけど、そのとき、手土産には何がいいかしらと思ったのだけど、東京だけでしか手に入らないもの、ってあまりないんですよね。
今は、全国、どこへ行ってもその地方のデパートやショッピングセンターでも東京のお店のものが手に入る。
東京だけのモノってないのよね。
そういえばね、私の住んでいるところでは、お蕎麦が有名なの。
信州蕎麦ほどではないけど、かなり有名。
ある知人は地方に行くときは、手土産は必ずお蕎麦と決めているらしいけど、お蕎麦はもらっても職場では分けられないし、持って行くのも重いのよね。
別の人に聞いたら、草加せんべいをよくお土産にする、と言ってたけど、草加は埼玉ですものね。
「東京バナナ」などは飽きているでしょうし、浅草の「人形焼」も今ではそれほど珍しくはないでしょう。
となると、うーん、東京名物って、意外とないのね。
生まれてこの方、日本では東京以外、住んだことがないのだけど、お土産に関しては、地方の人のほうが名産品もあるし、有利だな~と思いますね。
写真は若い男の子にもらったブナの盆栽。
お土産としては、センスいいですよね。
昭和初期創業という古いお店の和菓子で、四国名物というたぬきの絵の描いてあって、すごくおいしかった。
というので、東京には東京だけでしか売っていないものがあるのかしら、と思いました。
じつは今度、九州に行くのだけど、そのとき、手土産には何がいいかしらと思ったのだけど、東京だけでしか手に入らないもの、ってあまりないんですよね。
今は、全国、どこへ行ってもその地方のデパートやショッピングセンターでも東京のお店のものが手に入る。
東京だけのモノってないのよね。
そういえばね、私の住んでいるところでは、お蕎麦が有名なの。
信州蕎麦ほどではないけど、かなり有名。
ある知人は地方に行くときは、手土産は必ずお蕎麦と決めているらしいけど、お蕎麦はもらっても職場では分けられないし、持って行くのも重いのよね。
別の人に聞いたら、草加せんべいをよくお土産にする、と言ってたけど、草加は埼玉ですものね。
「東京バナナ」などは飽きているでしょうし、浅草の「人形焼」も今ではそれほど珍しくはないでしょう。
となると、うーん、東京名物って、意外とないのね。
生まれてこの方、日本では東京以外、住んだことがないのだけど、お土産に関しては、地方の人のほうが名産品もあるし、有利だな~と思いますね。
写真は若い男の子にもらったブナの盆栽。
お土産としては、センスいいですよね。
2007年11月10日土曜日
あなたはどんなタイプ?
地元のFMラジオで市民番組を番組を制作している。
このところ用事が重なって、あまり収録に参加できなかったが、久しぶりにスタジオで技術を担当。
ヘッドフォンを付け、ミキサーで音声を調整して、ゲストにキューを出したりする係。
今日のゲストは、私達と同年代の女性で、忙しい毎日を送っているはずなのに、とても穏やかで綺麗にしている方。
その秘訣をラジオの電波には乗らない裏情報として、お聞きしたら、毎朝、どんなに忙しい時でもシャンプーとブローは必ずする、とのこと。
朝の5時に家を出るときでも、3時に起きて、シャンプーするそうだ。
それを見習うのは大変そう。でも女性として身だしなみに気を遣うのは、大切。
収録後は久しぶりにスタッフのミーティング。普段はメーリングリストで連絡をしている仲間だけど、今日は顔を見合わせての話合い。
それにしてもいろんなタイプのメンバーがいるのです。
たった数人のグループだけど、突っ走り型、理論型におっとり型など。
そういえばね、『有能なのに、ズボラなあなたへ』という文庫本を読んだことがあるの。
有能ではないけど、ズボラなところがあるので、それが身にしみて読んだのでした。
その本は、主にオフィスで働く女性のための仕事の裏技術の本。
みんなで仕事をうまく進めるためには、その人たちがどんなタイプの人間であるか、その性格に合わせて働く方法を考え、どんな付き合い方が効率的か、ということが書いてありました。
それによると、人間は4つのタイプに分類されるそうで、
◆質より量でがんがん行ってしまう「ブルトーザー」タイプ
◆好奇心が旺盛でおしゃべりな「元気なウサギタイプ」
◆常に受身で聞き上手な「地道な亀タイプ」
◆綿密でこだわり派の「頭でっかちタイプ」
となっていました。
私は昔は決断も早かったと思うし、多くのことをさっさとやってしまうブルトーザータイプの部分があったかもしれない。
でも今はどちらかというと亀タイプに変身中かしら。
というか、あまり物事にこだわりがなくなりました。
どちらでもお好きなほうでいいじゃない、ひとそれぞれだから・・・・という感じ。
グループにはいろんなタイプがいて当然だし、同じタイプの人間ばかりではうまくいきません。
このグループでの活動は5年近く続いていますが、お互いにかなり本性を出しても平気な関係です。
「あなたのやり方はおかしいんじゃない?」とか「あなた、このごろ疲れているんじゃない?」と言えるし、言っても怒らない、という関係。
そうなので気分的にラクにやっていけます。
今日の放送は12月初旬に放送予定。HPでも音声を聞いてみてくださいね。
2007年11月9日金曜日
時効はいつまで?
