2012年7月31日火曜日

名古屋の夏旅 3 ~有松~

さて暑い暑い名古屋の夏旅の続きです。

大須観音の骨董市を後にして、地下鉄と名鉄を乗り継いで、名古屋の南東に位置する有松というところに行きました。

有松は、浴衣でよく見かける「有松絞り」で有名なところです。

おなかが空いてきたので、ネットで下調べをしていた釜焼きパン屋さんを探しました。

ありました、絞りの問屋さんのおうちだった神半邸という古いおうちを改造したパン屋さん「ダーシェンカ」▼です。パン好きの人にはすごく人気のあるお店だそうです。


ここはこだわりのあるパン作りをしているところで、国内産の小麦だけを使って、大きな石窯でじっくりと焼き上げているそうです。
お店で焼かれたパンを買うと、お蔵のあるこのお庭で食べられるのです。


私が選んだのは枝豆のパンと、シナモン入りのパン。
それにトマトとリンゴの入ったガスパチョ・スープを付けました。


のんびりとお食事をした後は、暑い暑い町を歩きました。

この辺りは江戸時代は東海道の宿場町だったのですが、お伊勢参りをする旅人達のために絞りの手ぬぐいを作って売ったというのが、有松絞りの始まりだったそうです。

広重の描いた有松の絵です。


こちらが有松絞りを最初に考案したという竹田庄九郎さんの石碑です。


400年前の家並みが美しいところでした。

白壁がきれいですね。


土蔵には何が入っていたのでしょうか。


最初に行ったところは「有松・鳴海絞会館」


絞りには100種類以上あるそうですが、どれもこれも時間と手間のかかるものばかり。
三浦絞り、竜巻絞り、柳絞り、有名な雪花絞りなど数えきれないほどのデザインがありました。

絞りを作るには、まずは型を作り、そこに穴をパンチのようなもので開けて、その型を白い反物の上に置きます。
そして青花を塗って、その場所を糸で括ります。
そして染めて、洗って、最後に糸を抜くと、見事な絞りが出来上がります。
この糸を抜くときが一番緊張するのだそうですが、それだけでも数時間以上かかるそうです。

ここでは絞りの実演をしていましたが、もう、すごいという言葉しかでませんでした。

下の写真のにょろにょろしたものも、絞りの制作途中です。

昔は絞りは浴衣の反物がほとんどだったようですが、最近ではTシャツ、ネクタイ、子供用甚平、バッグなど様々な製品が作られていました。
私は孫のよだれ拭きようにミニタオルを買いました。

古い浴衣のポスターがありましたが、小暮美千代さんと有馬稲子さんでしょうか。
昭和を感じさせますね。


この後はすぐ近くにある「有松山車会館」というところに行きましたが、この続きはまたね。


2012年7月30日月曜日

名古屋の夏旅 2 ~大須観音~

よりによってこんなに暑いときに、旅行に行かなくてもいいのでしょうが、実は理由があったのです。

まず第一は、名古屋の大須観音の骨董市は毎月18日と28日に開かれていて、28日は土曜日だったのでちょうどいいと思ったのです。
そして二つ目の理由としては、29日の日曜日は三味線のおけいこが会場が取れなくてキャンセルになったので、暑いのは覚悟の上で、この週末に出かけることにしたのでした。

のぞみで名古屋に向かいます。


大須観音は去年の6月にも出かけた▼ので、道順もばっちり。
今回はスイスイと到着しました。


境内ではお皿やガラス製品、着物や帯、そして訳のわからないものが山のように売られています。


それにしても、名古屋の暑さは東京とは比べ物にならないほど暑かったですね。
湿気がすごいのです。
身体じゅうから汗が噴き出てきて、品物を見比べる余裕もありません。

それで骨董市の売り物も、かんかん照りの下、着物などもホットになっていましたね。

私の探していた絽の帯はいいものがなくて、残念。

でもこんな素敵な着物姿の方に巡り会えました。私もこんな帯が欲しかったのです。

青の絽の帯です。
貝殻の模様なのかしら。


あまりに素敵だったのでお声がけさせていただきました。
この帯はヤフオクで買ったものだったのとか。
無地の着物にとてもよく合っていました。
やはり古くて素敵な帯はそのようにして入手するより仕方ないのかもしれませんね。

骨董市の日差しから逃げるようにして、商店街に入りました。

でも残念なことに、目指していた「コメ兵」は安売りの1階のフロアが工事中でお休み。
2階は高級品ばかりで、ちょっと手が出ませんでした。


それでも大須観音商店街には呉服屋さんがいくつかあるので、そちらを覗いてきました。

格安の戦利品がありましたよ!

