2010年6月30日水曜日

「Flowers」

映画「Flowers」を見てきました。


豪華女優6人の競演という映画でした。


昭和11年に親の決めた結婚式から逃げ出してしまうのは、蒼井優。

彼女の娘は3人いるのだけれど、長女は竹内結子。若くして未亡人になってしまっています。

次女はキャリアウーマンの走りでもある田中麗奈。

三女は出産が元で死んでしまう仲間友紀恵。

そしてその三女の娘の長女はピアニストになれなくてシングルマザーとなった鈴木京香。

その妹は子育てを楽しんでいる末広涼子。

蒼井優のシーンはモノクロで戦前の雰囲気がたっぷり味わえます。
登場人物もまだ高島田を結っているおかみさんがいたりして、蒼井優は銘仙の着物に半幅帯など締めていました。彼女のお母さん役の真野響子は美人なんだけど、どうも着付けがおかしくて、酒場の女将さんふうなのが気になったわ。

昭和の高度成長期を生きていく女性の竹内結子・田中麗奈・仲間友紀恵の3人のファッションは、当時のことをよく検証してあり、そうそう、こんな服を着ていたなと懐かしく思いました。ヘアスタイルもダサい感じでよく昭和40年代の頃の雰囲気が出ていました。

そして鈴木京香と広末涼子は平成に生きる女。

時代があちこち動くのでちょっと人間関係が分かりづらいところがあったのだけど、私的に一番嬉しかったのは、竹内結子の亡くなった夫役が、私の大好きな大沢たかおだったこと。ぼさぼさ頭に眼鏡姿で登場していました。でも竹内結子と新婚旅行のシーンはちょっと年が取りすぎかもね。ある雨の日に交通事故で亡くなってしまうの。

それとめっけもの!とおもったのは、蒼井優の夫の役がききりとした戦前の感じがよく表れた人だったので誰だと思ったら、あの百恵ちゃんと三浦友和の長男でした。昔風の顔つきで、よかったわ。

この映画で描きたかったことは何だったのでしょう。

私なりに解説すると、母と子のつながり、父と子のつながりということかしら。

女性が子どもを産まない限り、そういうつながりはなくなってしまうのだけれど、この映画では時代に逆らいながら、そして自分を見つめながら、次の世代の子どもを産むということが賛美されていたようです。

思えば私たちもみんな昔は子供だったのよね。そしてだんだん大人になり、自分が子どもを産み、そしてその子供がまた子どもを産んでいく。そういう当たり前のことがかなり美化されていたようで、この映画はもし子どもを産むことができなかった女性が見たら、どう感じたかなとちょっぴり気になりました。

それにしても有名な女優さんをこれだけ集めて、四季折々のシーンをちりばめて、また時代風景などもCGで再現して、ご苦労なことだったと思います。

私の中では戦前の蒼井優と、シングルマザーになって生きていく鈴木京香が素敵だったと思うわ。

監督はいつの時代でも母は強しということを伝えたかっただろうけれど、これが女性監督の映画だったらまた違ったものになっていたと思うわ。

2010年6月29日火曜日

秘すれば花・・・・

能で有名な世阿弥の一生を描いた瀬戸内寂聴さんの小説「秘花」を読みました。


私には何となく縁遠い能の本をどうして選んだかというと、室町幕府の8代将軍義政の奥さん・日野富子の小説を読んでいて、その中に世阿弥のことが書いてあったので、いったい世阿弥という人はどんな人なのだろうと気になっていたのです。

私は世阿弥というと、なんとなく笠智衆さんのような骨ばったおじいさんのイメージの人を思い浮かべていたんですけれど、いえいえ、世阿弥という人は体は華奢で小柄だったらしいけれど、今でいうジャニーズ・ジュニアなみのすごい美少年だっだんですって。

そのイケ面ぶりが12歳のとき、時の権力者である三代将軍義満のお目にとまり、彼から男と男の愛情を学んだらしいわ。とはいえ、将軍もその時はまだ17歳だったらしいから、少年愛とでもいうのかしら。

