ここは1187年に作られたという神社で、鎌倉幕府よりも前の時代になりますね。
源頼朝が、海上交通安全と来願成就を祈願したと言われています。
また徳川家康も、参拝に来たことがあるそうです。
大きな鳥居の左右には、昇り龍と下り龍の見事な彫刻がありました。
下の全体写真の左側には、富士塚があります(赤い矢印)。
高さは18メートルだったと思いますが、ここに登ると、本物の富士山に登ったのと同じご利益があると言われています。
ちゃんと富士登山道がありました。
五合目まで登って、目の前に広がる景色を眺めてみたところです。
とても気持ち良かった!
目の前には京浜急行が走っていました。
少し先には海が見えて、左の方には、レインボーブリッジもかすかに見えました。
こちらの宝物殿には、特別の神輿が入っていました。
家康より奉納されたというので、葵の印が付いていました。
残念ながら神輿は撮影禁止ですが、とても見事なものでした。
重さはなんと2トンでした。
よほど大勢の人が担がないと、運べませんね。
本殿です。
ここの裏側には、板垣退助の墓がありました。
「板垣死すとも自由は死せず」の碑がありましたが、これは佐藤栄作の書だそうです。
なお板垣退助は百円札の肖像になりましたが、他にも五百円札の岩倉具視や千円札の伊藤博文、一万円札の福沢諭吉も、みんな品川区にゆかりのある人物だそうです。
他にも「一粒萬倍(いちりゅうまんばい)の泉」という霊泉もありました。
パワースポット好きな女性に人気のあるところだそうです。
品川神社の後は「荏原神社」▼へ行きました。
「荏原」というのは「えごまが生い茂っている原っぱ」という意味だそうです。
焼肉のたれでお馴染みの「エバラ」も荏原に関係があるそうです。
ここは南品川の鎮守様だそうで、創建は709年という古さ。
1062年には源頼義・義家親子が、ここで奥州討伐の祈願をしているそうです。
ここの狛犬は「子持ち狛犬」で子連れです。
(赤丸の中)
可愛いですね。
この神社の近くには目黒川が流れていますが、それは元々の流れではなくて、明治時代になって作り替えたものだそうです。
川の位置が、古い地図とは異なっていました。
徳川家康が利根川の流れを変えた、という歴史小説を読みましたが、そういうことはよくあることなのかもしれませんね。
ようやく品川本陣跡に辿り着きました。
江戸時代、参勤交代の時などに、大名などが泊まったところです。
門や玄関、上段の間などがありました。
ただし現在は聖蹟公園になっていて、宿場町の面影はありません。
当時はこの辺りには多くの旅籠屋や水茶屋などが並び、600件くらいのお店があったそうです。
その後、明治時代になり、明治天皇の行幸の時にも利用されたので、「聖蹟公園」と呼ばれるようになりました。
この後は台場小学校へ向かいました。
ここは、江戸末期にペリーの黒船来航があった時、江戸の町を守るために急いで台場を築いたところです。
韮山代官の江川太郎左衛門が、オランダの書物を元に砲台づくりを指揮しました。
その中で、陸地に五角形の台場を作りましたが、その跡が今では台場小学校となっています。
この辺りは「台場横町」と呼ばれています。
紅茶で有名な専門店「プチテ」▼というお店も、近くにありました。
いつも行列ができているのだとか。
こちらの近くにある神社は「利田(かがだ)神社」といって、弁天様の神社です。
このあたりは昔は砂洲だったところだそうです。
江戸時代、この場所の近くまで、クジラが迷い込んだそうです。
そのクジラに縄をつけて、浜離宮まで運び、徳川将軍に見せたのだとか。
それで、この辺りは「鯨塚」と呼ばれています。
この近くはほとんど海のようなところで、屋形舟が並んでいました。
ここから見る景色はとても不思議でした。
手前から順に明治、大正、昭和、平成の建物が並んでいるのでした。
また旧東海道の方へ戻りました。
昔は街道とはいっても道幅がとても狭くて、よくこんなところを大名行列をしたものだと思うような道でした。
私たちが道を歩いていると、ガイドさんから「そこのあたりは昔は浜辺だった」とか「海の水が打ち寄せるところだった」という説明がありました。
たしかに道は海の方へ向かってなだらかに下がっていて、いかにも砂浜のような感じのところでした。
この辺りの商店街には面白いお店が並んでいますが、こちらは履き物で有名な「丸屋」▼さんです。
こちらの神社は、井伊直弼が寄進した「一心寺」▼です。
真言宗のお寺だそうです。
このあたりには「日本橋より二里」という碑がありました。
品川宿は、ちょうど日本橋と川崎の真ん中に当たるそうです。
最後は養願寺▼です。
ここは天台宗のお寺で、鎌倉時代後期に作られたそうです。
布袋様が祀られています。
そしてこの近くには「小泉長屋」という古い住宅がありました。
なんとも不思議な感じのするところでした。
写真を撮るのもはばかれるような雰囲気が漂っていました。
ここは、かつて江戸時代に小泉屋金左衛門という人が、貸長屋を建てたため小泉長屋と呼ばれたそうです。
迷路のような路地があり、古い井戸が残っていました。
庶民の生活の跡が感じられました。
なんというか令和の時代とはそぐわないような、廃墟のようなところでした。
数年のうちに、区画整理がされるような予感もしました。
ということで2時間ほどタイムスリップしているうちに、一つ角を曲がると、あっと驚くことに出発点の「松本」に到着してしまいました。
いったいどこをどうやって廻ってきたのか、手品のような感じでした。
ご一緒した皆様、ガイドの皆様、ありがとうございました。
記念撮影をしました。
とても楽しいお散歩でした。
なお「ガイドしながわ」▼は、個人でも依頼ができるそうです。
利用されてみてはいかがでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