今日は発表会だったの。
といっても、私のダンスの発表会じゃないのよ。
大学院の修士論文発表会だったの。
修士の2年間の研究の成果を1人20分、プレゼンするわけ。
みんなきっとドキドキでしょうね。
その後、先生たちからの質問があり、そして明日、判定会議が行われるの。
大体の人は1回の発表でOKなんだけど、中には再発表とか、論文の再提出とかいう人もいるのよ。
私は研究の中身は分からないのだけど、以前はこういう発表会のプログラムを作ったりする仕事もしていたので、懐かしくなりました。
そこでちょっとタイトルだけでも紹介してみるわね。
頭が痛くなっちゃうかもしれないけれどね。
(逆光で写した薔薇です)
「期待感を持続させる遠隔隔世代間のつながりを支援するフィジカル・エクササイズ・ゲーム」
それって、何かの体操のゲームなのかしらね?
「アイディアとリアリティの間をシームレスに行き来可能な体感型デザイン支援システムの提案と試作」
これ、日本語からしてよく分からないわね。
「手のひらの形状特徴を用いた平面射影変換行列の推定と映像合成への応用」
一つ一つの言葉は分かるのだけど、手のひらと映像がどういう関係になるのかしら?
うーん、分かったような分からないようなタイトルが多いわね。
それにしても、みんな難しそうなお勉強をしているのね。
でも人よりも長く勉強したのだから、これからもそういうことを生かして仕事してくれるといいな、とおばさんは思うわけなのです。
8 件のコメント:
こんばんは。比較的こういう事は好きな方ですが、それでも具体的な内容が頭に浮かんで来ませんでした。みなさん、若い頃から難しい事をされているのですね。是非社会に出て、活躍される事を祈っています。
一体何の研究をすると、こういう卒論を書くのでしょうか?
難しくて推察さえできませんが・・・
そうですか、日々是写真日和さんはこういう方面はお好きなんですね。
私にはチンプンカンプンです。
でもみんな、勉強熱心なんですよ。
諏訪ッチさん、いちおう、情報メディアシステム学というのが、専攻の名前なんですけどね。
もうちょっとこなれた日本語の研究をしたほうがいいのでは? とも思いますよね。
近年、カタカナ語を日本語に訳すと云う試みが行われていると、随分前に新聞で読みましたが・・・
研究者レベルでその運動が行われないと、無駄な気がしてししまいました。
我が家では、まーさんもカタカナ語ばっかり、訳す国語力がないので、理解するのが大変です。
としちゃんさんはいつも触れてらっしゃるので、ご理解が早いかしら?
そうそう、行政用語とか医療用語とかわけのわからないのが多いですよね。使っている本人もよく分からないでカタカナを使っているかもしれないわね。
用語もそうだけど、それより文脈がめちゃめちゃだと思うな。
人に伝わらない話し方や書き方じゃダメなのよね。
我が家の娘夫婦も一応研究者の端くれなのですが、研究の為の研究、自分の興味に駆られての研究かしらと思える節があります。
で、先日友人のM大学の工学部の教授と「研究は何のためにするのか?」と聞いてみました。
勿論彼の答えは優等生「人類の未来の為」でした。「ふ~ん、ありきたりのお答えね」
「じゃあ、君は何だと思う」と逆に聞かれました。「研究は全て、分野にかかわらず人類の幸福の為、平和の為かな?」これまた自分でもありきたりの返答だなと。
なので、結局の所うん、よく分かんない。です。
キューリー夫人だって「ウラン化合物」を発明した時にまさかその後、原始爆弾に変化して、人類の最大の不幸に繋がる兵器になるとは予想だにしなかったでしょうから。
としちゃんの言うように、それでも、研究者は研究を深めて其の仕事を全うして欲しいですね。
何を言いたいのか分からなくなつちゃったわ。
私も真蘭さんのような質問をよくするんですよ。
でも研究者という人たちは、好きでやっていることなので、特に人類のためとかいう目的はないみたいだなと思うんです。それよりも自分の興味、自分の知りたいことを突き詰めたいというのが本心だと思うわね。
そのために税金という研究費を膨大に使っているのだから、私はそのことを忘れないで、役に立つ研究をしてもらいたいのだけど、役に立たない研究のほうが大切だと思っている先生もかなりいますね。
たしかに基礎研究などはすぐには役立たないことが多いのだけど、私たちはどうしても目に見える成果がほしいですものね。
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