2008年7月26日土曜日
平安女流日記
この前、京都に出かけたとき、京都市生涯学習総合センター「京都アスニー」というところの展示場に行ったの。
その時の紹介はこちら。
今回は、そこで配布されていた「まなびすと」という冊子に掲載されていた記事を、ちょっと紹介してみるわね。
(ただしこれは私なりの印象なので、本格的に学びたい人には物足りないでしょうけれど。)
アスニーの特集は「平安女流日記の面白さ」というもので、京都橘大学という大学(京都では有名なのかしら?)の鈴木紀子先生という方の執筆。
今年は源氏千年でもあるので、「紫式部日記」にからめて、そのほかの「蜻蛉日記」や「更科日記」などを紹介しているの。
私自身はそれらの日記を全編読んだことはないのだけれど、ははーんと思うことがいろいろあったわ。
一番注目したのは、その著者である女房たちは、京都以外のあちこちの土地を知っていたということ。
彼女たちはほとんどが受領階級といわれる国家公務員のような身分の旦那さんとともに全国をあちこち赴任していて、日本各地の話を見聞きしていたということなのよ。
交通が発達していなかった当時、あちこちを旅してきたという体験があるだけでもすごいことだったのでしょうね。それで話題が豊富なんでしょう。
今なら普通のOLでも、海外旅行の1回や2回は経験しているだろうけれど、当時は生涯、生まれた土地から離れずに生活していた人がほとんどだっただろうから、自分の生れたところ以外を知っている、というのは相当なエリートだったのじゃないかしら?
それと「京都風俗博物館」の展示にもあったのだけど、紫式部や清少納言のような女房たちは、お仕事が多かったということは意外だったわ。
歌を描くための短冊を用意したり、格子(裏表黒漆塗りの重たい扉)を開ける仕事をしたり、高貴な人たちの恋の橋渡しの役割をしたり、いろいろ仕事はあったみたいよ。
鈴木先生の文章の中で一番、はっとしたのは、そういう日記を書く女性たちについて、こう書いてあるところ。
「源氏物語などのストーリーの中では、女主人公はただ男を待っているだけのか弱い存在として描かれていたが、実際の女房たちは、独自の個性と強い精神力を蓄えていた」ということなの。
だって、当時は夫がいても、いつ他の女性のところに行ってしまうかもしれないし、不安な気持ちとやきもちで悶々としていたと思うのよ。それを内部に秘めているだけでなく、そういう自分を見つめる時間を、日記に書く、という作業をしたわけよね。
そして、その日記はすべて公開されることが前提であり、他人からの批判や中傷も覚悟して描いていたんですって。相当な覚悟がないとできないわよね。
なんだか今のブログとも似ている面もあるのだな、と面白く思ったわ。
それにね、あの膨大な源氏物語を描いた紫式部は天才ではあるけれど、実生活においてはいろいろな悩みを抱えて生きていた女性だったということなの。
恋に生きた和泉式部、自分史を淡々とつづった更級日記の女性、そして紫式部のライバルであった清少納言、こういう女性たちがいたからこそ、現代の女性の文学の基礎となったのではないかしら、と思ったわ。
私の好きな女流作家、瀬戸内寂聴さん、宮尾登美子さん、田辺聖子さん、森瑤子さん、林真理子さん、夏樹静子さん・・・たちには、平安時代の女房たちの流れが根底にあると思うわ。
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2 件のコメント:
昨日コメント書きましたがなんか上手く行きませんでした。変な漢字みたいなのが出てきたの(笑)
橘の先生が書いた文章を私は全然読んでいなかったわ。さすがにとしちゃんね。
そして女房の仕事の多さは私もあの風俗博物館で知りました。
昔からあんがい女性は強かったのかもしれませんね(笑)実のところ???
さとさん、さすがに京都人ね。橘大学というのは誰でも知っているのかしら。わたしなんんか、京都橋大学だとおもいこんでいて、変な名前の大学だななんて思っていたの。
風俗博物館は源氏やお姫様の展示よりも、女房たちの働く姿が面白かったわ。今で言うキャリアウーマンかもしれないわね。
そうよ、女性は強かったのよ。
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