それでは男女の愛は誰から教えられたかというと、義満のお気に入りだった年上のお局様からいろいろと手ほどきを受けたらしいのよ。

それだけでもまぁ大変なことなのに、今度は御年58歳という摂政のおじさまにも寵愛され、世阿弥はこのパトロンからは学問的なことも学んだらしいの。若い時はいろいろ経験して、それを吸収していたみたいね。

そういう高貴な人に気に入られたおかげで、それまでは「猿楽」と言われて庶民のものだった芸を、「能」という高尚なものにしたのだから、世阿弥のお父さんである観阿弥は大喜びをしたわけね。そして世阿弥はこの世の栄光を一身に集めていったの。

ところが将軍なんて言うのは気まぐれなものだから、自分の愛人だった「椿」という女性を、世阿弥にぽいと下さってしまうのよ。それはないわよね。世阿弥も椿も、義満からはともに愛されていたのに、将軍が飽きてしまうと、二人でなんとかしろ、という感じじゃないの。

こんなことばかり書いていると、その小説は愛憎ばかりの小説だと思うかもしれないけれど、いえいえ、それだけで終わるような通俗小説ではないのです。

これからが世阿弥の芸に対する執着とそして人生の悲しみが始まるの。

世阿弥と椿の間にはなかなか子供が生まれなくて、それでは能の後継ぎがいなくて困るというので、世阿弥は自分の弟の子供を養子にしたのね。そうしたら、養子をもらったとたん、二人の間にも実子が次々に生まれてしまったのよ。こういうことってよくあることみたいね。
でも世阿弥は弟に養子を自分の跡取りにするという約束をしていたのに、やはり自分の子供のほうがかわいくて、それで養子との間がうまくいかなくなってしまうの。おまけに将軍や偉い人たちからもなんとなく邪険にされて、他の流派の能ばかりが優遇されてしまうのよ。その時の男のやきもちというのかしら、焦る気持ちもよく描かれていたわ。

そういう人間関係だけでも人生の苦しみだと思うのに、なんと世阿弥は自分の長男が若くして殺されてしまい、もう一人は出家してしまうのね。

逆縁の苦しみというのは味わった人でないと分からないと思うのだけれど、子どもを失うという場面は、読んでいて泣けるところでしたよ。

そこまでは世阿弥の親の立場としての中年時代までのことなのだけれど、その先がすごいのです。

なんと、世阿弥は72歳になったとき、6代将軍に何の理由もなく、奥さんとひきさかれるようにして急に佐渡島に島流しにあってしまうの。

そこから彼が80歳で亡くなるまでが、この小説の一番すごいところだと思うの。
人生の終わりに近づいて、どうして自分が佐渡へ流されなくてはいけなかったのか、自分の人生を振り返りながら、佐渡での生活を過ごすのね。そして承久の変でやはり佐渡に島流しにあった順徳上皇のことを思い浮かべながら、彼はこの島で生きていこうと決心するわけ。

これは小説なので、瀬戸内さんは「さえ」さんという世阿弥をお世話する女性を登場させているのだけれど、彼女自身も自分の最愛の子供を12歳で亡くしてしまったという悲しみにあふれた女性で、私はもしこの小説をドラマ化するなら、絶対にさえさん役は木村多江さんがぴったりだと思ったわ。

さえは当時30歳代で、世阿弥は70歳過ぎなんだけれど、そこには男女の愛が成立していたというのよ。うーむ、世阿弥は能で体を鍛えていたから、しっかりとした体で、しみもしわもなかったそうだけれど、そうか、その年齢になってもまだそういうことができるのね。

でも実は世阿弥が最後に愛したのはさえさんではなく、本当は彼女の亡くなった息子だったというのには、あっと驚いたわ。その種の男の人って、それほどまでして少年に惹かれるものなのかしらね。

どうもそういうシーンばかりを抜き出しているみたいだけれども、でも小説の中で作者が言いたかったのは、世阿弥は老いを見つめながらも、愛を求めていたということかもしれないわ。

世阿弥は能を演じる人としてもすごかったのだけれど、それ以上に能本(脚本のようなものかしら)を書いたり、芸の奥義を説く本をたくさん書いているのがすごいですね。著書は何十冊とあるようです。

本のタイトルの「秘花」は、世阿弥の有名な言葉である「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」からとってあるのだけれど、人によってその「花」の解釈がいろいろあるみたいなのよね。
つまり「花」のことを芸と見る人もいるようだし、「恋」と見る人もいるみたいね。

