ご興味のない方もいらっしゃると思いつつ、書き留めておきます。
以前にも何回か書いていますが、私の亡くなった父は上野の生まれでした。
そして、私自身もかなり大きくなるまで、本籍地は上野でした。
そこはすでに戦災に遭い、居住地ではなかったのですが、祖父母や父の意向のためか、本籍地を変えることはしていませんでした。
子供の頃、父から、
「上野のお山で遊んでいた」とか、
「寛永寺で遊んだ」
という話はよく聞いていましたので、そういう思い出がある場所から本籍地を移したくなかったのかもしれません。
その家は「桜木町の家」と、よく聞いていたので、ある時、「上野桜木町あたり」というところに行ってみました▼。
ところがそこは町家風のところで、どうも父や祖母から話に聞いていた家とは様子が違うようでした。
いったい、父はどこに住んでいたのだろう、私の本籍地はどこなのだろう、という思いはずっと続いていました。
その後、台東区の古地図というサイトを見つけ、当時の住所を入力してみると、そこは今は「大名時計博物館」▼があるということが分かりました。
それで、ちょうど上野に行く用事があったときに、そこを訪ねてみることにしました。
そこは、上野というよりも、根津や日暮里に近いところでした。
古いお屋敷で、その中に大名時計博物館というのがありました。
気が付かなければ、通り過ぎてしまうようなところでした。
入場券を買って、中に入ってみました。
そこには昔の時計がいろいろと展示されていました。
受付のアルバイトのような男性に尋ねたところ、古いことはあまりよく知らない様子でした。
それでもここは以前は銀行家のワタナベさんという方のお屋敷だったそうです。
それを戦後、大名時計博物館に改造したそうです。
おうちは戦災で焼けてしまいましたが、石塀は戦前のままということでした。
ああ、そうだったのか、父はこの塀のあたりで、兄弟たちとチャンバラごっこでもして遊んだのかもしれない、と思いました。
庭には灯籠が立っていましたが、これは私の実家の庭にあった灯籠とそっくりで驚きました。
たぶん、ここが父が生まれ育った家の近所でしょう。
私の本籍地もここだったのですね。
なんだか、とても懐かしく、嬉しい気持ちになりました。
長い間の疑問が解け、自分のルーツがはっきりしました。
久しぶりに父のことを思い出しました。
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