なんと210円という帯です。
(そのうち、お目にかけますね)

大須観音のお土産はこの帯だけ。

この後は地下鉄と名鉄を乗り継いで、絞りで有名な「有松」に出向いたのでした。

(この項、続きます)

2012年7月29日日曜日

名古屋の夏旅 1

名古屋に1泊で出かけてきました。


7月28日(土)の朝の新幹線で名古屋に行って、大須観音の骨董市に行ってあれこれ物色しましたがあまりに暑いので早々に引き揚げ、それから地下鉄や名鉄を乗り継ぎ、絞りで有名な有松に行きました。
さすがに絞りの町でした。

このようなお店の暖簾もみんな絞りで作られていました。


その後、また名古屋に戻り、叔母と久しぶりに再会してきました。
叔母はもう80歳なのですが、あまりに若々しくてびっくり。
多趣味で忙しくしているので、年のほうが逃げて行っているようです。

宿泊はなんと生まれて初めてカプセルホテルというところに泊まりました。
寝台列車の個室よりは広いくらいのところでしたが、お風呂やサウナは24時間いつでもOKでした。
平日だと1泊3000円、朝食は280円という安さです。
そのせいか、こういうところを利用する人がすごく多くて、世間にはこのような場所があるのだということを初めて知りました。

7月29日(日)は早朝からホテルをチェックアウトして、まずは名古屋でコインロッカーに荷物を預けて、また名鉄でこんどは犬山城まで行きました。
駅からちんたらと30分くらい歩きましたが、暑いのなんの・・・・。
汗がだらだらで死にそう。

犬山城の後は、犬山の古い町並みを散歩しましたが、滋賀県の長浜や近江八幡にも似た雰囲気のあるよい町でした。

でもお目当てのお店が開いていなくて、仕方なく名古屋に戻りました。
外の見学は余りに蒸し暑いので、名鉄デパートと高島屋の両方で呉服リサイクル市をしていたので、そこで冷やかしながらいろいろと見ていましたが、思うようなものはありませんでした。

それで予定の新幹線の切符を早めの切符に交換してもらい、夕方には家に戻ってきました。

本当は着物で出かけたかったのですが、35度もあったので諦めて、その代わりタイで買ったシルクの巻きスカートで行きました。この民族衣装があちこちで評判がよく、地元の人たちともそのスカートの話題から着物の話になったりして、やはり旅行でも着るものにちょっと気を使うのがいいのかしらと思いました。


犬山城で写してもらった写真です。本当はスカートの下の模様がきれいなので、それが写っていたらよかったのですが・・・。

(この項、続きます。)

2012年7月28日土曜日

名古屋から

名古屋は暑くて汗がだらだらです。

有松まで行きましたが、ここの山車が見事でした。
からくり人形が乗っているのですが、なんと筆で字を書くのですよ。

今夜は生まれて初めてカプセルホテルに泊まります。寝られるかしら?

2012年7月27日金曜日

暑い! 寒い!

このところ、日本中が猛暑ですね。

毎日のニュースは熱中症の人が続出という話ばかりです。

たしかに炎天下を歩いていたり、遊んでいたりしたら暑くてたまらないでしょうが、職場でじっとしていると寒くて死にそうになるのです。

私の席はエアコンの吹き出し口の下なので、特に寒い。
それでエアコン用のカバーのようなものを付けてもらって覆ってあるのですが、それでも寒くて、長袖のカーディガンを着て、足には毛布をかけて自衛しています。


そんな寒がりの私ですが、明日はこの暑さの中、なんと名古屋までお出かけの予定。

実は9月にも仕事で名古屋に行くのですが、その時はあまり自由時間もないので、今回、出かけることにしました。

目的の第一は、毎月18日と28日に開かれる大須観音の骨董市です。
お目当ては夏の絽の帯。
いいのがあるかしら?

