2025年10月31日金曜日

月島もんじゃ

先日は月島でもんじゃ焼きをいただきました。

というのも、香典返しのカタログにもんじゃ焼きのギフト券があったので、選んでみました。もう不要なものは欲しくないので、食べてなくなるもののほうが良いと思ったからです。

月島駅を降りると、もんじゃストリートにはもんじゃ焼き屋さんばかり、ずらりと並んでいました。

ギフトのお店が見つからなくて、その商店街を行ったり来たり。

やっと見つけたと思ったら、その日はたまたま修学旅行生が団体で来ていたので、入店できませんでした。といっても、そのお店は月島商店街には3軒あるので、別のお店を教えて貰いました。

このだるまのお店でした。

ギフトチケットだったので、すでにメニューは決まっていました。

まずはエビとキャベツに、ベビースターラーメンを混ぜたもんじゃ。

お次は辛子明太子、チーズ、小さな切り餅が混ざったもの。これは美味しかったですね。

最後はあんこ入のクレープみたいに薄く焼いて丸めたもんじゃ。

お店のお兄さんが手際よく焼いてくれました。

ご馳走様でした。

おなかいっぱいになったので、隅田川を眺めに行きました。

佃大橋が後ろに見えます。


それほど寒い日ではなかったので、のんびりと川面を眺めていました。


このビル、途中に渡り廊下があるのですが、渡るのはちょっと怖いな。

ということで、久しぶりの外食でした。


2025年10月30日木曜日

武蔵境の杵築大社から東小金井の稲荷神社まで

またまた新田巡りのお話です。

あちこち出かけているので、どこがどの新田だったか、ごちゃごちゃになってしまいます。

今回は、JR武蔵境駅の近くの「境新田」、そしてJR東小金井の東北方面にある「下染谷新田」へ出かけてきました。

境新田の鎮守様である杵築(きづき)大社です。

境新田は、徳川三代将軍家光のいとこの松平出羽守直政にゆかりのある神社だそうで、さすがにとても立派でした。この方は出雲国松江領主だそうで、この辺りで鷹狩りをして遊ばれていたそうです。

出雲の殿様は大変に信仰厚い方で、屋敷内に徳川幕府の繁栄と天下太平を祈願されて、出雲の杵築大社(現在の出雲大社)と稲荷様を創建されたとか。

4代将軍の家綱は、玉川上水を築き新田開発を行いました。そして境の開拓に努めたそうです。子孫は境村の名主として村人とともに活躍しました。こちらの神社も、境村の氏神社として崇敬されるようになりました。

この神社は「杵築(きづき)神社」と言います。

稲荷神社もありました。


こちらは立派な鳥居。

またミニチュア富士山までありました。

道路の向かい側には弁天神も。

広さといい、格式といい、さすがでしたね。

「神社」ではなく、「大社」ということが分かりました。

その後は東小金井にある下染谷新田の跡までおよそ1.5キロほど歩きました。ミニバスも走っていたのですが、次のバスまで20分も待たなければならないので、それなら歩いた方が早い、と思ったからです。

その道は亜細亜大学通りというのかしら、とても歩きやすいきれいな道でした。

周囲の景色を眺めながらのんびりと歩いても、たいしたことはありませんでした。

こんなふうに高層マンションの手前に畑があったりして、面白い風景でした。

そして以前、出かけた梶野新田の近くに浄水場があり、そこの脇道を歩いて行くと、住宅街の中に小さな稲荷神社がありました。説明も何もありませんでしたが、きれいにお掃除されていました。

ここは下染屋新田開発の際に作られた稲荷神社でした。元文元年(1736)に創建されたそうです。

実はこの神社に行く途中、雨が降ってきてしまい、たまたま見つけたサンドラッグでビニール傘を購入しました。

その後は東小金井駅まで歩きましたが、そこから自宅に戻るまでは、JR、バス、バス、京王線と乗り継ぎました。


ほんとに大変でした。まずJRで三鷹駅まで出て、そこから調布行きのバスに乗ったのですが、どうもいつもとルートが違う。あわてて三鷹市役所前で下車して、そこからまた別の調布行きのバスに乗り換えました。

本当は武蔵境から新宿まで行って、新宿で京王線に乗ればよいのでしょうが、混雑した新宿で乗り換えるのは嫌だったので、三鷹で下車したのでしたが、それが間違いのようでした。

