2026年9月4日金曜日

谷戸川を探して

私のテーマである「桃園川」の支流というか、親戚のような谷戸川を探して歩いてきました。

参考にしたのは菅原健二さんという方の「川の地図辞典 江戸・東京23区編」です。

これによると谷戸川はJR中野駅北口から東南の方向に流れていたそうで、神田川近くで桃園川に合流するというのですが、私はどこかで道を間違えてしまったようでしたが、おかげで桃園川に再会することができました。この谷戸川も現在は暗渠です。

この日はそれほど暑くはなかったのですが、最後は中野坂上駅までの坂道を歩いて登るのが面倒になって、中野駅行きのバスでJR中野駅まで戻りました。

ということで、まずは行きから。

JR中野駅で下車して、北口にあるライフというスーパーの裏側の道を辿りました。


そしてフジヤカメラというお店を過ぎると、その辺りはもう暗渠っぽい世界でした。


なんとなく怪しい雰囲気になりました。曲がり角の先は細い道になっていました。


するとこんもりとした木々の間から、神社の姿がすーっと見えてきました。


北野天神神社です。菅原道真を祀ってあるようです。


近くには暗渠のお約束でもある、銭湯とコインランドリーがありました。
天神湯です。


コインランドリーは、銭湯の隣ではなく、向かい側にありましたが、同じ経営でしょう。


この先は中央線の高架下をくぐるのですが、その手前に東京工科自動車大学校という立派な建物がありました。自動車のプロを育成する学校でしょうか。


こちらが高架下です。ここから中野駅の南側になります。


ここは、「谷戸ガード」と呼ぶようですね。


さて本来なら、この先はこの細い道を行くべきだったのでしょうが、なんとなく怪しい雰囲気だったので、右側にある太い道(写真にはありませんが)を歩きました。
ちょっとでも「嫌だな」とか「怪しそうだな」と思ったら、すぐに取りやめることにしています。私は探検家ではないので、無理はせず、安全第一が主義ですから。


こちらは安全な「城山中央通り」という道でした。


すると「東京府立 農事試験場」の跡という案内板がありました。新しい農業技術の開発や指導を行った場所のようでした。ここで多くの新しい野菜が育っていったのでしょうね。


こちらは現在は「城山公園」という名前になっていました。ここでしばし休憩。
城の創建については明らかではありませんが、1486年(文明19)京都の僧であった堯恵がこの地を訪れており、「北国紀行」の中で、平重俊という武士が城を構えていたらしいという事が伝えられています。


近くに城山居館跡があるというので、探してみました。
こちらは中野を作った堀江家という人のお屋敷だったところです。


とはいえ、今は昔の姿はまるでありません。
「谷戸運動公園」という広場になっていました。


谷戸川散策はここまでにして、これからは桃園川緑道に再会することにしました。
緑道はとてもきれいに整備されていました。


最初に出会ったのが、慈眼堂橋です。
先日、中野新橋で見つけた慈眼堂(金ぴかの塔があったお寺)は、以前はこの橋の場所にあったのですが、火災だったかで今の所に移動したそうです。


こちらは眼堂橋の全景。模様が可愛いですね。


こにには桃園川の案内板がありました。
川の名前の移り変わりも説明してありました。この案内によると、桃園川と呼ばれるようになったのは昭和初期からのことだそうです。天神川と呼ばれることもあったそうです。


地図もあって、分かりやすいですね。


しばし緑道を歩いて行くと、今度は金剛橋でした。


お次は東雲橋。


そして塔ノ下橋です。


この辺りは橋がきれいに残されていますね。

この日のルート(あまり正確ではありません)


今回は、谷戸川は見つかりましたが、途中でルート選びを間違ったため、桃園川に合流した場所は行けませんでした。まぁ、近くを流れていた、ということは分かったので、一応、桃園川のお仲間に入れることにしましょう。