瀬戸内さんはこの小説の中で、世阿弥に「花とは色気のことだ」と言わせているの。
うーむ、やはり人間には色気が必要なのね。
でも色気は秘めていなくてはいけないのよ、見せびらかしていてはその価値がなくなってしまうというのね。

小説では世阿弥はだんだん耳が聞こえなくなり、そして目も見えなくなってしまうの。
それでもさえさんは世阿弥の手足となり、能の新作を書きとめていくのね。なかなかできることではありませんよね。やはりさえさんも世阿弥を慕って尊敬していたのでしょう。

そして世阿弥が亡くなった後、島に訪れてきた出家した二男に、さえさんは世阿弥と歩んできた生活を語るというところでこの小説は終わります。

読み初めはすらすらと進まなかったのだけれど、読み進むうちに内容も面白く、また瀬戸内さんの文体が素晴らしいので、2回も読み直してしまいました。

世阿弥の一生も壮絶なものだと思うけれど、この本は瀬戸内さんは85歳になってから書き始め、3年間かけて完成したそうです。そしてその間には佐渡島にも何回も取材に行ったそうで、そのエネルギーには圧倒されます。この本を書かずには死ねないという思いがあったのでしょうね。私はこの「秘花」は瀬戸内さんのこれまでの最高傑作だと思うわ。

この本は老いを感じるようになった男女、それもどちらかといえば男性にぜひ読んでもらいたいと思うの。私自身は男じゃないから分からない部分もあるのだけれど、人生の半ばを過ぎたこの時点で、この素晴らしい本と巡り合えたのは幸せでした。それほど厚い本ではないので、一読をお勧めしますよ。

2010年6月28日月曜日

あじさいの小径 3

お隣の市にある郷土の森博物館の「あじさいの小径」は、その名の通り、あじさいの花がずーっと続いているところです。


こんなふうに道の両側に色とりどりのあじさいが咲いていて、目を楽しませてくれます。

あじさいは子どもの背丈くらいあるので、ここで迷子になると見つからないかも?


とはいえ、あじさいばかり見ていると、あじさいには申し訳ないのだけれど、ちょっぴり飽きてきてしまいます。

そこであじさいの小径からちょっと寄り道をして「やすらぎの池」というところまで歩いて行きました。
暑くなったらこの池で足を浸して水遊びをするのもいいかもね。


あじさいに飽きた時には、池の睡蓮が一番。


あじさいの小径にさよならをして帰りのバスを待ちましたが、1時間に2本しか来ないというので、府中まで歩いて行くことにしました。途中に雨が降ってきてしまいました。

これは郷土の森博物館の近くの道で見つけたくちなし。
雨で曇っていたせいか、白い花がきれいに写せました。


くちなしの香り、大好きです。
そういえば、昔、渡哲也が「くちなしの花」という歌を歌ってヒットさせましたね。

2010年6月27日日曜日

エアロ★スター

今日はいつも行っているスポーツクラブでスペシャル・イベントがあったので、それに参加してきました。

今からもう20年以上前のことかしら、当時、エアロビクスという言葉がようやく一般に浸透してきたとき、そのエアロビの世界チャンピオンになったのが伊藤由里子さん。今日はその超カリスマ・インストラクターの伊藤さんのレッスンだったのです。なんと世界タイトルを9つも持っているそうで、まさに「エアロビの女王」です。


写真は愛知県常滑市大野町のまちおこしプログラムから拝借しました。
かなり昔の写真ですね。

伊藤さんの公式ブログはこちら。今日のレッスンのことも書いてあるわ。

伊藤さんは、ブログによると今年42歳だそうですけれど、元気いっぱいのおばちゃんという感じで、圧倒されました。当時よりはかなり体形が横広になっていましたけれど、軽やかなステップは今どきの若者にも負けていませんでしたよ。

お声はかなりハスキーでしたけれど、その大きな声を張り上げながら飛んだり跳ねたり、大いに動いていました。

さすが教え方が上手でしたね。でも60分間踊っていたというよりも、お手本を見せて、あとはみんなの動きを見て、うまくいかないところはまた教えてみる、という感じのレッスンでした。

