2025年12月19日金曜日

恋ヶ窪分水

私は江戸時代の新田開発を調べているのですが、人々の生活に一番大切なのは水ですね。水がなければ生活できないのは当然ですし、農業もできません。

それが玉川上水ができたおかげで、とても助かりました。もともと玉川上水は江戸の武家や町人たちのために作られたのですが、農民にも必要です。それで許可を貰って上水を使用して、また分水を作ることにしました。

西国分寺駅から10分ほどの近くに、その名残が見られます。「恋ヶ窪分水」です。

ここでは保育園の子供たちが遊んでいました。

西恋ヶ窪1丁目の交差点の分水は、ものすごく深く掘られていました。

人の背より高い深さでした。

またここは後世になってコンクリートで固めたりすることなく、江戸時代の様子が分かるというのですが、今は樹木に隠れてしまっています。それでも100㍍ほどの堀があります。




このフェンスの左奥が分水の跡です。

こちらは脇の道。

また近くには西武国分寺線と武蔵野線が走っていて、なんとも面白い風景です。電車の姿は撮り損ねました。

分水の近くには熊野神社があります。



境内の様子。芭蕉と関係があったようです。


また駅の方には東福寺というお寺もあり、この二つは恋ヶ窪新田の人たちにとっては重要や役割を担っていたところでしょう。

こちらは現代の西国分寺駅。

今回は府中からバスで往復しました。

バス停の前に八百屋さんがあり、なんと焼き芋を売っていました。その匂いに負けて、一本お土産にしました。


Googleマップでは、熊野神社のあたりが消えていますね。


水の名残を探して歩くのは面白いですね。