昨日は、あまり気温が高くならない予報でしたので、中野区の緑道を歩いて来ました。
今回はちょっと違ったコースで行きました。
まず最初は丸ノ内線の中野坂上駅で下車して、宝仙寺に行ってみました。
ここは平安時代後期、源義家によって創建された真言宗のお寺です。
ここはかつて明治時代には、中野町の役所があったところです。お寺の境内に役場があったというのは、一般庶民にとっては、お寺は馴染み深いところだったのでしょうか。
立派な石碑がありました。
こちらはおそばの臼の石塚です。
こちらはカラフルな三重塔。歴代の徳川将軍が鷹狩りのときに休憩所として利用したのだとか。一度焼けたので、建て直したそうです。
あとになって気づいたのですが、ここには中野の有力者である堀江家のお墓もあったのでした。この人のご先祖は、越後からやってきて、中野の開発を始め、地域のために貢献して、非常に力をもったそうです。
また宝仙寺には、八代将軍吉宗が呼び寄せたというベトナムの象の骨もあるとのことですが、多分、一般公開はしていないでしょう。
さて、ここは桃園川にも近いというので、お寺の人に行き方を聞いてみました。簡単に答えてくれたのですが、実際に歩いて見ると、急に「この先いきどまり」という看板が立っていて、本当に立ち往生してしまいました。スマホで場所を確かめようにも、道が書かれていないので、困りました。
するとそこに郵便配達のお兄さんが現れました。彼なら道をよく知っているはずと思い、聞いてみると、本当に詳しくご存知で、丁寧に教えていただきました。さすが郵便配達のプロですね。
またこのあたりは、明治の頃には醤油や味噌の製造をしていた工場が多くあったそうです。
山政醤油の工場跡でした。
そしてしばらく歩くと、その辺りは宝仙村というか、大学から幼稚園まで宝仙の関係する教育機関がずらりと並んでいました。かなり有名な大学なのですね。
宝仙学園は、昭和2年、宝仙寺の50世住職によって創設されたそうです。古くからあるのですね。
そして懐かしい桃園川の金剛橋に辿り着きました。
