今日は父の誕生日です。
生きていれば、ちょうど100歳の誕生日を迎えているはずでした。
父は大正9年4月30日生まれ。
西暦でいうと、1920年ですね。
こんな写真が出てきました。
いつごろでしょうか。
左は50歳くらい?の父です。
真ん中は祖母(父の母)ですが、75歳くらい?
母は45歳くらいでしょうか。
私が写したと思うのですが、まるで覚えていません。
父は台東区上野で生まれました。
戸籍謄本によると、現在の「大名時計博物館」▼のあたりになります。
子供の頃はいつも「上野のお山で遊んでいた」そうです。
その後、上野中学(現在の都立上野高校の前身)に通い、早稲田大学に行きました。
そのため、六大学野球や駅伝でははいつも早稲田大学を応援していて、またプロ野球も、当時、三原監督のいた大洋ホエールズを応援していました。
早稲田ファンだったのです。
戦争中は南方へ行ったようですが、戦火に遇うことはなく、比較的平和な軍隊体験をしていたようでした。
それでも父はよく戦友会に出かけていて、戻る時はいつもほろ酔いのご機嫌でした。
きっと同じ体験をした者同士でしか、分かり合えない友情があったのでしょうね。
私が子供の頃は、家ではいつも着物で過ごしていました。
ちょうど「サザエさん」のお父さんのような感じでした。
青っぽいウールか何かの着物に、黒のフニャフニャの兵児帯を結んでいました。
晩年はあまり家では着なくなりましたが、お正月などは大島のツインを着ていた記憶があります。
無趣味な父でしたが、唯一の趣味は、囲碁でした。
いつも近所の碁会所へ出かけていました。
とにかく不器用で、家事などはほとんどダメな人でした。
電気製品の取り扱いもダメで、修理はいつも母がしていたくらいです。
20年ほど前に亡くなりましたが、パソコンもスマホもない時代でしたから、機械音痴の父はきっと助かっただろうと思います。
今だったら、使いものにならなかったかも。
それでも、字は楷書で美しく書いていました。
父の残した住所録などを見ると、ほんとに美しく揃っていて、捨てるのが惜しいのです。
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「一日一句」
父偲びこれで見納めチューリップ
2 件のコメント:
お母様も和服が良くお似合いですね。母も特別な日にはよく着ていました。
二人とも字もきれいで、父は性格通りの几帳面な字を書いていました。
昔の人はどうしてこんなに字がきれいだったのでしょうね。
何かドラマが詰まったじわっとくる写真ですね。
カンカン、コメントありがとうございます。
いかにも「昭和」という感じの写真ですね。
ホームドラマの一瞬みたいね。
ほんと、昔の人は字がきれいでしたね。
やはりそれだけ手描きの習慣が多かったからでしょうね。
父の字は、右30度斜めで、行列していました。
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