振りは器械体操のような振りのような感じで、私はこのエアロ★スターのクラスには初めて参加したのですけれど、懐かしい振りだったで、すぐに踊れました。私だってこういう踊りは30年以上もやっているんですから~。

でもね、隣にものすごくド下手でリズム音痴のおじちゃんがいて、動きが遅いし人とずれているから、このおじちゃんは私にぶつかってばかり。せっかくのレッスンだったのにね。

まぁ、500円で世界クラスの先生のレッスンに参加できて、もうけものだったわ。

2010年6月26日土曜日

あじさいの小径 2

この郷土の森博物館には、植物もたくさんあるのですけれど、この市の古くからの遺跡や歴史的な建物などもいろいろと展示されています。

こちらは昔の薬屋さんのようです。明治の建物でした。


こちらは昔の町役場。大正時代に建てられ、ついこの前まで使われていたそうです。


他にも昔の郵便局とか尋常小学校などがありました。

こちらは江戸時代に郷土のために活躍した川崎平右衛門さんという人。


元禄時代に多摩川の治水に取り組み、農業を発達させたとかで、その功績で大岡越前守からサンシュユの苗木をもらったとか。

広い敷地には梅の木がたくさん植えられています。


梅の実もこんなにたくさん落ちていました。大きいでしょう。
「持ち帰らないでください」という立て札が立っていましたよ。


この梅を使った梅羊羹や梅ドレッシングがお土産に売られていました。私は梅の実をつぶしたものを買ってきました。梅の和えものを作るときにちょうどいいのです。

次回はあじさいの小径に咲いていたあじさい以外のお花を紹介しますね。

2010年6月25日金曜日

あじさいの小径 1

先日、梅雨の上がった合間に、隣の市にある郷土の森博物館の「あじさいの小径」に行ってきました。

郷土の森博物館はうちからは多摩川に沿って自転車に乗っていけば行けるところなんですが、さすがに梅雨の季節は自転車に乗る気がしないので、電車とバスを乗り継いで出かけました。

まずはあじさいの特集から。


雨の露がきれいなあじさい。


紫、ブルー、ピンク、白と色とりどりのあじさいが咲いていました。


最初のうちは、あじさいが咲いているのを見ると、興奮して、「まぁ、きれい!」なんてため息をついていました。でもその数があまりに多くて多くて・・・。


あじさいさんには悪いと思いましたけれど、だんだん興奮度が低くなってしまったようです。

あじさいの花を見ていると、なんとなく子どものときに折り紙で作ったあじさいの花を思い出しました。小さい四角い紙で折りたたんで、糊でいくつか重ねていって作った花です。


ちょっぴり食傷気味でしたけれど、それでもやはりきれいなあじさい。


これは周りの花びらもまんなかの小さな花もみんな白で、清潔そうな雰囲気でした。


かなり濃い色のあじさい。なんとなく中年女性のしたたかさを思わせるような感じ。私も花にたとえたらこんなふうなのかしら?


これは周りの花のところが、白く縁取られていて、ちょっとおしゃれな感じでした。

次回は郷土の森博物館の他の風景をアップしますね。

2010年6月24日木曜日

味噌づくし

去年の2月に岡崎にある「八丁味噌」を見学して以来、カクキューのお味噌の大ファンとなりました。

その時のブログはこちら

それ以来、盆と暮れには、ここの味噌セットを注文しています。

さぁ、届きましたよ。


普通のお味噌はもちろんのこと、味噌ドレッシング、味噌カレー、味噌うどん、味噌ラーメン、味噌だれ、味噌ソース・・・とどれも赤だし味噌が入っていて、とてもおいしいのです。

一番のお気に入りは、写真の右側にある味噌キャラメル。

名古屋地方の料理って、京料理とも江戸前料理とも違っていて、どちらかというと甘みがきっちりしているかしら。

ちなみに「八丁」とは、このお店が岡崎城から8丁(870メートル)ほど離れたところにあったのでついた名前だそうですよ。

さぁ、どの味噌から制覇しようかしら!

