<私のパズル人生の続きです>
さて私のパズル人生の歴史だが、カナダから日本に帰国して ○○市に住むようになったのだが、カナダ編でも書いたように、そこで2500ピースの再制作に取りかかった。
つまりA-1、A-2、A-3・・・・とピースの裏に書かれた記号を順番に並べていく作業に取り掛かったのだ。
ただし2500ピースは、日本の家屋にはあまりに面積が大きすぎて、壁面に貼っておいても、そこにたんすや本箱を置いてしまうと絵が見えなくなってしまう。
ということで日本では狭い部屋に合わせて、1000ピースものが中心となるのだった。
子供が生まれてからは、ディズニーものや 魔女の宅急便などのアニメもいっしょに楽しんだが、色が鮮明なため、簡単にできて、すぐに終了してしまう。
というわけでパズルが完成しても糊付けはせずに、何度も何度も繰り返して作り直した。となるとずいぶん安い買い物だったといえよう。
ただしパズルには楽しい思い出ばかりではない。
今はもう亡くなった父が脳梗塞で倒れたとき、退院後、何も楽しむことがないのでせめてと思い、たぶん10ピースくらいの幼児向けのパズルをプレゼントした。
絵柄は女の子の真正面を向いた可愛いものだった。
ところが父は、たった10ピースの組み合わせもできないほど、脳の機能が低下してしまった。
たった10ピースなのに、何をしたらよいのか分からずに、手もつけないでいた。
それを見たときはとても悲しい思いがした。
あのパズルはどこへ行ってしまったのだろう。
<私のパズル人生>
こだわり編 アフリカ編 カナダ編 まだまだ続きます。
4 件のコメント:
同じです。家の父の場合も。
脳梗塞で倒れて入院。3ヶ月後家に戻ったとき、リハビリのため簡単なパズルをやってもらおうとしたの。
でも、できなかった。囲碁が趣味でね、大きな大会でいつも優勝してくる位の腕前だったのに、3歳の子でもできそうな、パズルが出来ないのよね。
悲しい、というより、絶望的な気分になったかなぁ。
マサさん、うちの父も囲碁が大好きだったのよ。いつもNHK3チャンネルの囲碁の番組を見ていて、碁会所に出かけていたの。杉並に住んでいたときも、横浜に住んでいたときも、その後、こちらに来たときも、いつも碁会所だけは出かけていたんでけどね。
それが歩行が困難になって、それならパズルがいいのかしら、と思ったのだけど、ダメだった。
本当にショックでしたね。
娘としては辛いわよね。
ウ~ン、私自身が苦手なのだ~、だからできない人を見てもビックリしないけど、できる人を見るとビックリ、(笑)ずっとコレを読んでいて、感心してしまっている。
父が認知症になった時、病院で簡単な診断テストを行うのだけれど、数字4桁を、お医者さんが言って、逆から答える・・父はすぐに答えているのに私が横で聞いていてまるでダメ。私は自分にがっくり来て、親ではなく自分というところがつらい!!
パズルは好き好きなんですよ。
トントンみたいにあれほど繊細な刺繍をする人のほうが私には感心してしまうわ。
数字を反対に言うのって、けっこう難しいですよね。
昔は10桁の電話番号でもスラスラと覚えていたのに、今では携帯まかせで、全然覚えられないの。情けないわね。
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