私の好きな作家・諸田玲子さんは、江戸時代の女性を描かせたら定評のある方です。
特に秘めた恋愛ものは素晴らしく、そこに登場する女性は、時代の波に押されながらも、いつも凛としていて清潔感溢れる方ばかりです。
その諸田さんが現代小説をお書きになり、そしてその小説の舞台が私が生まれ育った荻窪だというので、これは絶対に読まなければと思って「木もれ陽の街で」を手にしました。
昭和26年頃のお話です。
ページをめくり、すぐに鳥肌が立つほどの感動を覚えました。
それはこの歌詞を見た時です。
「高くそびゆる富士の嶺(ね)は
桃井第二の校庭へ
学びの心澄み入れと
朝々清き気をおくる」
「都の西の荻窪は
草木しげり鳥歌い
小川の流れさわやかに
自然の匂い豊かなり」
この歌は、まさに私が卒業した杉並区立桃井第二小学校、通称「桃二」の校歌でした。
メロディーはシンプルなのですが、子供にとっては歌詞は難しくて、意味は半分しか分からずに歌っていたものです。
そして桃二は、「木もれ陽の街で」のヒロインである公子さんが卒業した小学校でもあったのです。
諸田さんご自身は静岡県生まれだと思いますが、その方が、荻窪にある小学校の校歌まで調べて書かれたことに感激しました。
そしてもう一つ重要なことは、この校歌を作詞したのはかの有名な与謝野晶子さんだったということです。
恋の歌、反戦の歌の名手である与謝野晶子さんは、小学校の校歌も作詞されていたのです。
というのも与謝野さんは、関東大震災後から夫の鉄幹と共に荻窪に住むようになりました。
その家は、私が子供の頃はあまり知られていませんでしたが、今思うと、私たちがよく遊んでいたところにありました。
杉並区役所の情報によると、彼らの住居跡は平成24年からは、「与謝野公園」という公園になっています。
(こちらの写真は、杉並区役所のサイトからお借りしました)
今では私が子供だった当時の面影は、まるでありません。
ましてや与謝野晶子たちが生きていた時代のことは、この写真からは想像もつかないほど変化をしています。
でも環境は変わっても、この小説のページをめくると、この公園だけでなく、私が知っている場所が次々に登場してくるのです。
荻窪駅
駅近くの闇市場
青バス←これは今の関東バスのことです
変電所
善福寺川に架かる木の橋
そこからの上り坂
ヒロインはその坂の上の家に住んでいたことになっていますが、実は私の家もその坂の上にありました。
小説に出てくる荻窪の雰囲気は、うっそうとした木々に囲まれたお屋敷が多く、私の記憶にある昭和30年代とほぼ同じ感じで、文化人と呼ばれる人たちも住んでいました。
この小説には外交官家族や大企業の重役家族も登場しますが、私の家もお隣は弁護士さん、反対のお隣は元華族の方で、お向かいには黒人のアメリカ人が住んでいました。
私の家も前は画家がアトリエとして使っていたという家で、当時としては畳もなく、天井には明かり取りがついた一風変わった家だったと覚えています。
戦争中は都心に住んでいた祖父母や両親が、どうして荻窪に住むようになったかの経緯は分かりませんが、戦後の荻窪は、現在の荻窪とはまるで違った雰囲気のある町だったと思います。
このような状況設定の中、ヒロインの公子や彼女の家族、付近の住民の生活が丁寧に描かれています。
そして公子が偶然出会った、画家崩れの男に魅かれていく様子が描かれます。
公子の恋の最後の結末は途中で分かってしまいましたが、「ひとそれぞれの恋物語」が描かれていて、十分に楽しめるストーリーでした。
諸田さんは向田邦子がお好きということですが、この物語はまさに向田邦子の世界を描いています。
父と娘、大叔母たち、戦後の近所付き合い・・・・。
読んでいてこれほど物語が身近に感じられた小説はありませんでした。
ちょっとおせっかいな話しになりますが、「e-散歩」というサイトに「木もれ陽の街で」の地図▼が掲載されていました。
こちらの著者はもちろん荻窪に住んだことはないでしょうし、あったとしても昭和26年ころの荻窪はご存じでないはずです。
それで内容にはちょっと確実性が不足していましたが、地図で与謝野公園などの場所を確認することができます。
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少々独りよがりの読書案内となってしまいましたが、荻窪は私が生まれ育って結婚するまで育ったところなので、そこが小説の舞台となり文字として残されるというのは、とても嬉しいことです。
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