2020年4月25日土曜日

40年前のこと

現在、新型コロナウィルスが世界中にはびこっています。

私は今からおよそ40年前、日本とはまるで環境や医療、食生活などが異なるアフリカに住んでいました。

ちょっと長文になりますが、当時のことを思い出してみました。

そこは衛生観念や、病気に対する対応、医療施設などまるで違うところでした。
道路には不衛生そうな露天商が並び、得体知れない食べ物も売られていました。
日本食は、しょうゆ以外はほとんど入手できませんでした。
お米はありましたが、虫が入っていたり、おいしくはありませんでしたが、食べないわけにはいきません。
私たちは、日本から持ち込んだ食料品を大事に少しずつ使い、またヨーロッパ系のスーパーマーケットで買い物をして生活していました。
生野菜を食べることもなく、熱を通したモノか、あるいは缶詰でした。
大根が食べたくなり、ケニア(飛行機で7時間ほどかかりました)に行ってようやくありつけた、という思い出もあります。
それでもフルーツだけは、日本よりもずっと安くておいしかった記憶があります。

そして、そこでは「マラリア」との戦いがありました。
マラリアは、ハマダラカという蚊が媒体する病気ですが、コロナと同じように、ほんの風邪程度で終わってしまうこともありますが、重症化して、亡くなることもある怖い病気でした。
なんとかという薬を毎日飲むように指導されていました。


アフリカにいた、と言っても、ジャングルに住んでいたわけではなく、外国人向けの高級住宅地に住んでいました。
リビングだけでも100平方メートルくらいあり、2階建ての立派な家でした。
ところがそれは外見だけで、家の中は常に電気が停電になったり、水が断水するような状況でした。

その地域には、日本人は100人くらい住んでいたでしょうか。
圧倒的に男性が多く、単身者や短期滞在者も多くいましたが、家族連れは50所帯くらいだったでしょうか。

そこに住むようになると、まずは先輩日本人からここでの過ごし方を教わります。
・マラリア対策
・消毒の仕方
・停電や断水の対処方法
・使用人の対応方法
・買い物の仕方
などなど。

そして私が今でもよく覚えているのは、消毒の方法でした。
そこにいた日本大使館の奥様から教えていただいた方法ですが、今のコロナに対しても通じるところがあるかもしれません。

住んでいたところは、平均気温が30℃ほどの地域でしたので、それぞれの家には冷蔵庫、冷凍庫は必需品でした。
(停電のため、使えない時も多くありましたが)

そして冷蔵庫には「きれい冷蔵庫」と「汚い冷蔵庫」が用意されていました。
買い物をした時は、大きな段ボール箱などに食品を詰め込んで家に戻りましたが、まずそれぞれの商品を、すぐに「汚い冷蔵庫」にしまいます。
そして、一つずつ取り出して、外装をきれいに消毒します。
そしてきれいになってから「きれい冷蔵庫」にしまい直すのです。

もちろん、日本とは異なり、40年前のことですから、肉や魚もカットして売られているわけではなく、どーんと塊であり、丸ごとでしたので、それをやっつけるのは大変でした。
ミンチ肉やスライスされた肉などは、絶対にありませんでした。

私よりもっと前の人たちは、庭で鶏の首をしめてから調理したという話を聞いていたほどです。

常に用意していたのは、「ミルトン」という消毒液でした。
いつもこれを薄めてボールに入れていました。
そして何かに手が触れた後は、ミルトンで拭いていたのでした。

現在のコロナ対策として、帰宅後は手を洗う、というのがありますが、当時もよく手を洗っていました。

こんなふうに細菌を防ぐため、食品の衛生には注意していましたが、もう一つ、なんとかという虫(蛾のような昆虫)が体内に入るのを防ぐために、やっていたことがあります。
それはその虫の卵をアイロンの高熱で焼き殺す(?)ことでした。
それをしないと、衣服についた卵が体内に入り、そこで孵化して、皮膚の下で虫が発生する、という恐ろしい話をよく聞かされていました。