そういえばね、昨日は何の日だったか、ずーっと気になっていたの。
何の日だったか、どうしても思い出せなかったの。
でも、はたと、昨日は小学校のときに好きだった男の子の誕生日だったと気がついたの。
小学校の頃のことなんて、引き算もできないほど、大昔のことなのにね。
よく覚えていたものだわ。
時効はいったい、いつまでなのかしら? と思うことがあります。
法律にも、何年という決まりがあるように、人の人生にも時効があるのかもしれません。
それまで封印してきたことも、もうそろそろ時効だから公開してもいいのかな、と思うこともあります。
小学校の頃のことを書いてみても、もう誰にも被害はないでしょう。
だから、時効は成立ね。
でもね、一生、誰にも教えずにそっとひとり胸のうちにしまっておきたい、という事柄もあります。
たとえそれが30年前のことでも、40年前のことでも。
永遠に時効のない思い出もあるのです。
でもね、何年かして、そうね、私が80歳のおばあさんになったとき、まだ世の中にブログとかいうものが存在していたとしたら、娘や(もし生まれていたとしたら)孫に、「おばあちゃんは昔はこんなことを考えていたんだよ」とこの「そういえばね・・・・」を教えてあげてもいいかな、なーんて思ったりしますけど、そのころはもっと他の情報手段に取って代わっているんでしょうね。
ブログなんていう単語は、辞書の中にしか存在しない古語になっているかもしれませんね。
2007年11月8日木曜日
体力のバロメータは ?
10月は何かと忙しくて、スポーツジムに行く暇もなかった。
11月になって、ようやく時間を作り、ジムに行ってみました。そうしたら、急に体力の低下というか、衰えを感じるようになってしまいました。
一番、がっくりときたのが、それまでラクラクできていた片足立ちがうまくできなくなったこと。
ヨガのポーズで、「ヤシの木のポーズ」というのがあって、片足で立って、もう一方の足は自分の足の付け根につけて、両手を頭の上で合わせる、というポーズなんだけど、以前は曲げている足を上のほうに置いていても大丈夫だったのに、今はそんなことをしたら、ぐらぐらして立てない。
えーん、曲げている足の置き場所が、膝くらいまでしかだめなのよ。
これってやはり、体力が低下した証拠なんでしょうね。
もともと割りと柔軟性はあるほうで、40代の頃までは両足開脚をして、その足を左右に広げて、ぐるっと廻す(よく、抜くというけど)のが間単にできた。
それが、今では、体が硬くなり、情けない状態になっているのです。
ということで、体力のバロメーターはバランスと柔軟。
すぐに元通りになるとは思えないけど、これ以上、悪化しないようにしないと。
というので、今のところ、毎朝、マンションの玄関まで新聞を取りに行く時は、階段を歩くようにしている。うちは7階なので、適度な訓練になります。
自分に何かを課する、ということはあまりしないのだけど、今回ばかりは決めましょう。
「週2回はスポーツジムで運動をすること」
さあ、いつまで守れることでしょうか。
2007年11月7日水曜日
病院と美容院
先日、病院で健康診断をしたのだけど、その結果が今日、届いた。
いちいち詳しくは書きませんが、一番、ほっとしたのが、胃の再検査が不必要だったということ。
これはホントに嬉しい。ラッキー!
というのも、私はどういうわけか、胃カメラがまるでだめな体質なのです。
胃カメラと聞くだけで、げーげーしそうなくらい大嫌い。
いくら麻酔をかけても、麻酔が効かないのか、カメラがのどを通過するときは、死にそうになるくらい苦しい。
涙ぼろぼろになって、看護婦さんに子供のように背中をさすってもらっても、痛いものは痛い。
そんな痛い思いをするのに、医者からは「ああ、なんでもないですよ~」とか
「単に水がたまっていただけですよ~」とかお気楽に言われて、ホントにむかつく。
こんな痛い思いをしないと、症状は分からないのかしら。
本当は身体の数値はちょっとヤバイ気味なんだけど、まあ、いいか、というふうに受け止めています。
仕事の後には美容院。
私の髪は太くて多いので、とにかくしょっちゅうカットをしないと、大変なことになる。
よく半年くらいカットをしないでも大丈夫、という人がいるみたいだけど、私は3週間カットしないと、イライラしてくるほど。それくらい頻繁にいかないとダメなのです。
というので、美容院の三大条件は、「安くて、早くて、黙って仕事」。
「安い」は分かるでしょ。もちろん、金額のことです。
「早い」も分かるでしょ。その技がすばやければすばやいほど、OKです。
そして「黙って仕事」というのが私には一番、大事なの。
よく美容師さんで、お客に話しかけないといけないと思ってか、
「お客様、今日はどちらへ~」とか
「お客様、今日はお仕事はお休みなんですか~」とかいちいち話しかける人がいるでしょ。
私はあれがダメなんです。
美容院へ行くのは、だいたい、疲れきっているときで、このときくらい、誰にも話しかけられることなく、ぼーっとしていたいのに、あれこれ話しかけてほしくないの。
もちろん、どのくらい切ってほしいとかの必要最低限の会話はちゃんとしますが、根掘り葉掘り個人調査はしてもらいたくないですね。
だから美容院には持参した自分の本を読んでいると、あまり話しかけてこないですね。これが世間話よけの作戦。今日は、先日買った「火山噴火」なんて読んでいたから、絶対に話しかけてきませんでしたよ。ちょっと近寄り難い感じでしょ。
とはいうものの、本当なら、もっとお金をかけて、ゆっくりとした優雅な雰囲気のところで、丁寧にカットしてもらいたいのは、ヤマヤマなんだけどね。
なかなかそういうマダムにはなれません。
いつになったら、そんなゆとりのある時間を過ごせるのかしら?
