2026年10月16日金曜日

ゼミOB会のFW 麻布十番~泉岳寺

私が属しているゼミは、指導の先生を始め、OBさん達も皆さん、歩くのが大好きな人ばかり。専門はそれぞれ違うのですが、今回は湧水究している人がリーダーとなって、都会のフィールド・ワークをしてきました。

集合場所は地下鉄の麻布十番駅でした。ここには南北線と大江戸線の駅があり、その二つがとても離れています。それで間違わないように早めに家を出ましたが、みなさん、早くから集まっていたようです。

最初の訪問地は麻布十番の駅近くにある湧水でした。小さな井戸がありました。


「柳の井戸」を湧水研究家の先輩が説明してくれました。

次は近くにある善福寺というお寺に行きました。ここは弘法大師によって開山されたとか。その後、親鸞聖人が訪れて、そこで浄土真宗になったそうです。

麻布はさすがに都会の一等地だけあって、善福寺の背面には豪華なマンションが見えました。かのゴーンさんはここの最上階に住んでいたとか。すごい形をしていますね。

江戸時代に、杉並区にある善福寺の池の辺りに、このお寺の「奥の院」があったとので同じ名前だという説もあるそうですが、正式な史料はないそうです。

墓地にはお墓もぎっしりと詰まっていましたが、こちらは慶応大義塾大学の創始者である福沢諭吉のお墓です。さすが、ご近所さんですね。

このお寺は、大きなイチョウが有名だそうです。屋久島の杉のような大きなイチョウでした。

そして善福寺からは高級住宅街を通って歩きました。結構、坂がありました。

この辺りは慶應村というか、慶應の関係施設がたくさん並んでいました。

こちらは三井倶楽部だったかな。立派ですね。

イタリア大使館、オーストリア大使館なども並んでいました。

ようやく慶應義塾大学に到着。みんなでゾロゾロと入っていきました。


ステンドグラスが美しい。

断崖のようなところに校舎が建っていました。下末吉台地というところです。とても古い地層ということです。

慶応大学でちょっと休憩をしてからは、都会の道路を歩きました。舗装されているところは、山道を歩くよりも却って足が痛くなりますね。

こちらは「札の辻」。かつて江戸時代にはいろいろなお知らせを張り出していた場所です。人々の集まるところや町の中心部に高札場が置かれ、情報の伝達拠点となりました。

こちらは御田八幡神社の境内にある湧水。

都会の真ん中にこんな水が湧き出ていたとは、びっくり。

ここで使われた水は、江戸の海に流されたということですが、当時は海が目の前まであったところです。

お次は「高輪大木戸跡」です。

ここは江戸時代、江戸の市中に入る南の玄関口です。宝永7年(1710年)に作られたそうです。普通の町には「町木戸」がありますが、ここは江戸全体を守る大きな門だったので、「大木戸」と呼ばれていました。明け6つ(午前6時頃)と暮れ6つ(午後6時頃)に、開閉されていたそうです。

ここはかの伊能忠敬が全国測量の旅に出かける時の拠点だったそうです。


大木戸跡の信号もありました。


このすぐ近くに「高輪ゲートウェイ駅」ができましたが、その由来は、江戸のゲートウェイという意味だったそうです。現在は、石垣しか残っていません。

そこからはまっすぐに第一京浜道路を歩きましたが、暑くて疲れました。

坂道を登って、ようやく泉岳寺に到着。

入口には大岡内蔵助の像が立っていました。


こちらは彼のお墓です。


外国の方もたくさんお参りに来ていました。

こちらは浅野内匠頭の首を洗ったところだそうです。

それにしても義士たちが若くして亡くなったことは驚きでした。大石主税などは16歳でした。中には77歳という人もいましたが、そういう人は潔く切腹したかもしれません。

その後は境内で一休み。

私たち世代は、忠臣蔵のお話はだいたい知っていますが、今の若い人たちはあまり知らないでしょうね。

実はこの泉岳寺には私のいとこや、叔父、伯母が眠っているので、ここでみんなと分かれて、お墓参りをしてきました。

帰りは浅草線、大江戸線という都営地下鉄を乗り継いで帰宅しました。

この日は、麻布十番から泉岳寺まで歩きました。距離的にはそれほど長くないのですが、舗装された道路を歩くのは、足が疲れます。