2008年5月29日木曜日
晴耕雨読
雨に打たれて、あじさいの花も少しずつ色づいてきた。
面白いことに、花の周辺から色がついてくるようだ。
雨の日は読書。
ちょっとお調子に乗って、「源氏物語」のあれこれをまた書いてみる。
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このところ、暇さえあれば、「源氏物語」関係の本を読んでいる。
俵万智、田辺聖子、渡辺淳一、瀬戸内晴美、橋本治、円地文子・・・。
前にも書いたけれど、今年は「源氏物語」が書かれてちょうど千年だそうだ。
当時とは、住まいも食事も服装もまるで現代とは違っている。
それでも人間の、とくに男女の間の関係は、平安の昔も、平成となった今もそれほど変わらないのだろう。
というよりも、今に生きる私たちも、当時の人たちとまるで同じ悩みを共有し、同じ悲しみを味わい、同じ喜びを感じているとしか思えないほど、千年前の物語と共通することが多い。
「源氏物語」に書かれた数々の恋物語から、きらびやかな王朝生活の裏側を知る。
そして今も昔も変わらない女心、嫉妬、寂しさなどを知る。
こういう物語が、日本にずっと続いていることの素晴らしさに気づかないといけないね。
「源氏物語」にはいろいろな運命を抱えた女性が登場する。
光源氏の正妻であった葵の上は、子供を生んだ後に怨霊にたたられて死んでしまう。
最愛の妻、紫の上は子どもには恵まれない。
父親の帝の後妻である藤壺は、源氏と密通して子どもまで生んでしまい、一生、その秘密を胸に秘めていく。
逆境で出会った明石の上は、生んだ子供を自分では育てられずに、紫の上に育ててもらう。
源氏が中年になってから結婚した奥方(女三ノ宮)は、若者と密通して子どもが生まれるが、源氏はその子を自分の息子として育てていく。
親子の関係を見ただけでも、こんなにいろんなパターンが用意されているのだ。
物語に登場する、源氏の数々の愛人も、高貴な方、天皇のお后様、伊勢神宮の巫女、ものすごく不細工で知識にも欠ける女性、60近いおばさん、人妻、若い子・・・・ありとあらゆるパターンが揃っている。
それぞれの女性は、源氏からは愛されて大事にされても、最終的には病気で亡くなってしまったり、出家してしまったり、あまり幸せが長く続かないことが多い。
それでも彼女達は源氏の訪れを今か今かと待ち続け、訪れがあった翌日には見事な短歌を送っている。
そしてまた多数の女性と張り合いつつ、自分が一番愛されているときを大切に思い続けている。
待っているだけの人生は辛いだろうな、と思わずにはいられない。
それでも夫の目を気にしながら、お付きの人を気にしながら、源氏に愛されたいと願っているのだ。
困難な状況にいればいるほど、恋心は激しくなる、ということだろう。
「源氏物語」のストーリーは込み入っていて、同時間帯に発生している恋愛が綴られている。
そんな物語を紫式部と言う人妻が千年前に書いたのだ。
藤原道長のことやら、周りにいた人たちのことをよく眺め、そして自分の経験を織り交ぜて書いたのだろうと言われている。
だから当時の人にとっては、「あら、これは○○さんのことじゃないかしら?」と思いながら読んだのではないかという説もある。
平安時代には印刷技術もなかったし、コピーなんてあるわけもない。
だから紫式部さんが書いた原稿(?)を誰かが筆で写して、それを廻し読みしたのだろう。
新しい章ができたときには、きっと我先にそのストーリーを読みたがっただろう。
私は高校生時代に古典の時間に初めて接してから、何回か読み直してきているけれど、自分が年をとればとるほど、物語が面白く感じられる。
私が源氏物語を読んでいて感じるのは、当時の年齢は、だいたい1.5倍したくらいがちょうど今の年齢に当るのではないかということだ。
女性はだいたい12~13歳で結婚しているが、これは今の年齢で考えたらあまりにも若すぎる。
男性の結婚年齢が20歳だったから、今の30歳くらいに当るのではないか。
「雨夜の品定め」で若い男たちが、どんな女性がいいか、などとおしゃべりしているシーンがあるが、あれも源氏が17歳ということになっているが、そりゃ、若すぎるでしょう。今だったら、まだ高校生の分際だ。
せめて、25歳くらいなら分かると言うもの。
そして40歳になると、もう出家したいだの、老いが近いだのさんざん言っているが、それも今の60歳だと思えば、うなずける。
だから反対に、今60歳の人なら、「平安時代ならまだ40歳だ」と思えば、いいのではないかしら。
