2008年1月31日木曜日

脳科学のお勉強 5


脳研究の最前線 講談社ブルーバックス

第5章 脳はどのように認知するか

この章は今までで一番、難しかったわ。
著者の田中啓治先生と言う方はロマンスグレーの素敵なソフトな感じの先生なのだけど、中身は硬いのよ。

この章にはいろんな図解がでているのだけど、その絵がどんな意味を持つか、と考えているだけで時間がたってしまうの。
とはいえ、少しは分かるところだけでも書いてみましょう。

脳がものを認知するシステムというのは、ずばり言うと、「情報の分離と統合を繰り返す情報処理の積み上げ」だというの。
それって分かったような分からないような説明なんだけど、ある情報が頭の中に入ってくると、それはどんな形をしているか、どんな色をしているか、どんな臭いをしているのかを分析して、そういうことなら、それはこれに違いない、と判断することなのかしら。


田中先生は具体的な知覚の説明として、視覚を取り上げています。
今までの章にも視覚のことはいろいろ取り上げられているのだけど、それだけ研究の対象になりやすいのでしょうね。
それに「目は口ほどにものを言い」とも言われたり、「百聞は一見にしかず」とか言われるように、見ることから得られる情報というのはすごく多いのよね。

また、「目は脳の出先機関」と言われるほど、目と脳は結びつきが強いし、脳の中で視覚に関係する場所は多いらしいの。

こういう文章を読むとね、私は自分の目が見える、ということにとても深く感謝をしなければ、と思うのです。
私の知人に大人になってから視覚を失った方がいるのだけど、その人の苦労を見ていると、本当に大変だと思うのです。
私はたとえ耳が聞こえなくなっても、口がきけなくなっても、それはそれで大いに悩み、悲しむだろうけど、目が見えなくなることの恐怖に比べたらまだ耐えられるかもしれない。
だって視覚が失われたら読書も映画もできないし、人の顔も判別できなくなるのですもの。

ちょっと話がずれてしまいましたが、ものが見えるというのは、目から入った情報が網膜で像を結び、そこで電気信号になって神経細胞を伝わって脳まで届き、そして脳の視覚を司るところで「見る」ということになるのですね。
つまりいくら網膜に像が写っていても、脳が働かないと、ものとして見えないということ。

その網膜には神経節細胞、アマクリン細胞、双極細胞とかあれこれ難しい名前の細胞が層になっているそうです。
このあたりの説明はちょいと難しいのでパスしますね。


ひとつだけ大切なこと。
それは二つある目のうち、右側の目に入った情報は脳の中では左半球のほうに反映され、反対に左側の目の情報は右半球の脳に反映される、ということ。
つまり鼻の後ろ辺りで像が交差しているらしいの。

この最初に情報が届くところが第一視覚野というところなのだけど、脳にはこれ以外にもあちこちに視覚の働きをするところがあるとのこと。
そこではもっと高次の働きをしているそうです。
そのことは「脳科学のお勉強 1」にも書いたので、そこを見てね。

そういうふうに情報がいろいろと判断されるのだけど、それでは情報はばらばらよね。だからこんどはそれを統合しなくてはならないわけね。
つまりどんな色であるとか、どんな形であるかを総合的に判断するのよね。

田中先生はこの後で、いろんな実験の成果を書いています。

たとえば、被験者に、人間、動物(サルや鳥など)、生き物でないもの(車とか)1000個のものをばらばらに見せて、それがどの細胞に対応して反応したかの実験をしたそうです。
すると、顔に反応するところ、動物に反応するところ、非動物というカテゴリーに分類されるそうです。

そういえばね、私はかつてアフリカに住んでいたのだけど、アフリカに着いた当初は周りの人はみんな同じ黒人に見えたのよ。
それが時間がたつにつれて、同じアフリカの人も種族によって顔が違うこと、同じ種族によってもハンサムな人とそうでない人が分かるようになってきたの。
これって、アフリカ人の中でも、カテゴリー化ができてきた証拠なんでしょうね。

たとえば日本人と韓国人の違いって、私たちならなんとなく分かるのだけど、スウェーデン人とフィンランド人の違いは分からないわね。
でもスウェーデン人なら違いが分かると思うのよ。
そんなふうに接触する時間が長くなると違いが分かってくるのよね。


田中先生は視覚の話の次は、「注意」ということにも触れています。

その中でも有名なのがパーティ効果ということ。
これはよくある話で、どんなにざわざわとしているパーティ会場にいても、自分に関係のある話題だと、ちゃんと話が聞こえるのよね。
これがパーティ効果というそうなんだけど、とくに自分の名前が聞こえてくると、そのときだけ耳がそっちに行ってしまうことって、よくありますよね。

そういう注意が頭の中のどの部分に関係があるのか、ということも研究されているそうよ。

ふー、この章は専門用語が多くて、ちょいと難しくて、私にはお手上げでした。

2008年1月30日水曜日

王朝の恋


顔がしもぶくれのせいか、平安時代の絵巻物は共感するところが多いの。

今、出光美術館で「王朝の恋」という展覧会をしていて、まさに平安時代の人が主人公なので、行ってみました。

出光美術館は帝劇ビルの9階にあります。
さすがにエレベータ扉にも螺鈿細工がされているみたいで、素敵でした。

「王朝の恋」は「むかしおとこありけり」で有名な在原業平が主人公の「伊勢物語」が書かれている絵巻や草紙の絵を集めた展覧会。

伊勢物語って、あの源氏よりも昔に書かれたものなんですってね。
今年は源氏1000年だそうだから、それよりも前ということは、伊勢物語は1000年以上前に書かれたもの、ということね。

高校の古典の時代に習った「筒井筒」や「東下り」くらいしか知らなかったのだけど、伊勢物語にはすごくたくさんのお話が詰まっているの。

幼馴染の恋、忍ぶ恋、夫婦の恋などいろんな形の男女の恋を描いているの。
やきもちもあるし、不倫もある。
それって1000年以上もたった現代と、本質的にはちっとも変わらないのよね。

そういった平安時代のお話を江戸時代の画家や現代の画家が蒔絵や屏風や色紙に描いているの。

なんと、先日、京都で見た俵屋宗達もたくさん描いているのよ。驚き。
京都では「風神雷神」というどちらかというと力強い絵の屏風だったのだけど、伊勢物語では平安の貴族を描いています。
同じ作家でもこんなに作風が違うのだなと思いました。

それにしてもなんと美しい絵なんでしょう。
とくに江戸時代の酒井抱一という画家の描いたものは、みんな素晴らしかったわ。

絵巻や屏風、草紙などいろいろな形でしたが、色のきれいなこと。
十二単や狩り衣はもちろんきれいだけど、それ以上に御簾のグリーンがきれいでした。
そしてさまざまな植物。
とくに杜若のあざやかな花と葉の色。
あまりに美しいので、お土産に絵葉書と全集を買ってしまいました。

こういう美術品がちゃんと保存されていて、今でも目にできるというのは、幸せなことだと思ったわ。

2008年1月29日火曜日

すてきなおじ様


「ねぇ、ねぇ、聞いて聞いて・・・・♪」というのは私たちのラジオ番組の最初のナレーションなんだけど、今日、見かけたおじ様のこと、聞いて欲しいの。

それはね、あたふたと京王線に乗り込んだら、目の前に座っている人の胸の辺りに、ピンク色の牡丹の絵柄に目が入ったの。
ピンクというよりも、桃色って感じの和風なテイスト。
濃いピンクの牡丹、淡いピンクの牡丹、そして白の牡丹に緑の葉っぱ。
絵柄には金色のふちどりもあって、そりゃあ豪華で、成人式のお嬢さんが着るようなデザインのシャツでした。

そしてだんだん目を上のほうにずらしていくと、そのシャツの中にはオフホワイトのタートルネックのカシミアっぽいセーター。
うーん、憎いわよね。タートルネックのセーターの上にピンクの牡丹のシャツよ。

私は電車の中にいる、ということもしばし忘れて、その人を観察することにしたの。
牡丹のシャツの上にはグレーのざっくりとしたコート。
そして黒の皮のパンツ。皮のパンツをはくおじ様なんて、少ないわよね。
足元は黒のアンクルブーツ。

目をそっとお顔のほうに上げてみると、白いあごひげをはやして、髪はグレーヘアー。
うーん、サマになっているわ。
そしてシルバーのめがねをかけて、黒の中折れソフト帽をかぶっているの。

へへ、よく観察したでしょ。

そしてその人は英語がプリントされたA4の用紙を何枚も手にして、ボールペンでチェックをいれているのよ。多分、そのボールペンもブランド品かもしれないわ。

どんなお仕事の人なのかしら、と思ってしまったの。
デザイン関係の人なのか、芸術家なのか。

お年はそうね、私の研究室の教授と同じくらいかしら。

教授の場合は、そのお人柄と才能とフルマラソンを完走する体力はすばらしいのだけど、いかんせん、ファッションにはまるで縁遠いお方。
私が知っている限り、この9年間は、冬というと、どよーんとしたあずき色のセーター姿しかお見受けしたことがないくらい。
そのセーター姿を見ると、「ああ、もう今年も冬なんだわ」と思い起こさせるほど、とにかく同じスタイルで、気にされない方なのよ。

そんな職場にいるので、ピンクの牡丹には目が点になってしまい、思わず携帯を取り出して、どんなスタイルなのか、メモに残しておきました。

こういうセンスの良さは、どこで仕入れるのかしら・・・
なんて思っていたら、そのお洒落なおじ様が明大前で下車される様子。
すくっと席から立ち上がったおじ様は、そうね身長が190センチくらいありそうで、まことにご立派。

ところがね、私、見ちゃったのよ。
そのおじ様の後姿を!

