「馬橋」という地名は、杉並区にはもうありません。
杉並の歴史は、かなり面倒です。
江戸時代は武蔵国、明治になって廃藩置県で一時は神奈川県に入れられたこともありましたし、品川区になったこともあります。とはいえ、明治5年には馬橋村は56戸、人口312人の小さな村だったそうです。
それが明治22年(1889)に町村制ができたので、杉並村に入ることになりました。それからは杉並村大字馬橋として存在しました。杉並村には高円寺、阿佐ヶ谷、天沼、成宗、田端の6つの村があり、戸数は488戸、人口は2,899人もいたそうです。
その後、昭和7年(1932)には杉並村が杉並区になったので、馬橋1丁目~4丁目となりましたが、その後、昭和40年(1965)には住居表示が変わり、馬橋は消滅してしまったのです。
実はこの住居表示は、私が高校1年のときのできごとで、私の実家もそれまでの表示から変わってしまい、なんだか納得できない状況でした。それまで使い慣れていた住所が急に変更になるというのは、子供心にもなんだか落ち着かない感じでした。この住居表示は、河川や道路、鉄道などを境界とした表示でしたので、江戸時代の住居表示とは異なるものでした。
この住居表示変更時、馬橋の名前に親しんでいた人もいましたが、田舎っぽい名前の馬橋よりも、中央線の駅名にもある高円寺、阿佐ヶ谷のほうが知名度が高いので、住民は変えて欲しいという希望が強かったそうです。
ということで現在の地名は、高円寺北、阿佐谷南、梅里などに分かれています。
それでも「馬橋」という名前はまだあちこちで見かけることができます。前回のブログに書いたように、馬橋小学校もあるし、馬橋公園もあります。やはり昔の地名は残してもらいたいですね。ちなみに馬橋稲荷神社はとても立派で大きな神社です。
またこの地域は明治22年(1889)に甲武鉄道(現在の中央線)ができたため、大正時代から住宅地が開発されました。そして大正12年(1923)の関東大震災によって都心からの移住者が増え、昭和初期には田んぼはほとんどなくなりました。戦後はほとんどが住宅地になっています。
私の両親は戦争後に杉並区に移ったのですが、やはり当時はとても田舎っぽくて、都心に住んでいた親戚からは「狐や狸が出る田舎に住むなんて」と言われたそうです。
ということで前置きが長くなりましたが、こちらはその馬橋を記念する福泉寺というお寺です。いわゆるお寺ではなくて、墓地だけが並んでいるところでした。