新宿のタイ料理やさん
そういえばね、昨日映画を見る前に、タイ料理屋さんに行ったの。
場所は映画館がある新宿高島屋タイムズスクェアと同じフロア。
「ブルーロータス」というちょっとこぎれいなお店。
同じフロアにはいろんなお店があって、台北や香港で何回が行っていて、お気に入りの「鼎泰豊」もあるのだけど、ちょうどお昼時だったのでるあまりに行列が続いているし、あのおいしい小ロンポーをわざわざ日本で食べることもない、と思って、タイ料理にしました。
タイ料理は最近、タイ人から習っているので、どっちがおいしいかな、という理由もありました。
メニューには辛マークがついていて、★がひとつ、ふたつ、みっつとあるの。
私は特に激辛が好き、というわけでもないのですけど、グリーンカレーが好きなので、それを選んだら、★が三つついていました。
でもぜーんぜん、辛くない。
ナスの皮が綺麗に模様のようにむいてあったりして、おしゃれな感じ。
チキンはやわらかくておいしかったですけど。
それに冬瓜のスープ。これは香辛料が利いておいしかったですよ。
デザートもついていて、タピオカ。私の作ったのはシンプルに何も入れませんでしたが、このタピオカには、サツマイモ、フルーツとかいろんなものが小さくカットされて入っていました。
私がタイ人から教わった時には、かぼちゃを入れていましたけど、何でもあり、なのかもしれませんね。
それにしてもお店の入り口やメニューに親切心からか、「お子様には香辛料のないものを用意します」とか
「パクチー(香菜)が苦手な方は前もってお申し出下さい」と書いてあるの。
お子様のことは分かるとしても、えー、タイ料理が好きで、この店に入ろうって言う人が、パクチーが嫌いなわけ、ないじゃん、と突っ込みをいれたくなりましたよ。
私的にはもっとパクチーや香辛料を入れてほしいわ。
うーん、全体的には日本人向きにアレンジしてあるな、という感じでした。
でもお店のインテリアはきれいだし、サービスもまあまあなので、タイ料理が始めて、という人にはいいかもしれません。
私もタイには行ったことがないので、大きなことは言えませんけど、こぎれい過ぎるのでは~というお店でした。
このお店を経営しているのは、ベトナム料理とかいろいろアジア料理を出しているところみたい。
2007年11月6日火曜日
映画 めがね
今日はオフの日。ちょっと肌寒くてお天気も良くないので、映画を見ることにした。
最近、ちょっとお疲れなので、のんびり・ほんわか系の映画がいいな。
先日、ラジオで「もたいまさこ」さんの話が面白かったので、彼女が出ている「めがね」を見ることににしました。
都会で忙しく働いている女性(小林聡美)が携帯電話の届かないところで、ゆっくり過ごしたいと思い、与論島まで出かける。そこで出合った人たちとの出会いにより、初めはカリカリしていたのが、だんだんにそのペースにはまり、自分を取り戻していく、といった感じのストーリー。
南の島の美しい海と、彼女が宿泊した民宿に飼われているわんこがとても可愛いの。
うちのわんこみたいに赤い首輪をしているんですよ。映画の最後のクレジットでは、「スペシャルゲスト」として名前も載っていました。
映画の中では手作りのおいしそうな料理も盛りだくさん。イセエビ、カキ氷、散らし寿司・・・・。
海辺で釣りをしながら、「人生にもたまには休日が必要だよ」と話す台詞がじーんときましたね。
ヒロインの小林聡美さんは初めのうちは、黒いスカートや七分丈の黒いパンツ、それに白いシャツ、というスタイルが多く、私はそういうモノクロのスタイルが好きなので、とても好感を持てました。
でも、最後のシーンで、また南の島に戻ってきたときは、赤い花柄のスタイル。
こういうスタイルは私は当分、着ないでしょうね。
そういえばね、この映画の出演者はみんなめがねをかけているの。だからタイトルが「めがね」なのかもしれません。
私も中学生の頃から近視が始まり、めがねのご厄介になっているけど、とにかくイヤでイヤで、高校を卒業する時に友人と一緒にコンタクトにしました。
今ではコンタクトレンズを付けるのはごく普通だけど、当時は結構、新しいほうでした。
それで40歳くらいになるまではハードコンタクトのお世話になっていたのだけど、レンズは失くすし、すぐ傷がつく。おまけにごみが入るとものすごく痛い、海外に行く時には不安。というので老眼が始まる頃から、遠近両用のめがねにすることにしました。