その後は絞り染めで有名な有松に行きます。

翌日は犬山城あたりの観光。

あまり長い時間外を歩くと暑くて大変なので、適当にばてないように行ってきますね。





2012年7月26日木曜日

植松 三十里 「家康の子」

ちょっと前に読んだ本です。

なんとも気恥ずかしい表紙の本でした。


電車の中で読むのはいいのですけれど、降りるときに本をパタンととじてこの表紙が見えるのが恥ずかしかったのですよね。
なんだか少年愛の本みたいで・・・・。

******

家康には男の子だけでも何人もいたそうですが、この本の主人公はお万の方と言う女性との間に生まれた子供のお話です。

彼は家康の子供として生まれましたが、12歳の時に人質として豊臣秀吉ところへ差し出され、そして「秀康」と名付けれられます。
これは「秀吉に忠義を果たす」の意味とも考えられます。

また「秀吉」と「家康」を結ぶという意味にも考えられますね。

彼は自分は家康から捨てられたのではないかと思いますが、実は家康自身も幼い時は人質になっていたので、彼のことをよく理解していたようでした。

ところが彼の一生はそこでは終わらず、今度はまた人質として結城家に行くことになりました。

そして最後は福井のために尽くした人でした。

本当なら徳川2代将軍にもなれたのですが、そうでない一生を送った人のお話です。

植松さんという作家は、埋もれた人の話を取り上げるのがうまいですね。
超有名な人の話はそれほどではないのですが、「名前だけは知っている」とか「どこかで聞いたことがある」という人物を深く掘り下げて、そして好意的にとらえて描いていると思います。

そういう人の資料を探すのは大変だろうなと思いますね。





2012年7月25日水曜日

和装の美 最終回 ~涼しげに~

市民カレッジ「和装の美」も今日が最終回でした。

8回の講義でしたが、全部の回を着物で出席したのは私だけでした。
ちょっぴり自慢(?)

それにしても今日は暑くて、着る前に部屋をクーラーでがんがんに冷やしてから着付けをしました。

なるべく涼しそうに見えるような白っぽい着物にしました。

浴衣に毛が生えたようなものですね。
職場の近くのリサイクルきもの屋さんで、2500円で買ったもの。
買ったときはまだ肌寒く、こんなペラペラの着物を着るのかなと思っていましたが、今になってみるとこれでも暑苦しかったですね。



帯も涼しげに半幅帯にしようと思ったのですが、この着物はちょっと大きめサイズで、後ろのおはしょりのあたりがモコモコしているので、それを隠すためにやはりお太鼓結びにしました。

黒の透けた帯です。
世田谷の骨董市で1000円で買ったもの。


帯締めは某デパートで1155円という半端な値段で買った薄いミント色のもの。

ほんとに安上がりなコーディネイトだわ。
少しは涼しそうに見えるかしら。

講義の内容は、前半はいろいろな友禅染の着物をスライドで拝見しました。

後半は「友禅染の間違いはいつから始まったか」について、古い資料を見ながらの検証作業でした。
江戸時代後半までは友禅染のことはきちんと伝わっていたのに、どうも明治時代になってある鑑定士が書いた資料のころから、友禅さんは金沢に移り住んだとかいうあいまいな記述になり、そして昭和になっても広辞苑や日本史の教科書でもおかしな説明があり、そこから間違った情報が広まってしまったようでした。

スライドの中で面白いと思った着物は、いくつかありましたが、まず1枚は、えんじ色の着物で、裾のほうに桜の絵が描いてあるのですが、左の上前には桜が満開の絵が描かれてあり、後ろ身頃のほうにいくに従って桜が散って行き、緑の葉っぱになり、そして枯れて、右の下前のほうになると雪に埋もれた桜になっているという連続柄のものでした。

桜の柄の着物は春だけでなく、1年中着てもよいと言われていますけれど、こんなふうに1年間の桜の姿が描かれていると楽しいなと思いました。

もう1枚は、すごく地味な灰色の着物で、右の下前のところだけに白っぽい柄がちょっとだけ描かれているもの。でもこれが大振り袖なのですよ。
つまり超お金持ちのお嬢さんがわざと地味な着物を着て、でも歩いたりするとチラリと下から白い模様が見え隠れするというもの。
お洒落でしたよ。

他にも上半身は赤と白の石畳模様なのに、下半身は競馬の行事の絵柄だったり、すごく大胆な着物でした。
でもこういう着物を着たら、帯はどんなものにしたらよいのかしらね?


