今、朝日新聞の朝刊に、多田富雄さんの生活と意見が掲載されているので、ご存知の方も多いかもしれない。

多田さんは現在74歳で東大名誉教授。
免疫学の国際的学者であり、能作家であり、詩人でもある。
それだけでも素晴らしい方なのだが、それ以上に驚くのが、この方は2001年に旅先で脳梗塞で倒れて以来、右半身不随、声も出せない、食べることもできない第一級の身体障害者になってしまったことだ。今は老人養護施設にいらっしゃるそうだ。
前に読んだ本は
「歌占(うたうら)」という詩集。
このタイトルは能のストーリーに由来するそうだ。
多田さんは倒れた後も、数多くの舞台や芝居を観ていらっしゃるが、その感想をこの「歌占」という詩に書いている。
力強くて、情熱的な詩ばかり。
70歳以上の人が書いたものとは思えないほど。
一度、死を目前にして地獄を見た人は、これほど生命力が湧いてくるのだろうか。
狂おしいほどの叫びが聞こえてくる。

そして今読んでいる本は、多田さんの書いた
「わたしのリハビリ闘争」という本。
多田さんは旅先で倒れて3日3晩生死をさまよい、そして奇跡的に回復してからも、あまりの酷い状況に自殺を考えたことも何回もあったそうだ。
これには多田さんが倒れてからのリハビリの状況が書かれているのだけれど、それ以上に、政府のリハビリに対する政策へのものすごい反論が書かれている。
政府は「治る見込みのない人を切り捨てるために、リハビリは180日を上限とする」という方針を立てたらしいのだけれど、多田さんはこれに対して、投書などを通じて反対運動をして、全国で40万人以上の署名を集めたという。

実は私の父も何回も脳梗塞を患っていて、そのたびに入院・退院を繰り返していた。
何回目かのときに、左半身がおかしくなり、食事や歩行が困難になった。とはいえ、ステッキを使えば歩けたし、スプーンを使えばこぼしながらも食事はできていた。だから軽度の脳梗塞だったのだろう。
ところが最後に倒れたときは、意識も薄れ、言語機能がダメになってしまい、結局それが元で病院で亡くなってしまった。
祖母も脳梗塞で倒れた。
リハビリをすれば治ったのかもしれないが、当時はまだリハビリはそれほど重視されていなかった頃だし、祖母もリハビリなんて大っ嫌いという感じだったので、寝たきりになってしまったようだ。

身内にそういう人間がいたので、脳梗塞というと、治らない病気だと思い込んでいたが、多田さんの本を読むと、リハビリでここまで回復するのだ。
多田さんは、必死のリハビリ訓練によって、本を何冊も出版したりするくらいに回復されたのだ。
ただし、リハビリは継続性が必要であり、他の病気で入院していた間に訓練できずにいたら、それだけで筋肉が低下してしまったそうだ。
そういう重要なリハビリを打ち切る、という政府の非常な方針。
この本は多田さんが、左手の指一本でパソコンを操作して書いた本だという。
脳梗塞になっても脳の記憶の部分と、思考の部分がやられなかったので、本を書くという活動もできたわけだが、そのあたりは運にもよるのだろうか。
多田さんご自身の言葉によれば、
「脳の一部は死んで戻らないが、その代わり何か新しい回路が生まれたようだ」と書いてあった。
脳梗塞になって初めて、昔は分からなかったことでも、分かるようになったこともあるそうだ。

多田さんは学会の運営に長く携わってきたことから、こういう政府の方針に対して、関係学会(リハビリ学会など)がまるで、反対の態度を示さなかったことを非常に怒りを込めて告発している。
何か問題が起こったときに、学会というものがどういう態度をとるか、学会としての方針を決める、というのは、その会長がよほどの統率力・指導力がないと難しいようにも思えるが、多田さんは学会というのは科学者としての発言をアピールすべきだと主張している。

多田さんは国際組織の会長もされていたので、世界中の研究者と付き合うことも多かったらしい。
そして世界で活躍するためには、まず日本の文化を知らなくてはならない、と言い、現代の若者には日本のことを学ぶようにと、強くアドバイスしている。
若いときに親しんでいた能のおかげで、世界各地の研究者ともハイレベルの文化的会話ができたか、という経験も書いてあった。
以前、やはり
免疫学の研究者の話を聞いて、その著書
「新・免疫の不思議」を読んだのだが、その研究者も歴史に造詣が深く、ワインにも薀蓄のある方だった。
私の周りにも科学者(というか、その卵の卵)がいるが、自分の専門分野のことだけでなく、文化や芸術に親しみ、人間味のある科学者になってもらいたい。
そしてこれは科学者ばかりでなく、私たち自身も、どんな状況になっても強い意志で生きていかなくてはならない、と思わせる本である。
<参考>NHKスペシャル 「脳梗塞からの再生」は
こちら