2019年4月27日土曜日

「元号からみる日本の歴史」@明治大学リバティアカデミー

平成の時代も、残すところあと数日となりました。

ところで私が住んでいる調布市は、明治大学と協定を結んでいます。
先日、市報に「明治大学リバティアカデミー」▼公開講座のお知らせが載っていたので、面白そうなので申し込んでみました。
リバティアカデミーは有料の講座もありますが、今回は無料で、1000人位の参加者があったと思います。

御茶ノ水駅を下車▼して、明治大学まで。


高層ビルとなっていて、昔懐かしい明治大学の面影はまるでありませんでした。


会場のアカデミーホールです。
天井が高くて、とても立派なホールでした。
私学にはお金があるのだな、と思いましたね。


おのぼりさんのように、きょろきょろしてしまいました。

今回のセミナー「元号からみる日本の歴史」は、ちょうど新年号か決定されたばかりの直後に開かれたタイムリーな内容でした。
私自身は西暦派なので、あまり元号で数えることはありませんが、元号の学問的なアプローチに興味がありました。

3人の先生が登場されました。
それぞれの先生たちが、専門の時代における元号の捉え方などについてお話されました。

まずは、古代史が専門の吉村武彦名誉教授。
「元号」というのは、明治から使われた用語だそうで、古代では「年号」と言われていたということでした。
新しい元号となる「令和」は万葉集からの出典ということになっていますが、「文選」の中にある「帰田賦」という説もあるということ。
現在は、元号は二文字だという決まりもあるようですが、8世紀ごろには四文字の元号もあったそうです。たとえば天平感宝とか、天平勝宝などです。
また読み方も漢語と呉語が混じっているという指摘があり、「令」を漢語の「れい」と読むと「和」は「な」が合うのではないか、呉語の「りょう」なら「わ」である、という説も説明されていました。
私自身も「れいな」か「りょうわ」のほうが落ち着きがあると思っていましたので、なるほどと思いましたが、まぁ決まったものは決まりですから何とも言えませんが。
吉村先生は、多くの資料をもとに解説されました。
古文書は読むだけで大変なことだと感じました。

お二人目は、室町時代から戦国時代が専門の清水克行先生のお話でした。
鎌倉時代では平均すると3~4年に一度は、改元があったそうです。
また年の途中で改元をするときは、その次の年は「元二年」と呼ばれたとか。
これは今回の令和の改元と当てはまりますね。
また南北朝の頃は、南朝と北朝では元号が異なったそうで、それも面白いと思いました。

そして現代史・軍事史が専門の山田朗先生。
幕末から明治維新の頃の年号について説明がありました。
このころは孝明天皇ですが、なんと在位21年の間に、6回の改元があり、7つの年号が使用されたそうです。
目まぐるしく変わったのですね。
これは朝廷と幕府の力関係によるものだということです。
また明治の次は「光文」の予定でしたが、新聞に漏れたために、誤報とされて、「大正」になったということでした。
またアジア各国の元号についても解説されました。

元号というのは、○○時代というように、イメージが涌きやすく、また同時代人としての意識も沸くものです。
しかし、時代には連続性があるので、それを元号によって断絶してしまう傾向もある、というお話でした。

意外な事実もありました。

古代では、「祥瑞(しょうずい)」があると、元号を変えていたそうです。
祥瑞は良いことという意味です。
それに反して、鎌倉時代になると「悪いこと」があると、元号を変えたそうです。

私たちの現在の常識では、一人の天皇に対して、一つの元号となっていますが、そうでもない時代もありました。
時代は法律や経済によって価値観は変わるし、流れていくものですね。

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この日の装い。

前日にワンコインで見つけた▼黄色の格子の紬。
「町娘」ならぬ「町ばあさん」です。


この日の会場には、私の他にもう一人着物姿の方がいらっしゃいました。
青みがかったグレーの大島紬の着物に、焦げ茶色のような落ち着いた帯を締めていらっしゃいました。
とても素敵だったので、しみじみと眺めさせていただきましたよ。

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