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来月は、また京都へ出かけて、源氏物語の絵画や文献・美術品を展示してある博物館などに出かける予定にしている。
もちろん、平安時代には、すべての人が源氏のような優雅な生活をしていたわけではないし、貴族なんてほんの一握りの存在であったに違いない。
それでもそういった人たちの人間関係や貴重な文化を知ることができるのは、本当に幸せなことだと思う。
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8 件のコメント:
丁度、お考えとシンクロする記事を読みました。
少年隊のヒガシさん、現在40代だそうですが、この年齢は昔の二十歳ぐらい、と考えておられるそう。
寿命が延びたのだから、年齢自体がスライドすると。
そう考えて実践していると、ご自分の成長が目に見えて判るそうですよ。
勿論、努力してらっしゃるのでしょうが、素敵な考え方だと思います。
結婚も、もっと遅くても良かったかな(笑)
史aya子さん、東山さんって、かっこいいですよね。それに気品がありそうね。
そうか、彼も40代なんですか。独身のせいか、すごく若く見えるわね。実際に踊りを見ても、肉体的にも若そうだし。
昔は40歳なんていったら、すごくおじさん、おばさんのような年齢だったけど、今は40代なら若いわよね。
松本の「点と線」に、「50歳位の老婢」とかいう記述があった。
若いころ読んだときには、なにも感じなかったはずなのに、2、3年前読んだときは、
「コラッ、清張!」って文句を言いたくなったわ(笑)
実年齢に0.7を掛けた数字を、自分の歳だと思えばいい、と誰かが言ってました。まあ、それでも決して若くはないけど(苦笑)
来月、京都にいらっしゃるんですか。さとさんに、お会いするのでしょうか。楽しみですね。
マサさん、「50歳の老婆」はあまりにも、ヒドイわ!!
今だったら「70歳の老婆」と書いたって、怒られるわよね~。
時々、今、私が事件に遭ったら、新聞では何と書かれるかしら、と思うことがあるわ。「中年主婦、殺される」とか?
でも、人生、7掛けでいいのね。ホッ。
京都は八重桜の季節に行って以来です。
本当は5月にも行く予定だったのだけど、サトさんが立山に行ったのでそのときは駄目でした。
としちゃんのお陰と写真教室(源氏物語を撮る)等々で私も源氏物語に興味が出てきました。
人間は千年前でも同じような喜びや苦しみを味わいながら暮らしていたのね。
としちゃんが源氏物語を好きなのはつまりは人間が好きだからですね。
それを書いた紫式部に私は興味があります。
あぁおじいちゃまに少しでもお聞きしていたらもっと面白かったのにと悔やまれます。
6月楽しみ、5月はゴメンね!
私も一緒に回らせていただきたいとわくわくしてます!
サトさん、写真教室のほうはその後、いかがですか? 宿題が大変そうね。でもやりがいがありますね。がんばって。
お亡くなりになったおじいちゃま、きっと素敵な方だったんでしょうね。
5月はサトさんの素晴らしい立山の写真を拝見できたから、そのほうが良かったですよ。
あの雪山は他では見られませんよね。
源氏物語をものがたるブログ、楽しく拝見させていただいております。どうしても内容を楽しむ以前に受験のために丸暗記したものしか思い浮かばず。とはいえ、今よりもずーっと、ドライメッシュな高校時代の私にとって、光源氏は、こんな気色の悪い、メソメソした男なんぞいらん!あっちいけ!だったのですが、今は、あーあ、男ってとっことんマザコンなのねー・・程度で、存在くらいは許せるよう進歩しました。
たかぽんさん、そうなんですよね、私たちにとって古典というのは、ばっちり受験勉強と結びついていましたから、まずは文法でしたよね。なかなかストーリーを楽しむところまではいきませんでしたね。
光源氏の物語だと思うと、なんだかばかばかしいのですけれど、いろいろなヒロインのことを思い浮かべながら読むと、楽しいものです。
それでも、私は源氏の息子の夕霧なんぞが登場してくると、もうイライラしてしまって、「はよ、せんか~」なんて叫びたくなりますね。
男ってマザコンが多いのか、そのあたりは不明です。
少なくとも、私はマザコン男とは付き合わなかったので、それは幸せだったかも。
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