今の着物ってきちんと感があるけれど、昔のほうが遊び心があったように思いました。

この講座はおしまいになりましたが、着物の歴史や染織の学習はとても奥が深いですね。
とてもよい内容のお勉強を、格安の値段で受けさせていただきました。

これからもまた機会があれば、着物についてのお勉強をしたいと思っています。

2012年7月24日火曜日

Yくんとひいおばあさん

今日はYくんが久しぶりにお泊りにやって着ました。

夕方のお散歩を兼ねて、母のいるホームまで行きました。


Yくんは人見知りをしないので、みんなの人気者です。


ぱちぱちと手をたたいてみせる芸当もしていました。

ホームの他のおばあさんたちもにこにこ顔でした。

Yくんはたっちもとても上手になり、ソファの端から端までよたよたと伝い歩きができます。


今度、来るときにはあんよができるようになっているかしらね。


2012年7月23日月曜日

鳥越碧さんの本

鳥越碧さんという人の小説を立て続けに3冊、読んでしまいました。

とにかくすごく面白い!

最初に読んだのは「萌がさね―藤原道長室明子相聞」。


これは平安時代第一の権力者である藤原道長の奥さん、明子(めいし)の話です。
彼女は少女時代に憧れていた男性とはプラトニックのまま、道長の奥さんになるのだけれど、40になっても、50になってもその男性のことが忘れられないのね。
その人は俗物的で出世街道一筋の道長とは違って、高尚で頭脳明白でとにかくカッコイイ人のようなのです。
その男性に引きつけられ、思いを込めつつも、気に食わない道長といっしょになり、なんだかんだと言いながらも6人も子供を生んでいるのよね。
とまぁ、あらすじを書いてしまえばどうということのないお話なのですが、面白い歴史小説です。
ストーリーを読み進めれば、平安時代の権力争いもよく見えてくるし、さりげなく清少納言やら紫式部さんも登場してきて、話の運びがうまいと思ったわ。

その次に読んだのは、「建礼門院徳子」。


これは平清盛の娘で安徳天皇の母である徳子さんのお話。
彼女も高倉天皇という夫がいながら、養父であり夫の父親である後白河上皇のことが忘れられずに悶々とするのです。
ご存じのとおり、彼女は壇ノ浦の海に飛び込みはしたけれど、源氏側に助けられてしまい、京都の寂光院で尼として生きていきます。 

この時代の女性というと、清盛の奥さんの政子のことや、常磐御前の話が有名で、徳子さんという女性のことは、世間ではあまり評価されないようですが、この本は彼女の胸の内をきめ細かく描いていて、結末は分かってはいても、ワクワクしながら読み終えました。

3冊目は「一葉」。


これはご存じ樋口一葉の24年間の生涯をつづったお話ですが、彼女がまだ「夏子」と呼ばれいていたころからのお話です。
貧しくとも武士の娘である誇りだけは高かった一葉さん。
そんな彼女が、小説の師と仰いだ桃水さんとのプラトニック・ラブを描いています。
最後には結核で亡くなってしまうのですが、彼女もまさかお札の肖像画になるほど有名になるとは思いもしなかったでしょうね。

この3冊の小説のヒロインに共通することは、みなさん、それぞれにプライドが高いことね。
それともう一つの共通点は、肌も重ねない男性のことを末永く思っていることですね。

そんなに好きで好きで仕方ないのに、どうして「好きです」とも言えず、自分を投げ出さず、生身の裸の姿を見せないのでしょうね。その辺は私にはよく分かりません。

そういう彼女たちの生き方は読んでいてイライラするのだけれど、でも歴史恋愛小説としては、面白かったですね。

これから読もうとしているのは「花筏-谷崎潤一郎・松子 たゆたう記」。

こちらは正式に結婚している夫婦の話ですが、どんな展開になるか楽しみです。

これまでたくさんの女流小説家の本を読んできましたが、鳥越さんもまた素晴らしい作家だと思います。
歴史上の女性の生き方を、これでもかこれでもか、と思うほどしっかりと描いている方だと思いました。

