2008年7月12日土曜日
ある日突然
♪ あ~る日、突然、急に変わるの~ ♪ というトワエモアの歌が、大昔にあったわよね。
急に恋心が芽生えるという歌だったと思うけれど。
恋心は別にしても、赤ちゃんって、それまで寝返りが半分しかできなくても、ある日、急に寝返りができたりするのよね。
つかまり立ちはすることができても歩けなかったのに、ある日、急に一歩を踏み出すことができるようになるのよね。
それって、本人にとっても親にとっても、周りの人にとっても、すごい喜びだし、新しい世界への旅立ちだと思うのよ。まさに人類としての第一歩だと思うの。
私のごく身内にはそういう赤ちゃんはいないのだけど、でも昔のことを思い出すと、その感動はまだ覚えているもの。
ところが、これと逆のことがあるのよね。
ある日、急にできなくなったり、分からなくなったりすることが・・・。
親と同居していると、そういう状況に直面することが多くて、それまでできていたことが、急にできなくなる、急にだめになる、という場面に出会うのは、信じたくはないのだけれど、すごい落胆。
これからどんどん落ちていくのだろうか、もう元に戻れないのだろうか、という悲しさとイライラがどんどん膨らんでくるのよね。
それは本人も悲しいだろうけれど、どこまで分かっているのかしら。
世の中で、高年齢になってもバリバリと活躍していたり、人生を謳歌している人を見るにつけ、情けなくなるわ。
赤ちゃんに振り回されて、「一生、おしめを洗って過ごすのか?」なんて思っていた時期もあっという間に過ぎ去ってしまう。
でも老人のほうは無限だわ。いったいいつまで続くのか?
年相応に老化するのは仕方ないことだけどね・・・・。
私が思うのは、紫式部が現代に生きていて、光源氏も75歳くらいまで生き延びていたら、どんな物語になっただろうか、ということなの。
源氏物語では光源氏の死去は文章には描かれていなくて、多分、50歳くらいで亡くなったのだろうという想像の世界でしかないのだけれど、私は年取った源氏を見てみたいの。
紫の上、藤壺、六条御息所、空蝉、夕顔、葵の上・・・・愛した人たちがみんな亡くなったり出家したりして、ひとりになった源氏だけど、もし60歳、あるいは65歳、70歳になったら、また新しい恋愛をしたのかしら。
若い女の子を自分の手で育てるというのが、彼の趣味だったけれど、もっと大人の女性と恋愛を楽しんだのか、あるいは女はこりごりと思って、老後は男同士で好きなことを楽しんだのか、彼の老後を知りたいの。
歴史学の立場から源氏物語も研究していらっしゃった角田文衛先生は、95歳くらいまでお元気で活躍されていたようですけれど、もしお尋ねしたら、どんな答えをされたでしょうね。
写真は大学の庭に咲いていた紫色の「アガバンサス」と、名前の分からないオレンジの花。
手入れをしていないので、草がぼうぼうですけど。
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6 件のコメント:
としちゃん、すごくよくわかります。
長女の時なんですけど、夕飯のしたくをしていて、ふと振り向いたら、寝ていたはずの娘が布団の上で腹ばいになって、こちらをみていたの。初寝返りだった!人生で一番感動した出来事かもしれない。
その逆も、痛いほど感じるこのごろです。父のことで。一年前は、こんなこと出来ていた。3年前は、あんなことも出来た。5年前は、まだ、シャキシャキしていた。最近は、日々子供のようになっていくみたい。考えても、仕方がないことかもしれないけど。
自分は、どうなるのかなぁ~。
マサさん、同じ気持ちだよね。これって私たち世代の女性なら、きっと誰でも少なからず同じような場面に遭遇してきたことだろうと思うの。
子供のようになっていく、といえば可愛いけれど、うちの場合は、だんだん壊れていくんじゃないか、という感じ。ストレスがたまるな~。
今日は妹の七回忌の法事でした。
昨日老健を退所した母とひ孫の初対面でしたのよ。もちろん重いので抱けません・・・
名前も生まれたときから何度も言ってるのに最初全然言えないのよね。何度も間違う・・・
終わりかけの食事の時に初めて間違いない名前が言えました(笑)
まさに今日は両方見たわけです。
孫はまたウーンウーンうなって寝返り練習(笑)
角田先生にご意見お聞きしたかったわね。源氏の老後。
自分でも年を感じるこのごろ・・
親の世代を見ると自分の老後が重なってきます。
としちゃんは一緒に暮らしているので日々見て変化がわかりそれもつらいわよね。
うちは母が毎週のように私を心配して電話をかけてくるけど話がしたいみたい。いつも物忘れがひどくなったが口癖です。最近はもっと行ってあげなくてはと思うようになりました。父も寝てばかりです。
今になって祖父はすごかったと思いました。96才で亡くなりましたが、80代の後半で祖母が倒れ、お風呂の面倒から全部見ていました。お手伝いさんはいましたが、介護は仕事から帰ってから全部していました。私は今指の関節が痛いので指1本痛くてもなにをするのにも不自由です。年取るってこういうことなんだと思いました。
あのころの祖母を見ていると悲しくなって、祖母にどうしてそんなに悲しい顔をするのと言われたことがあります。本人はそんなに感じていなかったのかなと思います。
さとさん、昨日だったのですね。妹さんはまだお若かったのに、残念だったことでしょう。でも可愛いお孫ちゃまは生まれ変わりなのかもしれませんね。それにしても、ひ孫と対面できるとは、お母様も思ってもいなかったかもしれないわね。うちの母なんて、同居している娘の名前もあやふやかもしれないわ。
角田先生の地図、ありがとうございます。
この地図を作成するのは、大変な作業だったと思います。宝物にするわ。
カンカンは、お母さまから電話があるのね。娘を心配してくれる、なんて嬉しいじゃないの。離れて暮らしているほうが、いいと思うときがありますよ。このところ、母は昼夜逆転しているので、こちらが振り回されるし、曜日の観念はないし、物忘ればかりで、たまらないわ。
年を取るというのは、本当に人によってさまざまですよね。
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