私は江戸時代の新田開発を調べているのですが、人々の生活に一番大切なのは水ですね。水がなければ生活できないのは当然ですし、農業もできません。
それが玉川上水ができたおかげで、とても助かりました。もともと玉川上水は江戸の武家や町人たちのために作られたのですが、農民にも必要です。それで許可を貰って上水を使用して、また分水を作ることにしました。
西国分寺駅から10分ほどの近くに、その名残が見られます。「恋ヶ窪分水」です。
ここでは保育園の子供たちが遊んでいました。
西恋ヶ窪1丁目の交差点の分水は、ものすごく深く掘られていました。
人の背より高い深さでした。
またここは後世になってコンクリートで固めたりすることなく、江戸時代の様子が分かるというのですが、今は樹木に隠れてしまっています。それでも100㍍ほどの堀があります。
