2008年9月27日土曜日

公開講座 その2


実践女子大学の公開講座の2番目の講演は、近藤みゆき教授の「源氏物語とジェンダー ~歌ことばが創造する「男」と「女」~」という難しいもの。

この先生、年齢不詳なんだけれど、すごく美人でスタイルもよく、立ち振る舞いもきれいでどこかの女優さんみたいなの。ところが難解な内容を立て板に水の如く話す様は、まさに才女です。


私は初め、どうして源氏物語とジェンダーが結びつのか分からなかったのよね。

というのも、私は学生の頃、女性学なんていうものをちょっとかじったことがあるのだけれど、そういうのって社会学の分野だと思っていたのよ。たとえば上野千鶴子先生のようなね。

だから国文学の分野でもジェンダーということが取り上げらること自体、違和感があったの。
でも、今日の近藤教授のお話を聞いて、作られた「女性性」や「男性性」というものが分かったわ。
ジェンダーというのは社会的観点から作り上げられるものなのね。
声高に女性の権利ばかり主張するのではなく、こういった地道な研究からジェンダーのことを取り上げる論法というのは素晴らしいと思ったわ。


そもそも、近藤教授というのは古今和歌集の分析を研究して、そこに集められた1111句を全部分析して、どんな用語がどんなときに使われていたかを研究していたの。

「nグラム統計」という統計処理ソフトを使って分析したというの。
まるで統計学の世界でしょ。
n=なんとかかんとか・・・・という数式を使ってね。

そしてどんな用語は男性歌人しか使わない言葉であるとか、どんな用語は女性歌人しか使わないとかをぜーんぶ調べたんですって。
おまけにその用語はどんな場面で使用されたかも調べたというの。

そのようにして、平安時代に作られた勅撰(天皇が命令したという意味)古今和歌集のころから、日本人の美意識というものが構築されたということでした。

近藤教授はその研究で言語処理学会というところで優秀賞をもらったそうです。


そして、その用法を使って源氏物語に書かれた和歌を分析したところ、すごく面白い結果が出たというわけ。

源氏物語というのは読んだ人なら分かるけれど、文章だけで書かれているのではないの。
登場人物が作る和歌が、あちらこちらに挿入されているの。

つまり誰かを好きになったり、誰かと死に別れて悲しくなった時には、必ず、和歌で応答するの。
それがうまいか下手であるかで、その人の教養が分かっていたのね。
それで、全部で795首あるんですって。

紫式部がすごいのは、もちろん、すべてが彼女の作であるのだけれど、登場人物によってまるで違うタイプの和歌を書き分けているというところでしょうね。

私は和歌など全然分からないのだけど、ロマンチックタイプなものとか、あまりにストレートすぎるタイプのものであるかは、なんとなく分かるくらいかな。


そういうふうに、登場人物の性格によって和歌にも違いをつけるというのはすごいわよね。
もちろん若い人、年をとった人、男性、女性の区別もきちんとしているの。

そして近藤教授の研究によると、同じ男性でも、光源氏の書いた和歌と薫の書いた和歌では、使われている言葉がまるで違うらしいのよ。

光源氏のほうは「恋ふ」とか「逢ふ」という言葉をたくさん使用しているのに、薫になると「見る」ばっかりなんですって。
つまりこの二人の書いた和歌からだけでも、薫というのがどんなにうじうじしていて、行動に移さない人間かが分かるというの。

また女性の和歌を分析すると、二つのタイプに分かれるんですって。
ひとつは「我が道を行く」タイプで、奔放な恋に生きた朧月夜や、良妻賢母を貫いた花散里や、古風なところがおかしい末摘花は、「ゆらぎのない女性」として、いわゆる女性用語しか使わなかったんですって。

ところが恋に悩み、生きていくのが辛いことが多かった他の女性たち、たとえば藤壺、紫の上、宇治十帖の女性姉妹などは「ゆらぎのある女性」として、和歌の言葉には女ことばと男ことばが混在しているそうです。

とくに宇治十帖の浮舟は彼女の生きる時代によって言葉も変化しているそうで、最初は単に受身の女性で薫と匂宮の間をふらふらとしていたのに、入水してからは普通なら男性しか使わない言葉「乱れる」「悲しき」「かたみ」などという言葉を使うようになったんですって。

今の私たちだったら、「知る」「見る」「思う」「立つ」「まどう」など、平気で女性が使っているけれど、平安時代はみんな男ことばだったというのが、面白いわ。つまり当時の女性はものを思ったり、知ろうとしたり、ましてや自分から恋してはいけなかったのよね。


近藤教授は膨大な量の研究のほんの一部だけを話していたのだけど、こういうことを研究するという発想がすごいなと思ったわ。

紫式部だって、まさか1000年後に、和歌を分析した研究がされるとは思ってもみなかったのではないかしら。

それにしても、分析方法など知らなくても、源氏物語の登場人物それぞれが作った和歌から、その人の性格や生き方までしっかりと描いていたのだから、やはり紫式部はすごい天才だわ。

(その1もあります)

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

としちゃんが受けた講義の内容をこうして詳しく解説してもらうと有難いわ。
知識が増えることはとっても嬉しいです。

世の中には凄い研究をしている学者さんが沢山いらっしゃるのですね。
和歌にこんな深い意味が含まれているのも興味深いし、それを人物別に分けて書ける紫式部はまさに天才ですね。

角田先生が紫式部に惹かれた意味もわかる気がしますね。同じように天才だったのかもしれません。

おおしまとしこ さんのコメント...

さとさん、私の趣味の駄文に長々と付き合っていただき、ありがとうございます。私ってすぐに何でも忘れてしまうたちなので、せっかく聴いた講演会などの内容を自分で覚えておきたいのよね。そんなメモみたいなもので研究者には迷惑かもしれないけれど、でも誰かに伝えることも大切かな、と思っているの。
角田先生のお話も一度お聞きしてみたかったわ。あの地図は時々眺めていますよ。ありがとうございます。