2025年10月21日火曜日

国分寺崖線の神社

この日、出かけたところは、JR武蔵小金井駅の南側でした。

まずはシルバーパスを使って、「前原町」というバス停で下車しました。

このあたりは、以前、自転車で野川を走ったので、小金井自動車学校があることを覚えています。そこの裏当たりを少し歩くと、小金井神社がありました。

静かな神社でした。

ここは菅原道真を祀っているので、天神様とも言われているようです。

本殿は立派でした。創建は1205(元久2)年だそうです。

その後、1751(宝暦元)年に本殿を改築。

明治維新の時に「天満天神」となり、さらに1870(明治3)年に小金井神社と改称したそうです。

氏子は小金井市内の前原町、中町、東町、緑町、桜町、本町と広範囲に渡っています。

こちらの黒田紅梅は、江戸幕府が作った小石川養生所(現・小石川植物園)で医師をしていた芥川家が管理していた梅を、小金井の別荘に持ってきたものだそうです。

紅色の八重咲きの梅だとか。

近くの野川には「天神橋」が架かっていました。

このあたりは近くに野川の水が流れているので、一般的な新田とはちょっと違うように思えましたが、どうなんでしょう。

そこからJR武蔵小金井駅まで行き、今度は貫井神社に行くことにしました。

駅からは「東府中」行きのバスに乗るということは、覚えていましたが、ロータリーのどこからそのバスが出発するのか分からず、ちょっと不安になりました。ほんとにバス乗り場は、もっと適切な案内がほしいですよね。

貫井神社は以前行った、「滄浪泉園」(そうろうせんえん)の近くです。貫井トンネル下というバス停で降りました。

そこからがちょっと大変。

というのはこのあたりは国分寺崖線の下に当たるので、坂道だらけなのです。急な坂の上に住んだら、ほんとうに大変。

トンネルの下から数分歩くと、貫井神社がありました。超立派。京都あたりの神社のような風格がありました。


創立は1590(天正18)年、水神様を貫井弁財天として創建したそうです。

1985(昭和60)年、火災により本殿は焼失。1年半後に美しい本殿を復元させたそうです。
境内も美しく清められていました。この池は湧水だそうです。

この日はよく晴れていたので、赤い橋と、青い空が絵はがきのようでした。


すぐ隣には真言宗のお寺がありました。真明寺でした。


ここはそれほど広くはなく、お墓がたくさん並んでいるところでした。


この辺りは貫井新田があったところなのですが、あまりに急な坂道、神社には湧水が湧き出た池もあり、本当に新田開発されたところなのか、とちょっと疑ってしまいました。

帰りは東府中行きのバスに乗って戻りました。


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