2017年11月19日日曜日

「はな と ゆめ」

「はな と ゆめ」は、冲方丁さんが描いた歴史小説です。
あまりに表紙がきれいなので、思わず手に取ってしまいました。


内容は、枕草子の著者である清少納言のことを、一人称で書いたお話です。

私たちが彼女の名前を呼ぶとき、よく「せいしょう・なごん」というように発音してしまいますが、じつは「せい・しょうなごん」が正しい区切り方なのです。つまり清原元輔というお父さんの娘であるので「清」、そして位は少納言なので、合わせて清少納言と名乗っています。
実はこの時代は、女性が本名を名乗るのは、顔を見られるのと同じくらいとても恥ずかしいことだったので、それで父親の名前の一部と位を合わせたペンネームのようなものを使っていたのです。

彼女は和歌も上手で、百人一首にもその句は入っていますが、彼女の本心は、
「実は、私は和歌はあまりうまくないの」というものでした。
漢文を読んだり、手蹟(誰が書いた文字かを当てる)という才能はあったようですが、和歌はコンプレックスがあったみたいです。
それで和歌でもなく、漢文でもない、今でいうエッセイのようなものなら私にも書けるかと思い、少しずつ綴っていったものが、あの有名な枕草子というわけです。
少しずつ、というのは、今のブログのようなもので、その時々の思いを何回かに分けて書いたようです。

彼女の最大の特徴はなんといっても中宮の定子様ラブということ。
「私は中宮様の番人でありたい」というほど、定子様が大好きで、憧れていたのでした。

清少納言が定子様のところに仕え始めたのは、バツイチの清少納言が28歳だった時でした。
その時、定子様は御年17歳。
定子様は年下ではありますが、美人で思いやりもあり、機転もきく優れた方だったようです。

ただし清少納言はずっと定子様のおそばにいたのかというと、そうでもなく、何回か里帰りと称して、自宅で待機していたこともあったと書かれていました。

そんな清少納言でしたが、定子様が3人目の子供を産んですぐに亡くなってしまってからは、ほんとうに抜け殻のようになってしまったようです。

そんなとき、定子様から頂いた貴重な紙を使って、完成させたのが「枕草子」でした。

このお話を読むと、当時の勢力関係がよく分かります。

定子様は一条天皇の中宮ですが、彼女のお父さんは関白の藤原道隆。
すごい実力者です。
そして彼の末の弟が藤原道長で、言わずと知れた時の権力者になります。
そして、彼の娘が彰子様。
道長は定子様を追い払うようにあれこれ策略をして、彰子様を一条天皇の中宮とさせ、定子様を皇后という位に追い払ってしまいます。今では皇后という身分しかありませんが、当時はいろいろな妻の位があったのです。
そして道長は定子様派から彰子様派へと権力を写すように動いたのでした。
そういう政争のことも、よく描かれています。

そして付け加えるなら、彰子様の家庭教師はあの紫式部なのです。
つまり、ここで紫式部 VS 清少納言ということになるのですね。

さてタイトルの「はなとゆめ」ですが、何を指すのでしょうね。
はなは「花」ではなくて、「華」ではないかと思いました。
つまり華やかさを体現している定子様のことではないかしら。
では「ゆめ」な何かしら?
清少納言が見た夢のことでしょうか。
それともこの世ではない、あの世のことを「ゆめ」としたのでしょうか。

実在の人物が登場するお話は、大好きです。

面白いお話でした。

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