まあそれでも一日に2ヵ所の新田に行けたのは、ラッキーでした。

おまけにこの日の二つの神社は、まるで違ったタイプの神社だったのも面白かったです。

この日のルート。






2025年10月26日日曜日

「江戸東京たてもの園」のイベントへ

 昨日は雨の中、武蔵小金井駅から小金井橋までバスに乗り、「江戸東京たてもの園」に出かけてきました。

このような展示で学芸員さんのトークがあったからです。

「武蔵野の歴史と民俗」


まずはこの博物館の歴史を学びました。

「江戸東京たてもの園」は1993(平成5)年に開園しましたが、その前はこの地には「武蔵野郷土館」という博物館があったそうです。そしてその前には井の頭自然文化園内に「武蔵野博物館」というのがあり、さらに戦前は「東京郷土資料陳列館」という施設もあったそうです。
それらの博物館で収集した昔の資料もたくさん陳列されていました。

この「江戸東京たてもの館」もすでに33年目になるというのは、ちょっと驚きですね。平成時代もずいぶん昔になってしまったわけです。

今回のポスターです。


武蔵野郷土館の頃は考古学がメインだったようで、旧石器時代から弥生時代までの石器などが陳列されていました。

その中に、鮮やかな朱色の耳飾り(というか巨大な耳輪?)が飾られいたのですが、これはなんと我が家からすぐ近くにある布田6丁目遺跡というところから発掘されたものだということでびっくり。その辺りは、数年前まで私の母が住んでいたグループホームの近くなのでした。

こちらがそのイヤリング?です。
実物はもっと鮮やかな朱色でした。ベンガラ色とでもいうのでしょうか。
大きさは直径が10センチほどありました。これを付けていたら、耳が痛くなりそうに思えるほど巨大でした。


他にも人骨とかあれこれ陳列されていました。

どちらかというと弥生時代よりも縄文時代のほうが好みかな、とも思ったりしました。

その後は古代(武蔵野国)、中世、江戸時代、昔の農作業あれこれ、カエルのコレクション、しゃもじのコレクション、などさまざまな展示品がありました。

学芸員の方とちょっとお話しさせていただきました。

このイベントには主に年配の方が来館されていましたが、外国人の研究者のような方や、観光客らしき方も見えました。雨の中、交通の便がそれほど良くない小金井まで来館されるのは、日本の文化や歴史に興味をお持ちの方なのかと感心しました。
私がもしロンドンとかパリに行ったとして、都心から1時間以上もかかる博物館に足を向けるとは思えないのですが、みなさん、好奇心旺盛ですごいですね。

もうちょっとお天気が良ければ、と思った日でした。


2025年10月22日水曜日

高校のクラス会

だいぶ前のことですが、新宿で高校のクラス会が開かれました。

担任の先生の卒寿のお祝いを兼ねていました。

でも先生はとても若々しくて、頭もクリアー。お体もピンとされていて、90歳には見えませんでした。私たちの方が、年寄りだと感じたくらいです。先生の素晴らしさを見習いたいものです。

先生と一人一人並んで、記念撮影をしていただきました。

いつまでもお元気でお過ごしください。

こちらは全体写真。25人くらい参加したのでしょうか。遠方から駆けつけて来た人もいました。

みなさんのトークが楽しくて、3時間があっと過ぎました。

いろいろと工夫をしていただいた幹事のみなさん、ありがとうございました。

この日は汚れてもすぐに洗えるポリの単衣着物にしました。雨もちょっと降っていたのですが、まだあまり寒くなくて、良かったです。

次回の開催は来年、同じ場所で開催のこと。

わかりやすくて便利な場所なので、それも良いアイディアですね。

みんな年寄りなので、そのほうが面倒がなくて良い、と賛成していました。



2025年10月21日火曜日

国分寺崖線の神社

この日、出かけたところは、JR武蔵小金井駅の南側でした。

まずはシルバーパスを使って、「前原町」というバス停で下車しました。

このあたりは、以前、自転車で野川を走ったので、小金井自動車学校があることを覚えています。そこの裏当たりを少し歩くと、小金井神社がありました。

静かな神社でした。

ここは菅原道真を祀っているので、天神様とも言われているようです。

本殿は立派でした。創建は1205(元久2)年だそうです。

その後、1751(宝暦元)年に本殿を改築。

明治維新の時に「天満天神」となり、さらに1870(明治3)年に小金井神社と改称したそうです。

氏子は小金井市内の前原町、中町、東町、緑町、桜町、本町と広範囲に渡っています。

こちらの黒田紅梅は、江戸幕府が作った小石川養生所(現・小石川植物園)で医師をしていた芥川家が管理していた梅を、小金井の別荘に持ってきたものだそうです。

紅色の八重咲きの梅だとか。

近くの野川には「天神橋」が架かっていました。

このあたりは近くに野川の水が流れているので、一般的な新田とはちょっと違うように思えましたが、どうなんでしょう。

そこからJR武蔵小金井駅まで行き、今度は貫井神社に行くことにしました。

駅からは「東府中」行きのバスに乗るということは、覚えていましたが、ロータリーのどこからそのバスが出発するのか分からず、ちょっと不安になりました。ほんとにバス乗り場は、もっと適切な案内がほしいですよね。

