2017年12月7日木曜日

京王アカデミー「明治維新150年」

先日、「明治維新150年 激動の時代と人物を考える」▼という講演会に行ってきました。


会場は、新宿にある京王プラザホテルでした。
ホテルまでの道は、街路樹が紅葉していてきれいでした。


広い宴会場には600人の歴史好きが集まりました。
どちらかというと、おじいさんの部類が多数を占めていましたが、それでも若い女性もちらほらいました。


この講演会は、京王電鉄が行っているもので、私も今までに何回か参加しています。
各界の著名な方のお話が、千円で聞けるというので、人気があります。

今回、「明治維新」のテーマで講演会が開かれたのは、来年の大河ドラマが西郷隆盛を描いたものである、ということもその理由の一つでしょう。
ちなみにドラマのタイトル「西郷どん」は「さいごうどん」と読むのではなく、「せごどん」と薩摩式に読むのが正しいのだそうです。


今回の講演会の特徴は、明治維新に関わったさまざまの立場の人たちにゆかりのある演者が登場したことです。
まず薩摩藩からは、鹿児島県出身の歴史作家・桐野作人さん。
長州藩は、神田外語大学で日本近代史を担当している町田明広さん。
土佐藩は、坂本龍馬研究家の知野文哉さん。
幕府方は、松戸市戸定歴史館長の齊藤洋一さん。
そして新撰組からは、幕末維新史に詳しい伊東成郎さん、という顔ぶれでした。

講演の第一部は桐野さんの基調講演でした。
この方は、薩摩藩がなぜ明治維新の原動力になったかか、などについて、いろいろと話してくれました。
お声が太く大きくて、とても聞き取りやすい方でした。お話も分かりやすく、資料も豊富で、興味深いお話が聞けました。
面白い話の一つとして、西郷隆盛は名前をいくつも変えていて、「隆盛」という名前は実は父親の名前を間違って書いてしまい、それがそのまま通用してしまったという話でした。「西郷隆永」というのが、最終的には正しい名前のようです。
奄美大島に流されて、そこで現地妻との交流があったことは、小説で読みましたが、この女性の役はテレビでは誰が演じるのでしょうね。
薩摩藩は江戸時代は海洋国家であり、南西諸島、琉球もその領地であり、鹿児島というところは、距離で見ると江戸よりも琉球の方が近かった、ということは意外な発見でした。つまり江戸よりもずっとアジアに近くて、中国などの情報が入りやすいところだったのですね。
また他の藩に比べると、有能で開放的な人材が多くいたそうで、これも明治維新に果たした大きな役割になったそうです。

講演の第二部はシンポジウム形式で、それぞれの立場の方が少しずつ話されましたが、なんとなく話がかみ合わずに、また声が聞き取りにくい人もいたりして、それほど活発な論議にはならなかった感じでした。

印象的に残った話としては、明治維新は1868年にあったのですが、その前年の1867年には徳川幕府がパリの万博に参加していた、ということです。国内ではガタガタで存亡の危機だったのに、世界に対しては幕府を認めてもらいたかったのでしょうか。またこの万博が刺激になって、西洋各国から得たものも大きかったのだろう、と思いました。

長州藩については、私はあまりなじみがありません。
私自身は東京生まれの東京育ちで、両親も東京の人間であるので、いつも東京を中心にして考えてしまいます。
また長州というのは、薩摩と戦ったり、一緒になったり、どうも訳の分からないところです。
今もその政治力に長けたところなのでしょうね。

土佐藩といえば、坂本龍馬ですが、彼は脱藩している立場であり、土佐藩の人たちからはあまり重要視されていなかったようです。司馬遼太郎の小説「竜馬が行く」で有名になってしまいましたが、でもこれからは歴史の教科書では名前が載らないのだとか。いろんな扱いを受けている人ですね。

幕部側からの立場として、松戸市にある戸定歴史館の館長さんがお話になりましたが、ここはそれほど遠くはないので、一度行ってみたいと思いました。

新撰組については、私の住んでいる市で生まれた方なので、これまでも何回も話を聞いたり、展示を見たことがあります。近藤勇と土方歳三については、馴染み深い人たちです。彼らの愚直なまでのポリシーは、今後も生き残っていくと思います。

それぞれの立場からお話していただきましたが、バラバラなかんじでした。
というか、あまりに時間が足りず、消化不良でした。
ということで、今は自分なりにもう少し知識を固めようと、幕末の本をあれこれ読み直しているところです。

前に京都の霊山博物館で買ってきた歴史年表▼も、もう一度、開いてみようと思います。

また私にとって何よりも魅力的な人物は、徳川慶喜です。
明治維新の頃はまだ30代の若さでしたが、その後70過ぎまで生きて、徳川将軍の中では一番長生きをした人です。この人のことについては、毀誉褒貶ありますが、興味が尽きない人です。

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講演は明治維新そのもの自体の内容や評価というよりも、明治維新に至るまでの過程についての話がほとんどでした。
つまりペリーの来航から大政奉還までの話でしたが、実はたった15年という短さのしかなくて、その間の出来事の真偽を語る、ということは難しいですよね。
私はどちらかというと、明治維新までのいろいろな藩の動きを知ることよりも、明治維新では誰がどのように働いて、どんなことが起こり、そしてそれがどのように評価されたかのほうを知りたかったので、少し拍子抜けでした。

総まとめとしてみると、私自身が明治維新のことをはっきりと理解していなかったこともありますが、いろいろな藩の人間がくんずほぐれず争っている姿は、実際にその当時の人にとってはどれほどの問題を感じていたのか、それを知りたいと思いました。

当事者の武家の人たちにとっては、現代のサラリーマンが会社が倒産してしまう以上のショッキングなできごとだったでしょうから、動揺は計り知れないことだったでしょう。
反対に、農民や町人にとっては、権力の座が公方様から天子様にとって代わるというのは、それほどの痛みは感じなかったのかもしれませんね。

私は幕末期の小説をよく読みますが、当時の町人は、カレンダーや時間の表現が変わったのが、かなり大きなダメージがあったという気がします。

いずれにせよ、私の祖父母が今生きていたら、125歳か、130歳くらいになると思うので、150年前と言えば、その上の世代、つまり曾祖父母は確かにその時代に生きていたことになります。
実家には先祖の顔写真が額に入れて飾ってありましたが、彼らはちょんまげと丸髷姿だったと思います。
そう思うと、150年前というのはそれほど昔のことではなかったのだな、と思えてなりません。

この講演会は、これまで長いことこのセミナーを担当してきた福田さんという女性の企画があったからこそ実現したそうです。
福田さんからもまとめの話がありましたが、コーディネーターとして、素敵なお仕事をされてきた方です。
素晴らしい能力の持ち主で、かなりお年を召した方ですが、こういう縁の下の力持ちの存在は重要だと思いました。

講演の終了後、ホテルを出て目の前に見えた現代的なビルです。


このビルは、150年後にはどうなっているでしょうか。
立ち続けていることはないでしょうね。

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この日の装い。

いただきものの着物です。
ちょっとレトロ感のある草花模様の小紋です。


昭和感を消したくて、派手な半襟とモダンな帯を合わせてみました。
それでもレトロ調は隠せませんね。

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