コンタクトにはいったいいくらお金をつぎ込んだことかしら。
でもね、それまでコンタクトの世界だったから、めがねには違和感があるの。
くっきりと1.5まで見えるのが当然だったから、めがねには物足りない。
おまけに左右の視力がまるで違うガチャ目で、乱視で近視で老眼というややこしいパターンなので、どんなめがねをかけてもフィットしないのです。
それですぐにはずしてしまうので、汚れたり変形したり。使い方がハードなんですよね。
めがね屋さんにいくと、いつも形を補正してもらっています。
イラストは今年の4月に新宿の和真で作った赤いめがね。
でもね、昔の仲間と会うと、お互いに小さな字が見えない、なんて自嘲するのも楽しいの。
高校時代、めがね姿がかっこよかった賢い彼ら達も、きっと今は会社ではお偉いさんに出世したり、教授とかになって、シニアグラスとかのお世話になっているんだわ。お互い様。
とまあ、昔話に浸りましたが、ほんわかする映画を見て、のんびりしましたけど、でもその足でケアマネージャーさんのところに行って、母のショートステイの相談。
私の周りの女性は多かれ少なかれ、介護はつきもの。
ああ、現実は映画のようにのんびりとは過ごせないのです。
2007年11月5日月曜日
火山からの連想
めったにテレビは見ない人間ですが、TBSの「世界遺産が語る地球46億年」という夜11時30分からの番組を見ました。
それも世界の火山特集。
きれいでしたよ~。
ハワイのキラウエア火山や、韓国済州島で世界遺産となった火山の噴火口の様子、マグマがどくどくと流れる様子や、雪山の景色など、このときばかりはTVの大きな画面に引き付けられ、眠い目をこすりながら見ていました。
でもどうしてまた、「火山」なんかに興味を持つのかって?
そういえばね、私は大昔、大学を卒業して初めて就いた仕事が火山の研究者たちの集まりの事務局という仕事だったのです。
日本中の火山学者といわれる人たちから会費を徴収したり、火山の会誌を発行したり、発送をしたりする仕事をしていました。そして世界中の火山学関係の書籍を受け取っていたので、ソ連とかトルコとか、珍しい切手を集めるのには最適でした。
時にはこの会誌の校正の手伝いの仕事もあったので、普通の女の子よりは火山のことを少しは知る機会が多かったと思います。カルデラとかマグマとか、プレートとかいう言葉もなんとなく身近な存在になりました。
またこの研究者達が年に1回集まって研究発表をするときは、火山のあるところ、つまり温泉場で発表会を催したので、ひょっこりそういう会場にもお伴をして温泉に浸かったりしていたのです。
そんな仕事に携わっていましたが、でも当時は仕事場である研究所が、大学解体の後遺症で教授たちは構内に入ることができず、ヒラの研究者と事務職だけが働いていて、教授たちは学外から時たま電話連絡がある、という異常環境なのでした。
今なら世界中のどこに居ても、メールで連絡ができるのですが、当時は電話だけが頼りだったたので、職場ではヒラの人間だけがのびのびとしていたのかもしれません。
その頃、私はまだ新婚ほやほやの状況にあったので、よその男にはあまり興味がありませんでした。
ところが、その研究者の中に、いつもにこやかに微笑んでいて、髪はグレーで少しウェーブがかかり、長身で、そして何よりも頭脳明晰の先生がいたのです。当時は40歳くらいだったのでしょうか。若い女性から見たら、完全に中年男でしたが、とても魅力的な先生でした。
会議の席上でもいつも明るく、そして私のように火山の「カ」の字も分からないような人間に対しても、一人前に接してくださっていたのです。
とはいえ、特に個人的に付き合いがあるわけでもなく、ただ優しくて素敵な中年男性だと思っていただけです。
私もそこの研究所は2年半くらいしか勤めずに、時は過ぎていったのです。
ところが、今から20年ほど前のある日、新聞を読んでいたら、この先生がある大会で研究発表をしている最中に倒れて、そして55歳の若さでお亡くなりになったということを知りました。
その記事によると、私が単純に素敵だと思っていた先生が、実は地球科学や火山学の方面では世界的な大家であり、海底科学研究者としても第一人者でもあったことを知ったのです。
新聞記事には「世界的な科学者であり、本当に惜しい人を亡くした」ということが書かれていたのです。
ああ、あの方はそんな有名な学者だったのですか!