貫井神社は以前行った、「滄浪泉園」(そうろうせんえん)の近くです。貫井トンネル下というバス停で降りました。

そこからがちょっと大変。

というのはこのあたりは国分寺崖線の下に当たるので、坂道だらけなのです。急な坂の上に住んだら、ほんとうに大変。

トンネルの下から数分歩くと、貫井神社がありました。超立派。京都あたりの神社のような風格がありました。


創立は1590(天正18)年、水神様を貫井弁財天として創建したそうです。

1985(昭和60)年、火災により本殿は焼失。1年半後に美しい本殿を復元させたそうです。
境内も美しく清められていました。この池は湧水だそうです。

この日はよく晴れていたので、赤い橋と、青い空が絵はがきのようでした。


すぐ隣には真言宗のお寺がありました。真明寺でした。


ここはそれほど広くはなく、お墓がたくさん並んでいるところでした。


この辺りは貫井新田があったところなのですが、あまりに急な坂道、神社には湧水が湧き出た池もあり、本当に新田開発されたところなのか、とちょっと疑ってしまいました。

帰りは東府中行きのバスに乗って戻りました。


2025年10月17日金曜日

初めての田無

論文の実地調査のため、今回は田無まで出かけてきました。

田無という名前は「水が乏しく、田んぼが無い」という意味のようです。2001年に田無市と保谷市が合併して、今では西東京市となっています。

我が家からは新宿経由で西武線に乗って行くのが普通かもしれませんが、せっかくシルバーパスがあるのでバスで三鷹駅まで行き、その後もバスで田無駅まで行く予定を立てていました。

こちらは三鷹駅北口のバスロータリーにある彫刻。

誰の像でしょうね?

ところがバス乗り場がよく分からず、田無行きには乗れず、仕方なく柳沢駅行きというバスに乗ることにしました。西武線沿線はあまり利用しないので、土地勘がありません。

それでも西武柳沢駅まで15分ほどで到着。なんとなく昭和っぽい町で、親しみが湧くところでした。

そこから「富士街道」という道を少し歩くと、今度は青梅街道にぶつかりました。

田無は昔から交通の要所といわれているところでしたが、所沢街道という道もあり、現在も車の往来が激しいところでした。

この近くに「柳沢庚申塔」がありました。

江戸城の大改修のため、城の壁材である石灰を運ぶための道として、青梅街道が開かれ、その人馬継ぎ立てを行う宿として田無村柳沢宿が発展した、と書かれていました。この庚申塔は享保8年(1723年)に建てられたそうです。

そこから少し歩き、田無神社に到着。平日の午前中でしたが、かなりの人がお参りに来ていました。

鎌倉時代に創建された神社でした。以前は1キロほど離れた場所にありましたが、江戸時代に移りました。

それというのも田無は、江戸と青梅街道(江戸城の改築のために漆喰の原料である石灰を運搬するための道路)のほぼ中間にあり、宿場町として発展したところでした。その影響で、神社は移転したそうです。

ここは龍神が有名らしく、あちこちに飾られていました。青、赤、白、黒、金の「五龍神」が祀られているそうです。

境内には稲荷神社もありました。やはり農業と縁があったのです。

七五三用のパネルもあり、これからはお祝いに訪れる家族も多くなりそうです。

境内にはカフェもあり、また農園もあり、いろいろと趣向が凝らされている神社でした。


田無神社には出入り口がいくつもありました。どこから入っても良いようです。私は裏口から入ってしまったのかしら。

そこから少し先には総持寺がありました。とても立派で格式の高そうなお寺でした。真言宗のお寺でした。元和年間(1615~1624)に創建されたそうです。


海外からの方も参拝されていました。

境内には大きなケヤキもありました。

どちらも現代風な様子で、一見しただけでは、江戸時代の名残は見られませんでした。

またこちらの寺社は、駅にも近いため、周囲には畑などはまるで無く、また土地の区割りも新田の名残はまるで分かりませんでした。

かつて田無村の名主、下田半兵衛という人が、村の人のために尽くしたところだそうですが、現在の田無駅の周辺は西武鉄道が発展させた町という様子でした。

駅ビルは西武線直結です。

そこにあるおにぎり屋さんで、玄米おにぎりをいただきました。卵焼きと豚汁も付けました。この豚汁、とても美味しかったです。

こういう少食向けのお店がもっと増えるといいのに、と思います。

帰りはバス利用は止めて、西武線と京王線で帰宅しました。


三鷹市と武蔵野市は入り組んでいるようで、ちょっと土地勘がうまく働きませんでした。
バスに乗っていても、どこを走っているのかよく分かりませんでした。それでも知らない土地を通過するのは楽しいですね。