葛飾北斎について学ぶ市民カレッジも最終回でした。
半年にわたり8回かけて、北斎の絵をたくさん見せていただきましたが、ほんとに彼は天才だと思いました。
北斎は江戸の中期から後期にかけて、ちょうど11代将軍家斉の文化文政時代から、その後の天保のころまでの人ですが、絵を描くことだけに集中してどん欲に生きた人のようでした。
引越を90回も重ねたそうですが、ずっと長屋に住んでいて、すごくお金持ちになった訳でもなく、また女遊びをしたわけでもなく、とにかく絵を描くことだけの人生だったようです。
また当時は「手鎖」と言って、風俗画の作者はお縄になった人も多かったようですが、北斎はそのような風潮とは無縁でした。
晩年はそれまでの「為一」から「卍」と名前を変えました。
卍というのは、彼が川柳を作っていた時のペンネームだそうです。
前に書きましたが、富嶽三十六景を書いていた時がだいたい70歳くらい。
その後、75歳くらいになってこんどは富嶽百景を描きました。
まだ物足りなかったのでしょうね。
そちらはモノクロ版100枚です。
北斎は年を取ってからはいわゆる浮世絵の美人画や役者絵は描かなくなり、風景画がメインになります。
しかし、そのあまりに凝った構図が世間には受け入れられなかったためか、風景画としては初代歌川広重のほうに人気が移っていったようでした。
私はこういうありえないような構図の絵は好きですね。
上の綱渡りのような絵や、下の滝で水浴びをしている絵など、他の人には描けないような絵だと思いますが。
こちらは「団扇」に描いた絵です。
軍鶏の真っ赤なトサカと後ろのブルーが鮮やかですね。
それでも北斎先生はめげずに、今度は肉筆画で勝負をします。
絹に描いたり、紙に描いたりいろいろですが、鮮やかな色の絵画を描いていました。
こちらは「獅子図」です。
獅子もすごいけれど、周囲の牡丹のようは花が色鮮やかですね。
その後はお寺の天井画でも力を発揮しました。
周囲の波は富嶽三十六景に使ったものと同じでしょう。
このような極彩色の絵も描いていたので、青の時代のことしか知らない人は、これがあの北斎の絵とは思えないかもしれませんね。
毒々しいほど鮮やかです。
90歳で亡くなる寸前に描いたこの絵、私は大好きですね。
雪の中を飛ぶ虎。
なんだかこの動物が夢を見ているように思えるのです。
それにしても、北斎の絵はかなり海外に持ち出されているんですね。
ボストン美術館にもかなり保管されているようです。
でも北斎の絵はものすごく量がありますね。
いつかは長野の北斎館というところにも行ってみたいと思います。
北斎の最終回には江戸小紋でも着ていこうかと思っていたのですが、雨交じりの雪が降っていたので、残念でしたが洋服で参加しました。
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これまでの講座の私なりのまとめです。
葛飾北斎とその時代7▼
葛飾北斎とその時代6▼
葛飾北斎とその時代4・5▼
葛飾北斎とその時代3▼
葛飾北斎とその時代2▼
葛飾北斎とその時代1▼
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