なんと、黒い帽子の下に見えていたのは、100円均一でも売っているような赤い輪ゴム!
それで長めの髪の毛をまとめているの。ちょんまげみたいにね。

なんで、輪ゴムなのよ!

もう、それでがっくり。

おしゃれを貫徹するのって、難しいのね!

アイロンの日々


このことを人に話すと、「えー!」と驚かれるか、あるいは小ばかにされるのかのどちらなのだが、私は洗濯物のすべてにアイロンかけをしないと気がすまない体質の人間。

そういう体質になったのは、ほぼ30年前のアフリカ生活体験から。

今はどうなっているか分からないが、私がアフリカの某国に住んでいた当時は、恐ろしいツェツェバエというのがいて、それがヒトに悪さをするのだという伝説があった。

現地に到着したばかりの日の浅い新人は、滞在年数が長い(といってもそんなに違いはないのだが)奥様や先輩たちからいろいろなレクチャーを受ける。

たとえば、現地の使用人はみんな悪いヤツという前提を話してから、どの部屋にも必ず部屋をかけなくてはいけないとか、冷蔵庫にある卵は使用人が盗むからサインペンで番号を書いておけ、とか、ジュースのビンには線を引いて、何CC減ったか分かるようにしておけとか・・・・。

私はそういう先輩マダムの言葉を好きになれなかったおかげで、「今度来た若い人ったら、私の言うことを全然聞かないんだから!」といういじめにあってしまった。

そんな先輩マダムの教えだったが、これは反抗してはマズイ、と思ったのが、ツェツェバエの怖さだ。
ツェツェバエは洗濯物をどんなによく干しても、洗濯物に卵を産み付けるというのだ。
そしてこれは本当にあった話よ、ということで、そのYシャツを着たある人が、ある日、自分の腕を見ていたら、そこには卵から孵化したハエが、皮膚の下でうごめいていたというのだ。

その伝説には尾ひれが付いて、どんどんと、ものすごく怖~い話となって、先輩には反抗的な態度をとる新人にも脅威となっていたのだ。

そして恐ろしいハエの卵を殺すには、すべての洗濯物に高温のアイロンかけをすること、という秘策が伝えられるのだ。

とはいえ、何も自分でアイロンかけをすることはない。
アイロンをかけるのはメイドさんだから、「これをアイロンかけしておいてね」といえば、それでOK。

ということで、くそ暑いアフリカ生活だったが、いつもタオルやシーツや洋服はパリッとアイロンかけをされていて、それだけは気持ちよく暮らせていた。

そんな生活が3年続いたおかげで、アイロンはすっかり私の生活の一部となってしまった。

帰国後も生活環境は何回か変化があったが、アフリカで身に付けたアイロンかけだけは、私の身体の一部となっている。

大きなシーツからYシャツ、Tシャツ、パンツにブラ、パンストに至るまで、温度調整をしながら、せっせとアイロンかけをしているのだ。

忙しい毎日の中で、アイロンかけの時間だけが、私の頭の自由空間となる。
手は動かさなければならないけれど、心は自由。

アイロンタイムは、その日にしなければならないこと、忘れそうになった出来事を思い出させてくれる貴重な時間なのだ。

2008年1月27日日曜日

今も昔も・・・・・・


昔、アフリカに住んでいた時、それは大変な生活環境だった。

停電、断水は日常茶飯事、マラリアの心配やら強盗などの怖い話もしょっちゅうだった。
それに日本食などめったに食べられる機会もなかった。

とはいえ、それは公式的な話であって、男性は仕事で大変かもしれないが、日本では想像ができない程の広い家に住み、家事はみんなメイドさんがしてくれるし、奥様方にとっては天国のような毎日であった。

朝からテニスに熱中したり(昼は暑くてできない)、大使公邸でブリッジに興じたり、コーラスグループに参加したりと、優雅な時間を過ごしていた。

とはいえ、私はメイドやガーデナー、ドライバー達からはマダムと呼ばれてはいても、遊んで暮らしているだけでは満足できなかったので、親しい友人と奥様向きの日本人向き新聞を発行していた。

当時、私は子どももいないし、公的なパスポートや公用車を持つ身分であった。
そんな環境だったので、普通の駐在員の奥様よりも比較的、自由に外出することもできた。
その市では、曜日により、通行可能な車のプレートナンバーが決まっていた。
月水金は奇数ナンバーとか、そんな規制があったと思う。
ところが公用車ならいつでもOK。行動範囲も広げられるのだ。
またメーカーや商社の駐在員だと、乗る車までが、その会社の系列の車にしなくてはならないとか、いろんなしがらみがあったようだ。

というので、あまり外の世界を知らない奥様向けに現地の道路情報を書き込んだり、医者情報や買い物情報を書き込んだりして、けっこうその新聞が役に立ったという言葉を頂いていたと思う。
こうして振り返ってみると、どこにいても情報発信をしたがるのは、今と変わらないかもしれない。

新聞のことはさておき、そこの日本人村にはとても素敵な奥様がいた。
ホンダの駐在員の奥様だったが、その人は手芸や料理にかけては本当に素晴らしい技を持っていらっしゃった。
彼女が自宅を開放して、押し花、デコパージュなど、いろいろと教えていただいた。
もちろん材料は限られているが、それでも身近なものを美しく変身させる天才だった。
どんな布切れでも、どんな葉っぱでも彼女の手にかかると、すてきなオブジェとなってしまうのだった。

天候を初めとして、もろもろの条件の悪い国に住んでいたものだから、誰でもが不平不満は抱えていた。
しかし、そのホンダ夫人は小さな子どもまでいるのに、彼女から一度として不満の声を聞いたことがない。
あれがない、これができない、という環境の下で、そこにあるもの、そこでしか手に入らないものをうまく使って、見事な作品を作り上げていたのだ。
どんな環境に住んでいても、美しいものや可愛いものを愛し続ける姿勢はそのホンダ夫人から学ぶところが多かった。

さて、それから歳月は流れてウン十年。
今ではどういうわけか、仕事の合間に、ラジオ番組を制作するおばさんとなった。
忙しさもあるのだが、少しは時間ができたので、またそろりそろりと手芸に挑戦する余裕も生まれてきた。
やはりきれいなものに触れるのは楽しい。

センスのなさや、不器用さは昔と変わらない。
それ以上に、今では老眼の苦労も追加している。

とはいえ、ちょっとした可愛いもの、きれいなものを作ることは、楽しみのひとつなのだ。

2008年1月26日土曜日

冬の京都を歩くコツ


京都の旅行ガイドで何といっても一番多いのが紅葉の季節のご案内。
それについで多いのが桜の季節のご案内。

ところが今回出かけたのは冬の京都。
あまりお勧めスポットは見つからないのよね。
せいぜい見所は「雪の金閣寺」くらいかしら。

まあ、それはそれとして、冬の京都を散策するには何が必要か、ということはガイドブックには一切書いてなかったのよ。

それで京都住人からのメールのアドバイスに従い、とにかく厚着をしていくことにしました。
東京に住んでいる時には1年に1回も手を通さないようなモコモコのダウンコート。
それに毛糸の帽子をかぶってブーツを履いてさあ、お出かけ。

でもね、冬の京都に必要なのは分厚いコートよりも、分厚い靴下が必要だということに気が付きました。
床張りのお寺に上がることが多いので、タイツくらいでは足がひえひえになって、対抗できないのでした。

