橿原地区をサイクリングで20キロ走った翌日の9月28日は、今度は着物に着替えて徒歩で奈良を散策しました。
帰りに京都駅で携帯電話についている歩数計を見たら2万歩をオーバーしていました。
洋服に靴ではきっと足が痛くなって、こんなには歩けなかったと思います。草履の威力はすごいものですね。
着物姿をホテルのベッドの前で写しましたが、鏡がすぐ目の前だったのでピンボケです。
ちょっと着方がおかしいですけれど、1000円の大島もどき(?)の単衣と、さとさんからいただいた龍村の帯。
こういうスタイルなら数分で着られるようになりました。
ホテルは平城京跡に近いところでしたが、他にもお寺や古墳などが近くにあり、お散歩には最適のロケーションでした。
朝のお散歩は、まずは法華寺まで歩いて行きました。
ここは天平17年(745年)に、聖武天皇の奥さんである光明皇后が国分尼寺として建てたお寺だそうです。その前は藤原不比等のお屋敷だったとか。不比等のことは歴史の時間に習いましたね。
光明皇后はこんなお姿をしていたようです。パンフレットからいただきました。
ここには十一面観音菩薩という国宝があるそうですが、朝早いのでお寺はまだ閉まっていました。
お隣には海龍王寺という古いお寺がありました。
ここは遣唐使が海を渡るときの安全祈願のためのお寺だったそうです。古い歴史のあるお寺なんですね。
そのお隣には海龍王寺の鎮守である春日神社。お寺と神社が共存しているのでしょうか。
海龍王寺の道端で咲いていたコスモス。
その後は宇奈多理坐高御魂神社(うなたりにますたかみむすびじんじゃ)という3世紀に建てられた古い神社に行ってみましたが、ここは毎月2回しかオープンしていないそうです。
この近くにあるのが東院庭園(とういんていえん)という奈良時代の建物ですが、1967年に発見されたそうです。それまでは誰も存在を知らなかったのでしょうか?
囲いの隙間から写したのではっきり見えませんが、かなり大きな庭園の跡地でした。
きっとここで平城京の貴族たちが儀式や宴をしていたのでしょうね。なんとなく雅やかな雰囲気が漂っていました。
法華寺町にはお寺や神社が多いのですが、いわゆる寺町ではなく、まわりはすべて田んぼで、この辺りに住んでいる人は国宝級のものがあってもあまり気にしていない様子でした。あまりに歴史的文化財が多いと、灯台もと暗しで気づかないのかもしれませんね。
これは阿弥陀浄土院の跡地。
田んぼの中にポツンと立っていますが、周りは新興住宅地になっていました。
もう少し北へ歩くと古墳がありましたが、ちょっと遠いので諦めました。自転車があればよかったですね。
こちらは「虫籠窓」という窓のある江戸時代の商家のおうちです。まだ住んでいるのかしら?
中が中二階になっているそうで、珍しい建築だそうです。
ここからは平城京の大極殿を復元した建物が、田んぼの向こうに良く見えました。
かなり広い敷地でした。
去年は平城京遷都1300年だったので、きっと多くの人がここを訪れたことと思います。
今は澄んだ空気の中にただ田んぼが広がり、秋の花が咲いているだけの平城京跡でした。
8 件のコメント:
こんにちは
いつだったか、車窓から平城宮跡を見たのですが、ススキの原がなくなっていました。
刈り取っただけなのか 調査の為 その地をきれいにしたのか・・。
ススキの間から見る平城宮が好きです。
奈良の観光は広すぎて なかなか網羅できないです。
いや~、私には、着物で2万歩の方がずっと凄い気がするわ。
それほど、草履を履き慣れているということよね。
観光バスが行かないような場所ばかりですね。としちゃんらしいかな。
いにしえの奈良を、楽しむことができたでしょう。
いつもながら、短い日程でも充実した旅でしたね。
ハッセルぶらっとさん、そういえば平城京にはすすきがなかったですね。あってもいいところなのにね。刈り取ったのかしら?
この辺りも自転車で回ればよかったかもしれませんね。
ならまちの「格子の家」も駅からはちょっと歩きますね。
マサさん、今の私には靴よりも草履の方が歩きやすいですね。
去年はこのあたりも観光客が多かったと思いますけれどね。
たまたまホテルの近くにいいお散歩コースがあったのでラッキーでした。
この項、まだまだ続きます。
興味深く見せていただいてます(笑)
今度私も行ってみるわね♪
平城宮跡は広いでしょう、車窓からしか見ただけですけど。
奈良もこうして見ると行くところがたくさんありますね。
ぜひサイクリングで行きます!
さとさん、奈良から西大寺に行く電車の中から平城京跡が良く見えますよね。かなり広いと思います。あのへんは平らなのでサイクリングも苦労しないと思うわ。
「つわものどもが夢のあと」ではないけれど、今はただの野っぱらになってしまっているのが、かえって時の流れを感じさせられますね。
相変わらず遅いコメントですが...
光明皇后は、飛鳥時代の方でしょうか?
確か壁画の女性も
こんな羽衣のようなものを羽織っていた気がするのですが
これが不思議で仕方ないんです。
ワイヤーが入ってる訳でもないでしょうし
くじらのひげくらいはあったかも知れませんが
こんなにふんわりしていたのかと。
なにかの象徴なのかも知れませんけれどね。
後世の「着物」の方が縦に縫えばいいだけだし
この時代の装束は手が込んでいたと思うのです。
それが言いたかっただけです。笑
ひっこしをしまして、かなり忙しない日々です。
骨董市には更に近くなりましたので
お越しの際にはお寄り下さいねー
史子さん、お久しぶり! ご無沙汰していましたが、お引っ越しされたんですか。骨董市に近くなったとのこと、それではまた5日の日に行けるようにしてみますね。
光明皇后は飛鳥時代よりもちょっと後の時代の方のようです。飛鳥時代は聖徳太子の頃でしたが、その後の平城京のころでしょうね。
たしかにこの衣装はかなり凝っていますよね。色もきれいだし、多分中国の影響が大きいんじゃないかしら。天女のような感じがしますね。
もっともこういう衣装が着られるのはごく一部の貴族だけだったでしょうけれど、かなり手がこんでいますね
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