2009年1月4日日曜日
かきつばた
(1月3日の午前8時。ちょうど駅に電車が入ってきたところ)
********
今日は、あまり私らしくない話題です。(ふふ、ちょっと気取っているかも)
去年の11月10日に上野の国立博物館で「大琳派展」に行ってきました。
そのときのブログはこちら。
そのとき、会場があまりに混んでいたので、カタログだけ買ってゆっくり見ないで帰ってしまって、後悔していたんです。
そうしたら、ちょうど今朝、テレビの「新日曜美術館」で「琳派の美」というのを再放送していたの。
それで嬉しくなって見てみました。
琳派というのは、ご存知だとは思うけれど、尾形光琳を中心とした日本画家の人たちのこと。
昨年が光琳の生誕350年というので、ブームになっていましたね。
琳派の最初は俵屋宗達。そして約100年後に光琳が現れ、そのまた100年後が酒井抱一が現れたという流れなんです。
私はこの酒井抱一と言う人のファンなの。
これは上野に行ったとき買ってきたカタログをスキャンさせてもらったものです。
上から酒井抱一(江戸時代後期)、尾形光琳(江戸時代中期)、尾形、酒井の順序ですけれど、よく似ていますよね。
*******
これは私の大好きな王朝時代の物語<伊勢物語>が、江戸時代になって美しい日本画として再現された世界です。
伊勢物語の「東下り」の段で、三河の国八橋というところで咲いている美しいかきつばたを見て和歌を詠んだのが、伊勢物語の(九段だったかしら)ストーリーです。
かきつばたの頭文字を取って読んだ歌です。
か 唐衣
き 着つつなれにし
つ 妻しあれば
ば はるばる来ぬる
た 旅をしぞ思う
群青色に咲き誇るかきつばたを見て、都に置いてきた奥さんを思い浮かべたのでしょう。
これから江戸に向かうというちょうど中間あたりでの思いでしょうね。
そのもう少しあとには、富士山の段もあります。
その段の絵も素晴らしいのがあるんですよ。
********
テレビの解説では、尾形光琳が若いときに描いたかきつばたの絵には、花だけで橋がなかったそうです。
それが晩年、俵屋宗達の絵を見て、そこで学んだぼかした色合いの橋を書いたのが有名な「燕子花図屏風」。
そして、それを真似したて描いたのが抱月の「八橋図屏風」だそうです。
「燕子花」と書いてかきつばたと読ませるのと、地名の八橋だけの題名と両方あるのが面白いわね。
******
TVでも説明していましたけれど、尾形光琳は京都の大きな呉服商の息子で放蕩三昧していて、それが中年になって俵屋宗達の絵を見て、本格的に絵を描き始め、そして江戸に出て大成した人。
反対に酒井抱月は江戸の大名の息子だったんだけど、やはり若い時にいろいろ遊び過ぎて、それが光琳の絵に触れたとたん、心持ちを変えて、京都に行ってから本格的な絵を描いたそうです。
江戸と京都って、そういう文化的な繋がりもあるのね。
光琳のほうは金箔に描いたものが有名ですけど、抱月のほうは銀箔の世界が渋くて、おしゃれでいいわ。
*******
東京住まいの私は、京都には年に数回しか行けませんけれど、抱月が愛した東京の向島百花園というところには、一度行ってみたいと思っているの。
私には絵は無理なので、せめて接写カメラで写せたら、と期待だけはしています。
草花を愛し、それを屏風や着物に描き、四季折々の美しさを追い求めた抱月さんの人生は、とても興味があるわ。
若い時は遊女と遊んだり、狂歌で遊んだり、役者さんとの交流があったという抱月さん。
光琳ほど有名ではないけれど、美しさを追求したという点では、光琳にも負けないくらいだと思うのよ。
*******
テレビでは、この解説を花人の川瀬さんという方がしていました。
その人が言った言葉で、「美しいものを美しいと思うには、見る人の人生や生き方そのものだ。心がなければ、美しいものも美しいものと思えない」というのはちょっとショックでしたが、感じる心がないと、美しいものを見てもなんとも思わないでしょうね。
私だって受験生のころは(いったい何年前のこと?)、尾形光琳の絵を見ても、単に「紅白の図柄が対象的、モダン、琳派」ということでしか理解していなかったと思うの。
