2026年6月1日月曜日

阿佐ヶ谷かいわい暗渠散歩 2

前回▼は、阿佐ヶ谷駅の東側の暗渠を歩きましたが、今度はもう少し北東側に行ってみました。結局、最終的には阿佐ヶ谷の北側を通って荻窪まで歩いてしまいましたが。

阿佐ヶ谷は暗渠好きにはたまらない場所だと確信しました。

ただ、もうちょっと昔の時代に歩いていたら、もっと面白かっただろうと残念な気持ちも湧きました。それでも他の地域に比べたら、暗渠の醍醐味はまだ残っている地域です。

まずは駅から中央線の北側へ。この辺りは河北病院の大規模工事が行われているので道が塞がれていて、行きたい場所まではちょっと遠回りになりました。

まずは以前も訪問した弁天社へ。

そこからぐるぐる歩いて、北東地域を探検しました。

このあたりは、嬉しくなるほど、暗渠続きでした。


狭い道が続きます。




かつては用水だったようなところが、歩いても歩いても見つかりました。

こちらは前にも通った「玉の湯」です。お風呂屋さんも営業してますが、こちらは隣接するコインランドリー。道路際に立った石の門柱が見事でした。いつの時代のものでしょうね。


こちらはメインの銭湯です。

この先にも、車止めがずっと続きました。


こちらの建物は、Googleマップでは緑に塗られていて何か分からなかったのですが、東京朝鮮第九初級学校でした。日本の小学校にあたるところなのでしょうか?


学校の脇道を通ると、阿佐ヶ谷中央公園に到着。ここでちょっと一休み。


朝早かったせいか、誰もいなくて、のんびりできました。


公園の敷地はこんな形をしていました。水路の流れと関係がありそうでした。


さてここからどうしようかと思案しましたが、もう少し暗渠巡りを続けました。

この先はちょっと道が広がってきました。家も新しいようでした。


こぎれいな家が続いていました。


この後は、かつての銭湯だったところが続きました。
こちらは中杉通りに面していたコインランドリーです。
大型洗濯機や乾燥機がたくさん並んでいました。


こちらは松山通りにあったコインランドリー。お洒落な感じですね。以前は「○○湯」だったと思われます。


この後も暗渠続きです。




歩いても歩いても、車止めがたくさん並んでいました。
あまり北へ行くと帰りが困るので、西の天沼方面へ曲がりました。
こちらは前回も通った慈恩寺です。


その近くに、大きな石碑がありました。
杉並区制記念碑のようでした。


他にもいろいろな石物がありました。


この一角は石碑コーナーのようなところでした。


この辺りから、緑道らしくなってきました。


この付近で庭の手入れをしていた女性(私よりちょっと年上でしょうか)と立ち話をして、昔のお話を伺うことができました。この方のご主人は、生まれてからずっとこの地域にお住まいだったので、昭和の昔話も話してくださいました。当時は桃園川は暗渠ではなかったので、ここに落ちてしまった少年がいたそうです。
今では笑い話ですが当時はびっくりしたでしょうね。そして昭和40年頃に蓋がされたとか。

こんなお話ができるのも、暗渠巡りの楽しみの一つです。

その後、ちょっと足を延ばして熊野神社に行ってみることにしましたが、神社の森は見えているのに、入口が分からず、ぐるぐると歩き廻ってしまいました。するとチラシをポスティングしていた女性が道順を教えてくれて、助けてくれました。


神社の鳥居のところで、また先ほどのチラシ配りの女性と遭遇。きっと変な人だと思われたことでしょう。

この日はいろいろな方に助けていただきました。

この先も、暗渠が続きました。

ゴミ置き場となった暗渠。


かなりお洒落な暗渠。


珍しく「桃園」の名前がついたアパートがありました。


ここまで来れば、郷土資料館はもうすぐです。


もえぎ公園。ここは何度も通過しました。


そして結局、郷土博物館まで歩きました。弁天沼です。若者がギターの練習をしていました。


資料館では学芸員さんとお話をすることができて、ラッキーでした。

阿佐ヶ谷周辺は相沢堀の跡がたくさん残っているところでした。このあたりの田圃で取れたお米は、良質なお米だったとか。であと1回、荻窪の図書館の方まで歩いてみようかと思います。

ほんとに神社はどこも入口が分からず、困ることが多いのですが。

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