今年のあじさいは、なんだか今までとは違ったように見えます。
去年と同じ場所に咲いているあじさいですけれど、今までは普通の水色だったと思っていたのに、こんなふうに濃い紫色のあじさいになっています。
土の色によって花の色が変わるというけれど、年によってもこんなに違うのかしら。
ところで、あじさいといえば、小学校4年生の時の事件を思い出します。
もう何十年も前の、はるか昔の悲しいお話。
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当時、隣のクラスに、頭もよくて誰からも慕われている男の子がいました。
学級委員長をしたりして、全学年のあいだでも有名な子供でした。
その彼が、放課後に、教室の中でぐるぐる回りながら遊んでいて、M君というクラスメートが、ふざけて教室の扉を閉めてしまいました。
その頃、教室の扉にはガラスが入っていて、閉まったことを知らずに彼はそこに真正面からぶつかって、ガラスが粉々に壊れてしまい、そのガラスが突き刺さって、亡くなってしまいました。
翌日だったと思うけれど、学校葬がありました。
「花を一輪持ってくるように」というお知らせがあったので、私は家に咲いていた水色のあじさいを切って持っていきました。
校庭には献花をする長い列ができ、ずーっと待たされました。
そしてようやく私の順番になった時、あじさいは見事にしおれて、無残な姿になってしまっていました。
あじさいって、水がないとだめになってしまうんですよね。
この亡くなった某君のおうちは、かなりお金持ちだったためか、事件をきっかけにご両親が学校にジャンルジムを寄付して、私たちの遊具となりました。
翌年、クラス替えがあり、その隣のクラスの担任だったY先生が私の担任となりました。そして扉を閉めてしまったM君も同じクラスになりました。
Y先生は、女性の先生でしたが、やはり去年の事件が尾を引いていて、M君をかばうことが多かったようでした。Y先生ご自身にも私達と同じくらいの年頃のお子さんがいたこともあり、無残な事件には心を痛めていたと思います。
もし今、こういう事件があったら、きっと担任の先生は袋だだきにあって、大変でしょう。
当時は新聞記事に載ったとは思いますが、事故は事故として、それほど問題にはならなかったと思うのです。
私たちは団塊の世代なので、生まれる人間も多かったけれど、亡くなる子供も割と多くいたのです。
幼稚園の友達も、ブランコで遊んでいて亡くなってしまったことも覚えています。
そんなことがあったので、あじさいというと、彼のお葬式のことを思い出してしまいます。
あの頃は、あじさいといえば、水色か薄い紫の色しかなかったと思います。
今年の濃い色のあじさいには、なんとなく違和感を感じてしまいます。
10 件のコメント:
こんばんは。それは悲しい思い出ですね。形や重みは違いますが、僕の中の百合も他の花とは違う特別な花になっています。
僕は幼稚園の時に母方の実家に預けられていたのですが、僕を驚かせようと祖母達が僕を部屋に残して先に出かけたふりをして玄関のガラス戸を閉め、鍵も閉めました。驚いた僕はガラスを叩いて祖母達を呼んだところ、ガラス戸を突き破り、手首を大きく切りました。失血死する直前位まで出血しましたが、幸いにも一命はとりとめ、現在に至ります。(未だに左手は少し痺れがあります。)それ以来、父方の実家と母方の実家の関係がギクシャクしてしまいました。当然でしょうけど。
そんな訳もあって、自宅のガラスは全てフィルムを貼って万が一に備えていますが、幼稚園や小学校、そして公共施設にはガラスを使ったものが沢山あって、自分は怖いと思った事はありませんが、子供を持った今は子供の事は心配です。
紫陽花の花が土の成分で色が変わるという話は知っているのですが、同じ株から色の違う花が咲いていたり、同じ株ではなくても、隣合わせの株に咲いた花の色が違ったりして、良く分かりません。この謎が解けるとすっきり出来るのですが。。。
今年は、濃い紫の紫陽花、確かによく見ます。
去年も紫陽花をたくさん撮ったのですが、気づきませんでした。
雨のph値が違うのかしら?
同い年の友人の不幸は堪えますね。
そう言えば先月は、15年前に亡くなった同級生の命日でした。
当時は眠れないほど衝撃を受けたのに、忘れてしまうこともあるのですね。
願わくば、生まれ変わって夢を叶えて欲しいです。
私は、小・中学校で、こうした事故が身近では起こらなかったのが幸いでした。
一寸した弾み・・と言うのは、どの立場の人にもつらいことですよね。
紫陽花はどことなく寂しげな花。こうしたことを思い出してしまいますね。
紫陽花に、そんな悲しい思い出があったんですね。
今の時代なら、大事のはず。学校側は責任を問われて大変でしょう。当時の人々は、悲しみ無念さを他者に向けたりせず、自分の胸の中で静かに昇華させたのでしょうか。
学生時代に事故でなくなった友達はいませんが、自死した級友はいます。それはそれで、つらい記憶です。
日々是写真日和さん、辛いことを思い出させてしまいましたね。子供は本当に思いがけないことをしでかすものです。おばあさまもお辛い思いをされたことでしょう。でも治って本当によかったですね。
うちの子供は幸い、あまり大きな怪我をしないで育ちましたが、男の子のお母さんの話を聞くと、本当に大変で、救急車には何回乗ったか分からないという方もいらっしゃいました。子育てはやはり大変ですね。
史子さんもやはり今年のアジサイは濃いと思うのね。品種改良かどうか分かりませんけれど、路上に咲いているアジサイも色が変化しているみたいです。
若い時に亡くなってしまった人は、素敵な人ばかりですね。でもいつまでも若い時の面影しかないので、年を取りませんね。
トントン、そうね、悪気でしたことでなくっても、もののはずみ、という出来事はよくありますよね。ご両親はどんなに辛い思いをされたことでしょうね。
白いアジサイはトントンに任せたわ。
マサさん、私の周りにはどういうわけだか、20代までに亡くなった人がかなりいるのよ。それも優秀な人ばかり。事故死だったり病死だったりでしたが、今でも信じられないですね。
今の若い世代の親って、先生が「廊下に立っていなさい」というだけで、それを体罰ととらえて訴えるんですってよ。私たちの頃なんて、バケツに水をいれて、それを両手に持って立たされていたこともあるわ。
時代が変わったのかもね。
昨日から雨が降り出しやはり紫陽花には雨が良く似合います。
紫陽花にそんな思い出があったのね。
子供の死は相当辛いです。(経験したので・・・)まして残念な事故だと親御さんはどんな気持ちだったでしょうね。
そして悪気がなくやったことが友達の死につながるなんてそれからのM君の人生も辛いものがありますね。
さとさんにも辛い思い出を振り返させちゃいましたね。昔の人が言ったように、やはり年の順に亡くなっていくのが本当ですよね。
うちの実感のアジサイは、花がちゃんとひろがらなくて、みじめな花でした。今では懐かしいですけれどね。
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