2024年10月9日水曜日

川崎大師へ その2

かつての大師堀跡を見て、裏道を通って川崎大師に到着しました。

そのときのブログ▼です。

境内はとても広いところです。

大山門から入りました。

「しょうづかの婆さん」というのがありました。ここをお参りすると、肌や歯が美しくなるのだとか。


とりあえず、お参りしました。

その後は「つるの池」を目指しました。


かつて、この池には二ヶ領用水が流れていたと言うことです。これを見るのが目的でした。
花見橋のあたりから流れてきたのかもしれませんね。

池の中には3羽の鶴の像がありました。水を噴き上げていました。

この池には「やすらぎ橋」という太鼓橋が架かっていました。外国の人が、珍しそうに橋を渡っていました。


日曜日だったので、家族連れが多くきていました。

後ろには金ぴかの釈迦像がありました。なんだか日本ではないような雰囲気でした。

こちらは八角五重塔。高さは31メートルあるそうです。

ちょうど中を見物できました。

狭い階段をぐるぐると歩き、上の方まで行きましたが、外は見られません。中には豪華な仏像などが飾られていましたが、写真撮影は禁止でした。

境内をぶらぶらと歩いていると、弘法大師の像がありました。四国八十八ヵ所のミニ版のようなところでした。草履があったので、そこに水を注ぎました。ご利益があるのでしょうか。


遍路大師尊像というそうです。


川﨑大師は平間寺というのが正式名でした。昔、初詣に行ったときは、あまりに混雑していて、何が何だか分かりませんでしたが、今回はゆっくりできました。


境内には松尾芭蕉の句碑とか、横綱の北の湖像とか、色々なものが雑然とありましたが、庶民的な所でした。


葵の御紋もあり、徳川家とも関連が深いようです。


その後、参道で休憩しました。


くず餅とあんことアイスのミックスです。かなり満腹になりました。


その後は東門前駅まで歩きました。

川﨑大師は他にも見どころはあると思いますが、私としては二ヶ領用水が流れていたという池を見たので、それで満足して、帰宅したのでした。

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余談になりますが、このブログを書いた後、朝日新聞の「れきしあるき」という記事に、川崎大師の記事が載っていました。

記者は、東門前駅から多摩川まで歩いたそうです。私もそうすれば良かったと、後悔しました。また次の駅名は「大師新田」で、やはりこのあたりは大師堀ができたことによって新田開発がされたところなのだ、と思いました。

小泉次大夫さんの開削工事のその後を垣間見ることができて、嬉しくなりました。

そして川崎と羽田は多摩川を挟んで、こんなに近いのかと思いました。





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