初代は吉野織部之助さんといって、新田開発を着手した方です。
その後、吉野家が代々と名主を勤めたそうです。
こちらのおうちは安政2年(1855年)に建てられたものですから、幕末のころのおうちですね。
建築面積が約75坪ということで、かなり広いおうちでした。
入って向かって右側に台所があり、その隣は板の間で、奥のほうに畳のお部屋が続いていました。
かなり格式の高いおうちだったようで、玄関には式台が付いていたことからも分かります。
ちなみに式台とは玄関のところにある一段低い板じきの部分ですが、お武家さまが籠で到着した時に、地面に足をつかずにそのまま屋敷に入れるようにと、作られたものです。
かなり格式のある人が訪問していたおうちだったということが、分かります。
その奥にずっとお座敷が続きます。
こちらは婚礼などを行うお部屋。
立派な漆塗りの器のセットが並べられていました。
またこの辺りは養蚕を行っていたようで、天井裏には養蚕用の棚がありました。
こういう古い建物が保存されているのは、嬉しいですね。
ここには、ゆっくりとした時間が流れていました。
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最後はおまけのようなところで、「鈴法寺跡」(れいほうじあと)というところに行きました。
このお寺は、普化宗(ふけしゅう)のお寺で、それは虚無僧の宗派だそうです。
ただし、浪人の隠れ家にもなっていたそうで、それで幕府はお寺を廃寺とするようにして、明治4年に、無くなりました。
今は子供の遊ぶような公園になっていましたが、片隅にお墓が10ほど残っていました。
こちらも東京都の指定旧跡となっています。
青梅の富士塚はそれほど立派なものではなかったのですが、そのおかげで、かえって青梅新町あたりのいろいろな史跡を見学することができて面白かったですね。
特に先生のおうちのご近所ということで、先生もリラックスして説明していました。
お天気もそれほど暑くならずに、おかげで長時間歩いてもダウンせずにすみました。
この時は参加者も少人数で、家族的でよかったかもしれません。
古い建築物を見るのが好きな方、銀座の裏通りを歩くのが好きなおばさま、歴史に詳しい方、数学が趣味のおじさま、などいろいろな方とおしゃべりしながら歩くのも楽しい時間でした。
以上の青梅史跡探索は6月17日のできごとでした。
次回の富士塚は9月になってから。
それまで市民カレッジはちょっと夏休みになります。
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