今日は梅雨明けで暑かったので、ちょっと時代がかった古めかしいところに行って、暑さを忘れてきました。
お隣の世田谷区まで足を伸ばしました。
世田谷区というのはとても広い面積のところです。
小田急線の「世田谷代田」という駅で下車します。
小田急線と垂直に南北に環状7号線が走っています。トラックや乗用車がガンガン通る道路です。
そして環状7号線に沿って10分ほど歩いたところに、こんもりとした木々があり、その白い塀の中に齋田記念館があります。
敷地の中に入ると、右手に白いお蔵が見えますが、そこが記念館です。
正面の立派なお屋敷は現在の斎田さんのお住まいのようです。
このあたりは江戸時代には代田村と言われていたところで、その村の名主だったのが齋田さんでした。
齋田家というのは、もともとは鎌倉時代の木曽義仲の家来だった一族だそうですが、江戸中期ころからこの辺りの土地の開墾を進めました。
八代目の東野(とうや)さんという人は学問に優れた人で儒教の塾も開いていたそうです。また九代目の雲岱(うんたい)さんという人は絵画にも優れていて、植物画などの図鑑も多く残した人でした。
また明治以降は製茶や販売もして、良質なお茶は定評があったそうで、茶道をする人たちにとっては齋田家は有名なところなのだとか。
記念館には、その齋田さんの一族が使っていた道具や絵画などが展示してありました。
中はとてもひんやりとしていました。
齋田さんは雲峰(うんぽう)という画家について絵を学びましたが、その絵は南画といって、中国の文人画の流れをくむ流派だそうですが、すっきりとした絵に楷書の文字が描かれています。
そして南画では有名な谷文晁の絵などが展示してありました。
ちなみに文晁は上野の根岸の生まれだそうで、「徳川時代の三大家」と言われた画家です。
ここには三十六歌仙の絵と和歌もありました。
この絵巻は持ち主が次々に変わり、大正時代にはある実業家が手にしていたそうですが、彼が経済的に困窮したとき、この絵巻を手放すことになりました。ところがあまりにも高価だったため、一人では買うことができずに1巻ごとに別々の人が買い取ったそうです。
こちらは佐竹本三十六歌仙絵巻の一部です。
小大君(こおおきみ)という女房だった女流歌人の絵です。
この展覧会のことは、前に千鳥が淵のギャラリー一冊▼ で見たのですが、訪れる人も少ない展覧会でした。暑さを忘れるにはぴったりのところでしたよ。
帰りは東急世田谷線で戻りました。
この路線は、世田谷ボロ市ではお世話になっていますが、車両は2両しかなくて、東京とは思えないほどのんびりとした路線です。
あまりに暑かったので洋服で出かけましたが、そうすると電車の冷房がきつくて、身体が冷えてしまいます。私には暑いときでも着物のほうが、身体にはいいのかもしれないわ。
4 件のコメント:
昨日は、この夏一番の暑さでしたよね。その中を出かけるとしちゃんの行動力に感服です。でも、館内は涼しそうですね。
世田谷線は、娘が高校に通っていたころ、保護者会などに出席するため、たまに乗りました。
バスみたいな電車ですよね。
我が家では、東急世田谷線では通用しなくて、「せたまる」と呼んでいます。
マサさん、あの環七の脇にこんな古めかしい建物があることが驚きでしたね。
中はひっそりとしていて、他にはお客さんが誰もいないので、薄暗い会場でゆっくりと涼んできましたよ。
私はあの電車は「じゃま電」と言っていますよ。昔は「玉電」だったのに、いつから世田谷線になってしまったのかしらね。
こんなに近くに素敵な美術館があったんですね。
としちゃんの情報はどうやって収集するのかしら?
今度行ってみたいわ。
玉電、東京では数少ない路面電車。
2両だけの小さな電車ですが私は大好きですよ。
真蘭さん、世田谷区にお邪魔してきました。
ここは環七のすぐ脇にありましたが、下界とは完全に隔離された空間でしたね。
昔は名主さんだったおうちだそうです。
そのころ、周りはみんな農家だったのでしょうね。
徳もあり、学もあり、美術にも詳しい素晴らしい名主さんだっただろうなと思いましたよ。
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