今になってみて、55歳で亡くなるというのは、本当に惜しいことだと思います。油の乗り切ったところでしょうに。でも、発表の最中に倒れるなんて、先生にとっては本望だったのかもしれません。
それにしても、私は新聞紙上で誰か知人の死を知る、というケースがよくあるのです。
この科学者の死もそうですし、一緒に仕事をしていた雑誌記者の悲惨な自殺や、大使館でお世話になった参事官の交通事故死など、どうして? と目を疑うことがよくあるのです。
今夜はTBSのテレビ番組から連想して、この火山学者の思い出に浸り、たまたま今日の朝刊に出ていた京大教授の火山予知研究家・鎌田浩毅さんの岩波新書「火山噴火」を読んで、ご冥福をお祈りすることにしましょう。
N先生、生きていたら今頃は75歳くらいなのでしょうか、笑顔がチャーミングだったことでしょう。
普段の日常生活では、火山のことなど思い浮かべもしないのに、ほんのちょっとTVを見ただけで、××年前のことが急に思い出されました。
それも世界の火山特集。
きれいでしたよ~。
ハワイのキラウエア火山や、韓国済州島で世界遺産となった火山の噴火口の様子、マグマがどくどくと流れる様子や、雪山の景色など、このときばかりはTVの大きな画面に引き付けられ、眠い目をこすりながら見ていました。
でもどうしてまた、「火山」なんかに興味を持つのかって?
そういえばね、私は大昔、大学を卒業して初めて就いた仕事が火山の研究者たちの集まりの事務局という仕事だったのです。
日本中の火山学者といわれる人たちから会費を徴収したり、火山の会誌を発行したり、発送をしたりする仕事をしていました。そして世界中の火山学関係の書籍を受け取っていたので、ソ連とかトルコとか、珍しい切手を集めるのには最適でした。
時にはこの会誌の校正の手伝いの仕事もあったので、普通の女の子よりは火山のことを少しは知る機会が多かったと思います。カルデラとかマグマとか、プレートとかいう言葉もなんとなく身近な存在になりました。
またこの研究者達が年に1回集まって研究発表をするときは、火山のあるところ、つまり温泉場で発表会を催したので、ひょっこりそういう会場にもお伴をして温泉に浸かったりしていたのです。
そんな仕事に携わっていましたが、でも当時は仕事場である研究所が、大学解体の後遺症で教授たちは構内に入ることができず、ヒラの研究者と事務職だけが働いていて、教授たちは学外から時たま電話連絡がある、という異常環境なのでした。
今なら世界中のどこに居ても、メールで連絡ができるのですが、当時は電話だけが頼りだったたので、職場ではヒラの人間だけがのびのびとしていたのかもしれません。
その頃、私はまだ新婚ほやほやの状況にあったので、よその男にはあまり興味がありませんでした。
ところが、その研究者の中に、いつもにこやかに微笑んでいて、髪はグレーで少しウェーブがかかり、長身で、そして何よりも頭脳明晰の先生がいたのです。当時は40歳くらいだったのでしょうか。若い女性から見たら、完全に中年男でしたが、とても魅力的な先生でした。
会議の席上でもいつも明るく、そして私のように火山の「カ」の字も分からないような人間に対しても、一人前に接してくださっていたのです。
とはいえ、特に個人的に付き合いがあるわけでもなく、ただ優しくて素敵な中年男性だと思っていただけです。
私もそこの研究所は2年半くらいしか勤めずに、時は過ぎていったのです。
ところが、今から20年ほど前のある日、新聞を読んでいたら、この先生がある大会で研究発表をしている最中に倒れて、そして55歳の若さでお亡くなりになったということを知りました。
その記事によると、私が単純に素敵だと思っていた先生が、実は地球科学や火山学の方面では世界的な大家であり、海底科学研究者としても第一人者でもあったことを知ったのです。
新聞記事には「世界的な科学者であり、本当に惜しい人を亡くした」ということが書かれていたのです。
ああ、あの方はそんな有名な学者だったのですか!
今になってみて、55歳で亡くなるというのは、本当に惜しいことだと思います。油の乗り切ったところでしょうに。でも、発表の最中に倒れるなんて、先生にとっては本望だったのかもしれません。
それにしても、私は新聞紙上で誰か知人の死を知る、というケースがよくあるのです。
この科学者の死もそうですし、一緒に仕事をしていた雑誌記者の悲惨な自殺や、大使館でお世話になった参事官の交通事故死など、どうして? と目を疑うことがよくあるのです。
今夜はTBSのテレビ番組から連想して、この火山学者の思い出に浸り、たまたま今日の朝刊に出ていた京大教授の火山予知研究家・鎌田浩毅さんの岩波新書「火山噴火」を読んで、ご冥福をお祈りすることにしましょう。
N先生、生きていたら今頃は75歳くらいなのでしょうか、笑顔がチャーミングだったことでしょう。
普段の日常生活では、火山のことなど思い浮かべもしないのに、ほんのちょっとTVを見ただけで、××年前のことが急に思い出されました。
「ガス展」の思い出
東京ガスの年中行事である「ガス展」に行って来ました。
