病院に入院したのは、5月の連休直後でしたが、当初は内科的治療をしたり、いろいろ検査が続いて、外科手術をしたのは5月19日でした。
その日は朝の9時から手術があるというので、私は8時ごろ病院に到着しました。
夫は手術着に着替えてストレッチャーで手術室に運ばれました。
そして「家族控室」というところで待つようにと看護婦さんに言われました。
何かあったら(つまり手術中に失敗があったとか、死んだりとか)すぐに呼ぶので、そこにじっとしているようにとのことでした。
本を何冊も読んだりしながら待っていましたが、手術室のドアが開き看護婦さんの姿が見えるたびに、何かあったのだろうかとハッとしましたが、それは他の患者さん家族への連絡だったのでした。
そしてようやく午後2時半になって、看護婦さんから「手術が終わったので、集中治療室までお入りください」と言われました。
5時間半の手術でした。
医者からは「とりあえず成功しました」とのことでしたが、その時の夫の姿といえば、人工呼吸器を付けて、身体にはチューブやらコードやらがからみつき、そして何より、普段よりも5キロほど太ったのではないかと思うほど、顔もむくれ、足などはゾウの足のようでした。
事前に、「点滴をするので一時的に太ります」とは言われていましたが、あまりの豹変ぶりのひどさに、「ほんとうにこれで成功したのだろうか」と疑ってしまうほどでした。
胸の皮膚をざっくりと切り裂き、胸の骨をドリルで切断したのですから、大変な負担があったのだろうと思いました。
もちろん夫はまだ全身麻酔から覚めていないので、私はその姿を見ただけで帰宅することにしました。
そして、「血栓が脳に飛んで脳梗塞などを起こす場合もありますが、明日の朝8時までに病院から電話がなければ、大丈夫です」ということで、家で待っていましたが、電話がないことを祈るばかりでした。
その後、夫のなんとか体重は元に戻りましたが、手術は終了したとはいえ、ほとんど病人状態で、歩くのもせいぜい病棟の同じフロアの100メートルか200メートルくらい。
身体のチューブこそはずれましたが、喉からお腹までざっくりと縫った跡があり、おまけにおへその上にはチューブを入れていた穴が4つもボコボコあいていたし、足にも傷がくっきりとついて、人には見せられないような身体になっていました。
胸には大きな青いブラジャーのようなものを付けて補強していましたが、おかしな格好で笑ってしまうほどでした。
手術後10日で退院しましたが、私の率直な感想としては、もっと病院において貰って、身体がちゃんと直ってから家に戻してほしいということでした。
でも病院には患者さんが多く、そうそう置いてもらうわけにはいかないのでしょう。
それまで看護婦さんがやっていたガーゼの交換をしたり、体温・脈拍など測ったり、着替えを手伝ったり、慣れないことであたふたとしました。
疑問点がいろいろあり不安だったので、メモをして医者に電話で教えてもらったりしました。
それでも1週間後にまた通院して、外科と内科の再検査を受けました。
そして縫ったところに貼ってあったテープをとり、入浴が可能となりました。
2週間目にもまた検査がありました。
夫はこのころからはだいぶ家の周囲を歩けるようにはなりましたが、「重い物を持ってはいけない」「身体をひねってはいけない」「上にあるものを取ってはいけない」などいろいろと制限があるので、毎日、長椅子の上で読書ばかりしていました。
3週間目に、今度はリハビリのための検査がありましたが、やはり健康な人の半分くらいしか身体能力がなくなってしまったようで、本当に手術をして良かったかどうかは、半信半疑でした。
それでもこのころからはレンタルビデオ屋さんまで歩いて行けるようになったので、それまでは私が借りてきていたのですが、自分でビデオを一度に5本1000円で借りて、ずっと見ている毎日でした。
この頃は朝晩2回、近くの河原まで散歩をしていました。
あまり帰りが遅いと、どこかで倒れているのではと思うほど、長時間歩いていたようです。
