またまた新田巡りのお話です。
あちこち出かけているので、どこがどの新田だったか、ごちゃごちゃになってしまいます。
今回は、JR武蔵境駅の近くの「境新田」、そしてJR東小金井の東北方面にある「下染谷新田」へ出かけてきました。
境新田の鎮守様である杵築(きづき)大社です。境新田は、徳川三代将軍家光のいとこの松平出羽守直政にゆかりのある神社だそうで、さすがにとても立派でした。この方は出雲国松江領主だそうで、この辺りで鷹狩りをして遊ばれていたそうです。
出雲の殿様は大変に信仰厚い方で、屋敷内に徳川幕府の繁栄と天下太平を祈願されて、出雲の杵築大社(現在の出雲大社)と稲荷様を創建されたとか。
4代将軍の家綱は、玉川上水を築き新田開発を行いました。そして境の開拓に努めたそうです。子孫は境村の名主として村人とともに活躍しました。こちらの神社も、境村の氏神社として崇敬されるようになりました。
この神社は「杵築(きづき)神社」と言います。
稲荷神社もありました。またミニチュア富士山までありました。
道路の向かい側には弁天神も。
広さといい、格式といい、さすがでしたね。
「神社」ではなく、「大社」ということが分かりました。
その後は東小金井にある下染谷新田の跡までおよそ1.5キロほど歩きました。ミニバスも走っていたのですが、次のバスまで20分も待たなければならないので、それなら歩いた方が早い、と思ったからです。
その道は亜細亜大学通りというのかしら、とても歩きやすいきれいな道でした。
周囲の景色を眺めながらのんびりと歩いても、たいしたことはありませんでした。
こんなふうに高層マンションの手前に畑があったりして、面白い風景でした。
そして以前、出かけた梶野新田の近くに浄水場があり、そこの脇道を歩いて行くと、住宅街の中に小さな稲荷神社がありました。説明も何もありませんでしたが、きれいにお掃除されていました。
ここは下染屋新田開発の際に作られた稲荷神社でした。元文元年(1736)に創建されたそうです。
実はこの神社に行く途中、雨が降ってきてしまい、たまたま見つけたサンドラッグでビニール傘を購入しました。
その後は東小金井駅まで歩きましたが、そこから自宅に戻るまでは、JR、バス、バス、京王線と乗り継ぎました。

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