毎年11月3日の文化の日を中心にして、各地の東京ガスの営業所で、キッチンコンロとか床暖房とか、ストーブなどの製品が展示され、子供向けのゲームコーナーなど、いろいろな催し物が繰り広げられる、まあ販売促進行事です。
その会場で抽選をしたら、4等が当たりました。
4等の景品は、それぞれ、ガスパッチョのくまさんマークがついたコーヒー、紅茶、トランプ、石鹸のなかから選ぶというので、紅茶にしました。袋が可愛いので、つい釣られてしまいました。(写真)
そういえばね、東京ガスにはいろんなご縁があるのです。
むか~し、むかしの大昔、まだ私が世間のことなどな~んも知らずに、うら若い大学生をしていたとき、結婚話が出ていて、それでもあまりにも料理のことを知らないので、半分、ひまつぶし、半分、冷やかしで、家の近くにあった東京ガスの料理教室に通ったのでした。
その教室には今思えばそうそうたるメンバーが揃っていて、麻婆豆腐で有名な陳先生とか、あの周富徳先生とか、名前は忘れましたが日本料理の大家とか、木戸崎愛さんとか、すごい講師陣でした。でも東京ガスの援護があったためか、授業料はそれほど高くなかったと思います。
そこで和洋中の料理を教えてもらったのだけど、役に立ったかどうかは 「?」。
そのときに料理教室の参加者に、東京ガスの事務の人から、三越だか高島屋だかのデパートで「ガス展」をするので、アルバイトの話があったのでしょう。多分、そういうきっかけだったと思うのだけど、今から××年前、私は「ガス展」メイン会場で何かのお手伝いをした記憶があるのです。
今でもよく覚えているのは、「ガス展」のスペシャルゲストとして出演した十朱幸代さんのこと。今でも熟女さん代表のような方ですね。
その当時は、たぶん、炊飯器のCMに出ていたと思うので、それでゲストにきたのでしょう。
間近でお会いしたのだけど、ものすごくきれいだったのをよく覚えています。
女優さんって、こんなにきれいにお化粧するんだ、と思ったものです。
それ以来、私はあちこち引越しをしたり、料理を作る環境もいろいろと変化してきましたけど、どういうわけか、11月3日前後に開催される東京ガスのガス展というと、必ず出向くのです。
うちにはもうガスオーブンもガス床暖房もガスストーブも揃っているので、とくにガス製品を購入する必要はないのですけど、なんだかガスが懐かしくて、足が自然と出向くのです。
仕事も趣味も、電気で動くパソコンのお世話にはなっているけれど、私にはどうも電気よりもガスのほうが性に合っているみたいだな~と、思います。
2007年11月4日日曜日
ピアスにしたの
そういえばね、10月はとても忙しい毎日だったという記憶があるのだけど、どうして忙しかったかを思い出したら、下旬に、長年の希望だったピアスの手術(なんとおおげさな!)をしたこともその忙しさの理由のひとつでした。
もともと私はネックレスは首が凝るからダメ、指輪は手が小さいからダメ、ブローチは持ってはいるけど、つけるようなきちんとした服装なんてあまりしないのでダメ、というアクセサリー不向き人間なんだけど、でもイヤリングだけは大好き。
出かけるときは絶対に付けていないと落ち着かない。もしイヤリングを付けないで出かけてしまうと、なんだか裸でいるようで、忘れ物をしたような気持ちになる。
ところが最近、気に入ったものを買おうと思うとピアスばかりで、リングのものはおばさん向きのものばかり。よく国会議員のおばさんがデカデカとしたリングをつけているでしょ。あんなのは嫌じゃないですか。
それにこのごろは気に入ったリングを次々に失くしてしまう、という事態が連続発生していました。
それであちこちの知人にピアスのことを聞きました。だって穴を開けるのは怖いじゃないですか。
◆ピアスなんて、ぜーんぜん、痛くないよ。
◆私なんか、高校のときに布団針で突き刺したのよ。
◆外国じゃ、3歳の子供だってやっているよ。
◆でも化膿して大変になった人もいるよ・・・・・。
うーん、本当に悩みましたよ。
ハムレットじゃないけれど、ピアスをするべきか、しないべきか。
決断は、なんと81歳のおばあさまとの出会いでした。
この方はラジオ番組のゲストで、画家の方なんですが、とにかく色彩感覚もばっちりで、おしゃれで楽しい方。
その方は髪を明るく染めてショートカットにしていたんですけど、その耳たぶには長く垂れたピアスが・・・・。
そう、80歳を越した方でもピアスをしているのなら、この私がしたっていいじゃない?
ということで、20年くらい前から懇意にしている女医さんのいる皮膚科に行きました。
1日目は処置が可能かどうかの相談。これはOKでした。
2日目は手術日。パチンとホッチキスのような器具で穴をあけてくれ、24金のファーストピアスをいれてもらいました。
3日目は事後の検診。
これは1ヶ月くらいはそのままにしておかなければならず、殺菌用の薬を毎日、綿棒で塗らなければならない。
ピアスのせいにしては悪いのですけど、そんなこともあったので、10月は何かと忙しくなり、ゆっくりと読書をする時間も少なくなりました。
調子はどうですかって?
