青梅市は東京の多摩地区北西部にあり、青梅マラソンや梅の郷としても有名なところです。
また今年2月の大雪や、先日の大雨によるがけ崩れなどの記憶も新しいところですが、今回出かけたのは、青梅市内でもフラットな地域で、住宅街のようなところでした。
講座の講師の先生が、このあたりに住んでいらっしゃるという関係で、今回は青梅の富士塚が選ばれました。
ところがこの富士塚は名ばかりの富士塚で、あまりたいしたことはない、というので、今回の実踏は、富士塚と、その近くにある大きな井戸、昔の名主さんのおうちなどを見て歩くことになりました。
ということで、富士塚探索というよりも、青梅の史跡探索ということになりました。
集合場所は、青梅線の「小作(おざく)」という駅でした。
青梅線は奥多摩の山にハイキングに行くときによく利用する路線です。
電車のドアの開閉は自分でしなくてはならないので、ちょっとどぎまぎしました。
ここからバスに乗りました。
羽田空港行きのバスも出ているんですね。
数分乗ったところの停留所で降りて、ぞろぞろと歩きます。
あたりには新町小学校や新町中学校が並び、そこに「富士塚公園」がありました。
いろんな遊具があり、その中央に木が生い茂っていましたが、後ろのほうにこんもりと見えるのが、富士塚だそうです。
教育委員会の説明の看板がありましたが、いつの時代のものか、誰が作ったものか不明でした。
それでも明治初期の史料「皇国地誌」にはここに富士塚があったと印されているとのことでした。
高さは4.5メートル、周囲は120メートルほどあるそうです。
かつては祠があったそうですが、大正時代に御嶽神社のほうへ移されてしまったそうです。
前回見た、清瀬の富士塚▼に比べると、ちょっと手入れがされていない感じでした。
小さな蚊のような虫がぶんぶんと飛んでいました。
公園とはいえ、遊んでいる子供の姿はなく、私たちは先生の話を聞いて、次の目的地である新町御嶽神社まで歩いていったのでした。
(この項、続きます)
0 件のコメント:
コメントを投稿