4月の初めに部屋の片づけをし始めました▼。
初めは自分の部屋だけを片付けるつもりが、かなり大掛かりな配置替えとなりました。
自分の部屋用に新しい家具を買ったのですが、その家具が配達されるまで、10日かかるというので、その間、ずっと片づけをしていました。
片付けをしている間に、いろいろなものが出てきました。
古いものでは、「昭和八年九月と書かれた祖母の物差し。
いったい何年前になるのでしょう、戦争や引っ越しなども潜り抜けてきた物差しですね。
名前も祖母の手で、墨で書かれていました。
鯨尺です。
物差しは全部で3本もありました。
たぶん祖母の、母の、叔母の物差しかもしれません。
そのうち、2本は着物友だちのところに行くことになりました。
比較的新しくても、今は使い道がないDVD-R。
もちろん未使用ですが、とっておいても役に立ちそうもありませんね。
こちらは母の手作りのワンピース。
捨てるには惜しいので、ちょっと着てみましたが、ずいぶん派手な生地ですね。
たぶん40年以上前のものです。
あまりに赤いので、黒いショールを羽織ってみました。
これを着たのは1回か、2回くらいです。
母が亡くなったら、お棺に入れましょうかね。
こちらはその母が使っていた手作りの針山ですが、ダメになった針を集めて、そのまま処分することにしました。
この針山の生地は、母がよく着ていた洋服生地の余り切れで作ったものです。
藍色で可愛らしいので、ずっと私が使っていました。
なんと自分でも覚えがない写真も見つかりました。
たぶん、子供が5才くらいのときのクリスマス会かしら。
まるで覚えがありませんね。
でも元気そうにしていますね。
子供が2歳の時から、公民館の保育室に預けて、学習会をしていました。
その時の文集もでてきました。
子育てについて、講師を読んでお話を聞いたり、仲間で話し合いをしたりしていました。
というと、すごく真面目そうな会ですが、実際は、たまには小さな子供から離れて、大人の時間を持ちたかったのです。
今ならインターネットが発達していますから、すぐに知り合いも見つかるでしょうが、当時は子連れで気楽に出かけられない時代でした。
その学習会の様子が、雑誌に取り上げられたこともありました。
亡くなった父が、私の祖母(明治生まれ)の介護費用を記入した金銭ノートも見つかりました。
付き添いの人への支払いや、紙おむつ代などこまごまと記入されていましたが、今から40年ほど前のことですが、ものすごく高くかかっていました。
そういう意味では、介護保険になったのは、負担が少なくなり良かったわけですね。
昔の写真を見たりして、そんなこんなで、片付けもなかなか終わりません。
2 件のコメント:
私も夫の祖父母の家のかたづけ、母の家のかたづけ、姑の家のかたづけを数年かけてしていますが、古いものでいいな〜と思うものは、使う予定がなくても捨てられません。祖母の部屋からは物差し(ほとんどが鯨尺)が10本以上、その他和裁の道具も一式揃っていました。和裁は自分が始めたので使いますが、ミシンなどはまだ押入れに置いたままです。母の家を片付けをしていて古い家族写真などあって、タイムスリップしたような気になりますね。かたづけもいいものです。
ほんとうに片づけをしていると、いろいろなモノがでてきますね。
鯨尺が10本以上、というのもすごいですね。
私自身は、自分が片付けられなかったものを、娘にかたづけさせるのは忍びないので、
なるべくものは少なくしていますが、難しいですね。
次はCDをなんとかしなくちゃ。
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