京都大学の百周年記念館の地下にあるコンビニや、京都駅前のコンビニでソックスを買い求めました。
なんで京都まで来て、こんな日常品の買い物をしなけりゃならんのか、と思いましたけど、冷えには勝てませんものね。
でもソックスを履いても、足の裏が冷た~い。
ということで冬の京都を訪問する時は、遠赤外線入りで、おまけに唐辛子入りの分厚いソックスがオススメ。

それと冬の京都で失敗だったのは、ロングブーツ。
お寺さんに上がるということをすっかり忘れてしまったのがウンのつき。
靴脱ぎ場で中腰の姿勢になり、ブーツのファスナーを下げたり、上げたりはほんとに辛いわ。
ソファでもあれば楽なのに、お寺さんにはそういう設備を求めてはいけないのよね。
ということで、冬の京都を訪問する時は、ショートブーツがオススメです。

もうひとつのアドバイス。

雪の京都はよかったけれど、これが曲者なのよ。
ひらりひらりと粉雪のように舞ったかと思うと、急にぱーっと青空になり、まあ、まるでウィンドウズの雲の壁紙のようだわ、と思って嬉しくなっていると、こんどは空が真っ黒になって薄暗くなるね。
まあ、なんて浮気なお天気なのかしらと思うと、それがまた雪になり、コートや帽子にぱらぱらと落ちてくるのよ。
それが10分と続かない。
こんな変化に富んだお天気は東京ではありえないわ。

だから雪の京都には傘は無用です。雨に降られるよりはずっとましですけどね。
それに東京みたいに空っ風がないから、ぞくぞくするような寒さはなくて、心地よい寒さでした。
同じ冬のお天気でもこんなにちがうものなのね。

*****

さて、お散歩は金閣寺から。ここは誰でも知っているほど有名なお寺だけど、修学旅行生がたくさん来ていて、きんぴかはきれいだけど、ちょっと落ち着かない雰囲気かしら。








金閣寺の後はきぬかけの道を通って竜安寺。ここの石庭は超有名。石は全部で大小あわせて15個置いてあるんですって。それが全部一度に見渡せる場所は一箇所しかない、とかガイドさんが説明していました。
しだれ桜の季節はみごとだろうな。

雪がはらはらと舞い降りて、しっとりといい雰囲気でした。









それとここの売り物は銭形のつくばい。
我唯足知という文字が刻まれていて、かの水戸黄門様が寄進されたものだとか。
秀吉が褒め称えたと言う侘助もひっそりと咲いていました。








このあたりが竜安寺の見所でしょうが、でも少し足を運んだところにある池の周りの風景がすてきでした。
その時は、空が急にぱーっと明るくなり、周りの山々が水面に映り、竜安寺というよりも、どこかの山にある湖のようで、見事でしたわ。


きっと秋や桜の季節はもっとくっきりと映るのでしょうけれど、枯れた木に柿の実がひとつ、ふたつと残っているのはいいもの。俳句などの心得がある人ならきっと一句できるのだろうな。

冷えた身体を温めるためにお茶席でお抹茶を一服。ああ、おいしい。



さてさて、お次はもう少し足をのばして仁和寺へ。
仁和寺というと古典の時間に習った吉田兼好の徒然草に「仁和寺の和尚」というのがあったのだけど、どういう話だったかすっかりわすれてしまったの。こういう話でした。

http://www.jttk.zaq.ne.jp/baapu408/ninnaji-hoshi.htm

なるほど、少しのことにも案内者が必要だという話だったのね。

仁和寺には立派な五重塔があり、黒々としていて風格がありました。
建築技術も今のように機械化されていない時代に、どうやって36メートルもある塔を作り上げたのかしらね。
仁和寺の御殿は書院造というのかしら。うーん、なかなか立派なもの。
ここのお庭もみごとなもので、左近の桜、右近の橘も植えられていました。
そういえば、もうすぐお雛さま。2月になったら出してあげないと。

ここまでを一気に歩いて、さすがに疲れてお昼の休憩。
ちょっと隠れ家風の小さなお店でしたけれど、京都の味を堪能できました。ゆっくりと味わったので、写真はなしよ。
有名料亭で修行をした若いご主人と、美人の女将さんが切り盛りしていて、お客様を心ゆくまでおもてなしをするというお店でした。

午後は洛東にある建仁寺まで。ここは京都最古の禅寺なんですって。
歌舞練場の近くにあるのだけど、どういうわけか競馬の場外馬券場が隣にあって、なんとも異様な雰囲気。
どうして規制しないのかしら。
ここにはかの有名な俵屋宗達の「風神雷神」の屏風もありました。
それと2002年に開創800年を記念して描かれたという、畳108枚分の二匹の龍が天井に描いてあるの。これは雄大でした。寝転がってみるといいようですよ。
建仁寺ではカメラを取り出すのも、ちょいと面倒になったので、写真はなし。

お寺さん巡りはここまで。
後は四条河原町あたりのおみやげさんを覗いてみたり・・・。
そして雪が降ったりやんだりは一日中。

私のお目当ての辻利もありましたけれど、若い女の子の行列に圧倒されました。
辻利は汐留にもあるそうだから、抹茶パフェはそちらで我慢しましょう。
気が付いてみたら、今日は土曜日だったのです。お店が混雑するのも当然かもね。

結構よく歩きましたね。
普段はせわしない生活でチャリばかりですけれど、、京都に来た時くらいは木々の緑を眺めながら歩いて見なければね。

この次はそうね、桜の季節が終わって、観光客が少しは少なくなった頃にでもまた京都を訪れてみたいな。

京都のみなさん、またお会いしましょうね。

2008年1月25日金曜日

雪の京都に来ています

<携帯電話からの投稿です>

早朝ののぞみに乗って京都駅に到着。

雪が舞っています。

市バスで憧れの京都大学へ。

物理学のS先生に会いに来たのです。
先生の部屋からは大文字焼きの字が真正面。
お昼もご馳走になりました。
ごちそうさまでした!

雪は時にやんだり、また降ったり。

その後は重森三玲庭園へ。昔は宮司さんのお家だったところ。
吉永小百合のAQUOSのCMで有名になったところです。

庭園を後にして、それからは秘密のひとときを過ごしたのでした。

<追加>
京大にはあって、私の職場にはないもの。

大学の規模も歴史も質も違うから、単純に比較するのは無理だろうけど、まずは食べ物系。
京大には学生向き、先生向き、貴賓客向きといくつかの食堂がある様子。
私の職場にもお洒落なカフェがひとつくらいはあってもいいのに。
あるのはダサい生協食堂だけ。まあ、安いから文句は言えないけどね。

それと生協に置いてある商品ももう少し何とかならんのか!
最近は女子学生も増えたので、少しはましになったけど、前は女性用の商品など皆無で、靴下が伝線しても、駅前のスーパーまで行くか、普段からロッカーにストックしておくより仕方ありませんでした。
それに比べて、京大の生協はそこらへんのスーパーよりもずっと品揃えが充実していて、「お買い物」という雰囲気があるのよね。
ああ、羨ましい。

100周年記念時計の下には、京大グッズを売るコーナーまでありました。
京大特製の生八橋を職場の学生のおみやげにしました。
(中身は同じだろうけどね)

それと構内のタテ看!
私が学生時代だった頃に見た階級闘争のタテ看もまだ健在で、うーん、懐かしくもありましたわ。
あの文字を書くのも一種の才能なのよね。

私の職場ではせいぜい新入生歓迎のころに部活のタテ看を見るくらい。
今の学生に、闘争意識なんてものは、求めるほうが無理なんだろうけどね。

2008年1月23日水曜日

雪の日の収録


北国の人には笑われてしまうだろうが、今日は東京に2年ぶりの雪が積もった。
そんな日がラジオの収録日となってしまった。

私たちのラジオ収録は月にほぼ2回していて、スタジオにある機械を借りる日と、自分達で機械を持ち込む日がある。
機械というのは、音声を取り込むときのミキサーと、マイク、それにコード類だ。結構重くてかさばるシロモノだ。
そしてそれらはいつもメンバーのうち、車の運転ができる人が運搬を担当している。
ところが今日に限って、車が使えなくなった。
とうことで、雪の日に機械をかついでスタジオに入ることになった。

インタビューのゲストにも雪のためにご苦労をかけたと思うが、天候ばかりは仕方がない。

雪で身体も冷え、口もなめらかに動かない。
ゲストの緊張をほぐしていただくために、収録前にはしばしのおしゃべり。
そして本番となったが、マイクを通していろいろなお話が聞けた。