そして今週からは病院に付属している施設でリハビリが始まりました。
これは健康保険がきくので、多くの人が利用しています。
準備体操をして、柔軟体操やエアロビ、自転車こぎなどをしているようです。
リハビリのインストラクターがついているので、安心して運動ができるようになっています。
最近では体調もかなり戻ったようで、これまで仕事をずっと休んでいましたが、7月から復帰すると決めたようです。
病院のリハビリだけでは足りないのか、これまで通っていたスポーツジムにも行き出して、トレーニングをしているようです。
ただし、いまだに自転車や車の運転は禁止されています。
これまでサイクリングやジョギング、乗馬、スノボなどが好きな人でしたので、早く復帰して、思い切り身体が動かせるようになれるといいと、願っています。
入院する前と後で一番の変化は、食事でした。
それまでも我が家では外食はほとんどしませんでしたが、この1ヶ月間、1度、外に出かけたとき、蕎麦屋さんで蕎麦を一緒に食べた以外は、三食ともすべて手作りに徹しました。
私の毎日は、食事作りと食器洗いと言ってもいいほど、食事に関する時間が増えました。
野菜をメインにした減塩料理を1日に3食きっちりと作るのは、大変と言えば大変でしたが、だしの効いた野菜料理はほんとうにおいしいものだと分かるようになりました。
この食事療法にはおまけがあって、私の血圧も下がり、体重も3キロほど痩せました。
(あと1キロ痩せたいのですが)
ずっと禁酒が続いていて、まだアルコールは飲んでいませんが、仕事が始まったらビールを飲みたいと言っています。
世の中には、もっと重病で苦しんでいる人、長患いをしている人もいるでしょうが、やはり健康な身体でいることの大切さを感じます。
なんとも濃厚な日々だった手術後の1か月でした。
16 件のコメント:
ご主人様大変な手術だったのですね。
開胸や開腹をすると術後の負担も大変なものだ思います。
そうですよね、三食きちんと作ろうと思うと一日かかりきりですよね。
としちゃん様の記事を読んで「食生活に気を付けよう!」
と思いながらも相変わらず暴飲暴食の毎日なのです(汗)
よーでるさん、これまで6回くらいカテーテルを入れる治療をしていたのですが、効き目がないようなので外科手術となりました。カテーテルの時は1泊くらいですぐに元に戻ったのに、さすがに外科手術となると回復するのにも時間がかかりますね。
あの傷を見たら、女性だったら絶対にお勧めしませんね。
若い時は暴飲暴食でもいいかもしれないけれど、やはり年取ると食事は大切だと気づきましたね。
大変な手術だったんですね。 今はちょっでも早く手術が終わると次の日にはもう歩いて下さいです。 まだ体が自由にならないのに
診察に行けかなくてはで くたびれてしまいます。好きなことが早くできるようになるといいですね。
としちゃん お疲れ様でした。
三食は大変でしょ 我が家は お昼は麺類が多いのですよ
うたどんさん、私自身は手術ってしたことがないので、病人本人の気持ちにはなかなかなれなくて、内心、いらいらしていましたが、本人はそれ以上に不安の気持ちがあったでしょうね。
食事はこれまで一日1回しかちゃんと作っていなかったので、3回だと計画的にしないといけませんね。
やはり「亭主元気で外がいい」ですね!
としちゃん、怒涛の一か月でしたね。
ほんとにお疲れ様でした。
ジムに通えるようになったとは、リハビリも順調に進んでいるようですね。
早くビールが飲めるようになりますように。
そして、としちゃんにお疲れが出ませんように。
亭主は元気で外で働いていてくれるのが一番ですよね!
としちゃんさん、大変でしたね
わたしも去年、今年とけがで入院しましたが
割と長くいさせてくれる病院でしたので
主人(主夫をしています)の負担は小さくて済んだと思っています
でも、やりたいことを目指してもうジムに通っていらっしゃるなんて・・
がくっと体力を無くしてもずるずるそのまの私は
としちゃんさんのご主人を見習わなくては!