2010年6月23日水曜日

夏着物の練習

着物の世界では、いつ、どんな生地の着物を着るというのが決まっていて、7月・8月は絽とか紗とか言われる透けた生地の着物を着ることになっているようです。

というか、普通の生地の着物では、いくら裏なしの単衣でも暑くてたまらないでしょう。

先日、絽の着物を着る練習をしてみました。


もちろんリサイクル着物ですけれど、サイズがぴったりで、紫と藍色の中間のような色なので、それが気に入って買ったものです。

なんとなく風呂敷のような柄でしょ。

軽くて涼しくて気持ちよかったわ。

帯は、着物屋さんのお姉さんにうまくすすめられて、つい買わされてしまった絽つづれというもので、こちらは私には珍しく新品です。


ところがやはり帯を締めるとなると、いくら裏なしの涼しい帯でも、やはり帯枕をしたり帯揚げをするとなると、おなかのあたりが暑苦しいわ。

ということで練習だけに終わってしまって、洋服に着替えて外出しました。

******

私の三味線の先生は、お稽古の時はいつも着物姿なんだけれど、とても涼しそうに着こなしていらっしゃるのです。

先日のお稽古の時は、真っ白い帯がとても素敵だったわ。

「先生、すごく涼しそうに見えますね」と言ったら、「あら、そう見てもらえると嬉しいわ」とおっしゃるの。
夏の着物姿は、人に涼しそうと思わせなくちゃいけないんですって。

先生がおっしゃるには、「人前で汗を拭いたりしたらだめなのよ。そういうことはそっと隠れてしなくちゃ。とにかく、人様に暑苦しいと思われたらだめよ」ということでした。

いくら暑くてもお扇子をぱたぱたしたり、ハンカチで汗を拭いたりしては興ざめだそうで、本心は暑くても、涼しい顔をしていないと、ほんとの着物名人とはいえないらしいわ。

2010年6月22日火曜日

蕾のうちが花

さて、みなさまお楽しみの「サンパラソル」の花が咲きました。

でもね、期待していたほどではなかったの。こちらはお花についていた説明の写真。


蕾のうちはとても可愛らしくて、いったいどんな花が咲くのかしらと思っていたのに、咲いてみたら朝顔をもっとぺったんこにしたような花で、平凡でした。

よく、少女時代はとても可愛らしいのに、大きくなったらそれほどでもない、という女性がいるでしょ。なんだかサンパラソルはそんな感じでした。

こちら↓は蕾のとき。とても大きくて立派でした。10歳くらいの少女といった感じかしら? 6月17日の写真です。


こちら↓は少し花びらが開いたとき。花びらがくるんくるんしていて可憐でしょ。番茶も出花の18くらいのころかしら? いや、15歳くらいかな。6月20日です。こういう可愛い姿を見ると、咲いた時のことを期待しちゃいますよね。


ところがね、開花したらこんな↓おかめ顔。6月21日です。どうも「サンパラソル」という豪華な名前に負けていますよね。なんだかでれっとしていて、しまりがありません。


ま、20代、30代は平凡な顔つきでも、50歳くらいから急に変身をして、いい女になる人もいるようだから、このサンパラソル、これからまだもうひと化けするかもね。

お花を眺めながら、なんだか女の一生を語ってしまいました~。

2010年6月21日月曜日

世界遺産巡り

私の記憶が合っていれば、たしか3年前は北海道の知床に行ったはず、そして2年前は屋久島に行ったはず。

今年の夏は「白神山地」のツアーに参加することになりました。


ということで、夏の旅行は「世界遺産」のところばかりです。

でも私自身は、あまりアウトドア派ではないので、「絶対に行きたい!」という所でもないの。トレッキングとかまるで他人事のような感じです。なんとか温泉という所に泊まるようなので、OKしたのです。

私はどちらかと言えば、美術館に行ったり、町中を散歩したりする方が好きなんです。

ま、今回は同行者の意見に従うことにしましょう。

ということで、どなたか「白神山地」についての情報がある方、行ったことのある方、どんなところか教えてくださいね。

2010年6月20日日曜日

100万人のキャンドル・ナイト

「100万人のキャンドル・ナイト」というイベントが、毎年、夏至と冬至の頃に年2回、行われているんですって。

夜の8時から10時までは明かりを消して、スローな夜を過ごそうというのが趣旨のようで、もう15回も続いているのだとか。

キャンドル・ナイトの説明文をちょっと紹介してみますね。

 ろうそくの光で子供に絵本を読んであげるのもいいでしょう。
 静かに恋人と食事をするのもいいでしょう。

 ある人は省エネを、ある人は平和を。

 プラグを抜くことは新たな世界の窓をひらくのです。

 電気を消して、スローな夜を。


そのイベントの一環として、横浜の青葉台にあるジャズ・バーでも、キャンドルの明かりの中で、いろんなジャンルの人が演奏するという行事が昨日あったので、行ってみました。


