今週は外出の予定もあまりなく、スポーツジムと三味線と読書で一日を過ごしていました。
というわけで、今日の「読書から思い出すこと」は三田誠広さんの「夢将軍 頼朝」です。
三田さんといえば、「僕ってなに?」で清冽に芥川賞デビューをして、「いちご同盟」「春のソナタ」などの青春物でほろ苦い思いを綴っていたと思ったら、家族が中心の軽い読み物が少し続き、そして今では歴史物に移っているという作家さんです。同年代の方なので、親近感がありますね。
彼が若いころの小説はよく読みましたが、大河小説はちょっと遠慮していました。
でもやはり彼の歴史小説も読んでおこうかな、と手を出したのが「夢将軍 頼朝」でした。
頼朝といえば、ご存知のとおり、鎌倉幕府を開いた征夷大将軍。
「いいくに つくろう 鎌倉幕府 1192年」と言って暗記したのを、今でも忘れずに覚えています。
頼朝さんは義経に比べるとちょっと損な存在なのです。
彼の死因は馬から落ちて亡くなったというのは知っていましたが、「どうして武士なのに落馬したのだろう」というのが、私の長年の疑問でした。
ところがその疑問が、この本を読んで解決されました。
というのは、頼朝さんという人は女官の子供として生まれ、小さい頃は京都で女官たちに囲まれて育ちました。
そのため管弦などには優れた才能を持っていたそうですが、いわゆる武士の象徴である刀や弓などの武術とはまるで縁がなく、色白のひ弱な青年だったそうです。
それで大きくなってもなかなか乗馬がうまくできず、結局、最期は馬から落ちたことが原因で亡くなってしまったわけです。
これで納得しました。
ただし単にひ弱な若者だけであったわけではありません。
子供のころは「鬼武者」と呼ばれていて、学問や法律にも優れていて、小さいころから良くお勉強していたそうです。
平家とのいわゆる源平合戦も、「平家に勝つ」という目的で戦っていたのではなく、「貴族の社会を倒して、武士の世界を確立する」という大きな視点で戦っていたようです。
また戦いの後には、家人(「御家人」と呼ばれるようになった家来たち)には領地という恩を与え、いわゆる「御恩と奉公」の契約関係を結ぶという、新しい制度を作り出しました。
サブタイトルである「夢将軍」というのも、やはり彼が描いていた夢と関係あるのでしょう。
やはり賢かったのでしょうね。
ところが彼の思惑も長続きはせず、兄弟の間での争いが起こってしまいます。
頼朝には義経のような異母兄弟が4人、同じ母親を持つ兄弟が2人、他にも早死にした兄弟が2人ほどいたそうですが、頼朝の旗揚げを見て、あちこちから兄弟がやってきます。
頼朝は、たとえ兄弟とは言え、他の御家人と同じように扱いたかったのですが、兄弟たちはそれを不服としたこともあったようですね。
この小説を読むと、頼朝の苦労や悩みも良く分かるのですが、少し残念のは、正妻政子の描き方ですね。
「尼将軍」と呼ばれた政子のことを、一方的に怖くて男勝りの女性のように描いていますが、永井路子さんの「北条政子」ではもっと魅力的な女性として描かれていたと思います。
やはり男性作家の描く女性像というのは、ちょっと一方的だと思いました。
それにしても「保元の乱」や「平時の乱」の人間関係はいまだによく分かりません。
親兄弟が入り乱れて戦い、天皇、上皇、貴族、武士など多くの人間が登場して争いました。
こういう争いを経て、武士の時代になっていくわけですが、似たり寄ったりの名前の人が多くて、ほんとに混乱しますね。
この小説で面白かったところは、随所に西行や文覚がひょっこりと登場してくることでした。
西行は和歌の名手として有名ですが、実は流鏑馬のうまい武士としても有名な人だったようです。
日本各地を歩いていたのは、後白河法皇の命令で、あちこちを視察していたという説もあるくらいですが、この小説でも、頼朝が危機に合うと、うまい具合に助けてくれる人として描かれています。
西行さんの人生もけっこう面白そうなので、次は西行のことを扱った寂聴さんの「白道」を読んでみようかしら。
それともうひとつ、単純に面白いなと思ったのは、いわゆる「幕府」という言葉ですが、これは頼朝の最初の仕事場は、きちんとした建物ではなく、ただ幕が張ってあっただけだったので、その後、将軍のいるところは「幕府」と呼ばれるようになった、とのことでした。
ひとつ賢くなったようになりました。
またその年も、語呂合わせで覚えた1192年ではなく、もっと早い時期だったようですよ。
2 件のコメント:
としちゃん、お出かけしない週は珍しくないですか。
三田さんの作品は、かなり前に読売新聞に掲載されていた連載小説を読んだくらいです。
あと、犬の本もあったけ。
若いころとだいぶ作風が変わってきましたよね。最近は、空海とか西行とか、私の好みとはだいぶかけ離れています。
女優の三田和代さんはお姉さんですよね。息子さんは、ピアニストでしたっけ?芸術的才能に恵まれた血筋なのでしょうね。
マサさん、そうそう三田三の本はシベリアンハスキーのことを書いたのもありましたね。
最近は子供が成長したので、もう家族のことは書かないようですね。息子さんがピアニストになったのは知りませんでした。
おうちはコピーのミタ(今はもうありませんが)の経営者だったと思います。
堅い本でしたが、これは面白く読めました。
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