今日のゲストはふたりとも女性だったが、期せずして共通点が感じられた。

おひとりは小学生のお母さんでもあるが、トールペイントというご自分の趣味を生かして、それを教えている方。
もうおひとりは長い間、会社員と主婦業の両方をしていらしたが、早期定年退職をされた後は、自由な時間を確保して、それを投書という形でご自分を表現されている方。

お二人とも、ご自分の生活の身の回りにあるモノや出来事に対して、ご自分のスタイルでひたむきに打ち込んでいる。
しかし妙に肩肘を張らずに、さりげなくそして爽やかに生活を楽しんでいる様子だった。

私はゲストのお話を聞いていていて、つくづく、今は女性の時代なのだなと思う。
男性には、このように自分の生活の中から楽しみを見つけていく、という人はまだ少ないのではないだろうか。

私たちの母親くらいの世代では、女性の生き方も制約があったと思う。
しかし今では、ある程度は自分の選んだ好きなことができるようになってきた。
女性にはいろいろな可能性が含まれているのだ。

収録後には雪はやんで雨になっていた。
また重い機械を担いでスタジオを後にしたが、ゲストのお話に心を動かされて、私の心は暖かくなっていた。

2008年1月22日火曜日

十人十色


今日は「カラーセラピー」の講習会というのがあるので、どんなものかと思って、興味半分で参加してみました。
自分に似合う色を見つけてくれるのかな、なんて単純に想像していたのだけど、そうではなかったの。
自分が選んだ色によって、その人の本当の自分が分かる、というちょっとオカルト的なものでした。

まずは、色の心理分析をする講師が色についてのお話をしました。

そして実際に自分で好きな色を選んだ後で、その結果を先生が分析してくれるというの。

香水のビンのような形のものが10色くらい置いてあったかしら。
その中で、好き嫌いは別にして、いちばん気になった色、2番目に気になった色、3番目に気になった色を選んでくださいというの。

えー、迷いますよ。
直感でいいといわれたのですけど、うーん、どうしようかな。

エイヤッと、3種類選びました。

そうしたら講師は、まず最初に選んだ色はあなたの過去や本質を表している色だというのよ。
私は単にきれいで目立っていたからとオレンジを選んでしまったわ。
2番目に選んだ色は、現在の心境を表しているんですって。
これも単にきれいだったので、グリーンにしてしまったわ。
そして3番目に選んだ色があなたの未来を表しているとのこと。将来の可能性が分かり、道しるべになるというの。
これは割りと自分の好きな色のバイオレットにしました。

それにしても、なんというちぐはぐな傾向なのかしら。

そしてその結果を見て、講師が参加者一人ひとりに色分析をしてくれたのよ。

まあ当たっているところもあったし、そうかなと思うところもありましたね。
だって、「あなたは今までに美に関心がありましたね」なんて言われても、そうかな、と思うばかり。

でも「人と交流するのが好きでも、ひとりでじっと何かをしているのも好きなんでしょう」と指摘されたところなど、当たっていましたわ。

占い師ではないのですが、どんな色を選んだかによって、その人のことがある程度、分かるというのもうなずけましたね。

******

後半は、自分で好きな天然石を選んで、それでパワーストーンのブレスレットを作るという工作教室。

今度はべつのアクセサリー関係の人が講師でした。

目の前に15種類の石が置いてあって、まずはどれでも自由に並べてくださいというの。

おもしろいことに参加者によって、石の選び方がさまざまなのです。

石にはどんな効用があるのか説明が書いてあるので、それを見てから選ぶ人が多かったな。
みんなが興味を持っていたのが、健康運。
それにどんな石にしようかと、すごく悩んでいるのよ。みなさん、色の順番など何回も変えていました。

でも、私はまるで石の持つ意味など考えずに、好きな色をさっさと並べてしまいました。
いい加減な性格だというのがよく分かりますね。

私が選んだ石は、アメジスト、ピンクパール、それにラブラドライトという材料でした。
後になってどんな意味を持つのか調べてみたら、恋愛運と自己の癒し、そして健康運という石を選んでいたのでした。
単に好きな色を選んだだけなのに、こういう潜在的な意識があったのかな~。


そして今度は留め金をワイヤーに通して、手首に当ててみて、気に入ったらそれをちゃんとワイヤーに通すという作業。
その後、ペンチを使ってちょっと老眼の人にはキツイ作業をしました。


半分お遊びの体験でしたけど、何が面白いって、手首の周り17センチほどを15色のうちから選んでいくのだけど、誰一人として同じパターンがなかったこと。
数学的な組み合わせだったら何通りになるのかしら。本当に「十人十色」だと思いましたわ。

自分だったら、絶対にこんな色は選ばないだろうな、と思っている石を選んだ人もいるし、組み合わせもまるで違うの。

センスのなさも分かってしまうのだけど、自分で選んだのだから仕方ないわね。

お守りとしていつもつけていましょうか。

2008年1月21日月曜日

ようやくHPの閲覧・試聴がOK


私たちのラジオ番組はローカルFM局で放送しているので、遠距離の方には聞いていただけないという欠点がある。

また放送時間が日曜日のお昼と、再放送が早朝というため、なかなか時間帯が合わずに聞くチャンスを逃してしまう方もいる。

実際の放送時間は15分間なのだが、インタビューの部分の12分間だけでも、そんな方のためにホームページでも音声を聞いていただけるようにしている。

ところがこのホームページが昨年の12月中旬から更新ができない状況になっていた。
サーバーの移設のためでありました。

ようやく今日になって、1ヵ月後にその設定もきちんと直すことができました。
あー疲れた!

2008年版になりましたので、どうぞお聞きください。

毎週、毎週更新するのは手間がかかりますが、せっかく制作した音声を多くの方にも聞いていただきたいので、がんばっています。

みんなdeねっとのHP
http://chofu.com/minnadenet/

でも職場のほうの私のページは、まだサーバーが復帰できませんの。

2008年1月20日日曜日

収録後のあれこれ


私たちのラジオ番組は生番組ではない。
生で真剣勝負、というのもいいかもしれないが、そこまでしゃべりがうまくないのだ。

だからインタビューを収録した後は、PCで音楽ソフトを使って、音声を編集している。

そしてそれに前後のナレーションやBGMを追加して、15分の一つの番組に仕上げている。

前回の放送は、私が担当したゲストだったのだが、昼間の放送時間帯に聞けなかったので、今朝は早朝5時から再放送を聴くことになった。

編集の時に何回も聞いているのだけれど、それにしても自分の作品に納得がいかない。
しゃべり方が早口すぎたり、編集でカットした部分が「ブツッ」と音がしたり・・・・。
5年もやっているのに、なかなか納得のいく番組にはならないものだ。

さて、今日のお昼の放送は、私が住んでいる町の町内会長さんがゲストだった。
というので、そのときにインタビューしたメンバーのMさんと一緒に、その町内会長さんの事務所まで出かけて、そこでラジオを聴いたのだ。
ところが音がすごく割れていて、雑音もひどい。
これじゃあ、たまらない。
私が技術担当だったので、とても気になる。
試聴した時には大丈夫だったのに。

ちょうど放送に使ったCDを持参していたので、CDでも聞いていただいた。
こちらは正常。
CDジャケットの似顔絵はとても気に入っていただいたようで、ほっとした。

町内会長さんの事務所を後にして、今度は次回の作品を納品するためにFM局まで出かけた。
2月の2回分の納品をした。

ゲストはオートバイ(ラビット)専門の自動車屋さんと、舞台女優さん。
私は女優さんが担当だったが、やはりしゃべり方がまるでプロだ。
よく声が通るし、話しもきちんとしている。
私も少し勉強しないといけないな。

今日の町内会長さんの音声が気になったので、FMのスタッフのお兄さんに音声を確認した。
受信機にもよる、と言われて少しは安心。
あまり使われていないようなラジオだったもの。
でも、いつまでたっても、音声の作り方は難しいものだ。

納品してほっとした後は、ゲストのお店(漢方薬局)に出かけたが、あいにくと日曜日で閉店だった。
美肌によい、というお茶を買いたかったのだが、それはまた今度にということになった。

ちょっと休憩をして、一緒にでかけたメンバーのMさんと、これからのゲストを誰にしようか、とかあれこれ打ち合わせ。

お互いに「どうして私たち、こういうことをしているのかしらね」と話し出す。
編集に時間を取られたり、パソコンの調子が言うことを聞かなくなったりして、家事ができないこともあるのに。
それでも続けているのは、
「やっぱり楽しいからでしょうね」ということなのだろうな。

今、困っていることはラジオ番組のホームページのこと。
こちらでは何回も更新しているのに、サーバーが移設したとかで、更新がまるで反映されていないのだ。

もう2008年も20日もたったというのに、未だに12月の情報しか見られない。
なんとかしてほしい。

はたから見れば、インタビューをしているだけで終わりに見えるかもしれないのだが、実情はそうではないのです。

あれこれしなければいけないことも多いのです。

2008年1月19日土曜日

センター試験


そういえばね、今日からセンター試験。私の職場でも昨日から準備をしていて、受験番号の書かれた立て看板が出ていました。

私の所属する研究室の助手さんも、試験監督に借り出されています。

例の評判の悪いリスニングテストの監督だそうで、「いちゃもんをつけられたら嫌だな」と言っていました。
監督官の歩く靴の音がうるさかった、とかいう文句を言う親がいるんですって。

それにしても入試のときって、本当に寒いわね。今日は晴れていたから良かったけれど、よく雪も降ることだし。

私などはセンター入試はもちろんのこと、その前の共通一次も知らない世代。

私たちの頃は、大学は国立一期校、二期校って言っていたのよ。

私も受験のときは、英国数社理ぜんぶの科目で受けましたよ。英語に国語は古典も漢文と現代国語、数学は数ⅡB、それに世界史日本史生物で受験したんだったわ。

今の入試って、全然制度が分からないのだけど、やはり何科目も受けるのかしら?