こういうお店です。


これは、参加費の領収証代りの貝殻です。お土産にしました。

このお店は細長くて、右側がカウンターで中はキッチンになっています。
奥の方にピアノや譜面台が置いてあり、その前が座席なんですけれど、私はどういうわけか、その演奏する人のちょうど50センチほど真ん前の席に通されてしまいました。


演奏する人の毛穴まで見えてしまうような至近距離のかぶりつきでした。

最初はピアノとギターと歌のトリオ(ボーカルが女性一人でハイファイセットみたい)でした。

その後はギター・エレキギター・ピアノ・パーカッションの4人のメンバーによる英語の歌。ギターのおじさん、かなりのお年でしたけれど、指さばきがかっこよかったですよ。

それから女性だけ6人グループのコーラス。

こんなふうにいろんなジャンルの演奏がありました。

そして私が待っていたのが、新内でした。
ピンクの着物に藍色の手ぬぐいを頭からかぶり、延千代師匠の新内流しが登場。
立ったまま、三味線をチンチンと弾きながら、江戸時代の遊女の新内を歌ったり、都々逸を歌ったりで、色っぽかったですよ。
私はこの師匠さんから懐メロ三味線というのを習っているのですけれど、とにかく声に艶があるんですよね。
おきゃんな台詞もぴったりだし、どすの利いた声も出せるし、ほんと役者です。江戸情緒がたっぷりで、お客さんから掛け声もかかっていました。


キャンドルだけの明かりで写したので、こんなふうにしか撮れませんでした。

他にも朗読劇などもあったようです。
こんなふうにいろんなジャンルの人が登場するライブというのは、飽きなくていいですね。

青葉台は仕事で通過するところなんですが、高級住宅街の中にこんなジャズ・バーもあって、面白い街のようです。

2010年6月19日土曜日

ひぇ~なお話

この前、美容院に行って髪を染めてもらっていた時、美容師さんと男性の毛染めの話になったの。

あまりに黒々したのもおかしいし、年を取った男性の茶髪というのも見苦しいわよね、なんてことを話していたのよ。


そうしたらその美容師さんが、「今は、頭の毛の薄い男性は、自分の後頭部あたりの皮膚をおでこのほうに移植するそうですよ」なんて話すんですよ。

つまり、毛の少なくなった人でも、あたまの後ろの方は毛がまだあるでしょ。それを薄くなった前の方の部分に移し替えると、そこはまた新たに毛が生えるし、自分の皮膚だから問題はないんですって。

え~、ですよね。

でもね、○○○・ジョージさんとか、みんなやっているんですって。

そこまでして男の人って、髪の毛が欲しいのかな?


私は思わず、「男の人は、ハゲでも白髪でもなんでもいいから、自然のままにしてほしいわ」と言ってしまったわ。

年を取って白髪や髪が薄くなるのは当たり前なんだから、移植なんて考えないでよね。

すごく髪の毛が多くて、悩んでいるとしちゃんより。

写真はまたまたベランダのペチュニアです。

2010年6月18日金曜日

娘の手術

うちの娘が、今日、目のレーシック手術を受けてきました。


そう、Mさんが受けた手術の若者版のような感じね。

娘は私以上に近眼がひどくて、裸眼では0.06くらいしかなかったそうなの。

それでいつもコンタクトレンズのお世話になっていましたが、時々かける眼鏡では全然視力がでなかったらしいわ。

私の親戚の若い人が2人もこの手術を受けて、すごくよく見えるようになったというので、私もOKしました。

私だって若かったらやってみたかったんですもの。でもお父さんは、自分が目が悪くないせいか、あまり勧めはしなかったですけどね。


娘は今は、手術後専用のほこりよけ眼鏡(度は入っていない)をかけているのだけれど、ものすごくよく見えるみたい。
自分の素顔(眼鏡をかけない顔)が見えるのが一番嬉しいと言っていました。