2012年7月22日日曜日

後ろ姿ですけど・・・・

娘から送られてきた最近のYくんの写真です。

こちらは私の友人が縫ってくれた甚平▼を着ている姿。
2歳児用の寸法で作ってくれたようですけれど、ぴったりでした。
ちょうどよいズボンがなかったとかで、下は下着のまま。


台所との境に、中に入り込めないようにフェンスが立ててあるのですが、そこにもたれかかっているようです。


こちらは暑いのか、甚平を脱いだ下着姿でテーブルの上におばあさん座りをしているところ。
ちょこんと座った足の裏が可愛い。


ピンクのを着ているせいか、なんだか女の子風ですね。

9か月になったようです。





2012年7月21日土曜日

新宿高層ビルでランチ

今日は西新宿にある高層ビルの50階でランチをしてきました。

「星空の中へ」という和食のお店です。
夜は飲み屋さんになるようで、日本酒の樽が店頭に並んでいました。


あいにくのお天気だったので、外の景色もあまりくっきりとは見えませんでしたけれど、夜だったら50階からの眺めはライトできれいだったでしょう。


ランチのお相手は前に一緒に仕事をした若い女性でしたが、話をしていたらなんと彼女のお母様と私は同じ年だったことが分かりました。

でも、そのような年の差はあまり気にならず、楽しくお喋りをしてきました。

彼女は仕事のために関西から東京に出てきているのですが、毎日、残業続きで終電で帰るのだとか。
大変ですね。

でもとてもパワフルで責任感も強い女性なので、応援してあげたくなりました。

私も若い彼女からエネルギーをもらったようでした。

*******

帰りに京王デパートの「今昔きもの市」に寄ってきましたが、めぼしいものはありませんでした。
来週、大須観音の骨董市に出かけるので、そのときに夏帯を見つけたいと思っています。


今日の装いは、藍色の縮み着物。


帯はちょっと若々しく、うたどんさんからいただいたピンク色に白い椿の夏帯です。


今日は涼しかったので助かりました。



2012年7月20日金曜日

着物 de スカート

先日、うたどんさんからたくさん着物や帯をいただきました。
こちら▼

どれもうたどんさんのお母様が愛用していたものばかり。

着物は単衣が多かったのだけれど、ちょっと私には似合いそうもない柄の着物があったのです。
でも、柄がモダンなので、なんとかならないかなと思い、はたと「スカートにしよう」と思い立ったのです。

そうと決まれば話は早い。

着物の真ん中あたりをはさみで切り、切ったところを三つ折りにして縫い、中にゴムひもを通しました。

それだけではあまりに能がないので、余りきれを細長く筒状にしてリボンも作りました。

そして出来上がったのがこちらの巻きスカート。


おくみもそのまま利用してあります。

裏地もないので簡単にできました。

おうちでくつろぐときにはいいでしょ。




2012年7月19日木曜日

冷やしねばねばうどん

今日の生協のランチは「冷やしねばねばうどん」でした。


どんぶりの中身は、

おくら

長芋

枝豆

ひじき

人参

刻みのり

温泉卵

他にも何か入っていたかしら。

(赤く見えるのは、七味唐辛子です。)

かなりねばねばしていましたよ。
というか、口の周りがぬるぬるになりました。

このメニューには「冷やしねばねばそば」もありましたけれど、最近はどういうわけか、うどんがおいしく感じられます。

やはり夏になると麺類も冷やし系に人気がありますね。

お隣に写っているのは季節限定の「トロピカル・プリン」です。
とろ~りとしておいしかったわ。


2012年7月18日水曜日

カレンブロッソの草履

着物はリサイクル着物で安く買いますですが、履き物はやはり新品ですね。

ところが私の足は22センチという極小サイズなので、草履も普通のではサイズが合わなくてダメなのです。

それでSサイズのを見つけると、すぐに買ってしまうのです。

先日、六本木の東京ミッドタウンに行った時もそうでした。

「菱屋カレンブロッソ」という履き物屋さんで、履きやすそうなSサイズの草履を見つけました。


「花緒サンダル」というんだそうです。(鼻緒でないところが、みそですね。)