その時の試験は毎日、朝から午後まで、3日間くらい続いていたと思うわ。

隣に座った男の子から、パチンコで勝ったとかいってチョコレートを貰った記憶があるの。

もう何十年も前のことだけれど、不思議と忘れていないものね。

2008年1月18日金曜日

おすすめの映画でした!


今日はね、職場もすごく寒かったし、急ぎのお仕事もなかったので、早退してしまいました。
そういう融通が利く職場なので、私としては助かっています。

それで行った先はパルコキネマのイブニングショー。
1500円だったけど、すごくよかった!
終わっても席から立ちたくなかったもの。ずーっとその雰囲気に浸っていたい映画でした。

今年一番の映画よ。
と言っても、今年になって映画館で見たのが今日が初めてだから比較しようがないけれど、最近見た映画の中ではサイコーでした。

私の大好きな作家 浅田次郎さんの原作で、宮沢りえが主演の「オリヲン座からの招待状」
昭和30年代の京都が舞台です。

京都と言うと華やかなところやお寺さんばかりを想像するけれど、この映画の舞台は京都でもひなびた下町風なところ。
昭和25年にそこにできた映画館が主役。
初めは宇崎竜童がそこの館長というか映画技師で、宮沢りえと夫婦でやっていたの。
当時は映画館の入場料が70円だったらしいわ。

そこに加瀬亮という若者が加わるの。
(彼は「それでも私はやっていない」や「めがね」の印象が強すぎて、17歳のシーンは無理がある)

そして物語が始まるのだけど、宇崎竜童もいい味をだしているし、宮沢りえもすごくきれい。(足が細すぎるのは難点)
それに画像というか色調がとても落ち着いていて、すごくなじめるのよ。
ああ、昭和の時代って、こんなスカートをはいていたんだとか、懐かしさがいっぱい。

「3丁目の夕日」もそうだけど、最近、昭和30年代の映画って多いわね。
CG技術が発達しているから、本当にその場にいるように感じられるの。

そして宇崎竜童が病気で死んだ後、いろいろとストーリーがあって、現代になるんだけど、宮沢りえは年を取ると中原ひとみになって、加瀬亮は原田芳雄になってしまうのよ。この配役はちょっとギャップがあるわね。

でも、そういった難点がいくつかあるのだけど、例によって子役が出てきて、これがほんとに可愛い。

この子役の子どもが大人になると、樋口加南子と田口トモロヲになるのだけど、そういえば、私、昨日は美容院で髪を短くカットしたのだけど、樋口加南子みたいにもっと切れば良かったわ。
(彼女みたいに美人でないと、ベリーショートは無理かな)

映画の中で、一番すてきだったのは、蛍のシーン。
蚊帳の中に入っている宮沢りえと、蚊帳の外にいる加瀬亮がふたりで蛍の飛ぶのを見ているの。
きれいだったわよ~。

そうよね、昭和30年代って、蚊帳もあったし、都会にも蛍が飛んでいたものね。

音楽も素敵だったし、京言葉も自然に聞こえたし(東京人には分かりませんが)、絶対にイチオシの映画です。
特に50歳以上の人には見てもらいたい。

劇中映画シーンとして、「二十四の瞳」とか「君の名は」とか「無法松の一生」などという映画がじゃんじゃんかかるので、もう少しお年の人には懐かしいと思うだろうな。さすがに板妻の映画は覚えていないけどね。

「オリヲン座からの招待状」は1月25日までパルコキネマで上映。
3時30分と5時45分の2回しかないので、注意してね。

日本版の「ニューシネマパラダイス」とも言えるベリーグッドの映画でした。

そうね、杉並区に生まれ育った人なら知っているかもしれないけれど、阿佐ヶ谷にあったのが「オデオン座」。
誰か覚えている人、いるかしら?

来週、京都に行くのがもっと楽しみになってきたわ。
でもこの映画、夏のシーンが多いので、冬の京都はちょっと同じシーンは期待できません。それが残念です。

2008年1月17日木曜日

これって あり?


そういえばね、某大銀行に口座を持っているのだけれど、ずっと記帳をしないでいたのよ。

普段の取引は給与振込、携帯電話代などの引落程度だから、ネットバンキングで確認していただけなの。

でもネット上で「記帳をしてください」というメッセージが頻繁にあるので、通帳を持って銀行に出かけて記帳をしました。
そうしたらある年月日からある年月日までは「おまとめ」とか書いてあって、一つ一つの詳細がまるで分からずに何十万円もガクッと引かれているじゃないの。

いちいち、金額をチェックするわけではないけれど、これじゃあ、何のことだかまるで分からないでしょ!

それで銀行の案内係に尋ねたら、印鑑を持参しないと詳細は教えられないというの。

それで仕方なく、印鑑を用意して、昨日再び、銀行に出向いたわけ。

そうしたら何やら書類に記入をさせられて、明細なんとか依頼書というのを提出したのよ。

私としたら、その場で明細が分かると思っていたのね。
でも銀行の人が言うには、「明細内訳がご用意できるまで、1週間か10日かかりますが、どうなさいますか? こちらにご来店されますか、それともご自宅にご郵送いたしましょうか」と言うのよ。

銀行はそれほど遠い場所にあるわけではないけれど、でも自分の通帳なのよ。
その詳細を教えてもらうだけでどうして10日も待って、私がわざわざ足を運ばなければならないの?

だから郵送してもらうことにしたの。

でもこれっておかしくない?
通帳を機械に通せば、その場でパタパタパタと印字できるのに、どうしてカウンターに依頼すると、10日も待たなければいけないんでしょ!

銀行の人は50件以上たまっているからと言っていたけど、おまとめは21件と書いてあったのよ。

いくらこちらが記帳をしなかったとはいっても、もう少し迅速なサービスをしてもらいたいわ。
まあ、手数料を取られなかっただけ、ましなのかしら。

でも納得いかないなぁ。

2008年1月16日水曜日

データマイニングのお話


今日はちょっと久しぶりに、神保町の国立情報学研究所でお勉強をしてきました。

ここでは市民講座という無料の勉強会を開催しているのだけど、進行役のI先生が若くてかっこいいのよ。ちょっとお仕事の関係でメールではお付き合いがある方なの。

市民講座の今年度のテーマは「社会と繋がる情報学」というシリーズで、今日の講座は「社会を探るデータマイニング~データの山から新たな発見!~」
講師は情報工学や人工知能が専門の先生でした。

あのね、データマイニングという言葉は知らなくても、たとえば毎日、スーパーやコンビニでお買い物をするとき、レジでPOSシステムという機械で商品をピッとするわよね。
あれは単にお金の計算を早くすると言うだけでなく、どんな商品が売れ筋なのか、どんな商品を組み合わせて買うお客さんが多いのか、というデータを取っているの。
特にコンビニだとお客さんの性別や年代も入力しているのよね。

つまりどんな年代の人が何時ごろ、どんな商品を購入する傾向にあるか、というのが一発で分かってしまうシステムです。

今日のお話では、スーパーでの買い物を具体的に例を挙げていたのだけど、たとえば、カレールーを買う人は、どんな商品を一緒に買うと思う?
ジャガイモとか、たまねぎだと思うでしょ?
ところがそれが大違いなのよ。
あるカレールー(辛口)を買う人は、カレールーの甘口を一緒に買う傾向にあるんですって。
つまり、自分でルーをミックスして別の味にするとか、子供用には甘口のを買うとか、そういう分析ができるらしいの。
だからスーパーでは大きな箱のカレールーを特売商品にするよりも、小さなのルーでいろんな味を特売にしたほうが、売れ行きがいいんですって。

