2025年11月9日日曜日

西武新宿線あちこち 2

この前のブログ▼では、西東京市にある多摩六都科学館周辺の様子を書きましたが、さてその後、どうしようかと悩みました。というのもこの辺りはバスの便もあまりよくなく、おまけに位置関係が良くわかりません。それでとりあえず花小金井まで出てみようと思いました。「科学館通り」というまっすぐな道の住宅街を南に向かって歩きました。住みよさそうな町並みでした。

新青梅街道、東京街道という道も横切りましたが、写真は撮り忘れ。東京街道という道路があるとは知りませんでした。

しばらく歩くと、花小金井駅の近くに「野中東通り」という看板が目につきました。ひょっとして「野中新田」と関係があるのかもしれないと思い、そこを北へ向かいました。

ちょっと歩くと道路のちょっと奥まったところに、小さな稲荷神社がありました。


横幅は1㍍くらい、長さは3メートほどの敷地でした。
そこにおキツネさんが向かい合って座っていました。


何の説明もありませんでしたが、江戸時代からの神社だったと思います。
ただ、その両脇は土地整備が行われていて、何もありませんでした。来年あたりには新築のおうちがずらりと並んでいるかもしれません。

その後、花小金井駅に向かいました。

小平市というところは「小平」と「花小金井」が東西の中心になっているようです。こちらにも市庁舎がありました。先日、青梅街道駅近くでお邪魔したところは小平市役所、花小金井には市民センターなどがありました。

駅までぶらぶら歩いて行くと、とても立派なお寺がありました。「圓成寺」でした。

朱塗りで豪華でした。

何やら昔の絵図もありました。元文2年のものだそうです。


こちらも立派。

案内板を見ると、ここは野中新田と縁があり、また国立の矢沢大賢という人とも関係があったというおとです。実はこの大賢さんのことはかなり前から気になっていたのです。

矢沢大堅の説明はこちら。

「江戸中期に中国から渡来した黄檗宗に帰依し、武蔵国多摩郡上谷保村(国立市)に圓成院という寺を開いていた。享保9年(1724)5月、野中新田の開拓が許可されると、大堅は渡来してまだ日の浅い黄檗宗をこの地に広めようと、無人の荒野に最初の草庵を構え、自らも開拓の鍬をふるいました。その後、享保12年(1727)には上谷保村から圓成院をこの地に引寺し、師僧実山道伝を勧請して開山に仰ぎ、野中山圓成院と称しました」

お庭もきれいに掃除されていて、すごく立派で美しいお寺でした。

また小さな神社もありました。

花小金井で意外な風景に出会い、ぶらぶら歩きも楽しいものだと思いました。

こちらは西武新宿線の花小金井駅。


ここから武蔵小金井までバスで行って、そこからまた府中まで行き、そこからは京王線で帰宅したのでした。