手術の保証期間によって費用が違うそうですけれど、15年保証で21万円だとか。
それならコンタクトをしているよりずっと安いですよね。

今日はシャンプーや飲酒はだめだとか。

ま、いくら手術を受けても、中年になれば老眼にはなるのでしょうから、それは仕方がないけれど、でもコンタクトや眼鏡の煩わしさから解放されたのは、いいなー。

2010年6月17日木曜日

サンパラソル その2

今日も仕事で一日中、キーボードを叩きっぱなしで、腕が腱鞘炎のようになってしまいました。ずっと画面を眺めているので、目もしょぼしょぼしてきました。

それでも帰宅すればまたブログに書き込みをするのですから、私もパソコン依存症かも。

さて、みなさんに愛されそうな花、サントリーのサンパラソルですが、今朝はだいぶつぼみも大きくなりました。


赤い花が咲くのかしら?


それともピンクの花が咲くのかしら?

写真の後ろの方にある竹は、オリーブの木を支えている大事な柱なんです。

2010年6月16日水曜日

サンパラソル

このところ、ちょっとユーウツな気分になっていて、スポーツクラブもあまり行っていませんでした。仕事と家の往復、という毎日で、歩数計も7000歩ぐらいの毎日でした。

でもそんなことでは仕方ない、と思い、今日は往復の道のりを歩いて、60分間のズンバのクラスで踊ってきました。そうしたら、なんと歩数計が軽く15,000歩をオーバーしました。活動カロリーも750カロリーくらい消費したみたいです。

ふふ、やはり数字に表れると嬉しくなるわね。


今の楽しみは、ベランダに植えてある「サンパラソル」という花がいつ咲くか、ということ。
5月に花屋さんに植えてもらった時は葉っぱだけだったのに、茎がどんどん伸びて、今はつぼみがだいぶ大きくなりました。
ピンクの花が咲くみたいなんですけれど、どんな花なのか、ちょっと楽しみです。

サンパラソルの育て方のページはこちら

今日の写真はFUZZYさんから拝借しました。

2010年6月15日火曜日

歴史小説は面白い

先日まで、瀬戸内晴美と永井路子という私の大先輩二人が書いた、日野富子に関する本を読んでいました。
どちらも上下巻に分かれている長編小説です。

瀬戸内さんの方の本は、「幻花」です。1979年に発行されたそうです。


永井さんの方の本は、「銀の館」でこちらは1983年の発行。


二人ともそれまであった日野富子像(やりての女政治家)というイメージを覆すストーリーを展開していて、本当に面白い歴史小説でした。

私は日野富子と聞いても、単に足利将軍の奥さんであるということくらいしか認識がありませんでしたし、「応仁の乱」と聞いても、「1467年から勃発した細川勝元と山名宗全の戦い」というくらいしか知りませんでした。

でも二人の小説を読んで、(もちろん、それは小説なので、空想上の人物も登場しているし、作り物なのはわかっていましたが)室町時代と言うのがいかにいい加減な時代で、政治は腐敗していて、庶民は苦しんでいたのかが分かりました。

でもそんな時代にあっても、八代将軍というのは、あの銀閣寺を建てることに夢中になり、そして現代に生きる私たちは銀閣寺を見るたびに、「わびとさびの象徴」であるかのようにあがめたてまつっているんですよね。その陰でどれだけの庶民が苦しんでいたか、ということは分かりませんね。

この足利義政という人は、文化人かもしれませんけれど、何も自分では決断できない無気力な将軍だったようで、庭造りだけが趣味だったようです。こんなおぼっちゃま将軍、どうしようもないですよね。
おまけに青年時代は年上のお局様の愛欲に浸ってしまい、かなり淫乱な生活を送っていたようです。


