十月大歌舞伎の2日目の舞台を見てきました。
今回は「七世 松本幸四郎 追遠」ということで幸四郎(松たか子のお父さん)と市川団十郎(海老蔵のお父さん)というコンビが、昼と夜に同じ内容ですが反対の役をするというのが売りのようですね。
ちなみに7世松本幸四郎という人は昭和24年に78歳でお亡くなりになっていますが、この人の養子が7代目松本幸四郎の長男である11代目市川団十郎であり、今の団十郎さんにとってはおじいさんということになります。今の幸四郎さんは9代目ですが、やはりおじいさんに当たり、ちょっとややこしいですね。
その前に、昼の部では「国性爺合戦」(こくせんやがっせん)がありました。
このお芝居は、たぶん今から○○年前に、高校生の時に見たような気がします。
手前にいる隈どりをした男性が主人公の和藤内(わとうない)です。
近松門左衛門の作なのですが、日中両国の人が血縁や国境を越えて、手を取るというスケールの大きなお話です。最初の内は日本人と中国人があまり仲良くない場面なので、今のご時世もあり、ちょっとどうなるのだろうと心配しましたが、最後はうまくまとまったようです。
この時代は鎖国時代だったわけですが、江戸では非常に人気が高いお芝居だったそうです。
主人公は先日の「お座敷三味線」の「トラトラトラじゃんけん」▼にも出てきた和藤内こと鄭成功のお話です。
彼は中国人のお父さんと日本人のお母さんをもつ、今でいう国際結婚で生まれたハーフだったのですね。
つまり「和」でもない「唐」でもない、という意味なんだそうです。はじめて知ったわ。
中国が明といわれていたころのお話です。
和藤内の荒事の化粧や装束、そして中国との衣装や風習の違いも面白いですね。
そのあとはおなじみの「勧進帳」でした。
ちなみにこの絵の手前にいる紫の衣装は義経で、藤十郎さんが演じていました。
右上が富樫、真ん中で巻き物を持っているのが弁慶ですね。
藤十郎さんは、ほとんどじーっとしてる時間が長いのですが、舞台の上で台詞もなく、たたずんでいるのも大変だろうなと思ってしまいました。
存在感がありますね。あのお年ですごいものです。
私が見た昼の部では団十郎が弁慶で、幸四郎が富樫でしたが、夜の部は反対の立場で演じるのだそうです。
有名な「安宅の関」でのお話ですが、ものすごいセリフの量と仏教用語、台本を見ていても大変だろうに、役者さんというのはあれだけ暗記できるのはすごいですね。
また山伏の重そうな衣装、富樫の長袴などを履きながらの二人の掛け合いは息が合っていると思いましたが、肉体の勝負ですね。
「歌舞伎十八番」といわれるだけのことはあると思いました。
このチラシは「昼の部」用で、裏は「夜の部」用で、役者が反対になっています。
私にとっては、役者さんよりもバックにいた三味線(七丁)に感激しました。
とくに立三味線は私の好きな方だったので、あんな演奏ができたらいいのになーと思いながら、聞き惚れていました。
<この項、続きます>
2 件のコメント:
としちゃんは歌舞伎にもすごく詳しいですね。
有名な役者さんは私にも少しわかります(笑)
歌舞伎役者さんは体力的にも大変ですよね、団十郎さんは大変なご病気から復帰されてですものね。
としちゃんのブログで色々と勉強させてもらっています。
ありがとう!
さとさん、私など歌舞伎のことはほとんど素人ですよ。たまたま祖母が歌舞伎好きでいろんな役者さんの話をよくしていたので、なんとなく知っているだけです。
団十郎さんは白血病でしたね。妹さんから輸血をされたようですね。よく復帰されたと思います。役者魂なんでしょうね。
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