そういうデータの分析をするのが、データマイニングということだそうです。

このような方法は抱き合わせ商品(「バスケット分析」というそうよ)を調べて、マーケティングに応用するというのがよくあるパターン。つまり相関関係を調べるのですね。そして安い目玉商品を買う人が、高い商品を買うというパターンが分かると、どんな商品をバーゲン商品にしたらよいかを決められるというわけ。
ふーん、なかなかうまい作戦だわね。


もうひとつの方法は、決定木(けっていぎと読むそうです)というデータ分析の方法があるそうです。
これはたとえば、性別や年齢、血圧や胴囲などの属性を調べ、その結果、健康であるとか不健康であるとか(メタボとか)の判断(「クラス」というそうです)をする手法で、それを木(ツリー)のようにして分けて考えていくので、決定木というんですって。

こういうデータがあると、病院などでどのような薬が効果的であるか、とかいう応用ができるのだそうです。


3つ目の方法は、時系列から得られるデータの分析方法。たとえば宇宙に浮かんでいる人工衛星のデータなどを時系列に集めると、その衛星の制御方法なども分かるとか。
ただし、これはデータに欠損があるとあまり有効ではないそうです。

私は通信販売が好きで、セシールとかで注文する時って、たとえばセーターを注文かごに入れると、そうすると、「この商品をお買い上げの方は、こちらのスカートもお買い上げになる方がとても多数いらっしゃいます」というメッセージが出てくるのよね。
そうすると、ついついスカートも買ってみようか、なんて気持ちになるのよね。
これもデータマイニングのなせるワザなんでそうです。


でもね、データってどうにでもなるでしょ。
アンケート結果もそうだけど、悪いように操作されると大変だわよね。
それで世論がどうにでもなりそうだしね。
「こういう商品を買う人はこんなに出世できる」なんていうデータが一人歩きすると、みんな振り回されそう。

コンピュータ社会に生きている私たちは、そういうデータの山に埋もれて生きているのだけれど、でも自分の目と耳と頭で判断するのも必要だろうなという感想を持ちましたわ。

でも、データマイニングという言葉は知っていて損はないと思いますよ。

2008年1月15日火曜日

至福の90分


最近、顔の表面に問題が発生してきているので(造作にも問題があるのだけど)、意を決して懇意の皮膚科に出かけたのよ。
そう、あのピアスの穴を開けてくれた女医さんのところです。

その場で処置をしてくれるのだろうと思って、すっぴんで行ったの。
そうしたら、今日は込んでいて処置ができないから、予約をしてまた来てくださいと言われたの。せっかくすっぴんで出かけたのにね。

それで肩も凝っていたので、仕方なくいつものスポーツクラブに出かけて、マッサージ機で身体をほぐそうと思いました。
そうしたら、そこで見てしまったのが、「お正月限定 お年玉スペシャル」というフェイスエステのポスター。
私って、今月限りとか、そういうのに弱いのよね。
よく見ると、お肌のお手入れ以外にも肩や首のマッサージもしてくれる、というので、申込みました。

ほの暗いエステルームはバリ島風の音楽が流れていて、心地よい空間です。
いろいろ事前質問をした後に、そこのベッドに上を向いて寝るように言われました。
エステシャンのお姉さんは私を見下ろすようなかっこうで頭のほうに座っています。

上半身はタオルに覆われて、私はただ寝ているだけで、何もできない状態です。

最初はね、クレンジングから。とても丁寧。
そしてすごいパワーのジュージュー蒸気の出るスチームを当てて、肌を柔らかくしているようです。
その後に洗顔をしてくれて、今度はバキューム何とかと言う筒状の吸引器で汚れを吸い取るの。
それから何やらクリームを塗って、マッサージ。
自分では確認ができないのが、ちょっと残念ね。
これがすごく気持ちいいのよ。このあたりでもう半分寝ていたわ。
それからイオン導入なんとかという最新式の機械で、プラセンタというのを皮膚に注入。
それは肌の上皮を浸透する作用があるので、真皮まで到達するのだとか。
その後に今度は超音波振動マッサージ器というので、お顔をプルプル。
ここまでが顔のエステよ。

さて後半は胸から首から肩までオイルを塗りたくってのマッサージ。
これが超気持ちいいの。
お姉さんは私の肩のほうからマットに手を挟んで、背中をぐりぐりしてくれるのだけど、人の手って本当に微妙な動きをしてくれて、マッサージ機には負けないのよ。
肩甲骨の辺りのこりがほぐれて、声が出そうになるくらい、いい気持ちでしたわ。

その後にまた顔のほうのオイルマッサージに戻り、お姉さんはほっぺやあごのあたりを両手でプルプル、パタパタ。
お姉さんが何か話しかけてくれるのだけど、もう意識が朦朧としています。

ようやくマッサージが終わったら、熱いタオルでオイルを拭き取って、今度はハーブのパックで仕上げ。
とてもいい香りでした。

パックが終わったら、最後は頭のマッサージ。
頭蓋骨って26枚が組み合わさってできているとかで、これをほぐして柔らかくするといいんですって。
そして肩をたたいてくれてようやくコースは終了。
終わった時には気持ちよすぎて、そのまま寝ていたいくらいでした。
90分間もベッドの上で、もみほぐされていたのでした。

ふー、世の中のお父さん、お兄さん、お姉さん、皆さんがお仕事している間に、私はこんなにリラックスしていて、ごめんなさ~い。

ちょうど一日の賃金くらい支払ってしまったけど、まあ、たまにはいいでしょ。

それにね、終わった後に鏡を見たら、我ながらうぬぼれではないけれど、すごくすっきりした顔になったの。
お姉さんのマッサージのおかげですわ。
身体もぽかぽかとしてきたし、これって癖になりそうよ。

2008年1月14日月曜日

いとしや 有楽町


有楽町ときたら、何を思い出す?
大昔、フランク永井の「有楽町で会いましょう」という歌がありましたね。古いわね。

その有楽町に新しいショッピングセンター「イトシア」というのができたというので、行ってみました。
去年の秋ごろにできたそうです。
http://www.itocia.jp/

写真は数寄屋橋交差点から見たイトシア。交番とマリオンの後ろに立っているビル。

「イトシア」というのは、日本語の「いとしい」と、場所を表す言葉の「シア」を合わせて作った造語だそうですけど、可愛いネーミングね。

有楽町の駅前は今まで何となくダサいイメージがあったのだけど、再開発されて、すっかり変わってしまったわ。

イトシアは、その駅のまん前にすくっと立った新しいビル。
半分は丸井のお店で、上の階はオフィスビルのようでした。
もう半分の部分は飲食関係のお店や映画館が入っています。

イトシアには私のような新しい物好きがたくさん来ていて、レストランはどこも行列。
でもここは、このあたりに働くOLさん向きの可愛いお店が多くて、ちょいとぴんと来ないわ。

それにしてもね、この建物、以前は何が建っていたのか、まるで思い出せないの。パチンコ屋さんだったような気もするし・・・。
人間の記憶なんて、本当にいい加減ね。

イトシアの向かいにある交通会館には、昔はここまでパスポートを取りにいく時に出かけたわね。
地下の郵便局で収入印紙を買ったわ。

その後、朝日新聞社や日劇がマリオンというビルになってしまった時もびっくりしたけれど、イトシアの出現はそれ以上に驚きでした。

でもイトシアは何の跡地なのかなあ。

******

お昼は銀座5にあるベトナム料理屋さんにしました。
お店の名前は「ラ・スコール」
http://r.gnavi.co.jp/a309300/

寒くて暖かいものがほしかったので、ベトナムフォー、豚肉ちまき、生春巻きのセットにしました。

店内にはベトナムの置物などが飾ってあって、エキゾチックな雰囲気でしたよ。
店員さんもあちらの方のようで、日本語がちょっとつたないけど、気持ちのいいお店でした。

料理も悪くはなかったけど、私が一番気に入ったのは、テーブルに置いてあったお茶。
蓮茶というそうで、とても香りがいいの。
かの楊貴妃も愛飲していたそうで、ダイエットやコレステロール低下や美容効果があるんですって。
といううたい文句に引かれて、そのお茶をお土産に買ってきました。
HOA SEN というそうです。
http://www.hoasentea.com/index.html