ここの草履は着物愛好家の間では評判が高いので、一度履いてみたかったのです。

というのもこの草履は普通の草履と違って、鼻緒の部分が裏に出ていなくて裏はビニール(?)なので、雨の日でもしみることがないのです。
その代わり、鼻緒のすげ替えはできなくて、つまり使い捨て(というと語弊がありますが)、履きつぶすまで履くというタイプのものなのです。

草履の台の部分と、かかとの部分と鼻緒の部分は好きな色や素材をリクエストをすれば、作ってくれるそうですが、かなり時間がかかるのだとか。
それで、出来上がったもので気に入ったのがあれば、すぐに履けるのだと説明されました。

Sサイズの中で、私が気に入ったのは黒の土台に黒の敷き皮の草履。
鼻緒の白い模様が可愛いでしょ。




初めは白っぽい敷き皮のにしようと思ったのですが、お店の人が「白だと、履いているうちに足の親指の跡が付きやすいんですよ」というので、それもそうだと思い、黒にしました。

この小判型も、いろいろな形があるのですが、私の足の形にちょうどぴったりでした。
かかとの部分はスニーカーと同じ素材でできていて、斜めにカットしてあるので履きやすそうです。


このお店はもともとは大阪にあるお店だそうですが、和と洋のテイストをうまく取り入れています。

去年だったか、京都の四条烏丸に新しいビルができて、その中にもこちらのお店が入っていたので気になっていたのでした。

こちらの通販▼でも販売していますが、注文してから出来上がるまでに時間がかかるそうなので、お店でちょうどよいサイズのものを見つけられて、ラッキーでした。

2012年7月17日火曜日

齋田記念館@世田谷

今日は梅雨明けで暑かったので、ちょっと時代がかった古めかしいところに行って、暑さを忘れてきました。

お隣の世田谷区まで足を伸ばしました。
世田谷区というのはとても広い面積のところです。

小田急線の「世田谷代田」という駅で下車します。


小田急線と垂直に南北に環状7号線が走っています。トラックや乗用車がガンガン通る道路です。


そして環状7号線に沿って10分ほど歩いたところに、こんもりとした木々があり、その白い塀の中に齋田記念館があります。


敷地の中に入ると、右手に白いお蔵が見えますが、そこが記念館です。


正面の立派なお屋敷は現在の斎田さんのお住まいのようです。


このあたりは江戸時代には代田村と言われていたところで、その村の名主だったのが齋田さんでした。

齋田家というのは、もともとは鎌倉時代の木曽義仲の家来だった一族だそうですが、江戸中期ころからこの辺りの土地の開墾を進めました。

八代目の東野(とうや)さんという人は学問に優れた人で儒教の塾も開いていたそうです。また九代目の雲岱(うんたい)さんという人は絵画にも優れていて、植物画などの図鑑も多く残した人でした。

また明治以降は製茶や販売もして、良質なお茶は定評があったそうで、茶道をする人たちにとっては齋田家は有名なところなのだとか。


記念館には、その齋田さんの一族が使っていた道具や絵画などが展示してありました。
中はとてもひんやりとしていました。


齋田さんは雲峰(うんぽう)という画家について絵を学びましたが、その絵は南画といって、中国の文人画の流れをくむ流派だそうですが、すっきりとした絵に楷書の文字が描かれています。

そして南画では有名な谷文晁の絵などが展示してありました。
ちなみに文晁は上野の根岸の生まれだそうで、「徳川時代の三大家」と言われた画家です。

ここには三十六歌仙の絵と和歌もありました。
この絵巻は持ち主が次々に変わり、大正時代にはある実業家が手にしていたそうですが、彼が経済的に困窮したとき、この絵巻を手放すことになりました。ところがあまりにも高価だったため、一人では買うことができずに1巻ごとに別々の人が買い取ったそうです。

こちらは佐竹本三十六歌仙絵巻の一部です。
小大君(こおおきみ)という女房だった女流歌人の絵です。


この展覧会のことは、前に千鳥が淵のギャラリー一冊▼ で見たのですが、訪れる人も少ない展覧会でした。暑さを忘れるにはぴったりのところでしたよ。

帰りは東急世田谷線で戻りました。


この路線は、世田谷ボロ市ではお世話になっていますが、車両は2両しかなくて、東京とは思えないほどのんびりとした路線です。

あまりに暑かったので洋服で出かけましたが、そうすると電車の冷房がきつくて、身体が冷えてしまいます。私には暑いときでも着物のほうが、身体にはいいのかもしれないわ。

2012年7月16日月曜日

沖縄復帰40周年記念「紅型」展

六本木のサントリー美術館で開かれている「紅型」展▼が、もうすぐ終了なので、急いで着物に着替えて出かけてました。
というのも、サントリー美術館は着物を着て行くと、料金が100円引きなのです!

