2009年1月3日土曜日
たそがれ
(1月3日午後5時15分の富士山)
お正月だというのに、いや、お正月くらいしか昼間ゆっくり家にいることがないので、ずっと掃除というか片づけをしている。
それも自分の部屋は後回しで、母の部屋の掃除にかかりきりだ。
なにしろ昔人間なので、いろいろと溜め込んでばかりいる。
外出だってデイケアと病院しか行かないというのに、昔のスーツやら二度と着ないような細身のスカートなどがわんさとあったので、どんどん処分していった。
なにせ、今日が何月何日だか分からないほどぼけているんだから。
いちおう、「これは要るの?」とは聞いては見るが、何に使うためのものかも分かっていない。
昨日は二人で片付けていたが、時間ばかりかかって私はイライラするばかり。
それで、今日は母がディケアに行っている間に、書類や写真を片っ端から整理していった。
自分では判断できなくなっているのだから。
押入れからは、もう、へんなものばかり出てきて、ゴミ袋(燃えるごみも燃えないごみも紙ごみも)がどんどん増えるばかり。
とにかく、なんでも包んでしまっておく人なので、中身が分からなくて、面倒くさい。
いい加減頭に来たころ、押入れの奥から桐の箱が見つかった。
恐る恐る開けてみたら、なんと母がかつて習っていたお琴のお免状(というの?)が上品な和紙に包まれてでてきた。
へー、こんなのがあったんだと眼が点になった。
その箱には母が若いころ、琴の演奏会をしているものや、三味線を弾いている写真があった。
昭和50年と書いてあるので、今から30年くらい前のものだろうか。
きちんと和服を着て演奏している姿は、今のだらしない服装の老婆と同一人物とは思えない。
私は不覚にも涙が出てしまった。
こういう姿もあったのだ。
今、母の日常生活に必要なものは、薬とヘルパーさんが来る曜日の書かれたカレンダーとテレビくらいしかない。
和服もお琴も三味線もみんな無用のものとなってしまった。
歌舞伎座での演奏会の写真。こんな華やかな時代もあったのだ。
こちらはいつ頃だろうか。だが今の私より若いころに違いない。
一緒に写っている方たちの、肖像権があるかもしれないが、今から30年以上前の写真なので、どなたからも文句は出ないだろう。
老いていくことというのは、こういうことなのだろうか。
押入れからたくさんのお琴の曲や、長唄のカセットが見つかった。
聞かせてやったら、少しは懐かしそうな顔をした。
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20 件のコメント:
忙しそうなとしちゃんを想像すればするほど、笑いがこみ上げてきて・・笑いながら、わかるっ!わかるって声を出している・・頭にきながらも、涙が出てくるのも、わかるっ、わかるって!!最後まで読んで・・向田邦子の世界だ!って、手を打っていた。
トントンさんも、同じような気持ちかもしれないわね。
母がディケアから戻ってきたときは、少しは優しい気持ちになることができました。
今年最初のディケアだったので、出かけてくれてやれやれとほっとしたわ。
12月は毎日、病院に連れて行ってディケアまで運んでいたので、ほんとに疲れて、頭に来ていたのよ。
でもお部屋もきれいになったし、不用品も片付いたし、掃除始めもよかったわ。
あたしも向田邦子を思い出していました!
母の詫び状ですね。
とても素敵なお母さまですね。
持ち物は少なくとも、たくさんのものを残しておいでで。
カメラが息抜きになるといいですね。
お写真とっても素敵です。
としちゃん、ここのところ、大変そうだと思っていました。
頭にくることが多ければ多いほど、それだけがんばっているということ。奇麗事で済ませられるうちは、介護も真似事・・物理的なことはもちろんだけど、精神的に・・自分のいやなところにもしっかりとむき合わなければならないこともあるし・・・相反する気持ちも出てくるし・・・適当にと言い聞かせながら・・適当を忘れると大変になるもの・・
出来ないことは専門家に任せると、ほんとに優しい気持ちになれるよね・・大事なことだと思う。
史子さん、母の和服は数年前に山ほど捨てたのに、どういう訳か、道行というのかしら、コートばかりとってあったのよ。おまけに、着物はないのに足袋ばかりたくさん残してあって、どういうつもりなのかしらね?