うーん、ずーっとつけっぱなしなので、時にははずしたくなる、というのが本心。
でも北海道で買ったお気に入りのリングをすぐに落としてしまって、悔しい思いをしたことがあるので、落ちないというのは、いいですね。
写真は今は片方しかないそのリング。
そのとき買ったお土産のうち、垂れるほうのリングはまだ生きています。
もともと私はネックレスは首が凝るからダメ、指輪は手が小さいからダメ、ブローチは持ってはいるけど、つけるようなきちんとした服装なんてあまりしないのでダメ、というアクセサリー不向き人間なんだけど、でもイヤリングだけは大好き。
出かけるときは絶対に付けていないと落ち着かない。もしイヤリングを付けないで出かけてしまうと、なんだか裸でいるようで、忘れ物をしたような気持ちになる。
ところが最近、気に入ったものを買おうと思うとピアスばかりで、リングのものはおばさん向きのものばかり。よく国会議員のおばさんがデカデカとしたリングをつけているでしょ。あんなのは嫌じゃないですか。
それにこのごろは気に入ったリングを次々に失くしてしまう、という事態が連続発生していました。
それであちこちの知人にピアスのことを聞きました。だって穴を開けるのは怖いじゃないですか。
◆ピアスなんて、ぜーんぜん、痛くないよ。
◆私なんか、高校のときに布団針で突き刺したのよ。
◆外国じゃ、3歳の子供だってやっているよ。
◆でも化膿して大変になった人もいるよ・・・・・。
うーん、本当に悩みましたよ。
ハムレットじゃないけれど、ピアスをするべきか、しないべきか。
決断は、なんと81歳のおばあさまとの出会いでした。
この方はラジオ番組のゲストで、画家の方なんですが、とにかく色彩感覚もばっちりで、おしゃれで楽しい方。
その方は髪を明るく染めてショートカットにしていたんですけど、その耳たぶには長く垂れたピアスが・・・・。
そう、80歳を越した方でもピアスをしているのなら、この私がしたっていいじゃない?
ということで、20年くらい前から懇意にしている女医さんのいる皮膚科に行きました。
1日目は処置が可能かどうかの相談。これはOKでした。
2日目は手術日。パチンとホッチキスのような器具で穴をあけてくれ、24金のファーストピアスをいれてもらいました。
3日目は事後の検診。
これは1ヶ月くらいはそのままにしておかなければならず、殺菌用の薬を毎日、綿棒で塗らなければならない。
ピアスのせいにしては悪いのですけど、そんなこともあったので、10月は何かと忙しくなり、ゆっくりと読書をする時間も少なくなりました。
調子はどうですかって?
うーん、ずーっとつけっぱなしなので、時にははずしたくなる、というのが本心。
でも北海道で買ったお気に入りのリングをすぐに落としてしまって、悔しい思いをしたことがあるので、落ちないというのは、いいですね。
写真は今は片方しかないそのリング。
そのとき買ったお土産のうち、垂れるほうのリングはまだ生きています。
サークー・ナムガティ
そういえばね、エスニック風の食べ物が結構好きなんですよ。
アフリカに住んでいたせいもあるけれど、南方の食べ物、というかその匂いがするものなら、どこの国も料理でも手を出す、いや、口に入れることに抵抗はないですね。
まだ行ったことはないんですけど、ベトナム料理やタイ料理は大好き。香菜といわれる小さな葉っぱなんて、ぱくぱく食べてしまいます。あれが嫌いな人も多いそうですけど。
最近、タイの女性から本場のタイ料理を教えていただくチャンスがありました。
教えていただいた料理は、なかなか日本では材料が手に入らないことが多いのですが、彼女はタイから仕入れた材料を売ってくれるので、その材料を使ってもう少し簡単にアレンジして、家でも作ってみます。
タイの料理は甘くて、辛い、が基本。
今回の「サークー・ナムガティ」(舌をかみそうだわ)は日本語に訳すと
「タピオカのココナッツミルク」だそうです。
彼女から買った緑色をしたタピオカと、シンガポールのスーパーで格安で購入したココナッツミルクで作ってみました。
<以下は作り方>
1.まずは乾燥タピオカを水に浸して10分ほどもどします。
2・もどしたタピオカを10分ほどゆでて、やわらかくなったら水で洗います。
3・別のお鍋にココナッツミルク、牛乳、水、砂糖、塩少々でシロップを作ります。
4.タピオカを3のなべに入れて、ジャスミンエッセンスをたらして、よく冷やします。
本当はジャスミンエッセンスを最後にたらすそうなんですけど、それはなかったので、ジャスミンティを飲んでごまかしました。
ミニやしをそばに置いてみて、ちょっと南国風に。
緑のテーブルクロスはタヒチのもの。
タイ料理教室の絵日記はこちらから。
その1 → こちら
その2 → こちら
暖かいところにまた行きたいわ。
アフリカに住んでいたせいもあるけれど、南方の食べ物、というかその匂いがするものなら、どこの国も料理でも手を出す、いや、口に入れることに抵抗はないですね。
まだ行ったことはないんですけど、ベトナム料理やタイ料理は大好き。香菜といわれる小さな葉っぱなんて、ぱくぱく食べてしまいます。あれが嫌いな人も多いそうですけど。
最近、タイの女性から本場のタイ料理を教えていただくチャンスがありました。
