市民カレッジ「能の学校・壱」▼に参加してきました。
これは2回連続の講座です。
講師は、2歳の初舞台から今年で45年目、という観世流シテ方能楽師の山中迓晶(がしょう)さんです。
この講座では、能についてのお話と、実際に舞台の上での舞の実演がありました。
とても分かりやすいお話で、能体験は数回のみという私でも、少しは能についての理解が深まったような気がしました。
1回目は、まずは650年の伝統を持つ、能の歴史から。
能というのは、一言でいうと「武士のたしなみ」の芸能ということでした。
室町幕府の三代将軍義満が、貴族の舞楽という伝統芸能に対抗する何か新しい芸能はないかと思い、力を入れたのが、世阿弥が率いる能でした。
世阿弥は能の役者であり、脚本家であり、多くの能の曲を作った人です。
ちなみに現在は、能の演目は250曲くらいあるそうですが、そのうちの多くが世阿弥の手によるものだそうです。
彼は父の観阿弥とともに、幽玄の世界を作り上げました。
義満は、世阿弥たちを当時のサロンの重要メンバーとしていたのでしょうね。
ちなみに、とんちで有名な一休さん(一休宗純)も同時代の人だそうで、この三人の出会いもあったかもしれない、というお話でした。
時代は下り、信長・秀吉の時代には能が非常に重要なものとなりました。
信長が「人生五十年」と謡う「敦盛」は有名ですね。
また秀吉も西本願寺に能舞台を作るほど、能のファンだったそうです。
その後の江戸時代でも、武将たちは能を習うようになり、競い合うようになり、多くの能楽堂が建てられました。
そして能の発達は、西陣において能装束織物の発達に結びつきました。
能と茶の湯は、当時の権力者にとっては、必須科目だったことでしょう。
ところが明治維新後、能は東京では消えかかりました。
徳川家について、静岡に下り、能楽師も農業をするようになってしまったそうです。
しかしその中で、梅若実という能楽師だけは東京に残りました。
そして岩倉具視たちがヨーロッパで視察してきたオペラに負けない芸能を育てよう、ということで、梅若実が中心になり、能を復活させたということでした。
お話の後は、仕舞の実演をしていただきました。
「老松」という有名な曲のほんの一部でしたが、最初に見たときは、あまりよく分からず、何となく眺めていただけでした。
ところがその後に、山中さんから舞の説明や意味を教えていただき、もう一度同じ仕舞を見たところ、なるほどこういうことだったのか、と思いました。
意味が分かると、能は面白くなるのですね。
ちなみに「老松」は菅原道真にちなんだお話で、梅の精と松の精が登場して舞を舞う、おめでたい曲です。
能を見るためには、ちょっと古典や歴史についての教養が必要だと思いました。
そしてもう一つ必要なのが、イマジネーションだそうです。
つまり想像力を生かして、「脳」を使って見るのが、「能」だというお話でした。
また12月の定式能で演じられる「氷室」と「巻絹」(まきぎぬ)についての説明もありました。
「氷室」はめったに演じられないレアな能だそうです。
また「巻絹」は熊野信仰に基づいたお話とのことでした。
私はこの公演は残念ながら拝見できないのですが、衣装もとても素晴らしいものだそうです。
ちなみに能とセットで行われる狂言ですが、、狂言は台詞が多いため、能よりも分かりやすく、親しみが沸くということでした。
山中さんは現在、中学生や小学生にも能を教えていらっしゃるそうです。
子どもたちのほうが、私たちよりもすんなり能に溶け込むことができるかもしれませんね。
こちらは2011年1月のブログ▼ですが、子供たちと舞台に登場された山中さんのお姿もありました。
また山中さんは、お話をされている時のフランクな様子と、舞台に立った時の厳しい表情とが対照的で、驚かされます。
2回目の講義は、来年の1月に予定されています。
「江戸城における正月行事 謡初之式」です。こちらも楽しみです。
そして2月には「能の学校・見本市」の公演もあるので、期待しています。
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この日の装い。
市民カレッジなので、地味な紬にしました。
これは着物交換会で洗張り済みの男物の布をいただいてきて、着物屋さんでマイサイズに仕立てていただいたもの。
男物だったので、着丈が短くしか取れず、着付けにはちょいと苦労する着物です。
帯は着物フリマで数百円だったのですが、刺繍がみっちりと施されていて、お買い得でした。
私はいろいろな種類の着物を着ますが、基本的には地味な着物に派手な帯、という組み合わせが好きで、安心できますね。
黄色の帯締めは、ゆめこもんさんの閉店セールで100円。
とても締めやすく、重宝しています。
半襟は何かで淡いオレンジ色に染めたのですが、ちょいと忘れてしまいました。
紅茶だったかしら?
記憶力が低下してきて、困りますね。
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