東京ミッドタウンに到着。


朝一番に出かけたのに、会場にはたくさんの人が観賞していました。


紅型とはご存じのとおり、沖縄独特の染め物です。
琉球が統一された15世紀ごろから始まり、中国の影響もうけて、紅型ができたそうです。
紅型は王朝の庇護を受けて発達して、江戸幕府の献上品にもしていたほどでした。

絵柄は龍や鳳凰のほか、菊や桜、雪輪(雪の降らない沖縄なのに?)、魚などの自然のものでした。


生地の素材は木綿やチョマ(麻)ばかりで、絹製品は見当たりませんでした。

とれもカラフルで力強いですね。

こちらはお土産に買った絵はがきです。
ブルーがとてもきれい。海の色なのでしょうか。

紅型の色ですが、黄色は高貴な方が着るものだそうです。

そうそう、去年の暮れに仕事で沖縄に行った時、宿泊先のホテルで沖縄舞踊を見ましたが、そのときの衣装も、高貴な人の踊りの衣装は黄色でしたね。


展覧会場で紅型の制作過程のビデオを見ましたが、本当に手間暇かかるものなのですね。

その技法をごくごく簡単にご紹介してみます。

以前、江戸の型紙展を見ましたが、その時と同じように、型紙を彫るための小刀はやはり自作されていました。

その小刀で紙を切り抜くのですが、神経のいる細かな仕事です。

この型紙の下に敷いてあるのは、なんとお豆腐でできているそうで、驚きました。
「沖縄豆腐」という酒のつまみがありますけれど、そのようなものでした。

そして切り抜いた型が崩れないように、細い糸で模様をつなぎ合わせます。


今度はその型を反物に乗せて、上から少しずつ糊をつけていきます。

そして顔料や染料でカラフルな色を付けて、蒸して、その後に水洗いをして糊を落とします。

私はこのような伝統的な技法を見るといつも感心するのですが、特別な技能を持った方が特殊な技法で作品を作るのは素晴らしいとは思うのですが、もうちょっと労力を使わないで誰にでも作れるようにならないものかと考えてしまいます。
そうすれば作品も手ごろな値段になって、誰でも購入できるでしょうに。
これって安易な考えなのでしょうか。

紅型は18世紀から19世紀ころには最高潮になったそうですが、琉球王朝がなくなり、そしてまた第二次世界大戦によって破壊されてしまいました。

それでも松坂屋百貨店がコレクションをして、かなりの数を保存されています。


去年、沖縄に行った時、呉服屋さんや土産物屋さんで紅型の反物や製品を見たのですが、あまりに高いので諦めてしまいました。

それでも洋服の生地屋さんに現代風にプリントされた布が売っていたので、記念に買ってきたのがこちらです。
それぞれ1メートルずつ買って、袋ものにでもしようと思っていたのですが、いまだに布のまま。


何とかかたちにしないといけませんね。


今日の装いは、派手な沖縄紅型に負けないように(?)、派手な着物にしました

最近は、友人とのお出かけが多かったので、藍色や紺色の地味目の着物を着ていましたが、今回は一人でお出かけだったで、好きな格好にしました。

うたどんさんのお母様から頂いたミント色の小花模様の夏着物です。


去年は、これに透けた黒の帯を合わせましましたが、今回はちょっと変化をつけて、ミルクチョコレート色(ミルクココア?)の博多帯です。


実はワンコイン帯なのですが、そうは見えないでしょう?

帯締めは去年、娘から誕生日祝いにもらったド派手なもの。

暑いときはこれくらい派手な格好をしても許されるかな?

サントリー美術館は地下鉄直結なので、外を歩くことはなく、着物でも暑さは感じず楽チンでした。