2014年9月2日火曜日

術後100日の復帰

夫が5月の連休直後に入院して、手術を受けたのが55月19日でした。

そして手術後およそ100日経って、仕事に復帰できました。

昨夜は復帰祝いに、久しぶりにビールで乾杯しました。


天皇陛下と同じ手術でした。

手術後、10日間ほど入院していましたが、5月下旬に退院。

退院とはいっても、身体のチューブこそ取れましたが、まだ全身、傷だらけ、包帯だらけ、テープだらけの身体で自宅に戻りました。

食事とトイレこそ自分でできましたが、洋服の脱ぎ気もできず、重いものは持つな、手を上にあげるな、身体はひねるな、と諸々の注意がありました。
また身体を固定するための大きなブラジャーのような補正道具も付けていて、まるで病人そのものでした。

そのころは私も看護婦さんのようにして包帯を変えたり、テープを張り替えたりしていました。

夫は一日中、新聞を読んだり、読書をしたりして過ごしていましたが、あまりに暇そうなので、私がビデオやさんでビデオを借りてきて、それを見たりしていました。

その後、毎朝、河原まで散歩をするようになり、1か月たった時に、病院で負荷テストというのをやって、いちおう体力が回復したので、今度は病院のリハビリに通うようになりました。

週3回、病院のリハビリに行って、運動をしていたようです。

その後、それだけではもの足りないのか、元気な時に通っていたジムにも通い出しました。いろいろ機械で体力を付けていたようです。

だんだん元通りになってきましたが、すると以前のように家の中のあちこちを片付けたり、修理したり、あれこれと動くようになりました。

また夕食は、自分でも料理をするようになりました。

本人は早く仕事に復帰したかったようですが、会社からは完全に治るまでは自宅治療をせよ、ということで、会社の有給休暇はすべて使って、保険で対応することになりました。

そして手術後3か月たって、ようやくリハビリの先生からも仕事復帰のOKが出ました。

普通の会社員ならすぐに復帰できたと思うのですが、うちの夫はガテン系の力仕事もあるので、あまり急いで復帰はできなかったのです。

その間、100日余り、私は毎日3食の食事を作っていました。
外で二人で食事をしたのは、お蕎麦屋さんに昼間、2回行っただけ。

もともと外食が嫌いな人なので仕方ありませんが、どこかで食事をして楽しむ、という発想はまるでなかったようです。

毎日、昼ご飯を作るのは面倒というか、時間をとられてしまいます。
夏だったので、たいては麺類で、そうめん、そば、うどん、スパゲティがよく食卓に登場しました。

とくに塩分に注意しなくてはならないので、いつも出し汁を作り、それをストックしておいて、料理に使用していました。調味料の代わりに、出し汁をよく使っていました。

出し汁のおかげで私の体重も3キロほど減りました。

このような生活は娘に言わせると、「定年退職した夫婦みたい」ということでした。

ようやく復帰をしたので、このまま、無理をせず、定年までは元気で仕事を続けてもらいたいものです。

「亭主元気で留守がいい」を実感しました。
「亭主病気で家にいる」は辛いですよ。