「五條楽園」とはかつての遊郭のあった場所です。
京都の同じ花街とはいえ、祇園などとは風格も違い、趣きも違うところです。
この地域に足を踏み入れた時、一種独特の雰囲気を感じました。
そして私はいろいろなことを想像してしまいました。
遊郭のことはほとんど知りませんので、これから書くことは事実とは異なることがあるかもしれませんので、単なる旅行者の感想ということでお読みください。
かつて赤線が廃止される以前は、五條楽園には900人の遊女がいたそうです。
遊女といっても江戸時代の花魁やら現代のソープランドで働く人やら、この職業の女性というのは太古の昔からあるわけで、遊女になるにはそれぞれの理由があるとは思うのだけれど、いずれにせよ愛情のない男に身を売るということは悲しい出来事に違いありません。
ふと水上勉の「五番町夕霧楼」を思い出してしまいました。
遊女以外になる道はなかったのか、あるいは好きでやっているのかは分かりません。しかし、一日に何人の男の相手をするのか知りませんけれど、いくらお金を稼ぐためとはいえ、辛い仕事だったことでしょう。
「五條楽園」では今も営業しているところがあるようなので、現代でも愛のない男に身を任せ、それを生業としている遊女が存在しているのでしょう。
五條楽園の建物は、見かけはちょっと年代物の旅館風です。昭和初期、あるいは大正時代ごろに建てられたのでしょうか。
今でも「お茶屋」という看板が出ています。
お茶屋のシステムはよく分からないのですが、想像するに、「やりてばばあ」と言われるおばあさんが、その辺を歩いている男性を呼び止めて、置き屋で囲われている女性と二階に上がり、そこで・・・・・。
といったふうなのでしょうか?
遊女とはいえ、嫌な男、好みでない男の相手をするのはどんな悲しみがあったことでしょう。
ここに写した古い建物のすべてがお茶屋さんだったかどうかは分かりません。
でもこれらの建物からは、遊女の悲しみが漂ってきました。
ここで意外だったのは、五條にも歌舞練場があったことです。
遊女さんたちはここで踊りや三味線のお稽古をしていたのでしょう。
身体を売ってはいても、やはり芸を磨き、芸を披露するのが生きがいになっていたのかもしれません。
さて、源氏物語に出てくるたくさんの女性の中にも、どんな高貴な女性であっても、好きでもない男に嫁がざるをえなかった人たちも登場します。
直接の金銭の授受はせずとも、彼女たちは自分で稼ぐことができないので、後見人である男のところに嫁ぐという形で世話を受けながら、生きていかなければなりませんでした。
男たちの意志のままに動かされ、自分の意志ではなく、流されるままに袴の帯を解かされるということは、遊女たちと似通ったところもあると、感じられてならないのです。
その最たる女性は宇治十帖の浮舟でしょう。
彼女は父親は高貴な皇族なのですが、母親の身分が低かったために、父親からは認知されず、そして母親の再婚者である義理の父親が東国に行くことになったために、都を離れた東国で成長します。
ところが運命のいたずらから都で高貴な男性に見染められ、なおかつその男の親友である高貴な男性(帝の三男)にも目を付けられてします。美人に生まれたがための宿命かもしれませんが、彼女はその二人の男の間で翻弄されて、結局は宇治川に飛び込むという死を選ぶのですが・・・・。
そんな浮舟の姿は、私にとっては遊女に思えてしまうのです。
源氏物語のヒロインたちは、どんなに身分が高くても教養があっても、自分で道を切り開くことを選べず、男性からの行動を待つだけでした。
当時は結婚生活といっても、夫婦が同居するということはあまり多くはなかったので、正式に結ばれてからも、毎日同じ家で一緒に過ごすわけではなく、男性の「お渡り」を待っているしかありませんでした。また高貴な男性は、数人の女性を持つことが普通でしたらから、他の女性のところへ泊りに行ってしまい、「夜がれ」という一人寝の夜をすごさなければならないこともたびたびでした。いつ夫の訪れがあるのか、いつ便りがあるのか、待つことだけしかできなかった女性たち。
その彼女たちの歌や手紙などが文学として昇華されて行く時代でした。
源氏物語では、紫の上のように光源氏とは愛情面でもしっかりと結ばれていた最愛の立場の女性であっても、彼に帝の娘という高貴な女性が本妻として嫁いでくれば、それまで築いてきた信頼も愛情も薄れてしまい、彼女は悩んで出家を願うばかりでした。しかしそれも夫からは許されず、病気になって亡くなってしまうのでした。
現代においても、公式には結婚している立場ではあっても、夫に頼って生きているかぎりは、女性の悲しみはあるのではないでしょうか。
女性が自分で生きる道を探していかない限り、遊女の悲しみはいつまでも続くのではないでしょうか。
源氏物語にはたくさんの高貴な女性が登場しますが、自分の気持ちから男と関係を持った人は少ないのです。
その中で自分から積極的に行動したのは、六条御息所と朧月夜くらいではないでしょうか。
御息所は別に置くとして、朧月夜は東宮の婚約者でありながら、政敵である家の光源氏と関係を持ってしまう。
彼女も光源氏もその関係を大いに楽しんではいたわけですけれど、それが発覚してしまい、光源氏は須磨に流されてしまいます。光源氏が都に戻ってからも、懲りずにまた逢瀬を楽しんでしまうというかなり大胆な女性です。しかしそんな彼女も最後には自分の意志で髪を切り、尼となってしまいます。
朧月夜は奔放な生き方ですが、自分で選んだ道を行く、というところが私には納得がいく女性に思えるのです。
五條楽園の古めかしい建物の道を歩きながら、千年前の女性たちのことをふと思い出してしまいました。
今年もいろいろな人の訳の源氏物語を読んできました。何度も読み返しているうちに、今までは読み飛ばしてきたところ、意味が良く分からずにいたところも、少しずつ「そうだったのか」と思えるようになりました。
女性の悲しみと喜びを書き綴った世界最古の長編小説を、何回も繰り返して読めることの幸せを感じています。
2008年の大晦日も源氏物語のことを書いていました。→ こちら
******
今日のブログで不当と思われる表現がありましたら、ご容赦ください。