そんなぼんくら将軍がいたころ、京の町は疫病や火災、盗賊、一揆などの発生が頻発していたそうで、町のあちこちには息絶えた死体がごろごろしていたそうです。

そういう室町時代において、日野富子という女性は権力側にありながら、一人の子どもを溺愛する母親として一心不乱になっていくようです。

二人の小説の面白いところは、瀬戸内さんの方は「実は日野富子は双子のうちの一人だった」という想定で、その双子の方割れを登場させています。
また永井さんの小説には、日野富子とはまるで逆の立場である河原に住むような庶民代表の女性を登場させています。

そしてこの女性と日野富子の話を交互に描きながら、ストーリーを展開させていますが、世阿弥なども登場して、とても面白い本でした。
それにね、京都の素敵なお寺である相国寺は、三代将軍義満が建てたお寺だったそうで、ふーん、そうだったのね。

でも応仁の乱のあたりはいろんな人が登場して、頭がこんがらがりました。
お家騒動が元とはいえ、いろんな人が敵味方に分かれ、ややこしくて仕方ありませんでした。
そういう分かりにくさがあるので、この時代はあまり人気がないのかもしれませんね。

それにしても歴史小説を書く人って、ほんとに上手ですよね。見て来たようなことを書き、聞いていたような台詞を書けるのですから、どれだけ想像力があるのでしょう。
本当に尊敬してしまいます。

2010年6月14日月曜日

カメルーン

今日は月曜日の雨の日だったので、またまた通勤電車が大幅に遅れました。

もうこの頃では、定刻通りの運行を期待するのは、諦めています。


今夜はみんな、サッカーの試合を見るのでしょうか。

悪いけれど、私はサッカーにはあまり興味がないんです。

でも相手国のカメルーンには興味がありますよ。


というのも今から30年ほど前になりますけれど、ナイジェリアという国に住んでいて、そこで雇っていたメイドさんが隣国のカメルーン出身の女の子だったのです。ヤウンデから出稼ぎに来ていたのです。

名前は何と言ったかしら、マリアとかそういう名前だったわ。
とてもすらっとしたきれいな子でした。でも家事能力はイマイチで、いつも適当に仕事をしていましたね。

カメルーンと言うのはフランス圏の国なので、彼女の英語も私の英語もぼちぼちで、それでも何とか通じていたのは不思議でしたね。

お尻がきゅっと上がっていて、そこに巻きスカートをきりりと締めて、掃除や料理の手伝いやアイロンかけをやっていてもらいました。

今ごろ、あの彼女は元気で生きているのかしら?

2010年6月13日日曜日

今日の戦利品

今日は朝から地元の神社の「骨董市」に出かけてきました。
毎月、2回、日曜日に開かれています。
藍色の和食器やら古いカメラやら、何に使うのか分からない骨董品がたくさん並べられていて、冷やかすだけでも楽しいところです。

今日の戦利品は、こちら。


白と紫の帯締めです。色がとても気に入りました。白のところにところどころ、薄い黄色が入っています。
これなら夏の帯にもいいんじゃないかしら?
700円の値札が付いていましたけれど、お店のおじさんは「500円でいいよ」とまけてくれました。

その後、市役所の庭で行われているフリーマーケットにも寄ってみました。
すごく混んでいましたよ。


さすがに着物関係のものはなかったけれど、夏のバッグが目につきました。
実は、これとほとんど同じバッグを持っていたのだけれど、汚してしまい、泣く泣く捨てたのです。

それと似たようなバッグが新品でなんと350円でした。
ひと夏だけ使っただけでも、元はとれるでしょ。


なんとかというブランド品のようでしたね。

もうひとつがこちらの黒のサマーセーター。
胸の下はプリーツになっていて、着やすそうでしょ。
これも新品なのに200円。


儲けた、と思ったのですが、家に帰って広げてみたら、袖がひらひらに分かれていて、このままじゃちょっと恥ずかしくて着られないわ。袖の割れをかがらなくちゃ。

他には100円でショッキングピンクのビニールバッグを買いました。
これは旅先で、浴場に行くときに着替えとタオルをいれるのにちょうどいいと思って、即購入。
「コスモポリタン」というブランドのようでした。

割とうまい買い物ができました。

それにしても私ってケチですよね~。

でも私がホントに欲しいのは、夏向きの半幅帯なの。
普通の名古屋帯だと、おなかの周りが暑くて、アセモができてしまうのよ。
軽くて締めやすい帯はないかしら?