2008年4月3日木曜日
これは桃なの
大学の構内の桜は、かなり葉っぱが出てきて、今日あたりは桜吹雪となって散りつつあります。
でもね、ちょっと目立たないところに、桃の花が咲いているの。
いくら花の名前音痴の私だって、桜と桃の区別くらいはつきますわよ。
それというのも、私が卒業した小学校は、「桃二」という名前だったの。
正式名は「桃井第二小学校」。
それで胸につけるバッチが桃の花の形をしていたのよ。
だから、桃の花のことはよく覚えているのです。
花びらが大きくて、花芯が目立つのよね。
桃二は当時は杉並区ではそこそこ有名な小学校だったの。
というのも、桃二 → 神明中学 → 都立西高 → 東大
というのが、当時のエリートコースで、そのためにかなり遠くから越境してくる生徒がいたのよ。
そうね、私の初恋(?)のH君も、三鷹から電車で通ってきていたのよ。
そしてエリート君たちは神明中学に進学したの。
私の家は、神明中学校とは目の前の道路を隔てて違う中学の校区だったの。
それで、S中学というところに行く羽目になったのだけど、でも、本当は神明中学のほうが近かったのにね。
今なら、中学も自由に選択できのでしょうけど、当時はそんなことは考えられなかったので、神明中学とは縁がありませんでした。
神明に行っていたら、私の人生も変わっていたでしょうに。
そして高校といえば、西高に進学して低空飛行をするよりも、二番手のT高校でトップになったほうがいいと思って、西高も縁がありませんでしたわ。
東大はあまり興味が湧かなかったので、受験しませんでした。
でも、その後、お仕事で東大に2年くらい通勤したのよ。
当時は全共闘の居残りで、あの山本義隆さんがまだがんばっていたわね。
今でもお仕事では東大関係の先生ともお付き合いがあるので、ま、東大とは少しは関わりはあるかしら。
いずれにせよ、桃二からのエリートコースには乗れなかったけど、それも仕方ないじゃん?
今、一番思い出すのはその小学校の校歌なの。
だって、歌詞の中に、私の苗字が入っているんですもの。
それが嫌で嫌でね。
校歌斉唱のとき、その歌詞の場所になると、みんなが注目するんですもの。
ネットで検索したら、なんとこの歌詞は与謝野晶子が作詞しているんだわ!
桃二の校歌
えー、そんなこと、子供のときは全然、知りませんでしたわ。
そんなこともあって、桃は、私にとっては思い出深い花なの。
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4 件のコメント:
与謝野晶子さん作詞なんて、すごいじゃないの。それでも、わりと校歌って似通ってしまうのね。でも、やっぱりすごい!
としちゃんと同じ高校卒の、谷川俊太郎さんも、よく校歌を作っていますね。
そう、私も初めて知りましたわ。
桃二は昭和2年に創立されたそうで、その頃、晶子さんはいくつくらいだったのかしらね?
紅蓮さんも、校歌は覚えているかしら?
みんな富士山が出てくるのよね。でも昔はよく見えたのだと思うわ。
東京もんでないので、公立の小中学校がエリートコースというのが、よくわからないデス。学区の子供たちは皆通えるわけでしょ?高級住宅地だったりするのかしら(笑)
そういえば、政治家の与謝野馨さんは、与謝野晶子の孫ですよね。ぜんぜん似てないけど。
マサさん、昔は、一般的に言われるエリートコースは、番町小学校→麹町中学→日比谷高校→東大 ということでしたね。
今は分かりませんけど。
与謝野晶子さんは12人だか13人だかお子さんがいたから、いろんな顔の子どももいたかもしれませんね。
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