かつて杉並区が村だったころ、今の阿佐ヶ谷北や高円寺北あたりは馬橋村と呼ばれていました。馬でも通れるくらいの橋があったとか。そこは純粋な農村地域で、桃園川の水を使って、江戸の人たちの米や野菜を作って暮らしていました。
今昔マップの明治42年(左)と、現在の地図(右)です。「馬橋原」と書かれています。
*「馬橋」という地名は、もう少し南側の今の阿佐谷南2丁目から高円寺南3丁目あたりにありました。タテに細長い地域だったようです。現在は「馬橋」という橋が残されています。
ところが桃園川は水量が少なく、また上流の農民達が水を使うと、この辺りに流れる水量は少なくなってしまいます。それで馬橋村、阿佐谷村、中野村の人たちは相談して、もっと水を使えるようにして欲しいと願いました。
天保の時代、この三村の人たちは代官に相談して、江戸幕府から補助金を出して貰い、南に流れている善福寺川の水を引水するように願いました。そして今の荻窪4丁目あたりの善福寺川からトンネルを掘って、青梅街道を越えて、北にある桃園川まで用水路を引いたのです。
という話をいろいろと調べているのですが、先日はその馬橋に出かけてきました。中央線の阿佐ヶ谷駅で下車して、北の方へ向かいました。
杉並区立馬橋小学校が見えました。学校の名前にはまだ「馬橋」が残されていました。「区」や「學」の旧字体が使われていますね。
そのお隣にあるのが、馬橋公園です。ここができたのは昭和60年のことですから、その頃は私は杉並区民ではなくなっていたので、公園ができたことは知りませんでした。
この広大な公園は、以前は気象研究所だったそうです。気象研といえば、今はつくばにありますし、また高円寺駅の近くには気象神社もあります。以前は馬橋にあったとは全く知りませんでした。
そして驚いたことに、その前は、ここは陸軍の通信学校だったということでした。考えてみると、この馬橋という場所は、いわゆる中野学校とは2キロくらいの位置になるので、不思議はないのですが。
こちらの今昔マップでは、まん中の辺りに「通信学校」と書かれていますね。ここに陸軍の気象部があったのでした。今の早稲田通りは「陸軍用地」になっています。昭和4年の地図です。
このあたり、現在は馬橋公園、「四季の広場」というように素敵なネーミングがついています。小さな子供達や、親子連れ、お年寄りや恋人同士が楽しそうに遊んでいました。幸せそうな風景でしたが、かつてはここは兵隊さんが訓練する場所だったのですね。
レンガの建物の一部が、うまく再利用されていました。
お洒落な感じです。
池には東屋があり、風流な風景でした。
秋には紅葉が美しいことでしょう。
そしてすごいモノを発見してしまいました。
それは公園の東の入口にありました。