教えていただいた料理は、なかなか日本では材料が手に入らないことが多いのですが、彼女はタイから仕入れた材料を売ってくれるので、その材料を使ってもう少し簡単にアレンジして、家でも作ってみます。
タイの料理は甘くて、辛い、が基本。
今回の「サークー・ナムガティ」(舌をかみそうだわ)は日本語に訳すと
「タピオカのココナッツミルク」だそうです。
彼女から買った緑色をしたタピオカと、シンガポールのスーパーで格安で購入したココナッツミルクで作ってみました。
<以下は作り方>
1.まずは乾燥タピオカを水に浸して10分ほどもどします。
2・もどしたタピオカを10分ほどゆでて、やわらかくなったら水で洗います。
3・別のお鍋にココナッツミルク、牛乳、水、砂糖、塩少々でシロップを作ります。
4.タピオカを3のなべに入れて、ジャスミンエッセンスをたらして、よく冷やします。
本当はジャスミンエッセンスを最後にたらすそうなんですけど、それはなかったので、ジャスミンティを飲んでごまかしました。
ミニやしをそばに置いてみて、ちょっと南国風に。
緑のテーブルクロスはタヒチのもの。
タイ料理教室の絵日記はこちらから。
その1 → こちら
その2 → こちら
暖かいところにまた行きたいわ。
2007年11月3日土曜日
設定がうまく行かず・・・
これまでHPはシコシコとメモ帳でhtmlを書いて作っていたのだけど、ちょっと時間がなくて、まあ、それなら無料のブログでも利用してみれば、簡単かぁと思って始めてみた。
ところが設定とかが、結構面倒なのよね。
自分の好きなようにカスタマイズしたいと思っても、自分で書いたhtmlならどこをどう触れば、どう変化する、というのが見えているんだけどね。
既成品というのは簡単でいるようで、よく分からないところもある。
ということで、どういうわけか、コメント欄が見えなくなってしまった。
あちこちの設定をいじりすぎたせいかな。
まあ、誰かからのコメントを期待しているわけではないけど、消えなくてもいいのに。
そのうちに復活するでしょうけど。
ところが設定とかが、結構面倒なのよね。
自分の好きなようにカスタマイズしたいと思っても、自分で書いたhtmlならどこをどう触れば、どう変化する、というのが見えているんだけどね。
既成品というのは簡単でいるようで、よく分からないところもある。
ということで、どういうわけか、コメント欄が見えなくなってしまった。
あちこちの設定をいじりすぎたせいかな。
まあ、誰かからのコメントを期待しているわけではないけど、消えなくてもいいのに。
そのうちに復活するでしょうけど。
2007年11月2日金曜日
市民テレビ局フォーラム
最近、あちこちでフォーラムばやり。
フォーラムっていったい何なの、と思って電子辞書を引いてみたら、公開討論、とか公共広場とかの意味であると、出ていました。
ところで、今日、私の地元で「市民テレビ局フォーラム」という集まりがありました。
キャッチフレーズは「明日の地域情報化のあり方と地域活性化を目指して」とあります。
日本各地で(北海道から沖縄まで)、市民たちの手でテレビ番組を作成している8つのテレビ局が集まって、討論をしたそうです。主催者の話では、180人ほど集まったとか。
そういう場にほんの短時間ですが、参加しました。
どうしてかって?
その理由はというと、このテレビ局のうち、私の地元のCATCHというグループは実はその発端は私が関わっているラジオ番組が母体なのです。
つまりラジオの音声による情報発信だけでは物足りなくなり、それで映像の世界にまで踏み込んでしまった人たちの集まりなのだからです。
私も最初はそのテレビのグループに属していて、実際に番組を企画して制作しました。
ところが、どうしてもなじめなかったのです。
よくよく理由を考えたら、私自身、テレビというものをほとんど見ない生活を送っていたからなのです。
テレビを見るのは、1週間に30分あるかどうか。
うちにはでかいスクリーンのテレビも置いてあるのですが、誰もこのテレビは見ないのです。
そんな自分なのに、テレビの制作なんて、おこがましいですよね。
またテレビ制作にはお金も必要なので、あちこちに寄付を求めたり、政治的な活動もしなくては運営がうまくいきません。でも私はそういうのは、苦手。頭を下げたり、制約のある活動というのは、どうもなじめない。
それにテレビの編集はものすごく時間がかかるので、現役を退職したおじさまか、日中、自分の好きなだけ時間を使える主婦でないとやっていけないものです。
ということで、私はテレビ制作からは足を洗いました。
そのような活動に時間を割くよりも、一人で本を読んでいたほうが、ずっと幸せ感があります。
人はそれぞれ。
これからの人生に余裕がある若者なら別ですけど、これからは衰えるばかりの自分の人生なのに、それほど興味の沸かないことに自分の時間を割くことはないでしょう。
好きなようにさせてほしい、というのは我がままかもしれませんが、職業でもないのに、縛られたくはありません。
でも続けてやっている人は偉いものです。
頭が下がります。
このフォーラムの様子はNHKやケーブルテレビも取材に来たそうですから、そのうち、何らかの形で見られるかもしれません。