(名古屋旅行の話はちょっとお休みです。)
久しぶりに市民カレッジで「葛飾北斎」の講義を受けてきました。
浮世絵シリーズは、初回は「浮世絵とは何か?」▼の説明、そして2回目は「北斎以前の浮世絵師たち」▼のお話、そして3回目にしてようやく北斎先生の登場です。
この講座は毎回たくさんのスライドや資料を見せていただけるので、視覚に訴えていて分かりやすくていいですね。
さて、北斎さんといえば長生きをしたことで有名ですが、宝暦十年(1760)に生まれ嘉永二年(1849)に亡くなりますが、90歳まで生きたわけで、当時としては珍しい長寿だったのでしょうね。
それとまた北斎さんは名前(号)を何回も変えたことでも有名ですが、実に30種類くらいの名前で仕事をしていたそうです。
その中でも有名なのが6つあり、最初は春朗、二代目宗理、北斎、戴斗(たいと)、為一(いいつ)、最後は狂画老人卍(まんじ)とか。
名前はちょっと使うとすぐに弟子に売ってしまったようでした。
それというのも、あまり画号に拘らず、自由に絵を描きたかったという理由だったそうです。
こちらは初期の「春朗」さん時代の浮世絵です。
下手ではないですけれど、特に特徴もないような感じの美人画ですね。
こちらは「遠眼鏡」という題名の美人画です。「二代目宗理」と名乗っていたころの作品です。
ちなみに初代宗理という人は琳派の画家で、美しい絵を描いていた方でした。
そして「北斎」として有名な「富嶽三十六景」のうちのひとつ「甲州石斑沢」。
絶妙なバランスの絵ですね。
青一色で描かれていますが、この青は「北斎ブルー」と呼ばれている色だそうです。
ちょうどこのころ、海外からコバルトが入ってきたので、このような色が出るようになったのだとか。
こちらは亡くなった九十歳の年に描いた「雪中虎図」。
雪の中を虎が飛んでいく姿が躍動的で美しいですね。
晩年は浮世絵ではなく、絹に描いた肉筆画に変わっていったそうです。
北斎さんはまだまだ長生きをしたかったようで、印章には「百」という文字が刻まれています。
北斎さんは大量の絵を描いたことでも有名ですが、数え方によっては3万点以上の絵を描いていたのだとか。描くことが本当に好きだったのでしょうね。
このように北斎さんは江戸の文化・文政時代の「化政文化」を代表する有名な絵師さんですが、講師の先生の話によると、アメリカの雑誌「ライフ」の企画で「この1000年に最も重要な功績を残した世界の人物100人」に北斎は唯一の日本人としてランキングされているそうです。
世界的な画家だったのですね。
昨日は日本橋三越でアダチ版画研究所▼の北斎展を見ましたが、とても美しいものでした。
(写真は配布資料を使わせていただいています)
4 件のコメント:
としちゃん、お久しぶりです。お話しがちょうどお休みの日に蒸し返して?・・名古屋に行かれていたのですね。今日ちょうどとしちゃんの1週間分を読ませて頂いたので。
私、駅伝見るの大好きなのでテレビ観戦してましたが、あの前日にはまさにあの場所にいたのですね、タイムリーでした。
三浦しをんさんの「風が強く吹いている」は私映画でみました。娘さんのほうは知ってましたが父上のことはしりませんでした。こおいうことを知っていくのも読む楽しさです。
このところ、季節が急に進み日も短くなり何かとせわしく感じる毎日ですが・・・としちゃんは見るものは見、出かけるとこにはきちんと出かけ充実していますね。お見事です。
ところで、朝と夕暮れの美しくなってきた富士山を見て思い出したのですが・・そろそろお住まいの改修工事が始まるのではなかった?
今日の更新と関係ないつっこみでごめんなさい(汗)
ひょっこりさん、そうなのよ、うちのマンションは12月から3月までが大規模修理なのです。となると美しい富士山も見られないわね。お正月の富士山は特別きれいなのに、残念だわ。
熱田神宮ですが、「ここは駅伝のスタート地点です」という立看板がありましたよ。
三浦先生はすごくたくさん著書があるので、驚きました。
浮世絵は芸術としての評価が海外でのほうが高い気がするけど、それにしても世界の100人の1人にあげられるとはね。
私も話を蒸し返すけど(汗)、全日本大学駅伝、テレビでチラチラと見ていました。
あのスタート地点に前日いたのね。テレビ観戦も、一味違ったものになったことでしょう。
マサさん、「ライフ」でランキングされた世界の100人の第一位はエジソン、2位はコロンブス、3位はルターでした。そして北斎先生は86位だったそうです。すごい偉人だったのですね。
そうそう、駅伝のスタート地点を見たのはラッキーでしたね。でも私は神宮の敷地の中からスタートするのだと思っていたら、道路だったのでちょっとがっくりだったわ。
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