「この子 だあれ?」 シリーズをちょっと中断。
それよりも古い写真がありました。
私も初めて見た写真です。
母のお見合い写真だそうです。
当然、私は生まれていなません。
どこまでが事実かはわかりませんが、年上のいとこが「これが、としちゃんのお母さんのお見合い写真よ」と教えてくれました。
昭和23年ごろでしょうか?
どんな色の着物だったのでしょうね?
椿のようなお花がぎっしりとつまっていますね。
帯は朱色系統かしら?
実は母の母(私のおばあちゃん)は鼻が高くて、すらっとした美人だったのですが、母は父(私のおじいちゃん)に似て、鼻ペチャのずんぐりむっくり。
(それが私に引き継がれていますね。)
でも、戦後の食糧難のときに、これだけ太っているならきっと健康な娘だろうと、それで結婚はOKということで、お見合いはまとまったそうです。
8 件のコメント:
どんな色の着物だったかな、と想像するだけでワクワクしますね。このお写真がなければとしちゃんは産まれていなかったかもしれないと思うと感慨深いですね
ろっこさん、こんにちは。いらっしゃいませ!
実は15年程前、亡き父が、知ってか知らずか、ボケたのか分かりませんが、実家に置いてあったアルバムを全部、ゴミに出してしまったらしいのです。
それで私の子供の頃の写真はもちろんのこと、両親の若かりし頃の写真などすべて夢の中へ行ってしまったのです。
今回、たまたま、いとこの家で、昔の写真と再会することができ、いろんなことが思い出されています。
どんな着物だったのでしょうね?
母が22歳か23歳のころの写真だと思いますよ。
こんにちは、ご無沙汰しておりました
お母様の着物、すごくモダン(っていう言い方は古いかしら・・)ですね!
本当に着物を着て生活していたころの着物って(言い方が変ですね)
柄ゆきや色使いが時にとても斬新ですよね
もちろん定番は定番であるのでしょうが
いろいろな生活の場面で
バリエーションが豊かだったということですね
ちょっとうらやましくもあります・・・
コメントいただいて嬉しいですね。
ちょっと前の時代のものはダサく感じますが、うーんと時が経ってしまうと、かえって新鮮に見えることもありますね。
母は割と早くから洋服の生活をしていたようですが、母の姉という人は、戦前・戦中・戦後もずっと着物で日本髪を結っていたようです。
6/04/2014 削除
はちきれんばかりの若さに輝いていたころの、お母さまのお姿、感慨深いものがありますね。
母も(「も」というのも失礼ですが)、結婚前の娘時代は、太っていたそうです。
それも、超!です。どれくらい太っていたかというと、外を歩いていると子供たちが「デブ、デブ」と言って後をぞろぞろついてきたそうです。
結婚してすっかり痩せましたね。それだけ苦労が多かったのかしら?
としちゃん、どこから入っていいかわからなくて・・・今月からお邪魔しました。
その後つつがなくお過ごしですか?
開けたら、まあ素敵な写真から始まっているではないですか? としちゃんにはとても華奢な印象がありますが、お母様は体も意志もしっかりしていそうです。(誉め言葉です)
昔は盛装して釣書できちんと嫁がれてきたのでしょうね。
私もこのような形ならまた違った人生だったかも?なんて・・いまさら?
としちゃんの鼻、大好きですよ♪
私も、も?鼻は○○なので・・そのせいでちょっと若く見られると幸せに勘違いしています(笑)
余談ですが、私の母はお見合い前に涙黒子をとって出っ歯をなおして嫁にきたそうです。
60年前にそういうことあったんですね(驚)
マサさんのお母さま、太っていたのですか。
ちょっと信じられないですね。Tラちゃんに遺伝したかしら?(失礼!)
私たちが生まれた前後のころは、やはり日本中の人たちが苦労したのでしょうね。
その分、今はきっと天国のように感じているかもね。
今度、ホームにこの写真を持って行って見せてみようと思います。どんな反応があるかしらね。
ひょっこりさん、お久しぶり。
マサさんのところで復活の兆しを感じていましたよ。
お母さま、ほくろまで取ったんですか。なかなか積極的に婚活されていたのですね。子供の頃のお姿と違うのかしら。
私も家政婦兼看護婦兼料理人兼・・・と忙しくしていますよ。
でも適当にストレス発散しています。
またいつでもコメントいただけたら嬉しいですよ。
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