今回は飛行機を利用して行きましたが、広島空港から市内までけっこう時間がかかるので、新幹線のほうがよかったかもしれません。
こちらは羽田空港。
広島市内に入ると、あちこちに「もみじ銀行」の看板を見かけるようになりました。
トマト銀行が有名になりましたが、もみじ銀行まで実在するとは驚きでした。
今回の旅行の目的は、こちら▼に書いたようにメインは着物イベントの参加でしたが、実は他にも密かな目的があったのです。
それは呉市の南のほうにある、「音戸の瀬戸(おんどのせと)」というところにある小さな渡し船に乗ることでした。日本一短い航路の渡し船というのに、惹かれました。
音戸の瀬戸は、急流と渦潮が有名なのですが、そこを向こう岸まで小さな船で渡ることができるのです。
地図で示すと、赤い丸をつけたあたりになります。
音戸の瀬戸は、呉からバスで30分くらい乗ったところにありました。
このあたりは古いおうちが多くて、また町の名前も「警堅屋(けごや)」などどいう珍しい地名で、バスから眺める風景も面白かったですね。
出発時間もとくに決まっていなくて、こんな立て札がありました。
「まっとって下さいね」と、もろに広島弁で書かれているので、笑ってしまいました
船着き場には、船乗りのおじさんたちが数人いて、「どこから来たのか」とか「29日に祭りがあるので、その時にまた来い」とかあれこれ話しかけてくれるたのですが、方言がきつくて、全部は理解できませんでした。
こちらがその船です。超レトロですが、これに乗ったほうが向こう岸にいくにはずっと便利なようです。船は「かもめ」と「つばめ」があり、どちらも60年以上経った木造船です。
江戸時代から300年の歴史があるそうです。
これに乗ったのは、私ともう一人の初老のおじさまだけでした。
向こう岸までは、3分くらいかかったかしら?
音戸の観光会館「うずしお」に行き、そこで地元のボランティアガイドさんからいろいろとお話を聞きました。
ここは昔は陸地がつながっていたので、そのため、船が運航する時には、ぐるっと南のほうを回って行くしかありませんでした。
それを安芸の国守だった平清盛が、そこをたった1日で切り開き、船で通れるようにしたというのです。
今から900年ほど昔のことですから、電力も機械もないので、さぞ大変だったと思います。
延べ人数6万人が、工事にかかわったそうです。
そして、工事の時、雨乞いならぬ太陽乞いをするべく、清盛は沈む夕日を遅らせるよう、扇をあおぐと、太陽は沈まずに、工事が完成したという言い伝えがあるそうです。
こちらは烏帽子姿の清盛さんと並んだところ。(逆光ですね)
その後、こちらに清盛塚というのができました。
これは、人命を尊んで人柱の代わりに一字一石の経石(一切経)を海底に沈め、難工事を完成させたそうで、その功績にちなんで作られた塚です。
こちらは吉川英治が「新平家物語」を書くとき、取材のために立ち寄って作ったという石碑です。
音戸では、「清盛祭り」というのが5年に1回行われるそうです。
こちらはそれを人形で作ったもの。
なんと回転ずしのベルトの上で踊りを踊っているので、ぐるぐるを回っていました。
ここには、今は立派な橋が3つもかかっています。
上には「音戸公園」があり、赤やピンクのつつじがとてもきれいに咲いていました。
帰りは反対岸のほうからバスに乗って呉まで戻りました。
バスを待っているあいだに食べた「もなかあいす」。
呉の名物だそうです。
いちぢく味と書いてありましたが、冷たくて味はよく分かりませんでした。
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今回の旅行の装い。
三河木綿の格子の着物と、ピンクの花柄お帯。
この日は、桜色の帯揚げと、帯紐は青の面を出していました。
(この項、続きます)
2 件のコメント:
70円とは、「いつの時代の話?」といってもおかしくないですね。
「渡し船」も、懐かしい響きのする言葉です。
乗客ふたりで採算がとれるのかなと、おおきなお世話ながら心配になってしまいます。
今回の旅、お天気はどうでしたか?
マサさん、ほんと、70円には驚きましたね。きっと少し前までは50円だっただろうと思いますよ。
ここはバスも走っているのですが、バスはめったに来ないし、大回りするから、時間帯によっては船(というか舟)を利用する人もいるかもね。
お天気は最後の日にはちょっとだけ濡れましたが、でも気持ちのよい毎日でしたよ。
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