HPを見ても、残念ながら言葉が分からないわ。
でも普通にお湯を沸かして適当な分量の葉っぱを入れて飲んでいます。
いい香り~。

この銀座5には、お隣のタイ料理やさんやちょっとこじゃれた和食やさんもあって、きっと平日のランチタイムはすごく混んでいるのではないかしら、と思いましたわ。

ベトナムフォーで身体が温まった後は、プランタン銀座の並びにできた東急ハンズに行ってみました。
ハンズといえば渋谷が本店だけど、最近は新宿のハンズに行くことが多いな。銀座にもできたなんて、話には聞いていたけれど、こんな場所に進出とは。

まったく、おのぼりさん気分ですね。

ハンズには可愛いものがたくさん。
たとえばお風呂用のシャワーの栓だけでも、ピンク、黄色、ブルーなどがあるのよ。

一番飽きないのが、文房具のコーナー。みんなおしゃれで可愛い小物ばかり。

台所用品売り場で、アボガドカッターをお土産にしました。
ちょうどうちに食べごろのアボガドがあったのを思い出したので、買ってみたの。
うまくカットできるのかと期待したけれど、でもけっきょく、アボガドはいつものようにくり抜いて食べてしまいました。

その後はぷらぷらと銀座を歩いたけれど、でも実際に買い物をしたのは、やはり新宿。
銀座は見るだけ、という感じかしら。

2008年1月13日日曜日

ダイエットはお休み


今日はたまには外食ということで、夕食は居酒屋さんにお出かけ。

本当はダイエット中なのだけど、まあ一日くらいはいいでしょう。



おつまみは

 ◆豆乳チーズの酒盗和え
 ◆炙りしめ鯖
 ◆海老ガーリックピザ
 ◆温野菜サラダの明太子ソース
 ◆つくね串焼き
 ◆海鮮ちゃんぽん

なんとも無国籍風でしたね。

でも今日はめちゃめちゃ寒かったので、ビールはあまり飲みませんでしたわ。

2008年1月12日土曜日

今日のゲストは・・・?


きょうはまたラジオの収録をしてきました。

初めのゲストは私の住んでいる地域に新しくできた劇場の舞台に立つ女優さん。

この劇場は、かの有名な安藤忠雄さんが設計したという斬新な建物です。
その付近には安藤さんの建築物がたくさん並んでいるので、安藤さんはその通りの名前を「アンドーニャ」と命名したかったということでした。

女優さんというとちょっと気難しいのかしらと思っていましたが、とても気さくな方でしたよ。

次のゲストは、古いスクーターの修理が専門の自動車やさん。
大ヒットした映画「オールウェイズ 三丁目の夕日」で三浦友和が乗っていた「ラビット」を提供したそうです。古いオートバイの良さを語っていただきました。
面白い裏話も聞けましたよ。

ラジオ番組制作をしていると、本当にいろいろな職業の方とお話ができて、楽しいですね。

次回のゲストはトールペインティングの先生と、投書の達人です。
どんなお話が聞けるのかしら。

私たちが一番最初の生のリスナーです。

そこで得た感動や興奮を皆様にもお伝えできるといいな、と思いながら番組を作っています。

2008年1月11日金曜日

ホームページ 全滅!


このブログの下のほうにあるリンク先のHPがまるで全滅!

ひとつは「ISOBAの部屋」
所属している研究室のものです。
大学内の様子とか、私自身のいろんなことを書いているのだけど、研究室のサーバーのハードディスクが壊れたとか。今は復旧作業をしているのだけど、とにかく見られません。

もうひとつはラジオ放送のホームページ。
地域のサーバーにアップしているのだけど、どういうわけだか、まるで違うものになっている!!

せっかく紅蓮さんのページを作ってアップしたのに。

えーん、何かのたたりだろうか。

仕方がないので、写真くらい、私の好きなものを載せておくわ。
よく見ないと分からないかもしれないけれど、神戸で女の子がゴルフをしているところです。

実は今週は私の体調が良くなくて、よれよれしていたのですが、ようやく体調が戻ったと思ったら、こんどはホームページのほうがおかしくなってしまったのです。

早く戻ってもらいたいな。

これもベコニア


ベコニアっていうと、小さめの可愛い花だと思っていたけど、神代植物園の大温室で咲いていたベコニアは直径が30センチほどもありそうな大輪でした。




色もピンク、黄色、オレンジ、赤などさまざま。
立派に咲きほこっていました。
熟練した女優さんの雰囲気が漂っていたわ。


うちの庭でもベコニアを育てたことがあるけれど、同じ種類の花とは思えないほど立派で華やか。
お手入れも大変そうだな。

2008年1月10日木曜日

人は何のために・・・・・


人は何のために生きるか?

という難問がある。

ギリシャ哲学から始まる多くの哲学や、世の中の多くの小説や映画はその答えを求めるために追求しているのでしょう。

簡単な答えはないかもしれない。でも最近、すごくシンプルでいい答えを聞いたの。

私は某ラジオ局でやっている人生相談を聞くことがあるのだけれど(ちょうど出勤前の時間に放送しているので)、その相談の中のある回答者の答えで「これ!」というのがありました。

それはね、悩める相談者に対しての女性回答者の言葉だったのだけど、
「人間は幸せになるために生きるのよ。」という回答でした。

ちょいと、質問からはぐらかされた答えだけど、いい答えだと思わない?

世の中にはお金のために生きる、という人もいるだろうし、愛のために生きるなんてかっこいい人もいるかもしれない。
でもその究極は幸せになるためでしょう。
不幸になることを目的に生きている人なんかいないはず。

そうか、幸せになるために生きればいいのね、と妙に納得しました。

面白い本を読むのも、楽しいひと時を過ごすのも、見知らぬ場所に旅をするのも、すべて「幸せになるため」と思うと、無駄にできないわと思うのです。

反対に、人から嫌なことをされたり、失敗をしたときでも、「ああそうか、これは幸せになるためには障害になるけれど、でも気にしないで行きましょ」と思うと、多少の嫌なできごとは乗り越えられるのです。

そうよ、幸せになるために生きているんですから。

でもね、人生相談を聞いていると、世の中には暇がありすぎて、くだらないことに悩んでいる人が多いんだなぁと思います。
相談するのはたいていは60歳代の女性で、「息子が未だに独身なのでどうしたらよいか」とか「嫁の態度が気に入らない」とか、自分以外のことでの相談がすごく多いのよ。そんなことならもっと自分のことでも考えてみたらよいのに、と思う人がすごく多いのに驚きます。
自分の趣味を磨くなり、だんなさんとうまくするとか、どうしてそういう発想にならないのかしらね。

それとこの人生相談の回答者の言葉で私が気に入っているのは
「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ」という言葉。

そうだよね、人のことは変えられないし、昔のこともどうしようもない。
でも自分は変わろうと思えば変わることもできるかもしれないし、未来をどのようにするかも自分の意思に関わっているのよね。

そういう考え方って、すごく明るいと思いませんか?

年を取ってからの人生も捨てたものじゃないわね、と思うのです。

2008年1月9日水曜日

脳科学のお勉強 4


「脳研究の最前線」というブルーバックスの本を少しずつ読んでいます。

さて、今回は<第4章 言語の起源と脳の進化>を私なりにまとめてみました。
内容が原本から離れてしまっていたり、用語の使い方が間違っているところがあるかもしれないので、もっと深く知りたいときには、原本を読んでみてね。

****

動物が生存のために必要なことは、いかにして敵から身を守り、いかにして子孫を繁栄させるか、だろう。
そのためには動物のメスは、パワーがあり、生殖能力に優れたオスを見つけなくてはならない。
たとえば身体の大きなオス、あるいは力の強いオスは、動物社会の中にあっては、とても人気が高いだろう。

人間だってかつてはそうだったに違いない。
筋骨粒々で、獲物を捕らえるのがうまいひげ面の男がもてた時代もあったに違いない。
ところが、人間にとってそれほど敵も少なくなり、また子孫繁栄以外にも生きる目的を見つけてしまうと、めめしい男でも人気が出てくることになる。
それまで日陰の存在であったニューハーフなどがテレビでも人気者になる現代というのは、つまり敵を意識しないで生きていける世の中だという証なのだろう。


さて、この章の著者の岡ノ谷一夫さんは、動物、それもジュウシマツという小鳥を実験対象にして脳科学の研究をしているのだが、小鳥の中でも、ペット化して外敵がなくなったジュウシマツというのは、人間と近いものがあるそうだ。
その研究は、オスのジュウシマツのさえずる声を分析して、どんなオスがもてるか、つまり生殖能力が強いかを分析しているそうだ。

岡ノ谷さんのお話は2回しかお聞きしたことがないが、外見からすると、脳科学者というよりも、むしろ陽気なお父さんという雰囲気の方だ。
ふつう脳科学者というと、マウスかサルを研究対象とするのだが、小鳥、それもジュウシマツというのは、やはり変わっているよね。