やはり本物に触れ、絵の奥に潜んでいる絵師の人生まで分かってくると、絵の素晴らしさが少しは伝わってくるような気がします。
美しいものに触れ、いくつになっても、それを美しいと感じる心が少しでも増えるといいな、と思います。
文学と絵画の両方が一度に楽しめる世界、そういうのがお得で大好きな世界です。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
8 件のコメント:
「美しいものを美しいと思うには、見る人の人生や生き方そのものだ。心がなければ、美しいものも美しいものと思えない。」という言葉が僕にもガツンと来ました。写真は技術も勿論大事ですが、カメラの性能が上がり、誰でもシャッターを切れば綺麗に写る様な時代になった今、その中で見る人を惹き付けて止まない様な写真を撮るには、自分の人生や生き方が問われるのだろうなぁと漠然と思っていたところでしたので。
日々是写真日和さん、TVに出演された花人の方のコメントは、この言葉通りではなかったかもしれませんけど、私にはそんなふうに受け取れました。
江戸時代の絵画と、現代の写真では技術や道具もまるで違うでしょうけれど、美しいものを見て、それが美しいと思われる感性を育てるのが大切なんだろうな、と私は思いました。
私などかなり長い人生を送ってきましたけれど、今頃になって気がついたんですよ。
日々さん(略して失礼!)はお若いので、これからどんどんいろいろなことを吸収できますね。
絵を描くと云う行為は、相当なエネルギーが必要です。
カメラを買ってから、まったくと言っていいほど、絵を描かなくなりました。
それだけカメラの魅力も捨て難いのです。
としちゃんさんは始めからホームラン級のお写真を撮られるので、拝見するのが楽しみです。
今日から、旦那氏もカメラを持っての出勤を始めました。
あたしたちのブログ、しばらくは鳥さんがたくさん出てしまいます。
ご免なさいね。
お花も撮りましたので、おいおい載せます。
としちゃんさんはちょうちょは平気ですか?
あたしはちょうちょが怖くて、写真も見られません(泣)
春になって欲しいような、欲しくないような・・・
さすがにとしちゃんだなぁ~と読ませていただきました。
さらっと習っただけでは理解はできません。
(琳派は着物の着付けで習ったのよ)
この頃の年になって初めて色んなことが理解できるようになったかな?
いつも美しいものを美しいと感じる心を失わないように心は大切ね。
実感しています。
余裕がないと周りも何も見えなくなります・・・
心に余裕を持って暮らしていけるといいけどね。
史子さんは絵画も描くし、音楽は専門だし、カメラの腕もすごいし、文章もユーモアのセンスがあって面白いし、ほんと、尊敬しちゃいます!
トリトリさんは、足が写っていなければ
大丈夫ということに気付きました。
うちのほうは、カラスが多くて、それが
すごく怖いんです。
でもできればお花の写真のアップ、待っていますね!
さとさんはお着物の着付けができるから、羨ましいわ。小袖に春や秋の草を描いたもの、すごく素敵ですよね。
今日は仕事始めだったので、久しぶりに若い学生や留学生と話していて、気分転換ができました。
一つところに留まらないで、いろんなことを吸収していきたいわ。
私もその番組見ました。
川瀬さんは昔からファンだったのですが、
「表現を変えながらも、
本質を受け継いでいく」、
というのは皆、
どの世界でも同じなんだなあ、と
思いました。
琳派の着物の模様なんて本当に
みていてゾクゾクしますよね。
たかぽんさん、川瀬さんって有名な方だったんですね。私はこの番組で初めて知りました。
琳派展は「継承と変容」というのがサブテーマだったんですが、受け継がれていくことの大切さと、それを模写しながらも改革して乗り越えていくことの両方が、うまくMIXしているんだなと思いました。
着物は本当にすてき。
なんていって、私は着られないんですけどね。
コメントを投稿