2024年7月21日日曜日

三度目の宿河原堰

川崎市多摩区にある二ヶ領用水宿河原の堰にまた行ってきました。

このところ、ものすごい暑さが続いているので、早朝から出かけました。

この堰には、1回目に行ったときはJR南武線宿河原駅南口から、二ヶ領用水に沿って歩いて行きました。そのときのブログはこちら▼。2023年1月でした。

2回目の時は宿河原駅北口から行きましたが、結果的に大回りになってしまいました。そのときのブログはこちら▼。2023年10月でした。

今回は、暑さをしのぐため、少しでも歩く距離を短くしようと思い、登戸駅から歩きましたが、なんということか、道を間違えて、結局また大回りしてしまいました。


それでも道を間違えたおかげで南武線の船島踏切を渡ることができました。


こちらは1回目も通った船島橋。かなりボロボロですね。それでも道を間違えたおかげで、また船島橋を通過することができました。懐かしかったですね。


橋の上から眺めた風景はちょっと涼しそうでした。


橋の反対側です。
次回、訪れるときには、きれいに整備されているでしょうか。


二ヶ領用水を眺めながら、こんな道を歩きました。木陰は涼しいですね。


この橋は何橋だったかしら? 新船島橋だったかもしれません。
レンガ造りでかっこいい橋です。

橋の近くに、このような案内板がありました。


≪二ヶ領用水≫
多摩川の水を取入れ、私たちの祖先が汗水たらす苦労と、10数年の歳月を費やし、稲毛領と川崎領に至る二ヶ領に渡る農業かんがい用の水路として、慶長16年(1611)につくられたものです。別名「次太夫堀」とも呼び、工事を指揮、監督した小泉次大夫の功績を今に残しています。その後、享保9(1724)年に田中休愚がおこなった大改修工事を経て、今日の用水路の基礎が完成した。
 この用水は、多摩川流域では灌漑面積の最も大きな用水で、最盛期で2,880町歩(約2,850㏊)にも及びました。そして農業用水及び飲料用水の他、工業用水としても利用され、日常生活などに欠くことのできない大切な水路として管理されてきました。
 私たちも、このように歴史的に由緒ある二ヶ領用水を子孫に末永く引き継いでいきたいものです。

こちらは川崎までの地図です。橋名が書かれていました。


また堰についてはこのような説明がありました。

【宿河原堰取水口】

 二ヶ領用水は、多摩川から二ヵ所で水を取り入れています。その一つがこの「宿河原取水口」とここから3.5㎞ほど上流の「上河原堰取水口」です。

 当初の二ヶ領用水宿河原堀は、多摩川が蛇行していたことにより、現在の取水口から約800メートル下流にある八幡下橋付近(多摩区宿河原6丁目)にありました。後に、現在の取水口付近に、竹製の蛇籠で築造された二ヶ領宿河原堰が設置されました。昭和24年(1949)には、神奈川県がコンクリート製の堰に改築しました。その後、昭和49年(1974)の台風16号の影響により、多摩川の激流が二ヶ領宿河原堰の固定堰に妨げられ、狛江市の堤防が決壊しました。現在の堰は、この狛江水害を機に、建設省と川崎市の共同により治水安全の向上と水辺環境などの配慮のため、平成11年(1999)に改築されました。

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ここを渡れば、もう宿河原堰はすぐそこです。

サイクリングのお兄さん達が、汗だくになって「せせらぎ館」で一休みしていました。お疲れ様です。

私は中の建物に入って見学しました。

江戸時代の村々に流れた毛細血管のような用水路。

スタッフの方ともおしゃべりができました。


この写真のように、堰の上には二つのボックスのようなものがあるのですが、中がどうなっているのか、気になっていたのです。
この装置の中には機械装置があり、多摩川の水面の高さを調整するのだそうです。せせらぎ館の隣には国交省の職員がいて、メーターのようなものを監視していて、水を取り入れたり、流したりしているそうです。もしできたら、中を見学してみたいものですね。今年の6月の大雨の時には、装置が動いて、活躍したそうです。

また農業用水の使い方(?)についても、千葉県の農地で体験されたことを話していただきました。私は農業用水についてはまるで実体験がなく、イメージが湧かなかったのですが、お話を聞いて、少しは想像ができるようになりました。やはり本物の田圃を見ないといけませんね。

それと今回は、土手でこれまで気づかなかったものに出会いました。土木学会の案内と、表彰です。二ヶ領用水の歴史、土木学会の表彰、50年前の台風で家が流されてしまった様子が紹介されていました。


「二ヶ領用水宿河原堰のあゆみ」はこのように書かれていました。
 二ヶ領用水開削に着手したのは、江戸時代以前の1597年のことで、徳川家康が地域の農業生産を高めるために小泉次大夫に命じ、1611年に完成しました。
 この二ヶ領用水に多摩川の水を取入れ易くするために、宿河原に堰が設けられましたが、当時は竹製の蛇籠で作られていました」


 1974年(昭和49年)9月、台風16号による出水により狛江市側の堤防が決壊し、民家19軒が流されるという大きな災害が発生しました。

1994年(平成6年)から川崎市と建設省(当時)の共同により治水安全の向上と水辺環境などにも配慮した改築工事に着手し、1999年(平成11年)3月に現在の宿河原堰が完成しました。

と書かれていました。

何回来ても、毎回、いろいろな発見があるものですね。

外に設置されていた「二ヶ領用水宿河原樋管」という装置。こういうもの、よく分からないのですが、見るのは好きですね。


これが多摩川からの取水口のようでした。

その後は、多摩川の土手を歩いて登戸まで向かいました。向こうに見えるのは小田急線の鉄橋です。


炎天下でしたので、疲れないようにソロリソロリと歩きました。

そしてよく頑張って歩いたご褒美は、狛江駅近くのお店で、黒蜜きなこのかき氷。

食べ終わったら、身体が冷え冷えになってしまいました。

暑い夏に頑張って出かけた甲斐がありました。

小泉次大夫に惹かれて、三回も堰に来てしまったのでした。



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