でもたかがジュウシマツと言うなかれ。
ジュウシマツはペット化されていて、敵から身を守る必要がないので、そのその鳴き声(歌と書いてあるが)もどんどん複雑な配列になっていくそうだ。
そして複雑化した歌ほどメスに気に入られるらしい。
ジュウシマツの声がそれほど複雑なものなのか、シンプルなものなのか私には分からないのだけれど、その声には高低があったり文節があるらしい。

このようなジュウシマツは、初めにも書いたように、人間の環境と似ているそうだ。
つまり家畜化した生き物は、その求愛行動がどんどん複雑になっているというのだ。

外敵の多い生き物だと、そんなに求愛行動ばかりに没頭できない。
そんなにメスのことばかり気にしていたら、敵に食われてしまうかもしれないのだ。
ところが敵に捕らえられてしまう心配がなくなった人間は、どんどん言語が発達したというのだ。

ジュウシマツの脳みその中で、一番大切な部分を傷つける実験をすると、その歌声が変わってしまうらしい。つまり高等な歌ではなくて、もっと簡単な歌になるという。
そんなふうにして、小鳥のさえずり声から脳のことを研究しているのだ。
こんなふうにして歌を歌うのは小鳥だけではなくて、鯨も同じだそうだ。

ところで、岡ノ谷さんの説によると、歌を歌うためには、脳の中の運動系と感覚系の両方の発達が必要で、そのために大脳が大きくなったのだという。

ふーん、それが「脳の進化」なのね。

そうなると、カラオケが好きな人ほど脳みそは発達しているのかしら。


ところでこの章では「言語の起源」とタイトルにあるが、岡ノ谷さんの定義によると、「言語」とは意味がある単語が文法的に組み合わさってできたもので、かつ、さらに広い意味をもつもの、ということらしい。

犬がワンワンと吠え、ネコがニャーニャーと鳴く。
これだって言語といえば言語かもしれないし、コミュニケーションには役立っているかもしれない。
しかし犬が「いかにして生きるべきか」とかは考えないだろうし、ネコが「私の悩みを聞いてよ」と言うことはないだろう。

また、言語は「手」から、あるいは「音」のどちらから始まったのだろうということも研究者の間では、問題になっているらしい。

言語の始まりについて、サルの研究をしている人は「手」からと考えるそうだ。
それに反して岡ノ谷さんのように鳥の歌を研究している人は「音」からと考えるそうだ。どちらにも一理ありそうだ。

ところで人類の言語起源はどこから始まったのだろう。
人類の初めはアフリカ大陸だという説があるので、アフリカの言語が言葉の始まりなんだろうか。
アフリカの言葉は同じことばを重ねて言うことが多い。たとえばポレポレとか、ンゴロンゴロとか。それは単に言い易い言葉だったのだろうか。
クロマニヨン人とか北京原人はどの程度、言語を使うことができたのだろうか。

また言語はどんな単語から始まったのだろう?
多分、初めはお母さん、お父さんを表す言葉しかなかったのかもしれない。
あるいは男女の間の恋愛感情を表す言葉だったのかもしれない。
あるいは、単に「あれ」とか「これ」とかいう単語から始まったのかもしれない。

そんなことを考えてみると、言葉というのは、たいそう面白い題材だ。
いろんな疑問が広がり、いろんなことが想像できる。歴史も地理も生物学もすべて網羅している。

そんな面白い言語という研究を、脳科学の立場から、それも小鳥の歌から研究している岡ノ谷さんという方は、ほんとうに面白いことを真面目に取り組んでいる方なんだな、と思う。

2008年1月8日火曜日

飲茶作りをしてみたの


毎日の食事作りは面倒で、手抜きもたびたびなんだけど、自分だけではなかなか作る機会のない料理は楽しみです。
今日はそんな料理の一つである、簡単な飲茶の料理教室に参加してみました。

メニューは
 ◆海老とクワイのミニ春巻き
 ◆春餅(しゅんぴん)
 ◆鶏肉の北京ダック風
 ◆春餅の松の実あんデザート

この中で一番、作ってみたかったのが春餅。中国では立春のときにいただくとか。

粉を混ぜてそれを焼いて食べる料理って世界中にあるけれど、どれもみなおいしいわね。

春餅の特徴は、丸くまとめて平らにのばしたクレープ状のもちを2枚重ねて焼くこと。
2枚の間にはごま油を塗るの。
そして焼いた後に、2枚をはがして、その中に具を挟んでいただくのです。
だから焼いたほうはパリッとしているし、中のほうはしっとりとしていて、両方の食感が楽しめるわけ。

でもね、粉をこねて、それを丸く伸ばすのって難しいのよ。
中国人留学生なんて簡単に餃子の皮を作るのだけど、ちゃんと丸くならないの。
おまけにそれを2枚作るのだから同じ大きさに広がらないといけないのだけど、なかなか大変です。

でもとてもおいしそうに焼けました。

写真の左側は北京ダック風。右側は甘いあんが入っています。

こんなふうに、時々は変わった料理を教えてくれる教室に参加して、マンネリ化したメニューの開発に少しは刺激を与えているのです。

2008年1月7日月曜日

ぼたん展


神代植物公園でぼたん展を開催しているというので、ちょっと出かけてきました。
そう、お隣にあるお寺は「深大寺」と書くのだけれど、こちらは「神代」です。
ちょっと不思議ね。

トントンのお庭が井の頭公園だとしたら、私の庭はこの神代植物公園かもしれないわ。
うちから歩いていくとちょっと距離があるけれど、自転車でお出かけするにはちょうどよいコース。
私自身が子どもの時にも来たし、自分の子どもをつれてきたり、何度も来ています。

ここは春と秋のバラが有名なのだけど、四季折々に楽しめるところです。もちろん梅も桜もステキなところです。

ぼたんは、本来ならもう少し春になって咲く花なのだけど、特別に低温療法とかいうのでお正月に咲くようにしたそうです。

「立てば芍薬、座ればぼたん、歩く姿は百合の花」と美人の代名詞のように言われるぼたんだけど、ほんとうに艶やかで色っぽい花だわ。
大輪の花、というのにぴったり。

赤、白、ピンク、臙脂色、それにまだら模様などいろいろありましたが、白と臙脂はまだつぼみでした。
やはりピンクが可愛いかな。

妖艶な牡丹にあやかりたいものです。

2008年1月6日日曜日

逆インタビュー


毎週毎週、ラジオ番組を放送している関係上、私たちのグループ全体ではこれまで230人以上のゲストの方とお会いして、そのうちの何分の一かの方は私がインタビューを担当してきた。番組を作り出すというのは、楽しみでもあり、苦労もある。

ところがそんな私たちが逆にインタビューされることになってしまったのよ。

某国立大学の学生さんが、メディアを作っている市民たちを題材として、それを情報をテーマとした卒論の材料にしたいんですって。

どうして私たちの存在を知ったかというと、ホームページで見つけたそうです。
なるほど、ホームページで発信するのもこういうことに役に立つのね。

その学生さんは埼玉県のおうちから2時間もかけて約束の場所に現れました。
インタビューに応じたのは、5年前の発足時から一緒に活動しているメンバーと私。

いやぁ、話しまくりましたよ。
どんなきっかけでラジオ放送の制作に関わるようになったということから、どんな想いで制作しているか、どんなドジなことがあったのか、どんな楽しいことがあったのか、延々3時間くらいおしゃべりしてきました。
こんなとりとめのない話を卒論にまとめるのは、さぞ大変だろうなと、同情しましたよ。
だって、収録したものをいつも編集するという作業を自分たちでしているので、その大変さが、よく分かるのです。

でもね、その学生さんに伝えたかったのは、私たちのラジオ制作は誰かから依頼されてやっているわけではないので、それだけにやりがいもあるし、スポンサーなどもなくて自分達が持ち出してやっているのだけれど、それ以上にゲストから得るものは、とても大きいということ。
大変なこともあるけれど、それ以上に楽しいこともあるということを伝えたかったの。

人生の半ばを過ぎて、普通だったらそれまでの経験だけで生きていけるような年齢になっています。

そんな私たちでも、知らない方とお話をさせていただいて、自分の人生だけでは体験できないこといろんなことを学んでいける。
こういう生きた体験をさせていただけるというのは、本当に恵まれているのだと思うの。

いろんな方のステキな人生を伝えることができたらいいな、と思いつつ、活動を続けています。

さて、来週は女優さんにインタビューをします。
どういうお話が聞けるでしょうか。私自身、とても楽しみにしているのです。