笑っちゃいますよね。
トントンさん、そうね、私も専門家に任せるのがいいと思うの。極限に来てからでは遅いと思うので、なんとかしたいんだけどね。
うちの母の場合は家事をしているほうが好きなようなので、好きなようにさせているけれど、そうすると大洪水とか大焦げになってしまって、こちらが振り回されてしまって、いろいろ大変。
正月休みは面と向かっている時間が多かったからね、嫌でも目についてしまいます。仕事していたほうがずっと楽ね。
カメラとブログが良い息抜きとなりますように願っています。
としちゃん大変でしたね、お疲れさま~
トントンさんの言葉は説得力がありますね。確かにそうなんでしょうね。
私は実際に母の面倒は見てないけどいたらきっと毎日ケンかでイライラしてたと思う。
そんな時専門家は凄いなぁと思うのよね。
私はイラチだからだめだわぁ。。。
日々是写真日和さま、そうですね、写真はまだまだ息抜きとはなりませんが(笑)、
ブログだけは毎日書き続けようと思っています。
私は映像や音楽にはまるで弱い人間なんですけど、皆様にいろいろと教えていただくことがよい刺激になっていますよ。
さとさん、そうね、こういうことは体験した人しか分からないということもありますね。
できれば、そういうことは体験しないで済むなら、それもいいカナとも思いますよ。
こういう話題は本当は触れたくなかったのだけど、あまりに辛かったので、ちょっと書いちゃいました。へへ。
としちゃんのお母さま、どこにいるのかなって、つい探してしまいました。
桐の箱の中は、大切な思い出なのですね。
ディケアは、進んでいかれるのかしら。
父の場合は、嫌がって、暴れて(今だからか書けますが)、ホント大変だった。
あんなに嫌がるのだったら、家で過ごさせてあげればよかったと、これも今だから言えます。
私は同居してたわけじゃないから、としちゃんとは比べ物にならないけど、やさしい気持ちになれないときが、いっぱいあった。
「あのときは、やさしくできなくてゴメン」と、父に詫びるのも、今だからでしょうね。
ちょっと遅いご挨拶ですが、あけましておめでとうございます。
自分の親に対してはどうしてもイライラしちゃうのよね。素敵なお母様のお写真ですね。
立派なお母様だっただけに、娘として現実を受容できないことでしょう。
専門家に相談なさることは賛成だわ。
私の場合、もう家で介護するのは限界だと思った時に母は亡くなりました。
ホッとした様な、ガッカリしたような、虚しいような、それでいて根無し草のように心もとない気持になりました。なんとも複雑な娘としての気持でした。
適当に気分転換して、ご自分を追い詰めないでくださいね。
マサさん、今だから言えることって、ありますよね。うちも父の時は、離れていた(紅蓮さんのマンションだったから)ので、それほど苦労とは思わなかったけれど、もう少しいろんな話を聞いておけばよかったなと思いますね。
母はディケアに行かないと、今日が何曜日だか分からなくなっちゃうの。若いお兄さんにちやほやされるのが好きなんじゃないかな。
真蘭さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
新年そうそうこういう話題は避けたかったのだけど、公開しちゃいました。
普段はヘルパーさんやケアマネさんまかせだったことが多かったので、面と向かって対応したのは久しぶりなので、よけいにイライラが募ったんだけど、昔の写真やたくさんのお琴の教本などが出てきて、それなりによかったのかな、とも思ったわけです。
ボルネオって、昔、うちの父が戦争中に行っていたかもしれない所なので、写真を楽しみにしていますね。
介護のことは、親戚がみていたりすると、書かれるのはいやかなあと思って、自分のブログだとなかなかストレートに書けないわね。
私も母がいろいろためこむので、いつか、どどっと3日くらいかけて、整理をしたことがあるけど、その後、姉や親戚に「H子がみんな捨てちゃう。」といって、泣いたというのを聞いて、こっちの方が泣きたくなりましたね。貴重な3日をつぶしたのに。
目を離したすきに、人にお金を貸してしまったので、私が返してもらうよう交渉し、法的なことに訴えて、すったもんだの末やっと返してもらったら、返してくれなくてもよかったのに、とまた母に泣かれたり。
クーリングオフなどは、もうすごく詳しくなってしまいましたよ。
そういうことの連続でした。
母は今は介護の病院にいるけれど、それまで、ものすごい葛藤がありました。もっと自分たちでみたいとか、もう無理とか・・。
今の状況を私が受け入れられたのは、私の病気のおかげですね。母が家にいた時に、自分が動けなくなってしまったから。じゃなければ、今も相当大変な介護生活をしていたと思います。きっと今頃、姉も私もぼろぼろになっちゃったと思う。
親の介護は大事だけど、自分たちの健康をそこねては何にもならないと、母は今の状況でいいのかと思うときには、自分に言い聞かせています。
としちゃんもがんばりすぎないでね。
紅蓮さん、長いコメントありがとうございます。
私のブログは親戚とか結構いろんな人が見ていることが分かって、書きづらいこともあるんだけど、暴露しちゃいました。
私も正月休みはずっと母の片づけをして疲れましたが、しまい込んでいたいろんなものが見つかったり、箪笥の中がすっきりとしたり、良かったと思いましたよ。
捨てる捨てないには、いろんな基準があるでしょうが、どうせ後になって捨てるのなら、今のうちに処分して、その分、スペースを広げたほうが合理的だと思いました。
私もあれこれ書いてしまいましたが、今日から仕事始めで、気分もすっきりしました。
もちろん、家に帰るといろんなことが待っていて、切り替えるのが大変なんですけど、それはそれで無理しない程度にするより仕方ないですね。
紅蓮さんも原稿の締切り、がんばって下さいね!
そうだったのね。
ボルネオは日本が3年ほど占領していた
時代があったようです。
キナバル山の1300メートル付近に
温泉(ポーリー温泉)があるのですが、
これは日本軍が掘り当てたとか。
もしかしたら、お父上もこの温泉に
入られたかも。
父が戦争中に行っていたのは、スマトラとか、ボルネオとかシンガポールとかタイとか
あのあたりなんです。
温泉があるとは知りませんでした。
もっとよく話を聞いておけばよかったわ。
両親が年取る姿を見ると落ち込むわ・・なんて言っているうちはまだまだなのね。
うちの母もしょっちゅう片付けなければと言っています。
としちゃんも三味線はお母様の影響かもしれませんね。
カンカンのおうちはご両親がそろっていて、なんとかお二人で頑張っているからそれは大変でしょうけれど、お母様も張り合いがあると思うの。応援してあげてね。
三味線は母が使っていたのが2本あって、そのうちの1本を張り替えてきれいにしてもらったものなんです。
今の私はまるで初歩の初歩ですけれど、形見だと思って弾いています。
お琴も2台あるんだけど、だれか使ってくれないかな。
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