それで、すべての衣類にはアイロンをかけていました。
といっても自分でアイロンかけをしたわけではなく、それはメイドの仕事でした。
シーツからタオル、シャツまですべてアイロンをかけさせていました。

その癖は、40年たった今でも、私の身体に沁みついていて、今でもすべての衣類にはアイロンをかけないと落ち着きません。
下着でもソックスでも、すべてアイロンをかける毎日です。

それだけ清潔にしていても、病気になる人(駐在員)はいました。
現地にはインド人などの医者もいましたが、幸いにも私はまだ若くて、子供もいなかったので、マラリアにもかからず、また医者の世話にはならずに済みました。
しかし重症になった人は、飛行機でロンドンの病院まで連れていかれました。

もちろん、現地の人はお金もなく、医者にも行けない人が多いので、病気になるとすぐに亡くなってしまうことがありました。
うちで雇っていたドライバーやガードマンも病気で亡くなりました。
私たちにはどうすることもできませんでした。
日本から持ってきた抗生物質をあげて、熱だけは下げたこともありました。

健康に過ごしていた私ですが、一回だけ、死にそうな目に遭ったことがありました。
それは隣国のコートジボアール(象牙海岸)までドライブ旅行に行き、そこのホテルで食べた何かが当たって、ひどい下痢と発熱があり、脱水状態になってしまいました。
水を飲むのも辛かったことを覚えています。
たぶん、飲み物に入っていた氷が当たったのかもしれません。
本当に苦しかったのですが、同行した日本人が「ワカマツ」という下剤を持っていたので、それを飲んでようやく下痢を治しました。

今はコロナ対策として、「手をよく洗う、うがいをする、手で顔を触らない」ように言われていますが、これも清潔な水がふんだんにある日本だからこそ、通用するのです。
アフリカに住んでいた時は、現地の人は、水はペットボトル2本くらいの量で、一日を過ごしていました。
私たちは、大きなトラックの給水車から水を買って生活していました。
そしてその水は、すべていったん沸騰させて、浄水器のようなものに入れて、濾過して使っていました。

現在、世界中のあらゆる国で、コロナ感染が蔓延していますが、死者の数を見ると、幸いにも日本はそれほど多くはありません。
日本という国の環境の良さ、医療の発達、そして日本人の清潔感が幸いしているのだろうと思います。

きちんと整理していないのですが、40年前の教えが蘇ってきました。
あまりにも昔のことなので、どこまで正確に描いたか自信はありませんが。

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「一日一句」

のびのびと黄緑色の新芽かな


2 件のコメント:

内海康治 さんのコメント...

お花の林先生の検索をしていたら、こちらのブログにたどり着きました。祖師谷の教室のある呉服屋の店主です。いきなりコメントすみません。

アフリカのお話たいへん勉強になります。今回のコロナはとても怖いですが、もっと怖いウィルスがアフリカにはたくさんいるわけで、そこをたくましく生き抜いている人からすれば、ちゃんと予防すれば、そんなに恐れることはないと、付き合い方を教わった気がします。

そうだ!アフリカにいると思えば、もう少し明るく過ごせる!と、勇気をいただきました。よいお話をありがとうございました。着物が着られるということは、どれだけ世の中が平和で安全で幸せなのかと改めて、自分の仕事のありがたさを感じております。早く着物で楽しみたいですね。もう少しがんばります。

おおしまとしこ さんのコメント...

内海様 コメントいただきまして、ありがとうございます。
千歳屋さんのご主人でいらっしゃいますよね。
お店にはお花や、新内の発表会などで何回か、お邪魔させていただいております。
アフリカの生活も、現在はもう少し改善されていると思いますが、
やはり貧困と病気については、変わっていないかもしれませんね。
今はコロナ感染で大変ですが、それでも電気もあるし、水もあると思えば
かえってゆっくりと生活ができそうです。
そして何よりも、自然の美しさには感謝しています。
終息した暁には、私も着物でお店にお邪魔させていただきたいと思っております。
もう少し、辛抱しましょう。