今回のメインテーマは、「開園100周年を迎える井の頭恩賜公園の昔と今を学ぶ」でした。
井の頭公園は、大正6年(1917年)に日本で最初の郊外公園として開園したところです。
ここは、中央線育ちの私にはとても身近な公園です。
ボートに乗ったり、お散歩をしたりと多くの思い出があるところです。
まずは、井の頭線の井の頭公園駅に集合しました。
中高年がほとんどで、40名ほどの参加者がいたようです。
主催者の京王電鉄の社員や、吉祥寺の観光ボランティアガイドさんと一緒に歩くことになりました。
説明はイヤホンガイドから音声が流れてきました。
40名が一度に歩くのは大変なので、2組に分かれて、歩くことになりました。
まずは井の頭公園周辺の沿線歩きでした。
この辺りは井の頭公園が低くなっていて、周囲はすり鉢状になっていました。
かなりのお屋敷が並んでいました。
まず、井の頭線がいかに古い歴史のある電鉄であるかということを証明するところを、見学しました。
ここは、昭和初期、戦前に作られたものです。
京王電鉄の歴史を説明してくれました。
その後は、井の頭池周辺の歴史散策となりました。
ここは神田川の発祥の地です。
石碑に「神田川」と刻まれていました。
この池は、三宝寺池(石神井公園)、善福寺池とならび、「武蔵野三大湧水池」として有名なところです。
ほんのちょっぴり咲いていた桜を眺めながら、みんなで池の周りを歩きました。
池の向こうに白鳥のボートが見えました。
その後は公園から少し離れた住宅街を歩きました。
武蔵野市と三鷹市が入り組んでいる地域でした。
黒門というのがありました。
江戸時代には、こちらの参道にあるこの門をくぐって井の頭に行ったそうです。
古い灯籠が建てられていました。
このあたりの商人が寄贈したもので、染物屋さんなどの名前が刻まれていました。
弁財天へと足を伸ばしました。
ここは水神であり、また縁結びの神様だそうです。
ヘビがぐるぐる巻きになっていました。
こちらの内部は、巳年の年に限り御開帳されるそうです。
こちらは徳川三代将軍の家光が「井の頭」という名前をつけた、という井の頭の由来が書かれた石碑です。
こちらの湧き水のところで家康がお茶をたてたという「御茶ノ水」です。
ガイドさんから詳しい説明を聞いて、井の頭公園を後にしましたが、むくげがきれいに咲いていました。
中央線が走っているところまで戻りました。
このあたり、子供の頃は「水道道路」と呼んでいた場所です。
そして、中央線の北側にある商工会議所のビルで、トイレタイム。
その後は吉祥寺駅北側の歴史散策に移りました。
まずは武蔵野八幡宮。
ここは吉祥寺が村だったころ、当時の村民の氏神様が祀られています。
ちなみに、吉祥寺には「吉祥寺」という名前のお寺はありません。以前、吉祥寺に住んでいた人たちが移り変わってきて、名前だけを付けたそうです。
安養寺です。
入り口には珍しいものがありました。
庚申供養です。
左に見える丸い石を触ると、ご利益があるそうです。
梵鐘もありました。
大みそかには市民が交代で除夜の鐘をつくそうです。
これは武蔵野市の文化財になっているそうです。
最後は月窓寺でした。
こちらの入り口はアーケード街にありますが、中に入ってみると、とても敷地が広いお寺でした。
三蔵法師の像だったと思います。
そして駅の方まで戻り、ハモニカ横丁を通り抜けました。
なんと今回のボランティアガイドさんは、こちらのハモニカ横丁で育った方だそうで、いろいろな逸話を話してくださいました。
天井に見える杉の屋根裏は、戦後すぐのものなんだとか。
年代物ですね。
そして吉祥寺駅に到着しました。
駅を通り抜けて、「金の猿」でミニ会席をいただきました。
こちらでの様子は、「金の猿@吉祥寺」▼をご覧ください。
食後は、井の頭池「かいぼり」の解説や、三鷹市にある山本有三記念館にも足を伸ばすというコースでしたが、私はここで終了させてもらって、「ゆめこもん」さんへと向かったのでした。
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この日の装い。
あまり派手な格好はしないほうが良いと思ったので、地味な紬と帯にしました。
帯揚げと帯締めだけはカラフルにしてみました。
草履でペタペタと歩いているので、参加者のみなさんから「大丈夫ですか?」と言われましたが、全然平気でしたよ。
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