不忍池の南に、「下町風俗資料館」というのがありました。
資料館といっても、のぼりが立っていたりして、ちょっとした芝居小屋のような感じです。
不忍池を廻った後で、ここに入ってみました。
わー、懐かしいものがいっぱい。
写真は全体の様子を写すのなら自由に撮影できます。
でも室内は薄暗いので、手ぶれしてしまいます。
駄菓子屋さんの店先、お風呂屋さん、昔のカフェ、下駄屋さんなどのお店の様子などがそのままに展示されています。
グリコのキャラメルや、都こんぶなどもありました。
こちらはお風呂屋さんの番台。
籐の脱衣籠なども置いてありました。
また普通の人の家の様子も展示されています。
部屋の中のシンガーのミシンは、「これはハクライだから」と言いながら母がずっと使っていたのと同じ形でした。
こういう桐のタンスは、祖母が使っていました。
右側にある小さな食器棚には、我が家ではお菓子が入っていました。
木製の冷蔵庫も我が家にもあったのを覚えています。
右にあるアルミ製の三角の筒は、麦茶入れだそうですけれど、これは知りませんでした。
かき氷作り器は今も昔もあまり変わりがないかしら。
これは喫茶店の中に置いてあった蓄音器。
生活の道具って、見ているだけで楽しくなります。
昔遊びの道具も、手にとって遊べるように置いてありました。竹で作ったおもちゃや、木製のおもちゃがたくさんありました。
◆◆◆◆◆◆
上野界隈には明治や大正時代の名残りがありましたが、関東大震災や戦災によってその面影を失くしてしまい、またその後の高度成長期の開発で、街や人の生活がまるで様変わりしてしまいました。
それを憂う人たちの声により、次世代に庶民の歴史を残したいという思いで、この資料館は昭和55年に開館されたそうです。
一番新しい資料は昭和39年の東京オリンピックでした。
当時の地図や写真もふんだんに展示されていて、それによると昔は上野に高いタワーがあったとか、万国博覧会が開催されたとか知らないことばかりでした。
よくぞ、ここまで保管してあると言う貴重な資料ばかりでした。
こういうのを見ると、何でもとっておいたほうがいいのかしらと思うのですが、私は「捨て魔」なので、あまりお役には立てません。
せめてブログ上で、今の生活様式を伝えておくことができるくらいかしら。
普段使っているもの、たとえばパソコンにしても、携帯電話にしても、あと何年か後には、博物館行きになるのでしょうね。
10 件のコメント:
うわ~!!
素敵なところですね。
カメラ持って行きたいです。
私も「捨て魔」になりたけど、誰かの役に立つなら取っておくかー。
なんちゃって。
ちゃんと片付けます。
懐かしいものだらけ。
我が家に有った物が生き返ったような
嬉しさです。
私は上野に行くと美術館かお食事どころ
に行くだけ。今度はゆっくり巡ってみます。
私は昭和の時代を覚えているけれど、
shiollyさんのように若い人にとっては、
大昔のように感じるかもね。
レトロがいっぱいのところですよ。
池のすぐ際にあるから分かりやすいの。
匿名さん、懐かしいでしょ。
私も上野にこういう資料館があるって知らなかったの。楽しいひとときがすごせましたよ。
美術館や博物館もいいけれど、たまにはこういう場所もいいものですよ。
匿名は真蘭でした。
はいはい、私も多分、真蘭さんだと思っていました。(笑)
美術館巡りといえば真蘭さんですから。
真蘭さんが以前、いらっしゃった料理屋さんにも行ってきましたよ。そのうちアップしますね。
おぉぉぉ~!
存在は知っていましたが、こんな素敵な所とは!
今度じっくり見に行きます!
ちょっと東京が恋しい(笑)
史子さんならこの辺りは縄張りでしょう?
私など昔の人間なので、「あー、これ知っている! 知っている!」とか言って興奮して見ていましたよ。
祖母などが生きていた時代(明治・大正)のころの品物がたくさんありました。でももし祖母が今生きていたとしても、「こんなもの、そこらへんにいやというほどあったよ」と、そっけない態度をするのかもしれない、と思いましたよ。とにかく口の悪いおばあさんでしたから。
上野にこうした資料館があったなんて、驚きました。好きなんですよ、こういうところ。
東京の万博は第二次世界大戦で開かれなかったのですよね。父が入場券を持っていたのを見たことがあります。貴重なものとか言っていたのにどうしたのかしら・・・
まぁ、トントンのお父さまは万博に行く予定にしていたのね。それが戦争で使えなくなってしまったのでしょう。
いろいろ貴重な資料もたくさんありましたよ。今度上野に行った時には、寄ってみてはいかがでしょう。
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