と思ったところです
としちゃんさんもあまりお疲れにすぎませんように
どうぞご自愛くださいね
マサさん、そうね、これまでお気楽主婦をしていたので、今度のことでちょっと心を入れ替えましたよ。(笑)
だんなが一日中、動かずに家にいるというのは、かなり圧力を感じますね。でも歩くことしかできなかったので仕方なかったですが。
入院前にビールを注文しておいてあったので、3ケース分、たまっています。
そのうちにすぐ無くなるでしょうが。
siroajisaiさん、そうですか、けがで入院されていたのですか。不自由だったでしょうね。
ご主人もきっと活躍されたことでしょうね。
こういうときって、家族のいない人はどうするのだろう、と思うこともありました。
私自身は出産以外は入院したことがないので、なかなか病人の気持ちに添えなかったかもしれません。
私も体力付くように、ジムでがんばっていますよ。
今まで通りカテーテルのメンテかと
思っていたところ、今回は3週間になると伺っていましたが、大手術だったのですね。
ご主人もとしちゃんも大変だったことと
お察しします。7月の職場復帰に向けて調整がうまくいくといいですね。
としちゃんは以前に食生活の管理でだしを
取っていると書いていましたが、私も
最近時間も少しできたし何十年ぶりかに
鰹と昆布でだしを取ってみました。
一番だし、2番だしととってから残りの昆布と
鰹節でつくだ煮を作ったりしました。
としちゃんはどんなふうにしているの?
確か食塩管理でだしを取るようになったと
お聞きしましたが。
カンカン、どうもありがとう。でもカンカンの経験してきたご苦労に比べたら、ほんとにたいしたことはありません。
私も昆布と鰹の出しですよ。
醤油や調味料はほとんど、そのだしで割って使っています。そうすれば必然的に塩分が少なくなるので、あまり面倒なことを考えずにできるのよ。
血圧はてきめんに20くらい、下がりましたよ。
大変な手術だったのですね。
少しずつ回復されているようで安心しました。としちゃんさんもお疲れが出るころだと思うのでご自愛下さいね。
7月からのお仕事復帰というのは結構すぐですね。無理なく少しずつ始められるといいですね。
ずんこさん、どうもありがとうございます。
子供の病気の世話も大変ですが、大人の病人というのも結構、気を使いましたね。つい、元気な時と比べてしまい、あまりに何もできないので、本当に治っているのか心配でした。
でも人間の回復力というのはすごいものだと思いました。
ただし私自身は外科手術はお断りですね。あんなにぐったりしてしまうのなら、しないほうがマシだと思いました。
なるべく病気にはなりたくないものです。
ご主人様の手術大変でしたね。
手術中待っているというのは、疲れるものですね。
こちらも5時間かかりました。
食事は毎日のこと、健康な人も、病人はなおのこと大事。
私は専業主婦だし、出不精なので、作るほうはどうにか、いい加減ながら管理してきたけど・・
食べすぎないということが大変。
母もだったけど、自分、脳こうそくを起こした夫と、食事療法は続けなければね、というところです。
出汁は私は、鰹節のみ、長年これ、でも結構しっかりとれる。
油ものはダメなので、できるだけオーブン焼きとか。
夫は降圧剤がとれました。
食事は大事だと思っているところです。
としちゃんも無理をせずに・・・
お大事になさってあげてくださいね。
トントンもいろいろと大変な経験をしてきたのね。これは経験してみないと分からないわね。
そうそう、先日、松庵に行くことがあって、ダメもとで駅からおうちにお電話したら、ご主人が出られました。よろしくお伝えくださいね。
食事の大切さは分かっていたつもりでも、やはり手抜きだったのでしょうね。でも薄味は慣れてくると、かえってゆっくりとかみしめて食べられるような気がします。
でもやはりずっと夫が家にいるのもうっとおしい気分にもなりますね。(笑)
娘からは定年退職した家みたいだと言われましたが、それはまだ早いわ。
え~~っ、まったく聞いていませんでした。すみません。
いつもこれです。これでもわかるように、我が家が大変だったのは、こうしたことだけではなく・・山のように。
5年に一度入院していたの夫は、無断で抜け出したり・・etc・・やくざと夫だけだと言われました。
だから定年になったら大変と思っていたら、向こうがうっとうしがって、出かけるのを喜んでいます。
適当にうまくいくようになっているようです。
としちゃんは今が頑張りどき・・・頑張りどきというのがあるのよね。
ただ無理をしないでね。
本当にすみませんでした。
いや、トントン、気にしないで。私が「急用ではありませんので」と言ったのですから。
うちの夫もここ数年、毎年、入院していたのよ。もうそれに懲りて、今回の手術となったわけだけど、これで最後にしてもらいたいですね。
「亭主元気で留守が良い」というのは、ほんとね。
コメントを投稿